とある日、新人隊員の日下部とその上司である鳴村は専用の訓練スペースでマンツーマンでの戦闘訓練を行っていた。
「顕現装置の使い方が結構スムーズになってきたわね」
「はい、ありがとうございます!これも鳴村先輩の指導のおかげです!」
「あはは…そんな畏まらなくていいって…知ってるんだよ、あなたが勤務外も専門書を読んだり、顕現装置をコッソリ持ち出して朝方まで訓練してんの」
「えっ」
もしそれが本当であれば許可もなしに顕現装置を持ち出すのは重大な軍規違反だった。目の前の女性はハッキリとその事を知っているぞと公言した。
「も、申し訳ございません!二度とこのようなことは致しません!」
精霊がいつ現れるのか分からない以上は、限られている装備の一つを勝手に持ち出すなど許されるはずもない。
物は何であれ使えば消耗するのは明らかで、その顕現装置というオーバーテクノロジーをメンテナンス出来る人員やその時間は限られているため無言で持ち出すのは、その装備に命を預ける人間の死を呼びかねないのだ。
ASTは万年戦力不足であるのだが人員の補充がままならないのは、当然顕現装置を高レベルで扱える素質を持った人間が少ない事と、訓練に当てられる装備も時間も限られていたため前線に立てる人は少ないのだ。
「ま!今回はテキトーに見逃しといてあげるけど次からはバレずにやりなさい!」
「ええ…」
「まー最近のドクターはこっちに殆ど反撃してこなくて装備の消耗も殆どないから勝手に使っても問題ないからね」
許してもらえたことは勿論驚いたのだが、その後に続いたバレずにやれというセリフを言われて彼女には困惑しかない。
「分かるんだよね…あなたって結構焦ってるよね?せっかく精霊と戦う部隊に配属されたのに蓋を開ければ訓練や対精霊シュミレーションの毎日…ここにいていいのか不安で仕方ないのよね」
「それは……」
事実だった。入隊してから既に三ヶ月が経とうとしていたのだが、彼女はいまだに精霊と対面した事は無い。だが給料はしっかりと払われている、その事実が焦りを生み出してしまう。
「私もこの手で精霊を倒せる!って思っていざ入隊したはいいものの訓練訓練また訓練の毎日で不貞腐れていた時期があってねー」
鳴村はあっけからんといった感じでそう言った。
「そう言えば鳴村先輩は何故ASTに入隊をしたんですか?」
「んー…そうだね…一言でいうなら復讐かな」
「復讐ですか……」
いきなり物騒なセリフが飛び出した事に日下部は少しだけだが怯んでしまう。
「私の両親は昔空間震に巻き込まれて亡くなっちゃってね。それで少しでも自分と同じ境遇の人がいなくなればって思ったけど…綺麗事を並べても所詮は根っこにあるのは燃え盛る復讐心なんだろうね…」
己を騙る彼女の表情は自虐に包まれていた。
精霊を倒すという大義を騙っているはずなのにどんどん小さくなっていく相手に何を言ったらいいのか分からなくなってしまう。
そこで日下部は相手の首にかけられている恐らく写真を入れていると思われるロケットを見る。
「あ、そう言えばそのロケットって何が入っているんですか?」
「ん?これ?」
相手が話題を変えようと必死になっているのを察してそれに乗っかる。
首からソケットを外して中身を開いて見せる、中には二人の少女が写っていて片方はソケットの持ち主であるのは分かるのだが、もう片方の茶髪にくせっ毛の少女が誰なのかが分からない。
「これは妹とのツーショットだよ」
「えっ……」
それを聞いて日下部が想起するのは先ほど口にした家族の弔い合戦の為にASTに入隊したという話だ。これでは結局話題を変えられていないではないかと沈んでしまう。
相手の反応を見て何に気持ちが沈んでいるのか鳴村はそこで気が付いた。
「ごめんごめん言葉不足だったよ。親は亡くなっちゃったけど妹と私は何とか無事だったんだよ。今は二人暮らししてる」
「あ、そうなんですね」
それを聞いてホッとする。目の前の相手は天涯孤独ではなかったのだと。
そこで鳴村は何かを思い出したと口を開く。
「そうそう。来週は訓練に付き合えないけどごめんなさいね」
「何かあるんですか?」
「来週は妹の授業参観があるから有給休暇を取る予定なんだよねー」
◎
二人は一冊の漫画誌を恋菜の家で一緒に読んでいた。
「おれ…にぎって…い…る、まを、はら…う…じゅうだん…がっ……」
「そうそう…少しずつだけど常用漢字が読めるようになってる」
恋菜は約束を果たすため虚華に日本語を教える事にした。
最初は小学一年生が行うような五十音順のひらがなやカタカナを教えたのだ、だが一つの違和感が発生した。
「あ、い、う、え、お…これで間違いないよね」
「あ、うん…本当に覚えるの早いよね…羨ましいな…」
あまりにも文字を覚えるのが早かったのだ、仮に学習能力が高いとしたらそれは水と一滴も零さないスポンジのような異常な頭脳だ。
(天才…?)
ただ恋菜が同時に思ったのはそれこそ元から覚えていた文字をこれを機に思い出しているかのようだという事だ。
ひらがなとカタカナの約百文字であれば何とか短時間で覚えることが出来るのかもしれないが、常用漢字となると約八千文字にも及ぶ。ある程度日常で扱う漢字をフィーリングでも読めるようになるのに五、六年の歳月をかけるはずなのだ。
二人が出会ってすでに二週間は経っている、だがそのような短い歳月で漢字を覚えるのはいくらなんでも無理がある。
「そう言えば今週の『SILVER BULLET』のこのセリフよく分からなくってねー…教えてくれない?」
「え?ああ、どのあたりかな」
そんな事を考えながらも相手は漫画を楽しんでいたようで気になった部分の解説を求めて来た。
ここ数日は虚華が気になった事を恋菜が教えるというサイクルが成立していた。
「女の子は綺麗で清廉潔白だなんて嘘々、そんなのは男の勝手な幻想にすぎないから」
「そ、そうなの?」
少しだけ歪曲した恋菜の知識を植え付けられながら……
「ふう……」
「そうか、もうこんなに時間が過ぎていたのか…」
日本語の勉強(漫画観賞)を行う事二時間が過ぎて二人は少しだけ疲れていた。
漫画読みが楽しいとはいえ、小さな文字を長時間追い続けるのは大きな負担なのは間違いない。
「何か飲み物とお菓子を取ってくるね」
「ありがとう」
「うん、ちょっと待っててね」
そう言って恋菜は自室から出て台所へと向かって行った。その背中を虚華はじっと見ていた。
「もうそんなに時間が過ぎていたのかー…」
虚華はぽつりとそんな事を口にする。
既に赤の他人では済まされないほどの時間が二人の間に流れた。楽しさに流されて二人の中に強い友誼が結ばれた。
少し前までは考えられないほどに穏やかで優しい、そして居場所と居心地というのを感じる場所。
「……ん?」
ふと部屋の中を覗くと本棚に並べられている本が僅かにではあるのだが統率感がなかった、彼女の違和感というセンサーが働くのだ。
恋菜は買った本はキッチリと並べているのだが、今日は背表紙が微妙に前後して、何かが奥に挟まっているように思えたのだ。
「なんだ…?」
本を前に押すのだがやはり何かが奥に挟まって本が本棚の奥までキッチリとハマらないのだ。
原因が気になったため本棚の中の本を取り出して奥に挟まっているものを取り出す。彼女が手に取ったのは、女の子同士が手を取り合って熱っぽい視線を向け合っているそんな表紙が。
一方台所でお菓子を物色していた恋菜はもてなす相手の事を考えていた。
「最近の虚華はチョコレートが気に入ってたよねー…」
最近買ったチョコレートケーキを冷蔵庫から取り出してお皿に乗せる。いつ来てもいいように用意していたのだが、賞味期限が切れる前に訪ねてきたのは幸いだった。
トレイに二人分のケーキとコップに注いだ飲み物を用意して自室に戻る。
「虚華ー持ってきたよー」
「えっ…あ…」
「どうし…た…の……」
最初は気軽な口調であった恋菜であったが、顔を真っ赤にした虚華が彼女のコレクションを読んでいるのを目撃して彼女の中の時間が見事に凍結する。
「あ…あっ…ああぁぁ……」
「えーっとぉ…綺麗な絵だね……」
「ち…」
何かを察したのか相手を何とかフォローしようとする虚華。
どうやらここで本を隠しているという行為が、彼女にとって見られたくない秘密であったことに気が付いたようだった。
よって恋菜が取れる行動は一つだった。
「違うからああああ!!!!」
◎
ある日、目の前の出された料理たちをつつきながら虚華はふと思った事を質問する。
「そう言えばさー」
「何?」
虚華はリビングの食卓テーブルの上に置かれている冷凍食品のオンパレードで夕食を取っていた。
初めて虚華が冷凍食品を見た時はもう何が何やらといった感じでぽかんとしていたものだった。
今はレンチンに慣れてしまったためあの時のようなリアクションは見られ無いのが残念なのだが。
「恋菜のお母さんとお父さんっていないの?」
「えっ……」
虚華からのふとした質問に恋菜は呆然としてしまう。相手からそんな事を聞かれると思っていなかったし、そもそも一度としてそんな事は教えていなかった。
「どうしてそんな事を聞くのかな」
「色々な小説や漫画を読んでいたんだけど、普通子供は親と一緒に食事をとるのが当たり前らしいんだけど恋菜の親を見たことが無いからおかしいなって思ったんだ」
それは好奇心からくる悪意は籠っていない質問であったのだが、それを受けた相手からすればあまりにも残酷な内容だった。
聞かれた以上は黙っていても不安を煽る結果にしかならないだろうと考えて恋菜は口を開く。
「お父さんもお母さんもいるよ…でも忙しいから…ほとんど帰ってこないんだ……」
「そうなのか?」
「うん、あと言っておかないといけないんだけど……」
「どうしたん?」
相手が沈んでいる理由が理解出来なくて虚華は少し訝し気な表情を作る。
「きっとその質問をされた人は楽しくないだろうからしちゃダメだよ」
「え…恋菜は…」
「うん、正直傷ついてる…かな…」
相手のその言葉を聞いて恋菜の表情に恐怖とも言える何かが滲んでいく。
もう既に彼女無しの日常は考えられない、それほどまでに深く関わっているのだ。もしこの一件で決別などしたらきっと立ち直れないという自信がある。
涙を滲ませながらも虚華は何かを言おうとする。
「わ、わたしはっ……」
だが彼女は何を言ったらいいのか分からない。
これまで精霊として多くの人を傷つけてしまった。怨嗟や憎悪をぶつけられる事など一度や二度では済まされないほどにだ。
意味は分かっていなくても目の前にいる相手は傷ついたとはっきり口にした。
絶対に嫌われたくない、それが彼女の本音だった。
恋菜はそれを見て椅子から身を乗り出し、相手の手を取って視線を同じ高さに合わせて言葉を紡ぐ。
「うん、悪意が無かったことくらい知ってるよ」
「ッ!」
相手の目を見ると傷ついたと言いながらも穏やかな色をまとっていた。それは幼子の失態を優しく諭しあやしてやるようなそんな優しさが。
「でも私は恋菜を…」
「うん、じゃあ次から気を付ければいいと思うんだ。まだまだ虚華は知らないことだらけで未熟ってだけじゃない?」
彼女は簡単に許した。そもそも傷ついたと言ってもそこまで失意のどん底に落ちるほどではないし、それを言われるのが知らない誰かではなく自分でよかったと思っていたくらいなのだ。
「次から気を付ければいいと思うよ。さ、冷えちゃう前に食べちゃお」
その後、恋菜は虚華に何故先ほどの質問が傷つくのか具体的に説明をした。
◎
「恋菜遊びに来たぞ!」
またある日の朝、虚華は恋菜の住んでいるマンションにやってきてインターホンを鳴らす。だが残念なことにその日、彼女は学校に行っていたため不在だったのだ。
「たしかここにあったはず…あった」
彼女が探していたのは、このような不在だった場合に外で待機することが無いように、郵便受けの上にスペアのオートロックを開けるための鍵を貼り付けているのだ。
「おじゃましまーす」
当然だがその言葉に答える人は家にはおらず、ただ静まり返っている部屋がそこにあった。
(そうだな……)
家族でない虚華ですらこの静かな家を寂しいと思ってしまうのだ。血の繋がった親が返ってこない恋菜は、もっと胸にぽっかりと穴が開く様な寂しい気持ちを抱えているはずだ。彼女が前に注意したのも頷けた。
「お菓子お菓子…っと…」
ある程度虚華の為にお菓子を買い溜めしていたため自由に食べていいとのお達しを貰っていたため、彼女は迷いなく台所に向かって行く。
「ん?」
そこで台所に入った時に違和感があった。それはゴミ箱がいつもであればキッチリと蓋が閉められているはずなのに、今日は開けっ放しになっているという事だった。
気になって中を覗くとそこには一枚のプリントがくしゃくしゃに丸められて入っていたのだ。彼女はそれを手に取って開く。
「なになに…『授業参観のご案内』?」