「再就職先考えないとなー……」
凛院は自宅のテーブルの上いっぱいにチラシやパンフレット、そしてハローワークで貰った資料を見ながらぼやく。
既に退職願を出してから一ヶ月程が過ぎていた。だがASTの末席に「鳴村凛院」の名前は依然として残り続けている。今の彼女は窓際で資料の整理や、残された後輩の為にマニュアルの作成などに勤しんでいる。
理由は単純で多くの退職者が出すぎて流石に全員いっぺんにいなくなると組織そのものが空洞化してしまうのだ。そのため基本的には現場に出ない事になっているが、人員がどうしても足りなくなり必要性に駆られた際には非常勤隊員として出る事になっている。
正式な隊員として働いていた時よりは労働時間も手当ても無いため、確実に今の方が給料は少ないのだが、自由に使える時間や休みも格段に多く、そして取りやすくなっている。
非常勤での契約もあと五ヶ月で切れるためそれまでに次の働き口を考えなくてはいけないのだ。
「うーん…やる気でない~……」
元々命がけの仕事であったため基本給が高く、また世界的な機密事項である顕現装置に精通していたため、その口止め料として通常よりもはるかに多い退職金が出るためそこまで焦って働く必要性にかられていないためどこか体に力がみなぎらない。
だが同時に今の凛院の年齢は二十代半ばであるため、早めに再就職をした方がやり直しや潰しが効くためのんびりもしていられないのだ。
「真院帰ってくるの遅い……」
ふと壁に備え付けの時計を見ると時刻は五時半を過ぎていた。
季節は八月半ばでまさに学生にとっては天国シーズンで、外も全然明るいため年齢的にも時間的にも女子高生が出歩いていても問題はない。
(いつも基地にいたから気が付かなかったけど…真院って結構外を出歩くんだね…)
姉である自分にとって妹は親を失った今絶対に守らなくてはいけない存在だ。多少過保護気味になってしまうのは仕方ないし、妹もまたその姉の気持ちを理解しているのか困惑しながらも受け入れてはくれている。
「夏休みは真院と沢山遊べると思ったんだけどなぁ…真院ボッチだし……」
前線から退いたのが七月末だったため、夏休みはそれまで忙しかった時間を取り戻すために色々と家族サービスをしようと思っていたのだが想定していたよりも二人の自由な時間が重ならなかった。
因みに凛院は自分の妹に友達が少ない引っ込み思案な性格である事はとっくにお見通しだった。別に無理して友人は作るものではないし、それが辛い事であると認識していないのなら別に一人が好きでも構わないのだ。
妹はどちらかといえばインドア派であり、ならば友達の代わりに自分が外に連れて行ってやらなくてはと義務感すら覚えていたほどだったのだ。
だが蓋を開ければ凛院は外出する機会が多かった。
(ん、ん?というかこんなに外に出る機会が多いって事は…これは……男の影っ…!)
彼女はがばっと起き上がる。
父と母が残してくれた大切な体、それを好き勝手にしている男がいるかもしれないという事実に旋律を覚える。
「いやいやマテマテ落ち着きなさい、短気は損気よ私」
だがそこで彼女は何とか落ち着きを取り戻して椅子に座る。そして今朝の出来事を思い出す。
「たしか真院は宿題を持って出て行ったはずだわ。なら考えられるのは図書館に行って宿題の消化よ」
もはや自分に言い聞かせていると言っても過言ではない状況だが、その暴走を止めてくれる人間はこの部屋にはいない。
するとここで家の玄関扉が開く音がする。この家の鍵を持っている人間は二人しかいない。
「ただいま」
この部屋に住んでいる人間の一人、鳴村真院だ。
ちょうど考えていた相手がグッドタイミングで現れたため一瞬怯んでしまう。
「お、お帰りなさい」
「ただいまお姉ちゃん」
真院はいつも通りのテンションでリビングにある食卓テーブルに宿題を入れているトートバックを置く。
そこでテーブルを先に占有している再就職用の資料をチラリを見て彼女は姉に問いかける。
「やっぱり今の仕事辞めちゃうんだ…自衛隊って公務員だよね…勿体ないなー…」
働いたことの無い人間特有の公務員至上主義を聞いて凛院は苦笑いをしてしまう。自衛隊といっても、その本質は世界の裏で暗躍する機密組織なのだがそれを妹に話す事は出来ない。
公務員は自衛隊系だと出張やら転勤が多くて大変だし、収入的に安定していてもパートナーへの負担が多く結婚に踏み切ったり、自分の持ち家を持つのが難しいため、意外とプライベートでの制約が多くなりがちでそこまで憧れる職種ではない。
真院は再就職の話題には興味を失い、冷蔵庫の中から飲み物を取り出して傍にあったコップに注ぎながら、チラリと姉の方へ視線を向けて話しかける。
「明日ってお姉ちゃん家にいたりするかなー…?」
「明日は一日中家にいる予定。冷蔵庫の中もしっかり買ってるし、友達もみんな仕事で予定合わないし」
「へ、へぇー…」
「?どうしたの?」
なにやら煮え切らないような雰囲気を出してくる妹に不審そうな反応をする姉。
恥ずかしそうにしながら真院は口を開く。
「んっとね…友達を家に呼ぶ約束をしちゃった…というか…」
「ええええええええ!!!?」
「そんな驚いたリアクションする!?」
「あのボッチの真院が!」
「ボッチって…気づいてたの!?」
「あれで隠せてるつもりだったの!?」
この場で明らかになった姉妹の友人把握事情。
これまで友人がいるかのように振舞うため意味もなく外出したり、スマホを意味もなくいじって微笑んでみたりと姑息な策を弄していたのだがそれも無意味だったようで。
「ちなみにその友達は点と点で結べるの?奥行きは存在するの?」
「いやキチンと友達は実在するよ!二次元じゃないよ!エア友達とかじゃないから!」
あまりに失礼極まりない質問に食い気味に否定する真院。ここで自分の黒歴史が公になってしまい恥ずかしさで冷静さを失ってしまう。
「へー真院がねー」
弄りながらも凛院はどこか嬉しそうだった。別に友人が多い事が全て、幸せの全てだとは思っていない、だがやはり一緒に居てくれる友人がいてくれるのはやはり嬉しいのだ。
そして友達というワードで連想してしまう、かつてドクターと呼ばれた精霊が御守恋菜という少女を大切にした事を。
それはただの想像の範囲内でしかないが、あの二人には種族の違いを超えた友情があったのかもしれないと思ったのだ。
そして仮にそうであるなのなら、それを台無しにしたのは間違いなく人間が生み出す偏見だ。直接手は下していなくてもその環境を作った一因は間違いなく凛院も担っている。
「…………」
「お姉ちゃん?」
「へっ、ああ、じゃあその友達が来る時は私は家を空けてた方がいいかな」
つい考えこんでしまった。もう既に取り返しのつかない出来事であるというのに、人間というのはあの時ああしておけば…と何度も後悔する事を繰り返してしまうのだ。
「…………」
一方の真院は姉のそのリアクションを見てどこか不気味な物でも見たような表情を作る。
「な、なによ」
相手の表情を見て聞き返す。何か自分はおかしなことを言ったのだろうかと、何か配慮に欠けた言動であったかと。
「お、お姉ちゃんが気を遣った…!」
「なによそれー!」
真院の感動といった口調に異議を唱える凛院。
相手の言った通り、これまでの凛院の性格からすれば家をやって来る友人の為に外出して空けておくなど中々考えられない事だ。本来の彼女であれば何が何でも家に居座って相手の顔をぜひ拝もうとするはずだ。
だが一瞬脳裏に浮かんだドクターの事が彼女を配慮という道に走らせた。
「そこまで気を遣ってもらわなくても大丈夫だよ…それに外は暑いしね」
真院の友人は見られて恥ずかしいような経歴を持っているわけでは無いので、よほどシスコン対応が無ければ姉がいても特に問題無いのだ。
「あら、そうなの?」
恥ずかしがって外出のお願いするかと思ったらまさかの面会オーケーを貰って驚く凛院。
(ん…まてよ…これはまさか会って欲しいって事…?という事は……)
だがそこで余計なことを考えてしまう。そこで黙っておけばいいもののついうっかりが顔をのぞかせるのが彼女の悪い所だ。
「まさか真院に結婚を前提にした彼氏が…!」
「何をどうすればその考えに至るの!?」
◎
凛院は外出する用事が無いというのにキッチリと化粧をしたり、服装も外で出歩ける程度のものをまとっている。
妹の友人の前で変な所は見せられないと早朝からずっとそわそわしっぱなしだ。
「恥ずかしいよお姉ちゃん…」
本来であれば緊張するのは自分のはずなのに姉がこのありさまであるから緊張もくそも無かった。
「そう言えば聞いてなかったけど、真院の友達って女の子?」
妹に友達が出来ていたという衝撃的展開のせいで質問する事を忘れていた事に気が付いた。別に女の子だろうが、男の子だろうが本人が楽しく一緒に居られるのなら別にどうでもいいのだが。
「うん、同級生の女の子だよ。別のクラスなんだけど趣味が色々とあっちゃってちょくちょく話すようになったんだ」
「はー…」
クラブ活動や委員会に参加していないゴリゴリ帰宅部の真院が既に出来上がっている学校内のグループに飛び込むのは中々に勇気がいるはずなのだが、その状況から友達が出来るのは純粋に凄いなと姉は思った。
「あ、てか真院から話しかけてないでしょ、さては仲良くなった切っ掛けは相手から話しかけてもらったとかだなー?」
そこでふと凛院は思い至った事を口にする。積極的に他人と関わらない妹が自分から友達を作る為に動いたとは考えにくかったのだ。
「あ、な、なぁ…」
まるでその場面を見ていたかのような予言っぷりに顔を真っ赤にしてもごもごしている真院。
相手のその態度だけで自分の予想がピタリと的中しているのを確信する。
さすがに意地が悪すぎたなと思い話題を切り替えようとするのだが、そこでマンションの玄関のインターホンが鳴る音がする。
「あ、来た」
ゆでだこ状態から何とか復活してモニターに向かって行く。
「うん…うん…オートロック開けたから入ってね」
モニター越しに何かしらのやり取りをしたのち入ってくるように言う。
「友達?」
「うん」
姉妹はそんな軽いやり取りをする。自分たちが借りている部屋は三階の為、件の相手はすぐにやって来るだろう。
すると玄関先のチャイムが鳴る。
「来た来た」
そう言って彼女は友人を迎えるために玄関の方へと小走りしていく。
すると扉の開く音と会話が途切れ途切れに凛院の耳に届く。
「鳴村さんの住んでるマンションって綺麗で高級感あるよね」
「こんなの普通だよ、というか御守さんの家の高級タワマンと比べたらうちなんて」
「え……」
会話の中に見過ごす事の出来ない固有名詞を拾って慌てて玄関とその通路に通じているドアを開くとそこにいたのは―
「み、御守恋菜……」
「あれ…あの時の刑事さん」
そこにいたのは鳴村凛院がASTを辞める切っ掛けの一つになった女の子だった。