「…うーん……」
眉間に手を当てて頭痛を堪えるような仕草をする虚華。
あのやり取りはたった二日前の出来事だが、人生で忘れる事など出来ようもないほどの黒歴史を刻まれてしまったと確信に至るほどの一日だった。
そしてこれからその黒歴史を認識している相手達と共同生活を送らなくてはいけないのだから気分も重くなるというものだった。
「どうしましたか、お姉さま?」
「んーん、別に何もー」
目の前にいる少女にこの事を知られてはもう生きていけないため、絶対に口止めをしなくてはいけないなと決心する。
そんなこんなでいつの間にか目的のマンションの近くまで着く。
すると二人の姿を見つけたのは、前に彼女がこの場所に来た際に挨拶をくれた一人の女性だった。
「あら…?あなたはこの前の」
「あ、どうも」
目の前にいる女性が二日ほど前に会ったばかりの相手だと気が付いて何とか返事をする。
そして同時に思い出したのは自分がこの街に引っ越すと口から適当な事を言った事だ、まさかその時の言霊が現実になってしまうとは思っていなかったが。
「全然顔を見なかったから心配していたのよ。それにその荷物は…」
「ちょっとごたごたして忙しくて挨拶に行けなくてすみません。この先にあるマンションに引っ越して来た虚華です。よろしくお願いします」
「そうなの、よろしくね」
前と違いその表情には偽りない晴れやかさにも似たものがある為か、女性は嬉しそうに彼女に挨拶をした。
だがここで女性は隣にいる女の子を視界に映す。前は一緒に居なかったし、そもそも見覚えのない相手だった。
「ところで隣にいる子は…?」
「よく聞いてくれました!」
自分にフォーカスされたのが嬉しいのか張り切って話始めるブレンダー。
「私はお姉さまの愛の奴隷―」
「従妹です。いえ従妹であってほしくないですけど…」
これ以上変な噂が広まるのを避けるため虚華はブレンダーの首根っこを掴んでそのまま引きずっていく。
「何が愛の奴隷だ」
「事実です!」
「現実を歪曲するな。無い煙を立たせるな」
マンションの前に着いた二人は言い合いをしていた。主に内容は変な外堀を埋めようとしているブレンダーの態度についてだ。
(つ、疲れた……)
少しの距離を歩いただけだというのにこの疲労感…こんな調子で人として人間社会に溶け込んでいけるのだろうかと不安を覚えてしまう。
そこでふと思い出したかのように支給されていたスマートフォンを手に取って時間を見る。
「そろそろ約束の時間らしいんだけど…」
「何かあるのですか?」
「妹さんからこの時間に着くように言われてたんだよ。わざわざ街中を歩かせてね。何かサプライズがあるらしいんだけど…」
本来であればわざわざ封印直後の精霊に荷物を持たせて街中を歩かせなくても、フラクシナスのテレポート技術を使ってマンションの屋上に直接送ればいいのだがそうはさせなかった。
理由は何か見せたいものがあるからとの事だがそれが何なのかは当然伝えられていない。
「虚華ようやく来たわね」
マンションの玄関口前にいたのはチュッパチャップスを咥えている琴里だった。彼女の傍には士道と鳴村姉妹もいる。
「別に逃げも隠れもしないけど…」
素直に指示に従った事が少しだけシャクなのか素直ではない返答をしてしまう。
虚華の傍に寄り添っている相手を見て琴里は面白いものを見たといった感じを表情を作り、手を口に当てて揶揄い始める。
「すっかりモテモテじゃない」
「本当に困っているよ、ブレンダーには……」
琴里が何とかからかってやろうと躍起になっているが、本当にブレンダーの件で疲れている虚華はそこまで強く言い返したりはしない。
実際自分のせいで相手の人生を狂わせてしまった自覚は有りであるため、どのようなことがあっても投げ出さないつもりなのだが。
「こうやっていじる事が目的ではないのだろう?何かしらやりたい事があるから街中をわざわざ歩かせるなんて事をさせたんだと思っているんだが」
「ああ、それね。一応サプライズはあるから入って頂戴。ちなみにあなたに割り当てられた部屋は402号室だから。これ鍵ね」
説明も半分に鍵を渡されてマンション内に入るように勧められる虚華。鍵を受け取った際に胡乱気な視線を琴里だけに留まらず、ここまで黙って見ている士道や鳴村姉妹に視線を向けたが目を合わせてもらえない。
薄く溜息を吐きながら自動ドアをくぐるとそこには過去に封印された精霊や手の空いたフラクシナスのスタッフたちが一堂に集結していた。それぞれが「おめでとう」や「これからよろしく」など挨拶や自己紹介をする。
「えーっと、ありがとうございます」
だがそれは虚華にとって想定をしていない状況ではなかった、それが彼女に申し訳なさを感じさせてしまう。
わざわざ彼女に街中を歩かせるという時間稼ぎは人員を集めるためだろうなというのは予想出来る事であった。だからこそ心の底から驚いたリアクションが出来なくて申し訳ないのだ。
「え……?」
挨拶をする人たちの人混みを通り抜けるとそこには御守恋菜がいた。それはサプライズというにはあまりにも予想を超えた人物の登場だった。
(悪趣味すぎる…)
驚きから何とか立ち直った虚華が思ったのは相手の傷に踏み込んで来て何が楽しいのだろうかという事だった。
先ほど琴里が自分を弄ろうとしていたが踏み込んでいいラインと、そして相手との距離感があるだろうと思ったのだ。
「あ、どうも……」
相手から顔を逸らしながらそそくさと奥に見えているエレベーターに向かおうとする。
だが彼女がエレベーターに向かうことは出来なかった。
「ぐえっ」
彼女の首根っこが誰かによって掴まれる。
横目でチラリと確認すると掴んできた相手は恋菜だった。だが彼女に突然掴まれた理由が分からなかった。
今の彼女は自分の事など忘れているはずで、考えられるのはシカト気味の対応に怒った事だが、初対面である相手から軽い挨拶をされただけでこのようなことをするだろうかと考える。
取りあえず相手が何に不服だったのかを確かめるために話しかける。
「な、何をする……」
「おい虚華、何で私から逃げようとするんだ。傷つくだろう」
恋菜の口から飛び出してきたのはそんなセリフ。
『おい恋菜、何で私から逃げようとするんだ。傷つくだろう』
それはかつて虚華が恋菜の学校の授業参観に向かった際に自分から逃げようとした相手に向かってかけた言葉だった。だがそれは恋菜の記憶には無いはずの思い出のはずなのだ。
「恋菜っ何でそふぇをにゃにをするんひゃ」
驚いて振り返って問いかけようとする虚華だがそのセリフは続かなかった。何故なら相手が怒り心頭といった表情で虚華の両頬を思いっきり引っ張っているからだ。
そしてずいっと顔を近づけて言い放つ。
「私あんなこと頼んでない!!」
「ひゃにほ……」
この場になっても混乱に陥ってしまい若干すっとぼけたような発言をしてしまう。
だが相手はそれを許しはしない。それまで頬を引っ張っていた手を離すと相手を抱きしめながら話始める。
因みにブレンダーは自分を差し置いてべたべたと引っ付いている(ように見える)恋菜に食って掛かろうとしたが、邪魔はさせまいと他の精霊たちが力ずくで抑え込んでいた。
「もう全部思い出してるんだよ…初めて空間震の中心で出会った日から…私が捕まったあの日までの事…それにこの間の事も……」
恋菜は瞳に涙を溜めながら虚華の中にあったまさかが事実である事を認めた。
「な…んで…そんなはずは…私の天使の力…メスを封印…されたとしても…封印していた記憶が戻るなんて……」
そんなはずは無いと思っていただが事実として目の前のかつての親友は記憶を取り戻している。
彼女の力は一度改編してしまえばそのままになってしまう。仮に戻したいなら彼女自身で元に戻し直す手順を踏まなければいけないはずだ。事実としてブレンダーは天使の力の封印後も別人になったままだ。
「多分それが虚華の望んだ事だからじゃないかな」
いまだに目の前で起きた事が信じられないといった感じの虚華に話しかけたのは士道だった。
「私が…望んだ…?」
「虚華の力は対象を自分が望んだ形に改編する力なんだよな?」
「そうだけど…」
彼女の天使の力は刃が触れた対象を自分の望む形に改編する能力。改めてその事実を共有する。
「なら恋菜さんの記憶を戻してもう一度やり直したいのが虚華の願いなんじゃないのか?」
前にブレンダーと戦いで首を絞められて絶命寸前に陥った際に彼女は思ってしまったのだ。
今の恋菜とジェットコースターに乗ったり、観覧車を楽しんだり、売店やゲームセンター内でぶらついたら楽しいだろうなと思ったのだ。その願いを汲み取った天使が恋菜の記憶の封印を勝手に解除したという事だった。
恋菜が元に戻った理由は納得がいったが、それによって生まれた問題は現在進行形で発生しているのだ。
抱きしめていた腕を緩めて至近距離で恋菜は視線を向ける。その手は相手の肩を力強く握っており、もう逃がさないという意志表示のように見えた。
「私が弱いからあんな事したの?虚華にとっては私ってただ籠に閉じ込めて守れればそれでよかったの…?」
「ち、違う!でもっ…恋菜が私と関わって傷つくのが…嫌だった…」
「でも…それでも私は一緒に虚華と悩みたかった…それが結果として私の記憶を奪う結果になったとしても……だって私達親友じゃない…」
ただ血を吐くかのような苦しい心から出た叫びがあった。
その言葉を聞いて虚華はついにこみ上げてくるものが抑えられなくなっていた。目の奥が熱くなって瞳から涙がこぼれてしまう、そして涙が頬を伝っているを自覚するともう駄目だった。
「わ、私だってっ…こんな事したくなかったっ…でもっ…!…弱い私じゃ恋菜を守れなかった…私だって…恋菜と一緒に居たかったに決まってる…」
ここで虚華は涙を流し嗚咽を漏らしながらも今日まで自分が思っていた事を口にする。
それは今の今まで心の奥底に隠して来た剥き出しの本心だった。
その言葉を聞いた恋菜は体を少しだけ震わせてから僅かな時間考えた後口を開いた。
「許してあげない……」
「えっ…」
決して許される事をしたとは思っていなかったが、この状況で出て来た許さないといった言葉はあまりにも意外過ぎたため虚華は言葉にならない声を漏らしてしまう。
恋菜は相手を再び力強く抱きしめ返しながら言った。
「一緒に居てくれないと許さないから…」
彼女の口から洩れたのは本人の抱く願いだけでなく、虚華もまたこの五年間抱き続けてきた想いだった。
虚華の両手がふと力がみなぎり相手の体に触れようとするのだが、まるで何億もの値打ちのする芸術品に触れようとしているかのようにその手が止まってしまう。かつて自分から手放してしまったあの尊い時間をこうも簡単に取り戻していいんだろうかと、そんな事を考えてしまう。
『追加で説明をするとこのメス、正式名称改造施術は刃が触れた対象の根源や構造を私の希望する通りに改編する力を持ってる。私が瀕死に陥ると自動的にメスが起動して私の体を元通りにするんだよ。だから私は自分の意思で死ぬことは出来ない』
それはかつて士道に説明した自分の力だった。
結局のところ虚華の力はどんなに自分の本心を隠してもまるで映し鏡かのように彼女の本質を見せてしまうそんな存在なのだ。
死にたくない、恋菜と一緒に居たい。
今こうして彼女が生き残って記憶を取り戻した親友と再会する事が望みだっただけなのだ。
だったら今くらいは未来の事とか、訪れるかもしれない懸念を忘れてこの幸せを思いっきり受け止めてもいいだろう。
「うん…」
虚華は親友を力強く、そして確かな熱を持って抱きしめ返した。