日下部は椅子に座りながら、机に広げられた資料を見てふと思った事を口にした。
「顕現装置の講習会が入るなんて突然ですね」
「そうね。こういうのはもっと前もって説明されるはずね、そもそも全員が一堂に集められるのもどこか…」
凛院は講義中であるのだが、そんな相手の気を抜いた言葉を咎めることなく同意を示す。
仮に抗議が入るとしてももっと人数を絞ったり、時間ごとに人数を分けていつでもイレギュラーに対応できるように考えて計画を練るはずなのだ。
ここには隊長である神無月もいる。まるでこの場にASTをこの場に縛り付ける事が主目的のような……
◎
「精霊がヒーローみてえに来やがったか、鳥肌が立つんだっての!」
ブレンダーはやってきた虚華を見るやそう言い放った。
そしてその声に呼応するように彼女の部下であると思われる人たちが一斉に武器を構えて攻撃を加える。
すべて攻撃が急所や顔や感覚器を狙った執拗なもので、すべてが悪意と殺意をまとった容赦のないものだった。
(虚華っ!)
恋菜はそれを初めてみた。これまで魔術師に命を狙われている事は知ってはいたものの、実際に攻撃をくわえられる場面は目にした事は無かった。
だがらこそやるせない思いに駆られてしまう。自分の親友は決して世界を破壊しようとする意志など持っていないのに……
だがそんな不安や悲しみなど何とやらという感じで虚華は全ての攻撃を躱し、捌いていく。
敵はそれを見て驚きを隠せない。これまでASTの人間が討ち漏らしていたのは、その隊員の実力が足りないからだと考えていただけに自分たちの武装や連携をこうも簡単に凌いで見せた事が信じられなかったのだ。
「この…クソガキがあああっ!」
レーザーブレードを持った人間が一人その事実を認めたくないのか、咆哮とそして狂乱に駆られた表情ともに相手の体を切り裂かんとしていく。
だが相手のその恐怖すら感じてもおかしくないそれを見ても虚華は無表情で天使を構えて向かい合う。紙一重の間合いで相手の武器を躱して、そのかわし際に持っていたメスを使って相手の頬に傷をつける。
「ッ…この程度で……」
やられるわけも無いだろと言おうとしたのだが、口が突如として止まる。相手のまとっていた顕現装置の鎧の重みが己の体を蝕み自由を奪っているのだ。
「おいどうした」
「何だ…いきなり体が重く……」
「これは…神経毒…脳に異常が…?」
ブレンダーの部下の一人が驚いて切られた仲間の傍へと行くのだが、意識も口調もハッキリとしているのに戦闘不能になっている事に驚きを隠せない。
それこそが虚華という精霊が持っている天使の力の一端なのだが、そのからくりと力の本質を、自分の大切な親友を傷つけた相手に対して彼女が懇切丁寧に説明する事は無い。
既に戦闘不能になっている相手から意識を外して、ここに来た本来の目的である相手の方へと視線を向ける。
「恋菜…済まない…今すぐ助ける……」
「謝らないで……」
相手の謝罪を受けてすぐさまその一言を止めさせる。それはまるで自分の存在が虚華にとっては重しのように思えてしまってここにいること自体が、そして彼女の友人である事が一つの間違いであるかのように思えてしまったのだ。
「おーおー…美しい友情だねぇ…感動だねぇ…」
だがそのやり取りを見たブレンダーは酷薄な笑みをたたえてそう言い放った。これまで戦いには一切関与せずに静かに戦闘を観察をしていただけに、その口調は突如としてこの場に現れたかのようで妙に目立った。
「…覚悟しろ…恋菜に手を出した罪は重い…」
「手を出したってこういう事かなぁ?」
虚華から受ける激怒や激情など何のその、ブレンダーは剣を構えると無造作に振り下ろして恋菜の左腕を突き刺してそのまま斬り降ろしてしまったのだ。
「ああああああああぁっ!?」
「恋菜っ!お前ッ…!」
その激痛に呼応するように叫ぶ相手を見て、今まで以上に彼女の頭に血が上ってしまう。
だがその殺気を受けてもブレンダーが恐れおおのいたりするはずもなかった。
「あはは…なに雑魚を散らした程度でこの場の主導権取った気になってんだよ」
あくまで彼女からは狂気こそあったが焦る様子は無かった。ここまでの展開は読めていないわけでは無かったという事か。
虚華は素早くメス構えて威嚇をするのだが、同時に相手も剣を恋菜の首筋に付きつける。
「ぐっ…」
「お前がどんな力を備えているのかは知らねぇが…少なくともその刃に触れた対象にしか効果は無いんだろ?そうでなければとっくにこの女を取り返しているはずだ」
これまでの相手の行動を踏まえた上でおおよその能力の効果範囲の当たりをつける。
広義でいうのであれば超近接型といえるし、仮にメスを投げる事も出来るのだがそのスピードはたかが知れていた。
「さぁーてどうする?今どうするのかが賢明かは言わなくても分かんだろ?」
「ぐっ…くっ…!」
その指摘に唸る事しか出来ない。
虚華のスピードで斬りかかりに行くとするなら、それを見てから反応をしたとしても僅かにだがブレンダーの狂刃の方が先に恋菜を襲ってしまう。
その事に気が付いて虚華の中に葛藤が生まれる。
(クソッ…いくら傷つけられても天使の力で直す事は可能だっ…だがっ…!死んでしまったら直せない…!)
ここで勢いのまま結果としての勝利を手にする事は十分可能だった。自分の方が魔術師達よりも強いという慢心ではない自負があった。
だが今の彼女の勝利は相手を打ち倒す事ではなく、恋菜を助け出す事だ。それだけは間違えてはいけなかった。
「…………」
彼女は苛立ちを隠さないままに天使であるメスを消した。
それを見てブレンダーは感心といった感じだ。
「へぇ…物分かりは良いな…じゃあ取りあえずその霊装を解除してもらおうか」
「ッ……」
一瞬だけ躊躇いこそ見せたが相手のその要求を素直に飲んだ。そうしなければ恋菜は殺されてしまう。
淡い光に包まれたと思うとよく街中を練り歩いている際にチョイスをする服装に早変わりする。
だがそれを見たブレンダーは不満顔だった。
「おいおい、そうじゃねーだろ」
「何だと…」
「なーに服なんか着てんだよ。マッパに決まってんだろ?」
もはや人を人とも思わないような心折りに来るそんな要求。だが相手はそれでも飲むほかがないのだ。
それを聞いて慌てて恋菜は口を開く。
「虚華止めて!私なんかの為にっ!」
「…前にも言ったが私なんかなんて言うな、その言葉は嫌いだ」
相手の一言を否定する虚華だった。
もしなんかなどという単語で括れてしまうような相手であるのなら彼女はここまでしようとは思わない。
そして彼女の体をまとう霊装が光り輝き弾けたかと思うとそこには一糸まとわぬ虚華の裸体があった。
決して巨乳だとかタッパのある体形というわけでは無かったが、白い肌にどこか彫刻のような繊細さとバランスの取れたそのプロポーションは誰もが息を呑んでしまう不思議なオーラを放っていた。
彼女のその表情には羞恥があったが、それは裸を見られているから恥ずかしいのでは無く、言われるがままになってしまっている自分自身の屈辱から来るものというだけだ。
「グフッ!?」
「虚華っ!」
すると突如ダン!という命を狩るための発砲音が炸裂する。虚華の腹に凶弾が撃ち込まれてしまいその体に風穴が開くとともに、銃弾の勢いによってその体が吹き飛ばされて地面に倒れこんでしまう。
霊装という身を守る城を失っている彼女はまさに文字通りの無防備状態だった。
それを見た恋菜は涙を滲ませて相手の名前を叫ぶ。
「おいおい精霊に銃弾が通じたぞ」「マジか…こんなことがあるんだな…」「今なら殺せるってわけか」
最先端の顕現装置を備えてなお手の届かなかった精霊の首を今まさに討ち取れる手前まで来て、狂喜と困惑の二種類の感情が織り交ぜられた感想が魔術師達から出てくる。
「おいおい…初っ端から殺すなよ~?…精霊の弱点とか知りたいからな…死なない程度にたっぷりなぶってやれ…」
興奮する部下とは違い、ブレンダーは冷静に一切隙も油断もなくそう命令を下した。
ただただ一方的な蹂躙劇が始まった。
◎
天使と霊装を封じ込まれ、反撃も防御も許されない状況に陥った虚華の体は瞬く間に傷つけられていった。
両足は既に切り落とされ、左腕も肘から下は無くなっていた。
だが体の一部を失い全身ボロボロにされた激痛に耐えながらもなんとか彼女は意識を保っていた。まだこの場を切り抜ける事を諦めてはいなかった。
「おやおや…精霊ってのも体の構造は案外人間らしいんだなぁ……」
目の前の存在を何だと思っていたのか、ブレンダーは薄ら笑いを浮かべながらも興味深そうに言い放った。
その余裕綽綽な態度が虚華の苛立ちを加速させるのだが、相手の足元で涙を浮かべながら痛みにさいなまれている恋菜がおり、いつ殺されてもおかしくない状況にあったため黙って耐え忍んでいる。
(せめて一瞬だけでも私から意識を外させる事さえできれば…)
虚華はそんな事を考える。現状ブレンダーは一瞬たりとも自分から意識を外しておらず、天使なり霊装をまとう前兆を見せれば容赦なく恋菜の首を刎ねる筈だ。
一方で相手の部下は全員が油断しており、雑魚の目を盗むのは難しくなかった。
だからこそ大将さえどうにか出来ればこの絶望的状況を打開する事は可能だ。
「うぐっ…!」
そんな事を考えている間も魔術師達の遊び半分のような気まぐれな銃弾が彼女を襲い、痛みで唸り声をあげてしまう。
体は既に蜂の巣状態だが、精霊として持っている耐久力によって何とか命を繋いでいる状態だった。
(私なんかのせいで虚華が……)
恋菜はただただ残酷に過ぎていく時間を黙って嫌になるほど体感していた。
自分が人質となっている為に虚華は勝てる相手であっても手も足も出なくなってしまっている。
だがそこで前に言われた事をふと思い出した。
『「私なんか」なんてつまらない事を言うな。恋菜の事を大切に思っている私に失礼じゃない。それに恋菜なら大丈夫、精霊であり、また友人…いや親友である私のお墨付きじゃ不満?』
恋菜は今何をしたいのか、何をするべきなのか。虚華という親友である自分はここで這いつくばっているだけでいいはずがなかった。
友人である事を継続するために仕方なく何かをしなければいけないのではない。
ただ大切な相手の為に、今何をしたらいいのか深く考えなくても自然と脳裏にはその答えが浮かび上がっていた。
今彼女に残っているのは左足と右腕だけしかない。そもそも万全の状態であってもこの場から逃げることは困難だった。だが全く動けないという話ではない。
「うわああああぁぁっ!!」
残された四肢でありったけの力を振り絞って、不安な心を追い払うために叫びながらもブレンダーに組み付こうとする。
だがそんな努力も意味は無かった。相手が展開している顕現装置によるフィールドはまるで鉄の壁のようでビクともしない。
「な、何やってんだこいつ」
不意を突かれた事は確かで、驚いて足元でへばりつこうとしている相手を見下ろしていた。
だが一瞬だけ精霊から注意を逸らしてしまったのだ。それこそが相手の狙いであると気が付いた時には、既に彼女の魔力によって生み出された領域が切り裂かれていた。
「何っ!?」
領域が破壊されたと思った時には、五体満足に戻っている虚華がメスを握ってブレンダーを切り裂こうとしていた。
『うわああああぁぁっ!!』
(恋菜!?)
恐怖を押し殺して飛び込んでいく恋菜を見た瞬間、自分の意思とは違う何か生きる者としての根源や本能ともいえる物が反応をしたのを感じた。
『これは……』
目の前に現れたのは宙に浮いている彼女の天使であるメスだった。彼女の脳内に天使の使い方や性能が自然と流れて込んで来る。
『ッ…なるほど……』
そして独りでに動き出してそっと虚華の体に触れた。
すると彼女の体が淡く光り輝いたかと思うと斬り飛ばされた四肢や痛めつけられて出来た傷が綺麗さっぱり消えた。
そして宙に浮いているメスを握りそれを相手に向かって投げ飛ばし、そのまま新しい天使を生み出し、霊装をまとい直して真っ直ぐに飛び込んでいく。
(こいついつの間に!)
先ほどまで虫の息寸前だった相手が突如として無傷の状態で飛び込んできたため、当然のことながら部下も、そしてブレンダー自身も思考に空白が出来てしまい、目の前の出来事に対して冷静に対処をすることが出来きずに対応が遅れてしまう。
その一瞬を突かれてメスによって切り裂かれそうになるのだが咄嗟に後方に飛んで剣を持っている右手の指先に掠るに留まる。
指先だけとはいえ傷つけられたという事実が途方もない怒りを彼女から生み出させてしまう。
「ッ…テメエ…どうやって…やってくれんじゃねーか…」
「…私の心配よりも自分の心配をしたらどう?」
相手の満々の殺気を受け止めても虚華の表情に気負いはない。激怒している相手の事など無視をして本来の目的を果たそうとする。
「恋菜…ごめん……」
「あ…やまらない…で……」
虚華は傷ついた恋菜の体を抱きしめてただひたすらに謝罪をする。それはまるで大罪を犯した咎人が神に許しを得るために懺悔をしているようだった。
一方の恋菜は虚華が無事であった事にホッとしたのか体から力が抜けて眠ってしまった。
それを見て虚華は慌てるのだが、胸が規則正しく動いているのを確認して安心する。
無視して勝手に話し合っているのを見てブレンダーが大人しくしているはずもなかった。
「って…無視してんじゃねぇ―」
だがそこでカラン…と彼女の持っていた剣が地面に落ちた。そこで指先の感覚が無くなっている事に気が付いた。
「は…あん…?…何がどうなって…」
彼女はそこで先ほど指先が浅く切られた事を思い出して、恐る恐るではあるが目で確認をした。
彼女の右腕が指先から少しずつだが黒い灰になって、まるでじわじわと巡る毒のように体の中心へと侵食しようとしていたのだ。剣を落としたのは指先が灰になって消滅したからなのだ。
「終わりだ」
「って…この程度でいい気に何じゃねぇよ…!」
相手から勝ち誇った言葉を掛けられてブレンダーは、頭に血が上りはしたが僅かに残った冷静さをフル活用する。
落ちた剣を左腕で拾い方から右腕を切り落としたのだ。
「なにっ…!」
「まさか…自分が傷つく覚悟はねえとか…そんなしょっぱいやつと思ったか…」
驚く相手に対して、ブレンダーは右腕の出血を必死で抑えながらも上がった息でそう答えた。そして魔力でこれ以上の出血を止めて左手で剣を構える。
「さて…第二ラウンドと…」
「ブレンダー様」
まだまだ衰えない相手の敵意を見て、虚華は左腕で恋菜を強く抱きしめながらも右手に天使を握って構える。
だがそこで部下の一人であろう男性が傍によって声をかける。
ブレンダーがそれを邪魔ととらえるのはごく当然の事だった。
「邪魔すんじゃ―」
「ASTの連中がこの場に来ます。これ以上DEM社の足止めは難しいです、精霊が一般人を巻き込んだことにしていますがこれ以上ここにいるのは……」
「チッ…」
上司が苛立つであろうことは当然理解は出来ていたのだが、報告をする方が優先順位が高い事は分かっていたため無理にでも口を開いた。
その報告を受けてブレンダーは舌打ちをする。流石に遊び過ぎた事を後悔していた、もっと早くかたを付けていれば精霊を討ち取れたのだが、一方的に精霊を蹂躙できる機会に目がくらんでしまったのだ。
ギリッと虚華とその腕の中にいる恋菜を睨みつける。そして剣で切り落とした右腕の付け根部分をトントンと叩きながら、憎しみ滴る声でそう言った。
「クソがっ…テメエ…この右腕の借りは…キッチリ利子付きで返すからな…」
そう言い残して部下の一人に肩を貸してもらいながらその場から離脱をする。