「おーしっ」
鳴村凛院は朝から張り切っていた。
いつもは仕事で朝早く出勤して、夜遅くまで帰れず、唯一の家族である妹と過ごせないため、今日一日は仕事を忘れて一緒に過ごし倒してやるぞと。
「はぁ……」
一方でそんな姉を食卓越しに見ている妹の鳴村真院は憂鬱だった。
目の前で張り切るの姉を見てどうしようかと思ってしまっている。授業参観に気合を入れる家族ほど恥ずかしいものは無いだろう。
懸念はそれだけでなく、彼女にはぶっちゃけると友達がいない。ただでさえ心配症の姉をこれ以上心配させたくないのだ。だからこそその事実は何が何でも隠していたいのだ。
「せっかく有給休暇をとったなら家で休んでていいから…」
「なーに言ってんのよ、授業参観なんて今だけなんだから行かなくてどうすんだって話でしょ」
それとなく来ないでくれという提案も一顧だにされない。
それも仕方のない話で、凛院からすれば親が亡くなってからの授業参観は、周りにお前には来てくれる人はいなんだろと見せつけられるような、強烈な劣等感を植え付けられるそんな場所だったのだ。
だからこそ妹のそれに行かないという選択肢はあり得なかった。
「ああー…もぉー…」
真院はいつも以上に学校に行きたくなくなってしまう。
今考えているのは「あー今すぐにでも熱が出ないかなー」とかだ、ただ残念ながら彼女は中学時代には皆勤賞を取るほどの健康優良児なのだ。
「いってらっしゃい!」
「…いってきます」
そんな叶わぬ願いを抱えながら通学用の鞄を持って家を出る。
外は忌々しいほどに快晴だった。
◎
真院が自分に宛がわれている教室に入ると騒がしいクラスメイトが彼女を出迎える。と言っても彼女を皆が歓迎しているというわけではなく、ただ朝の教室で各々が駄弁っているというだけだが。
ハッキリと言うと鳴村真院はそれなりに高いレベルでの美少女だった。
長身でスタイルが良い事は勿論だが、すっとした鼻梁に少し気弱さが入った瞳はその顔を見た相手に愛嬌を与える。何より親の遺伝から受け付いたくせっ毛のある茶髪は何となくだが明るいイメージがある。
この高校に入学してから一ヶ月程は様々な人から声を積極的にかけられたものだったが、中身がそこまで明るいわけでも友人作りに前向きではないと知られてからは、少しずつだが誘われる事もなくなっていったのだ。
いつの間にか居場所が無くなった彼女は、教室以外の場所に居場所を求めるようになり自然と休み時間は教室から出るようになった。
彼女は校内の様々な場所に足を運んだのだが一番安心できるのは人がほとんど足を運ばない図書室だった。
「おーい、そろそろホームルーム始めるぞー」
気怠そうな担任教諭が教室に入ってきて号令を出す。
その言葉が教室に響くと先ほどまでくっちゃべっていた生徒たちは自分に宛がわれている席に着いた。
◎
「んじゃこの問題分かるやついるかー?」
いつもはただ教科書の内容を板書するだけの教員も、教室の最後列に多くの父兄を招き入れる授業参観とあってか挙手をさせて回答をするように促す。
『…………』
だが小学生ならともかく高校生になった彼ら彼女たちは恥ずかしがったり、この茶番感に辟易といった感じで殆どの生徒は相手にしていなかった。
そのような空気だからか教員もそれを察していつも通りの授業を続行する。
「ッ!?」
そこで真院は背中から並々ならぬ雰囲気を察知した。
ちらりと背後を盗み見ると自分の姉が両の手をぐっと握って、力強い目力で何やら期待するような視線を送る。
(やめてぇ…)
授業中だというのに彼女は頭を抱えてしまう。
だが一方で彼女の姉である凛院は主に四十代から五十代が目立つ親たちの中にあっては異様に目立つし、何よりその容姿は誰もが羨むものだった。
「おいあの綺麗な女の人って誰の母親だよ」
「まさか、誰かのお姉さんとかだろ。どう見てもあれは二十代だし」
「すっごい美人さん…何か特別なことをしてるのかな…」
生徒たちもいつの間にか教室の背後に陣取る凛院に気が付いてざわついていた。
どうやらこの後に一波乱起きそうだなと真院はそんな不吉な何かを感じていた。
特段波乱らしい事が起きることなく授業参観は終わりを迎えた。授業は一限目だけなので今すぐに帰ったところで問題は無かった。
クラスメイト達はそれぞれ疲れたとか、緊張したとかを各々口にする。
だがその中にあって一人だけは別の事を考えていた。
(早く逃げないと)
自分の姉が変に目立っていた事は周知の事実で、これから誰の家族なんだという捜査が始まるのは間違いなかった。
既に春先に目立ってそして話しかけられたはいいものの、結局上手い事やれなかったのは彼女にとっては軽いトラウマだ。
鞄を持ってそそくさと教室から出ようとするのだが。
「真院お疲れ様!」
「う…」
だがそんな願いなど妹ラブな姉の前では全くの無意味でしかないのだが。
教室にいる皆が二人に視線を向ける。既に二人が姉妹である事はやり取りによって確定してしまった。
誤魔化しがもう効かない事に気が付いた彼女は素直に返事をすることにした。
「…うん…お疲れ様」
「今日は全然手を挙げなかったけど体調が悪かったの?」
「高校生にもなって手なんてあげないよ……」
二人のやり取りは皆が興味深そうに見ていた。
容姿端麗だが教室の隅でいつも静かにしているクラスメイトにこんな綺麗な姉がいるとはと、既にクラスの話題を掻っ攫いつつあった。
「う、ううっ…もう帰るからっ…」
「へっちょっと待ってよ、真院の友達に挨拶でも…」
その面白いものを見たという興味深そうに見てくるその視線に耐えられなくなった真院は教室から出て行く。その背中を追っていく姉である凛院。
「もーちゃんと挨拶をしたかったのに」
「恥ずかしいから止めてってば」
恥ずかしさを堪えるように顔を真っ赤にして俯きながら廊下を歩いて行く。
癖のある髪型に茶髪の二人はよく目立ったため廊下にたむろしていた人たちの視線を集めた。
そこで別の教室前に多くの人がたむろしており通行不可になっていた。
勿論迷惑ではあるのだが、授業参観といういつもとは違う雰囲気のせいか迷惑だと思うよりは興味の方が強かった。
凛院も真院もまた苛立ちよりは興味の方が引かれた。
「あれは何かしら?」
「ん?なんだろうね」
姉はこの光景が通常の出来事なのか問いかけるが、当然そんなはずは無く妹も疑問符を浮かべる。
二人は人の集まりに向かって歩いて行く。そして人混みのど真ん中にいるある人物を認めてしまう。
「え……?」
「どうしたの?」
ただただ凛院は間抜けな声をあげる事しか出来ない。
そんな不自然な反応を見せる姉に不安を覚える。
「ありえない……」
妹の心配そうな態度などもう彼女は認識することが出来なかった。
何故なら彼女の視界の先にいたのは精霊である虚華だったのだから。
◎
「ここが学校か、漫画に載っていた通りだ」
虚華は恋菜が通っている高校の前でそんな事を口にする。
朝に見つけた「授業参観」という単語を見て、とっさに相手の家に置いてあるパソコンを使ってその意味と高校の住所を調べてやってきたのだ。
ちなみに今の彼女は通販サイトで適当に選んだ服をチョイスして作った物を着ている。仮に何を着たらいいのか分からない時はそうしろと恋菜に言われていたのだ。
彼女は校門をくぐるのだが運がいいのか警備員や手の空いている教師に見つかって咎められることは無かった。
今日は授業参観であるため学校の生徒ではないと分かる人間であってもある程度はスルーされるのだ。
「おお…」
ワックスのかかった廊下を歩く感覚は初めて体感する事である為、そのキュッとする感覚を楽しむ。
今彼女の履いている靴は精霊の力によって作られた物で、霊装の力が僅かにだが備わっているため汚れを弾く性能があるためそのままでも廊下は汚さない。
「うっおお……」
漫画や小説の中の出来事でしかなかった学校という世界を目の当たりにしてやや興奮気味だった。
ふとそこで彼女は自分がここに来た目的を思い出す、恋菜の家から持ってきた授業参観の案内のプリントを見てどの教室に行けばいいのか探し始める。
◎
「…………」
教室で宛がわれている自分の席で恋菜はじっと静かに本を読んでいた。いつものルーティーンと言えばそうなのだが、今日はいつも以上に体を小さくしてじっとしていた。
クラスメイト達が話しているのは、親が来るから恥ずかしいとか、親が来ないから勝ち組だとかそんな他愛もない会話。
昨日、彼女は親にそれとなくメールではあったのだが授業参観の連絡を入れた、だがどちらも仕事が忙しいから来れないという欠席の連絡が入っていたのだ。
そしてやるせない気持ちになった彼女は連絡のプリントをゴミ箱に入れたのだ。
(分かってた事なのに勝手にやって勝手に傷ついて馬鹿みたい…)
既に本の内容が全く頭に入ってこなかったため、読書を中断してぼんやりと外の景色を楽しむことにした。
窓の先にはいつもと変わらない日常が広がっているにもかかわらず、いつも以上に彼女の気持ちは沈んでいた。
「ここはこの方程式を応用してだな」
黒板に板書されるのはこの先どのようにして人生に応用するのかが見当もつかない数字と記号の羅列、それを生徒たちは積極的にノートに写していく。
授業参観といってもいつもと変わらない授業風景なのだが、生徒たちの多くは後ろに鎮座している親御さんが気になっているのか時々ちらちらと背後を確認している。
生憎そんな心配をする必要のない恋菜は、恥ずかしがっている同級生たちを見て溜息を薄く吐いてしまう。
(誰も来ない私は気楽な身分ですねっと…)
親から来ないという旨のメールを受け取った彼女はもう無敵なのだ。
だが同時にふと脳裏に過ぎったのは最近できた彼女の友達、もし恋菜のために来るとしたら彼女以外はありえない。
(って何考えてるの……)
いつ現れるのかも分からない不安定な存在である彼女が今日のこの瞬間にピンポイントで来るなどあまりにも都合がよすぎるし、そもそも授業参観の事など教えていないのだ。
するとそこで学生たちと背後にいる保護者たちが少しだけだがざわつき始める。
「誰だあの子」
「学生じゃないよね、今日は平日だし」
「つかめっちゃ可愛くね…」
生徒たちのざわつきは当然授業を真面目に受けている彼女にも届いていた。彼女もさすがにそのざわつきが気になって後ろを振り向く。
「…なんなん…ブッ…!」
「や、恋菜、プリントを見て来たぞ。教えてくれればよかったものを」
虚華がプリントを片手にごく普通のテンションでここに来た理由を報告する。
今は授業中なので彼女が勝手に話すのは許されないのだが、そこまでは調べていない。
そのセリフを聞いて教員と生徒たちは一応に恋菜の方を見る。今人生でも一、二を争うほどの注目を集めている恋菜は何をどうしたらいいのか分からず俯いてしまう。
ここで黒板の前に立つ教師は我に返って注意を促す。
「あのすみませんが……」
「虚華だ」
「虚華さん、今は授業中ですので私語は…」
「しご?」
虚華は教師からの注意に自分の何が悪いのか、自分が何を改善するべきなのかが分かっていないようで困惑している。
それを察して恋菜は相手にいまするべき事言う。
「虚華、今は勝手に話しちゃダメなんだよ」
「そうなのか?そう言えば漫画でも学校では静かにしていたような。そうか、すみませんでした」
そう言われて相手は素直に頭を下げて教室の後方で静かにしていた。
その後授業は再開したが、虚華登場の強烈なインパクトのせいで教室内にいる誰もが授業に集中できてはいなかった。
◎
(早く逃げないと…)
授業を終えた恋菜が真っ先に考えたのがそれだ。もうすぐ彼女の突如教室に現れた謎の美少女虚華との関係性を知ろうと人が群がる可能性があった。
ここで逃げたとしても問題を先延ばしにするだけなのだが、大事なのは未来ではなく今どうなるかなのだ。
「無視をするな」
「ぐえっ」
だが鞄を持って教室から出ようとする彼女の首根っこを掴んで離さないのは虚華だった。教室の出入り口のところで止められてしまう。
「おい恋菜、何で私から逃げようとするんだ。傷つくだろう」
「うぅ…ごめんなさい…許して……」
「な、何でそんなに追い詰められているんだ…?」
相手があまりにも真に迫った弱さを見せるものだから虚華はちょっとだけ引いてしまう。
一方でクラスメイト達は遠回しから大目立ちしている虚華の事が気になっていたようだが、その内の一人が勇気を出して二人のもとへと歩いてくる。
「ね、ねぇ…御守さんだよね。その人は…友達?」
「えっ…えーっと…」
突如声をかけられて彼女はテンパってしまう、この場面でさほど仲良くない相手に声をかけるなんてすごいな。あと彼女は「自分の名前覚えてるんだ…友達が多い人は違うな、自分には出来ないな」とか考えていた。
ずっと黙っていても不自然がられてしまうため何か言い訳をしなくてはと考える。どストレートに精霊など言えるはずもないし、そもそも真実を言ったとしても電波だと思われるのがオチだ。
「あ、そうだ。従妹だよ御守虚華っていうんだ」
「従妹?いや、私は…ああそうだ…たまたま休みと重なって恋菜の家に遊びに来ているんだよ」
最初は何を嘘をと虚華は思ったのだが、すぐさま恋菜がこの場を凌ぎたがっているのを感じてそれに乗っかった。
どうやら堅苦しかったり気難しい人物でもなさそうという事で、多くの生徒が話をしたい、お近づきになりたいと群がってくる。
「な、何だ?」
「虚華と仲良くなりたいんじゃないのかな」
いきなり人に囲まれた彼女は困惑の声をあげるが恋菜がそれは悪意からくるもではないと弁明をした。
その後、もみくちゃにされながらも二人は質問ラッシュを裁き切った。
その近くでASTの人間が見ているとも知らずに……
◎
「ところでなんだが…いいか?」
「どうしたの虚華?」
二人は学校から恋菜の家に帰って休んでいた。
そんな中でふと何かを思い出したのか虚華は口を開いたのだ。
「何で恋菜は積極的に話さなかったんだ?」
「え」
その一言に恋菜は固まってしまう。それを見ても相手は口を開くことを止めない。
「あの時どこか話すのを嫌がっていたというか…怖がっているようなそんな気がした」
虚華が口にしたあの時というのは授業終わりに質問攻めにあったそれだろう。
話題の大半は当然虚華の事だったのだが、それ以外にも虚華の事は抜きで恋菜にそれとなく話しかけていた人はいたのだ。
だが彼女は話しかけられても一言二言淡々と返しただけで話題を広げようとはしなかった。
質問攻めにされながらも虚華はそれを見逃さなかったのだ。
「私にはそんなに悪い人だったようには見えなかった、どうしてだ?嫌いな人なのか?」
「それは……」
「まあ私に話したくない事もあるんだろうけど…」
虚華は相手が答えに窮しているのをみて、これは流石に踏み込み過ぎたなと思い気が沈んでしまう。
「そうだね…虚華になら…あなたなら何かが分かるのかな……」
恋菜は高校に入ったばかりのころに頑張った事を話し始めた。
虚華は相手の話を聞き終わった事には難しそうな表情を作っていた。
「なるほど……」
ポツリと一言そう言った。
相手が答えることに困っているのを見て慌てて恋菜は弁明を図る。
「でもさ、別に無理して友達を作る必要はないし、私には虚華がいるから…」
「…………」
その言葉を受けても相手の表情は晴れなかった。
決して友達であると言われて気分を悪くしたわけでは無い、でも何かが引っかかっているのかその顔には懸念があった。
「自分にとって好ましくない事でも、その相手と友人関係であるためなら仕方なく覚えなければいけないか…それは難しいな……」
何を言ったらいいのか虚華は困っていた。
人生経験が圧倒的に少ない彼女では恋菜の懸念全てをフォローできる言葉など持たないのだから。
だからこそ彼女が言えるのは心の底から思った事だけ。
「あの日恋菜が友達になれないかと言われて、そして空間震について真剣に悩んでくれたのが本当に嬉しかった。その時と同じように過程とか仕方ないとか、何をしなければいけないのだとか、そんなめんどくさい事など一旦忘れて、相手そのものにまず真剣に向き合えばいいんじゃないのか?」
「それは…」
そう言われて彼女は何を返していいのか分からなかった。
だが言葉に詰まっていても相手はお構いなく思ったことを話し続ける。
「恐らくだが…あの時話しかけた恋菜は私がめんどくさい存在である事など考えてなかったはずだ。その時と同じような感じで周りの人達と向き合えばいいんじゃないかな」
決して強制する事ではない。あくまで彼女は思った事を口にしただけ。
あの瞬間の恋菜は打算など考えずにただ思った事を口にしただけだったはずだ。
だが本当に今のままでいいと思っているのなら、今の今まで人との向き合い方で頭を悩ませたりはしなかったはずだ。
だとすれば御守恋菜はどうしたいのか、そしてどうなりたいのか、その答えなどとっくに出ている。
まだ心の中いい座り続ける不安。やりたい事は分かっている。だからこそ最後の一押しが欲しくて恋菜は口を開く。
「ねえ…虚華……」
「何だ?」
ここまで言葉を紡いでなおまだ悩んでいる相手であっても、彼女は呆れることなく付き合い続ける。
「私なんかで大丈夫なのかな……?」
この期に及んでいまだに不安を払拭出来ない相手でも、虚華は優しげな表情で言った。
「『私なんか』なんてつまらない事を言うな。恋菜の事を大切に思っている私に失礼じゃない。それに恋菜なら大丈夫、精霊であり、また友人…いや親友である私のお墨付きじゃ不満?」