まだ夜が明ける直前、強い寒波がまだまだ体に染みるそんな早朝。
「どういう顔をして会えばいいんだ……」
虚華はそんな事を先ほどから何度もぶつぶつと呟きながらも、心中とは趣の異なるそんな街中を歩いていた。勿論彼女が纏っている服装は霊装ではなく、黒を基調としたズボンにコートといった外見年齢相応な装いである。
彼女の脳内において再生されるのはつい先日の士道の言葉。
『…勝負をしないか……』
『俺が…俺達が虚華の生きる希望を持たせる……』
それは彼女が自殺志願者である事を知った彼が口にした苦しいにも程がある提案だった。
そもそもの前提としてそれは勝負として成り立っていないのだ。
士道の勝利条件は勿論虚華を立ち直らせる事なのだが、一方の虚華の勝利条件は士道を含めたラタトクス機関を諦めさせたうえで封印をさせる事だ。どこまで行っても平行線でしかない、一ミリたりとも妥協という角度変更をする気のない不毛な争い。
「あああ…何をどうすれば…もう会いたくない……」
彼女を様々なことを考えたのちその場に立ち止まって顔を手で覆ってそんな嘆きを口にする。
そもそもあんな事をしてしまった時点で封印自体はもう既に不可能に近いのだ。なので存在する微かな希望にすがるよりかは精霊の力を手放す、または弱体化する方法を別に探した方がよっぽどか建設的な選択肢なのだ。だが彼女は自分の心の内にまだ気が付いていない。
既に数える事も億劫になるほどに、悩んで悶々としてからの罪悪感爆発のサイクルを繰り返しながらも精霊マンションに向かって歩いて行く。
幸いだったのはまだ殆ど人がいない時間帯であったため奇怪な視線を向けられない事だった。
「あーもぉ…何でここに来ちゃうんだ……」
何だかんだで行く当てのない彼女は、まるで生物の根源に宿っている帰巣本能が発動したかのように先日訪れた例の精霊マンションへと着いてしまう。もう既に朝日は昇っていて周囲の住人もちらほらと見えている。
するとマンション近くの近隣住人の少し恰幅の良い女性がゴミを捨てるために家から出てくる。そして道端でぼんやりとしている風に見えている彼女を見つけると声をかける。
「あら?おはよう」
「あ、どうも…」
彼女は突然声をかけられてややしどろもどろな返しをしてしまう。
だが声をかけた方の女性は身に覚えのない顔に怪訝そうな表情を作る。観光客にしてはこの時間にうろついているのはおかしいし、地元住民であるならこの町に不慣れそうな雰囲気が出るのもおかしかった。
「あなた…?」
「あ、いや。今日このマンションに引っ越すつもりで……」
「…そうなのね」
相手はその苦しい発言と焦った風な表情を見て、引っ越してくるには手ぶらである事におかしい事には気が付いていた。だが相手にとってはその事に聞かれたくない部分である事を察したためそれ以上追及するような真似はしない。
「その…すみません」
自分が明らかに不審人物である事にいい加減泣きが入ってきた虚華は、逃げるようにマンションの中に入っていく。
こうして施設に入る事に足踏みをしていた彼女は無事にたどり着くことが出来ましたとさ。
マンション内の床を踏む音が現在無音の施設内に重苦しく響く。
その場から逃れるために勢いよく施設内に入ったは良いものの、根本的な問題として今現在彼女の思考領域を埋め尽くしているどの面下げてここに来たんですか?問題は解決していない。よって彼女の足取りは重い。
「うむ、よく来たのだ!」
そんな気落ちしている彼女を出迎えたのは十香を含めた精霊達だった。代表して元気印である彼女が出迎えの一言を口にする。
「うん……あれ…?」
明らかにここに来るのが分かっていたとしか思えないシチュエーションに目を丸くしてポカンとしてしまう虚華。
実のところ静粛現界を自在に使いこなす事の出来る彼女がいつ来てもいいように、普段からラタトクスは街中全域に監視網を張り巡らせ、また既存の監視網も強化している。なのですぐさま彼女が現界した事を察知して、事前に用意をしていたお出迎えプランの一つを実行したというわけだった。
虚華はフリーズこそしてしまったがすぐさま気を取り直す。
「その、おはようございます」
まさに日本人が恒例とする挨拶をかましたのだが、どこかそれは滑稽に映ってしまう。
虚華はきょろきょろと辺りを見回す。何を、いや誰を探しているのかこの場の人間全てが理解が出来ていた。
そんな姿を見ていた美九は面白いものを見たといった感じで手を口に当ててニヤニヤとする。
「うふふー。だーりんならお仕事でここにはいないんですー」
「ん、そうなんだ。考えてみれば災害である精霊の力を封印できるなんて特殊な才能を持っているなら自分自身が自由に使える時間は限られているだろうし」
『…………』
美九のちょっとしたイジリに対して虚華の返答を聞いた精霊たちは、彼女自由に使える時間と聞いて少しだけ言葉に詰まってしまう。
事実として士道のプライベートな時間は精霊達の世話、つまりアフターケアをするという事情を抱えているため一人でゆっくりと気を張らずにいられる時間は思っているよりも少ない。
そう考えてしまうとチクチクと罪悪感にも似たようなものを何故感じてしまう。虚華のその言葉に傷つけようとする意図は含まれていないのにだ。
とにかくこの場に目的の人物はいない。
「どうしよっか、このままここにいても迷惑がかかるだろうしとりあえずお暇を……」
「ところがどっこい、おねーさん達からある提案があってねーこれからきょーちゃんには私達と今日一日付き合ってもらうからね」
「はい?」
二亜から告げられたそれに、何やら知らないうちにスケジュールが埋まっている事を知って何が何やらといった感じの虚華。
◎
フラクシナスのブリッジに精霊達だけでなく、ラタトクスのメンバーに五河兄妹も集まっている。
『朝早いのに皆をフラクシナスに呼び出した理由は他でも無いわ。今さっき虚華の現界を補足したからよ』
琴里のその一言に、それまでうつらうつらとしていた精霊たちの目が覚め、これから聞かされるであろう話の本題を待つ。
『皆には虚華の説得をお願いするわ』
『挙手。それは士道と共にという事ですか?』
夕弦はシンプルに思った事を口にする。琴里は士道抜きでお願いをしているようなニュアンスを感じ取ったのだ。
決して相手精霊を押し付けたいとか関わりたくないという話ではないのだが、封印計画の核にあたる彼が居なくてはいけないと誰もが考えている。
ここで事情を説明するのは令音だった。
『ああ、そうしたいのは山々なんだ。しかし今日のシンは虚華と関りのある相手と面会の約束を取り付けていてね。体は一つしかないからね』
その説明に付け加える形で琴里も口を開く。
『一度説明はしたけど虚華の問題は封印そのものが出来ない事じゃないのよ、だからこそ皆にはそれぞれのやり方で彼女の生きる気力を持たせてあげて欲しいというわけ』
『という事は私があの子を手籠めにしても構わないという事なんですね!?』
『あーうん、がんばれー』
その懇願を聞いて突っ込んできたのは美九だった。どうやらあの手この手を使って虚華を完落ちでもさせようと画策しているのだろうか。
琴里はもう何も言わなかった。
相手をするのが面倒くさいのか、または死なれるよりはそっちの方がまだましだと思ったのか。これから虚華に降り注ぐであろう災難を考えたらこれはあまりにも無責任すぎるだろう。
『…………』
ハイテンションになっている美九を黙って見つめている七罪、心なしか不機嫌そうに見えない事もないようなあるような。
『どうしたんですか七罪さん?』
『七罪ちゃんてば不機嫌?』
『べつに』
四乃糸とよしのんは機嫌が下がり気味なそれを見て心配そうに声をかけるが、すぐさま何ともないと切り返されてはそれ以上の突っ込みは出来まい。
人の心というのは中々に難しい。
『本当は俺が虚華に対して向き合うのが当たり前の筋だと思う。だからこんなことを頼むのは無責任だと思うし情けないと思ってる……』
少しだけ節目気味で、顔色も気持ち僅かではあるのだが悪く見える士道が口を開く。
『皆に手伝って欲しい』
◎
今いるメンバーは目の前の少女虚華を説得するために呼び出された面子なのだ。実際に精霊の力を差し出して封印されて普通の人間と同じように日々を過ごしている。
士道がいないがゆえの応急処置ともいえる対応策であるのは前提にある。
だが同時に琴里は精霊から普通の人間になった経験を持っているがゆえに出せるものを、虚華に対して発揮してくれるのではないのかと秘かに期待も寄せているのだ。
「なるほどね……」
虚華は相手が何を狙っているのか、それに気が付いたようだった。
要は別のアプローチから自分を説得する気なのだろうと。
(別に意地になる所でもないしね)
自分に対して楽しい事を提供しても無駄と言ってしまうのは簡単ではあるのだが、一応自分の為にあれこれ考えてくれている相手の厚意を無下にするのは中々に良心が痛むのも確かであるため一旦乗っかる事を心に決めるのだ。
「じゃあ…今日一日よろしくお願いします」
その言葉を虚華から聞いた一同は一瞬驚いたような、意表を突かれたような表情を作る。
それもそのはずで、精霊側ひいてはラタトスクの意図が分かっているこの状況で策に対してこうも簡単に乗っかるとは思わなかったからだ。
「うむ、任せるのだ!」
そんな中でも十香は相手が承諾してくれて、嬉しそうに、そして胸を張って自信満々げにそう言った。
◎
「どうだ!」
「いや…どうだと聞かれても……」
十香からの問いかけに困惑といった感じで返すしか出来ない虚華。
今現在の二人がいる場所は来禅高校の校舎内だった。先ほどの求められた感想は学校の校舎についての意見というあまりにも回答に窮してしまう内容だった。
だが求められた以上は何とかその期待には応えようとは思ったのか虚華は何とか口を開く。
「学校にそんなに行った経験がないから分からないけど…白い壁の綺麗さの中に滲んでいるシミに、浅さがありながらも多くの人がこの場所で積み重ねた歴史を感じさせるのではないでしょうか……?」
「むぅ…?」
言った本人も何を伝えたいのか分かっていないのだが、伝えられた方もまた何が何やらといった反応を見せる。
だがこのまま黙って時間が経過するのを待ち続けるのはあまりにも二人の間には悪すぎるため十香はすぐさま気を取り直す。
そもそも彼女に出来るのは打算や計算を抜きにしたただストレートに伝えたい事を伝える事だけだ。
「この場所は私が居る事を許してくれる場所の一つなのだ!だから虚華にも見て欲しいと思ったのだ」
「……そうか、それはとても素敵な事だと思う」
その言葉を聞いて相手がすぐに脳裏に浮かんだのは恋菜の事だった。ラタトスクを除けば精霊の為に力を尽くした数少ない人間。
「ありがとう」
様々な事を考えた彼女が付け加えたのはそんなシンプルな一言だった。
そしてそこに添えられている表情は儚い笑顔だった。まるで儚なさを体現するかの様なそんな優しさと、寂寥というのを感じさせるそれ。
そしてこんな自分の為に色々と気を使ってくれてありがとう、そしてこれ以上は無理をしなくてもいいよというそんな意も込められているのかもしれない。
「いや!これだけじゃ無いぞ!!まだまだ知って欲しい事は沢山あるんだからな!」
いきなり雰囲気がクライマックスに突入した事に驚いた十香は慌ててこの場の主導権を握り直す為に行動を開始する。
相手からすれば士道の時のように積極的に盛り上げる気は無かった様で、自然な流れで話題を切ろうとしてきた。
だが最低限はこのやり取りに付き合うあたりは彼女の中の良心が働いたのだろうか。
十香は相手の手を取ってそのまま自分が充てがわれているホームルーム用の教室へと連れて行く。
そこは力を封印されて以降の彼女を受け入れてくれた場所の一つだ。今日に至るまでに、夜刀神十香という女性を象ってきた要素の一端を担っている。
「待っていた」
「はい……?」
教室にいるのは十香と虚華の二人だけではなかった。
教室の黒板の前に立って声をかけたのは鳶一折紙だった。その装いは十香のように制服ではなく、スーツに眼鏡だった。
声をかけられた虚華はその相手の方へと意識を向け、何が何やらといった感じで呆然といった感じで返す。
そんな軽い混乱状態にある彼女をよそに折紙は眼鏡をくいっと触って言葉を紡ぐ。
「では授業を始める」
どうやら折紙がスーツ姿なのは教師になったつもりのようだった。だた彼女がその服装をまとっていると、教職員というよりは出来るキャリアウーマンといった印象が強い。
「授業…?…い、いったい私に何をさせる気なの…」
本当に何をする気なのか、自分に何をさせようとしているのかを読み取ることが出来ずにしどろもどろといった反応を見せてしまう。
「私はこの場所が好きだ。シドー達以外にもこんなにも多くの人が私を受け入れてくれるのかと感動したのだ」
十香は口を開いた。自分の立てた作戦だと打算や作戦が含まれていますと言ってしまえば感動味も薄れるのだが、そんな一面が含まれているとはいえ十香に邪気は一切含まれていない。あるのは士道と同じように相手の事を知ろうとする気持ちと理解し分かち合おうとする思いだ。
言い終わると彼女は空いている前の席に座る。
だがこの状況をはい分かりましたと言って受け入れいるのは中々に難しく、虚華は何かを言わずにはいられない。
「いや学校は勉強する場所だけどわざわざ私が授業を受けなくても―」
「では授業を始める」
「でも勉強以外にも学校には色々と楽しい事があるでしょ―」
「では授業を始める」
「はい分かりました、先生……」
折紙の有無を言わせないその態度から虚華は自分の意見が通りそうにない事を察したのか、これ以上意見するのを止めて十香の隣の席に座る。
(士道はこんな人の相手を毎日しているんだなぁ……)
彼女はこの場にはいない相手の事を思う。
実際の所勉強に限らずだが、色々な人を触れ合ったり、校舎内を案内するなどをしたかったのだ。だが今日は休日であるため校舎内はがらんとしてしまっているため十香の感じているこの場所の面白みは薄れてしまっている。
ならば街中の案内などすれば良かったのかもしれないが、他の精霊たちのプランと被ってしまうため、色々と考えた末にこのようなプランになってしまったのだ。
因みに折紙が付き合っているのは彼女にプランを組むところから任せてしまったら、異常な行動を取ってドン引きされてしまい精霊たち全般に不信感を持たれたくないからだ。
因みに一時間だけ授業をしたが特にイベントなどはなく粛々と時間だけが経つという結果に終わった。