「…………」
久しぶりに浴びる太陽の光に目を細めながらも、彼女、虚華はアスファルトに舗装された寒空の下を歩いていた。
もうすぐ二月に差し掛かる為か極寒というほどの寒さではなくなっており、後一ヶ月もすれば温かさが少しずつ顔をのぞかせるはずだ。
あの日の激闘から二日ほどしか経っていないが彼女の体はそんな戦いの痕跡を一切残さず綺麗になっていた。それはメスによる治療だけでなくフラクシナス内に備え付けられている治療用の顕現装置の恩恵でもある。
既に完治してピンピンになったためか戦艦内での生活は一瞬で別れを告げて、今日からは精霊が住むためにこさえたマンションに強制入居する事になったのだ。
今の彼女の服装は黒いシャツにグレーのコート、そしてジーンズを履いている。だがそれはごく普通の服であり、精霊の特殊能力によってまとっているものではない。
ちなみに今彼女が持っているバッグの中身には変えの服装が用意されている。
◎
『殺すって…そこまでする必要はないだろ!?…それをやったらDEMとやってることが同じじゃ……』
虚華の口から出た『今からコイツを殺す』の一言に一番最初に反応したのは当然士道だった。
少しだけ遠巻きから凛院は黙って見つめていた。今目の前にいる存在を見極めるために。
『……?…ああ、そういう事…』
相手が突如としてDEMの名前を口走って興奮しだしたのを見て何が何やらといった感じでポカンとしていたのだが、どうやら自分の言い回しが誤解を招きやすい事に気が付いて得心が行く。
『私の持っている天使の力は触れた対象の情報を改編する事、ならこれをこの彼女に使って容姿も記憶も全くの別人にする。そうすればこの魔術師は世界的に死んだのと同然だと思わない?』
『『!』』
してやったりといった感じの笑みを見せる虚華をみて、士道と凛院はハッとする。
仮にここでブレンダー・ラストを生かしたとしてもその処遇はとてもシビアなものになるだろう。
ASTやDEMに引き渡したとしても行く末はもう明らかだ。
かと言ってラタトスク機関に預けても持て余してしまうだろう。
それは決して手放しに褒められた作戦ではないのかもしれない。何故ならそれは人の人間の死を意味している、だが現状これ以上の代案が出ないのも確かなのだ。
『今から彼女を顕現装置を使っても、そして私自身でももう戻せないほどに別人に作り替える』
◎
「お姉さま~っ!」
「げっ」
ふとそんな事を思い出している虚華に向かって遠くから声をかけてくる人が。その声を拾った彼女はうんざりといった感じのリアクション。
声をかけた相手は手を振りながら追いかけてきて、追いつくと満面の笑みを虚華に向ける。
「酷いじゃないですか!急いで追いかけたのにそんな嫌そうな反応!」
割とぞんざいな扱いを受けているはずの相手だが、口にした内容とは裏腹に表情はやはり嬉しそう。
足を止めて相手の方を向いて彼女は少し疲れたといった感じで話しかける。
「それでどうしたの?ブレンダー?」
追いかけてきた相手の髪はくすんだ茶髪だった。
今彼女の目の前にいる女性は虚華が改造したブレンダーの生まれ変わった姿だった。
「お姉さまがマンションに引っ越されると聞いて急いで追いかけて来たんです。あ、お荷物を持ちますよ」
「…遠慮するよ、あなたに預けると下着の枚数が減ってそう…あと予想は出来ているけど…一応追いかけて来た理由を聞いておこうか…」
「ぜひ身の回りの世話をさせてください!」
「いらん」
「いけず!」
明らかに仲良しなやり取りを行う。虚華はこのやり取りによって既に精神的にはどっと疲れていた。
「あの優しかったお姉さまは何処に行ったのですか!?」
「死んだ」
完全に記憶を失ったブレンダーが目を覚ましたのは一日前の話だった。
最初にブレンダーが目を覚ました際にはここが何処なのかも、そして自分が何者なのかも、そして目を覚ます前までの記憶が一切なかった。何故ならそうなるように改編したのが虚華なのだから。
当然ブレンダーは錯乱状態に陥った。
だがそれは想定内の事で、ラタトスクの人間が全力で社会復帰をするためにフォローをする予定だった。
しかしその事を知った虚華は『彼女は私がキチンと面倒を見よう』と言い出したのだ。
だが封印直後でまだ精神を何処までコントロール出来るかもわからない相手に、人一人の面倒を見させるなどおっかなくてさせられない。
だが『私が犯したことだ、最後までキチンと面倒を見たい』と一顧だにしなかったのだ。
そして錯乱している相手と対峙するや優しく抱きしめて、相手の耳元でコトコトになるほどに優しく甘い言葉を使って必死に慰めた。
結果としてブレンダーは立ち直ったのだが、どうやら虚華の取った行動が彼女の変なスイッチを押してしまったようでこのありさまなのである。
虚華は手を頭に当てる頭痛を堪えるポーズで呟く。
そもそもまだ体の健康状態が分かっていないため経過観察中であるはずなのに、どうやってあの空中戦艦から脱出したのだろうかと考えてしまう。
「どうしてこうなったんだ…?」
「どうかされましたか?」
「ん…まぁ取りあえず立ち話もあれだからひとまずマンションに行くよ」
「はいっ!」
取りあえずついてくることを許されたためか嬉しそうにブレンダーは返事をする。
◎
『…………』
『何を言いたいのか分かるよ。力を封印したいんだよね』
目の前で黙ってしまった士道を見て、虚華はおおよそ何を言いたいのか当たりをつけていた。
『そう…なんだけど…それだけじゃないというか…』
『んん?』
彼女は相手がそうだと言えばあっさりと力を渡すつもりだった。
だがどうやら煮え切らないというよりも、伝えたい事はあるのだがどう噛み砕けば伝わるのか考え込んでいるという雰囲気を感じ取っていた。
『…あのさ…虚華は力を捨てて弱体化する事で死のうと考えているんだよな…?』
『まぁ…そんな事も言ったね』
彼女は自分にとっての黒歴史を掘り返されて恥ずかしくなってしまい、それを誤魔化すために鼻をかいて誤魔化そうとする。
だがその指摘をした相手はそのリアクションにはさほど興味はないようだった。
『あのさ…ずっと思ってたんだが…虚華って本当は死にたくないんだよな』
『んー…?…確かにあの時首を絞められてた時に色々と考えたけど……?』
どこか会話の歯車が嚙み合ってないようなと感じながらも士道への問いかけに答える。
実際の所、本当に心の底から破滅願望を持っているのならあの時反抗などせずに一思いに絞められていれば良かったのだ。だがそうしなかったという事は、結局のところそういう事なのだ。
彼女はさっきから人の黒歴史をそんなに掘り返して何が楽しいのか…そういう事を考えてしまう。
(そんな回りくどい事をしなくても逃げないんだけどなぁ……)
もう既に封印を受け入れて一人間として生きていく覚悟は出来ている。だがそれを彼女の方から告げるのは中々に勇気がいるのだ。
因みに先ほどから凛院は「何だこの表面をくすぐる様なめんどくさいやり取り…」と呆れている。
恥ずかしがっていてはそのうち現界していられる時間を超過してしまうため、自分から切り出す事を決意する虚華。
『『あの……あ、お先にどうぞ…………』』
そう思ったのは自分だけでなく相手も同じようで見事にハモッてしまう。そして訪れる気まずい空間。
『とにかく自殺はしないから早さっさと力を封印しよ!!』
『え…いいのか…?』
『気が変わったんだよ!で、どうやれば封印できるの!?』
『えっと…ある程度好感度を上げてキスをすれば………』
相手の剣幕に押されてしどろもどろになってしまう士道。だが言葉の続きを繋げることは出来なかった。
何故なら虚華は何のためらいもなく彼の唇を自分のそれで塞いできたのだから。
『な、な…』
『これで封印完了なの?』
何度かしてきた事とはいえいきなりすぎて目を白黒させてしまう士道。
一方の虚華は唇を離してから劇的な変化が起きない自分の体を不審そうに見ている。
『ふざけているの?』
『違う…もう少しすれば…怒らないでくれよ…』
士道はこれから起きる現象を察して自分の上着を脱ぎ始める。
『何をして……』
するとボロボロだった霊装が光り輝き始める。今まで霊装が力強い光をまとった事は何度かあるのだが、今回のそれはまるでロウソクが最後の力を振り絞って燃えているかのような儚さにも似たものがあった。
そして光が輝き切った時、その中から現れたのは生まれたばかりの姿の虚華が。
『ぎ、ぎゃああああああああ!!!?』
これまで誰も聞いた事の無い彼女の叫び声がその場にこだました。
『えっとだな…虚華……』
『なに?』
士道はまだ何かを伝えようとしているのだが、問題の相手が顔を真っ赤にし、目に涙を溜めてぎろりと睨み返すため、なかなか本題に入れない状況が続く。
虚華は士道に貰った上着を羽織るだけで下には何も履かないという中々に刺激的な格好でこの寒空の下にいる。凛院は彼女の背中をさすって慰めている。
『…………うん』
ここで彼女は息を整えて冷静さを取り戻した。流石に自分にも全く非が無いわけでは無いと思ったのだろう。
『最後まで説明を聞かなかった私が悪いから…それでまだ何か言いたい事があるの?』
『あ、ああ、そうなんだ』
いまだに混乱から復活出来たわけでは無いが、相手が冷静に耳を傾けてくれる状況になったため、士道は今日までずっと引っかかっていた事を問いかける。
『虚華が過去を色々と話してくれた日を覚えてるよな』
『うん』
『それで気になった事があったというか……』
『う、うん?』
自分には相手に引っかかる様な事をしたという心当たりがないため何が何やらといったリアクション。
『虚華が勝負を受けるって言った時に微笑んでたんだよ、確かにあの時笑ってたんだ』
『…………へっ』
虚華は士道からの予想もしていなかった指摘に呆然としてしまう。自分自身その時意図して笑っていたという意識は無かったためもう何が何やらだ。
『その…嬉しそうだったと言うか…待ってましたというか…こういうのを…その…ギャルゲー的に言えば…だな……』
自分でも言語化するのに困っているのかハキハキと話すことが出来ない。ちなみに恥ずかしいのか「ギャルゲー」の所だけは声が露骨に小さかった。
『なるほど……つまりかまってちゃんね』
お互いに何の情報を共有したいのか不透明化して遠回しすぎるやり取りが続いていくなか、その硬直を破るかのように口を開いたのは凛院だった。
彼女の発した言葉に二人はその主に顔を向ける。
『ほら、SNSとかでもリスカしている画像をアップして死にたいとか言って構って欲しいアピールするめんどいやついるじゃない?本気の本気で死ぬ気とかないくせにね。あとは敢えて相手に意地悪とかして気を引こうとしたりする阿呆とかね』
凛院はここぞとばかりに畳みかけるように言葉を並べていく。話の後半はなにやら謎の力が籠っており、どうやら実体験のようで。
士道には心当たりがあったのだ。ラタトスクの作ったゲーム内にはヒロインの敵キャラとして主人公に妙なアプローチをして妨害をするヘイトを生んで来る悪女的奴が。
虚華は決して不快感を生み出すような人間性を兼ね備えているわけでは無いが、あの時封印出来ないと言われて、一日デートの為に貴重な時間を潰されて不機嫌にならないのはどこか不信感があった。
『無自覚だったと思うけど…その…虚華はあの時…仮に封印されなくても…相手をしてもらえれば……』
『あ、あ、ああぁぁ……』
士道が恐る恐るといった感じで指摘をする中、虚華は先ほどすっぽんぽんに剥かれた時の羞恥が主成分だった時とはまた違う成分が混じった赤面を作る。
もう一度走り出したら止まれないため士道は思っていた事をさらに繋げていく。
『そもそもさ、本当に虚華が心そこから死にたいって願いを持ってるなら天使が虚華を死なせるはずだよな。でもそうはならなかったって事は…そういう事なんだよな……』
『うぎゃあああああ!!!!』
もう人語を忘れてしまった哀しい元精霊の叫びが夜の街に響いた。