「おい!」
「何ですか?騒々しい……」
部屋の扉をぶち破らんばかりの勢いで開けて入って来たブレンダーに対して咎めるような口調で窘めるのはエレン。
そして明らかに社長専用ですと言わんばかりのシックな雰囲気を持つ木造のデスクと、ふかふかのチェアに深く腰掛けているのはこの場の最上位に立つ存在であるアイザック・ウェストコット。
ここはDEMにおける日本での拠点の一つの施設であり、組織のトップとその右腕相手にこうやって面会可能な時点で、このくすんだ茶髪のブレンダーもまた相当上位の権限を持っている事にほかならない。
「『ドクター』が現れたって聞いた!現れたらすぐアタシに伝えろって言っただろ!?」
「さあ?どうでしたかね、少なくとも私は直接あなたに懇願されたことはありませんが?」
エレンは相手に対してそう言い放った。
実際の所、ブレンダーは自分の部下や他部署の人間に対してドクターの情報を得次第自分の所へ連絡するように言っていただけで、アイザックやエレンに直接お願いをしたわけでは無かった。
だからと言ってブレンダー・ラストという人間がそれを聞いて冷静になれる性格であろうはずがなかった。
彼女は右手をすっと掲げる。それは真っ黒なグローブに包まれているが、僅かにだがその動きにぎこちなさがある。
「五年前にあのヤローにやられた借りを利子マシマシで返してやんなきゃ気が済まねえんだよ」
それは前に虚華と対峙した際に灰となって消滅してしまった右手を補う義手だった。だがそれは顕現装置の応用によって限りなく健常者と同じような動作が出来るとはいえ、それでも負傷前と全く同じとはならない。
彼女からすれば傷がついてしまった事や不自由よりも、精霊ごときに不覚を取ってしまった事こそが許せないポイントなのだろう。
ここまでのやり取りを不気味なほど沈黙を保っていたウェストコットは、そこで沈黙を破った。
「いいだろう。君の求める情報を渡そう」
「アイク!」
それは相手の我儘を全面的に許しますと言ってしまうようなもので、それを通してしまっては上に立つ者の威厳が保たれないのを危惧したエレンは強い声で咎める。
しかし彼は手でエレンを制する。
だが彼の目的からすればあくまで資金源や情報収集の為に設立したに過ぎない企業内での地位や肩書などゴミくず同然に近いためか、ぞんざいな扱いを受けてもさほど心という水面が揺れることは無いのだ。
「君が欲しがっているのはこれだね?」
そう言ってウェストコットが杖の引き出しを開けて机の上に出したのは、一つにまとめられた紙、つまり何かしらの資料だった。
何かしらというのは厳密には正確な表現ではなく、虚華が五河士道と邂逅してから今に至るまでのDEMが把握できている範囲内での情報がひとまとまりにされているのだ。
「勿体ぶりやがって…」
ブレンダーは相手の机の前まで進むと資料を殴り取ってお礼もなしにその場から立ち去っていく。
「…………良かったのですかアイク?」
正直爆発寸前といった感じのエレン。
敬意も何もないただの野蛮人が彼相手に対等に口をきいているというその事実に耐え難い怒りがあるのだろう。
だがその沸騰した彼女の温度に対して、まるで対極の極寒のように冷めきった無表情で対するのはウェストコットだった。
「いいさ。性格に難があっても実力ある魔術師である事に変わりはない、口だけは立派な保身に走る者どもよりも彼女のことを気に入っていてね」
かつて彼は鳶一折紙が命令違反で解雇される寸前に助太刀に入ってASTの魔術師として復帰できるように手を回した事があった。
多少なりとも難があろうが、実力があれば使うのが流儀なのだ。
「彼女には我々にとって重要な情報は渡していない。真那と同じさ、舞台を有利に動かす起爆剤になればそれでよし、ならなければプランを練り直せばいいのさ」
例えその最後が使い捨てるようになったとしても。
結局、最終目的さえ達する事が出来ればその過程が近道だろうと遠回りになろうともどっちでもいいのだ。
大事なのは僅かずつでも前進している事、目的に近づいている事。
アイザック・ウェストコットはその腕力によってどんな状況からでも軌道修正をこなせてしまうそんな男なのだ。
◎
ブレンダー・ラストという少女は何一つとして不自由のない、それどころかあまりにも恵まれすぎていると言っても過言ではないほどに持っている少女だった。
艶やかな茶髪に誰が見ても目を奪われるほどの愛らしいの女の子。くりくりパッチリとした瞳に丸みのある愛らしい輪郭。それが彼女という存在だった。
彼女の生まれであるラスト家は幅広い分野に出資をする資産家であり、その家に生まれたブレンダーはまさにお嬢様で生まれながらの勝ち組というわけだ。
人生は順風満帆に見えた。
誰もが彼女の人生には光しかないと思っていたのだ。
そんなある日、彼女の家にスーツ姿の男性が大事そうにケースを抱えてやって来たのだ。
「ねえお母さま。あの人はだれ?」
「あれはお父様とちょっとお話に来た人よ」
娘からの質問に母は少しだけ言いにくそうにしながらも何とか説明をする。
やってきた男性は少しだけ後ろ暗さのあるDEMという組織からやってきた人間で、世界の中でも指折りの機密情報を扱っているためまだ幼子にはまだ触れさせたくなかったのだ。
なので母は話題を逸らす事にした。
「お庭で遊びましょうか、おやつも用意しているの」
「うん!」
子供とはげんきんなものであっさりと首を縦に振ってしまう。
親に手を繋がれたブレンダーは嬉しそうな笑みと共にその場から離れていく。
「難しいとはどういうことですか!」
「ですから言った通りに顕現装置をこれ以上流すのは難しいという事です」
「こちらが一体これまでにどれだけの出資をしてきたと思っているんだ!」
部屋一面に充満するのはそんな怒号だった。彼はラスト家の現当主であり、ブレンダーにとって父親にあたる人物だった。
彼は顕現装置というまさに神の御業ともいえるオーバーテクノロジーに心を奪われてしまった男だった。だからこそこれまでにDEMやその開発費に対して金に糸目をつけるようなことはしてこなかったし、それによって相応の富を得て来たのだ。
顕現装置を活用すれば荒廃した街を一晩で修理することが出来る。それによって得られる富はいったいどれほどのものになるだろう?考えるだけでも高揚が止まらないだろう。市場独占なんてスケールで話が留まる事は無いはずだ。
「先日ある国から軍事用の注文が大量に来まして、他国との輸出個体数の兼ね合いを見ましてこのような判断をしました」
相手はそんな風に淡々と話していくものだから、ラスト家当主の顔はみるみる赤くなっていく。
「……………………」
だがそこで少しだけ呼吸を整えて何とか冷静さを思い出す。
ここで短気を起こして強情になったところで現状が自分有利に働くことは無いし、最悪関係が切れてしまう事だってあるのだ。
世界中にDEMと関係を持ちたいと思っている人間や組織など星の数ほどあり、仮にラスト家がいなくても痒い程度で痛くはないのだろう。
そこまで考えていると沸騰した脳を何とか冷やす事に成功した。そして極力落ち着いているのが伝わる声音で話しかける。
「わざわざこうして使者を出したという事は提案や代案があるという事ですかな?」
「そうです、まさか手ぶらで大手スポンサーの所に来るほど我々は恩知らずではありませんよ」
DEMからの使者である男は持ってきてたケースを手に取った。
母娘の広い庭での穏やかなティータイム。
いつもと口当たりの違う初見のクッキーだったが、それは問題なく彼女の舌を喜ばせる。
(おいし…)
確かに楽しい時間であるのは間違いなのだがどこか心ここにあらず。
ブレンダーはふと邸宅の窓の一角に視線を向けてしまう。そこは先ほど彼女がちょっと胡散臭いと感じた男性がいるであろう部屋の窓だった。
「どうかしら?」
「おいしい!」
「よかった」
母親からのそんな質問に満面の笑みでそう返す。それはまるで心の中にある不安を払拭するためかのように見える。
そんな心情など予想しようもない母は嬉しそうな表情でポツリとそう言った。
そこでポツリと雨粒が落ちた。
「雨だー」
「あらら…お茶は中断ね…取りあえず家に入りましょうか」
「はーい!」
そんな言葉に笑顔で手を挙げながらブレンダーは答える。
そして母親のそんな一言で使用人たちはお茶用のセットを慌てて片付け始めた。
「うーっ…くすぐったい…」
「痛くないですかー?」
ブレンダーは使用人の女性(メイド)の一人に少しだけ濡れた髪を拭いてもらっている。
くすぐったいと言ってはいるが不快というわけでは無く、あくまで嬉しそうな表情はキープされている。
「タオルを片付けて来ますので少しだけ待っていてくださいね?」
「はいっ!」
メイドからの指示に手を挙げて嬉しそうに返事をする。
最初は言われた通りにその場で待っていたのだが、まだ齢一桁の子供が待ってくれというお願いに対してそのまま素直に待てるはずもない。
元気な返事に反してブレンダーは家の中を歩き始める。
『なるほど、次回はこちらを贔屓しくれると―』
『今後はこのような方面で―』
「んー?」
途轍もなく拾い自分の家の中を冒険者になったかのような気分で散策していると男性二人が話している声を拾う。
片方は彼女が常日頃から聞きなれている父親のものだが、もう片方には聞き覚えがない。だが予想はついていた、それは今日現れた父と面会をしているスーツ姿の男性だ。
その声に導かれるかのように商談をしている男二人のいる部屋まで歩いて行くブレンダー。
部屋の扉を開けると、薄暗かったが視界に入った自分の父親へと声をかける。
「お父様ー?」
「っブレンダー…どうしたのかな?」
「お外で遊んでたら雨降ってきたの」
「いつの間に…」
父は娘が現れた事に驚いたがすぐさま冷静に対応をする。だがあまりにも相手との交渉に集中していたためか雨が降っている事に気が付かず、それに驚いてしまう。
窓の外に気を取られていると、いつの間にかブレンダーは当主とDEMの交渉人の間にあるテーブルの上に置かれた機械の目の前にいた。
「これなーに?」
「ブレンダー!触っては……」
子供特有の興味津々さでその上に電球のようなものが付いているメタリックマシーンを触ろうとする。
それを見た父は慌てて静止しようとする。だが制止も間に合わずブレンダーはそれに触れてしまう。
すると彼女が触れたそれは突如光出して、雨雲によって薄暗くなっていた部屋を明るく照らす。
「まさか…」
「これは……」
当主は眩い輝きに閉じそうになる瞼を必死に開けながらもなんとか目の前で起きた事を整理しようとする。
DEMの社員もまた驚いていた。なんせまだ齢一桁の子供が顕現装置を無自覚とはいえ起動させたのだから。
「驚き…ました…理論上は触れただけで動かせる簡易機体だったのですが…まさか脳処理や頭部コネクタなしでここまで簡単に動かせるとは…お嬢さんは顕現装置を扱う才能に長けているのかもしれません」
◎
夫婦の間に重苦しい空気がただよう。
それもそのはずで、あの日から数日たった今日DEMから一つの提案が届いたのだ。
「顕現装置の優先的斡旋と引き換えに娘を魔術師にするために引き渡せと……」
「確かに顕現装置を高いレベルで使える素質を持つ人間は限られてはいる、ただまさかブレンダーがそうだとは……」
二人を悩ませているのは娘をDEMに連れていく事を条件に、これまで以上に機材や情報を優遇するという内容だった。
「まさかあなたこれを飲むのかしら…?」
「もし…もしもだ……」
妻のまさか…といった感じの反応に彼はキッパリと否定をせずに言葉繋げる。
「ブレンダーが魔術師として高いレベルまで行って…顕現装置のノウハウを持って帰ってくれれば…今以上にラスト家は繫栄する事が出来る…」
「……っ」
当主である彼が口にしたのは、あくまで一方的に利用されるのではなく一時的に服従するふりをするだけだというそんな内容だった。
それを聞いて彼女は息を呑んでしまう。つまり娘を差し出す事に対して積極的であるという事だ。
親としての良心がそんな事をするのは間違っていると吠えている。
だが同時にその目論見が功を奏した時、これまで資金的な補助を積極的に行っているにもかかわらず、相手からどこか軽んじて見られているのに憤慨していたためここで上下関係をひっくり返せるという欲が出てくる。
その欲望が頭を支配してしまった結果、二人はどうしようもなく判断を間違えた。
自分の子供に己の欲求や願望を背負わせてはいけないという当たり前の事に気が付かなかった。
ブレンダーは寂しそうな瞳で両親を見つめる。
先日告げられた親元から離れて特別な学校に入れるという話。どこかおかしいようなそんな気はしていたのだが、親が強硬に勧めてきたため首を縦に振ったのだ。
だがそれでも離れて暮らすのが寂しい事には変わりない。
「行ってきます……」
「ああ、頑張るんだぞ」
「頑張りなさい」
だが二人はその視線を無視して頑張るようにエールを送る。本心は娘のためではなく自分たちの利益を優先しているのにだ。
「では行きましょうか」
ブレンダーは黒服の男に連れられるまま一目で高級車と分かる車に乗って家から出て行った。