目の前の大型モニターには会話で盛り上がっている男女がいた。士道と虚華だった。
「ビックリするくらい順調…かもしれないわ…もう一押しで封印可能圏内だし……」
ラタトクスの指定席に座っている琴里はふかふかの指定席に座りながらそんな風に呟いた。
最初はラタトクスの仕込み禁止令が出されてどうなるかと思ったのだが、士道がミスをしても虚華は別段気にする事もなく、むしろ積極的にデートを盛り上げようとすらしていた。
これまでデートを重ねても相手精霊自身に問題があったり、順調でも横槍を入れられて最悪な状況になったりしたのだが、だが今回は静粛現界によって出現を悟られていないし、虚華は積極的にデートを成立させようとしている。
これまでの精霊はファントムから霊結晶を与えられた組以外は基本的に世間の常識に疎いため、外出には最大限の警戒をしなくてはいけなかったのだ。だが虚華は基本的に店員や一般人に対しても普通に接していたのだ。
「そうですね」
「もう何もしなくてもいいのでは?」
「帰ります?」
「いつASTやDEMがやってくるか分からないんだから気を抜くんじゃないわよ!折檻するわよ!!」
部下が分かりやすく気を抜いたため上司である彼女は大声で喝を入れる。まだ封印は完了していないし、どのようなイレギュラーが現れるのか分かったものではない。
「……………………」
折檻というその単語が琴里の口から飛び出したというのに、それに一番飛びつきそうな神無月は一言も発さずにじっとモニターを見ていた。
彼のパーソナリティや行動パターンを熟知しているフラクシナスのスタッフは気持ち悪いものを見ているような表情を一様に作る。その異物を見るような目と表情すらも彼の興奮材料になりかねなかったのだが、彼は今はそれすら気にする余裕がなさそうだった。
職務に真っ当に向き合っているという社会人であれば至極当たり前のことをしているだけで気味悪がられてしまう男、神無月。
「どうしたのよ神無月…いい加減気持ち悪いわよ……理不尽に蹴り飛ばすわよ……」
真面目に精霊やデートをモニタリングするのは大切だが、いつも通りの行動を取ってくれないとさすがの琴里もいつものテンションを出せなくなっていた。
「え!?本当ですか!!」
「いつも通りだったー!」
流石に直接名指しで話しかけられたら反応するのだが。熱烈琴里ラブな彼が自分へのそんな愛おしい(本人比)振りを逃しはしない。
◎
二人はゲームセンターで時間を潰し始めていた。
映画に行くという案もあったが、確かに楽しむだけならアリな選択肢だったがデートの主目的の一つはお互いの事を知る為なので、黙る事を強制される空間は却下となった。
「士道!右からゾンビが来てる!」
「えっうおっ!動きはやっ…て銃弾切れた!」
「やられるって!?」
ゾンビたちを倒して先に進むというシューティングゲームに熱中している二人。
色々とデパートのフロアを回った結果二人で遊べるのはゲームセンターの筐体しかないという結論に達したのだ。
「うわー…敵が出すぎだよ……」
「まさかあそこで樽を撃つと爆発して破壊された壁からうじゃうじゃ出てくるなんてな……」
「それ士道が撃ったせいじゃん!」
「なっ…!俺だって分かってたら撃たなかった!」
「…………」
「…………」
二人は先ほどまでそこそこ血みどろのゲームをやっていたためやや殺気だっていた。お互いに睨みあっている。
だがその険悪な雰囲気が長続きする事は無く。
「…………ぷっ、あははっ!」
「!」
虚華は吹き出して笑い始めた。
所詮はゲームでの出来事であって本気で喧嘩をしていなかったとはいえ、いきなり喜を見せるという、先ほどまでの怒から切り替えるというせわしない感情の変化を見せる相手に士道はポカンとしてしまう。
「いやーごめんごめん、こうやって気兼ねなく遊ぶなんて久しぶり…たくさんの事を楽しめて本当に良かったというか…つまらない日々を忘れられてさ、やりきって悔いなしっていうか…ありがとうね士道」
「……虚華?」
それはあまりにも儚いと感じる優しさと悲しさの対極な感情を内包している美しい笑顔だった。
その表情を見た瞬間彼の脳裏にチリッと走ったかつて体験した記憶。
『シドー。やはり私は―いない方がいいな』
それは十香が一日士道とデートをした結果、人が紡ぐ世界とその美しさ、そして否が応でも自覚してしまう精霊が生み出す空間震という未曾有の大災害。
だがなぜ今この思い出を彼が想起したのか、彼自身が困惑した。
『シン、彼女の好感度が封印の十分可能な数値まで到達した。後は頃合いや場所を図ってキスをするだけだ』
『後は士道のタイミングに任せるわ。下手に介入すると好感度に悪影響を及ぼしそうだし……』
インカム越しに令音と琴里は必要な情報だけを伝えて、後は士道の選択にゆだねる構えだった。
「まだ時間はあるんだからもっと遊ぼうよ!時間は有限なんだから!」
「お、おいっ」
虚華は本当に楽しそうな表情で士道の手を引いてフロアを歩き始める。
既に彼女の方から相手の手を引くほどまでに彼を気に入っていた。
◎
「…………」
季節は冬になっているため、放課後になると太陽は既に落ちようとしていて空は黒色に差し掛かろうとしていた。
十香は難しい顔をしながら家に帰っていた。考えていたのは今朝士道が訪問して来た虚華の力を封印するために学校を早引きした事だ。
事情は勿論分かっている。封印するには相手に気に入られてキスを介して霊力を体に入れて封じる事は。彼女が考えていたのは彼が女の子と一緒にサボっているということそのものではなく、相手の女の子の事だ。
何かが引っかかっていた、思い出せと彼女の直感とも言える何かが警鐘を鳴らしていた。
「呵々っ!わが眷属よ!何を悩んでおるか!主である我に打ち明けてみよ!」
士道たちに朝励まされた耶倶矢は相変わらずのめんどくさいテンションで十香の背中に声をかける。これで人違いであったのなら目も当てられないが、残念ながら彼女の持つその艶やかな黒曜石のようなロングヘアーは唯一無二の物だ。
「お疲れ様です十香」
「お疲れ様だ夕弦に耶倶矢」
十香は挨拶をされたらそれに返さないような礼儀知らずではない。思考を中断して挨拶を返す。
相手の顔が少しだけ強張っているのを見て夕弦は何事かと質問をする。
「質問。先ほどまで悩まれていたようですが何か心に引っかかる事があるのですか?」
「……うむ…二人は今シドーが虚華に会っている事は知っているな?」
「知ってるわ、それがどうかしたの?…正直苦手だけど…でも悪いやつじゃないと思うけど…」
十香の真面目な雰囲気にいつもの中二病モードを止めて真面目に対応する耶倶矢。
「うむ、きっとシドーともみんなとも仲良くなれると思っている、いるのだが…何か嫌な気がするのだ……」
「ふーん…まぁでも何だかんで友達になれるんじゃない?」
「友達…?」
耶倶矢の何気ない単語に十香は引っかかりを覚えた。そして脳裏に浮かぶのは昨日のやり取り。
『友達を作って遊ぶのは楽しいぞ!』
『うん、知ってる』
虚華はそう言ったのだ。その発言は見方や受け取り方次第では彼女に友達がいたとも取れるのではないだろうか。
「そうだ…虚華には友達がいたかもしれない…?…仮にいるのだとしたらその相手は誰だ…いったいどこにいるのだ……」
「挙手…思うのですが……」
夕弦は十香の指摘に手を控えめに上げて発言をしようとする。二人は発言の続きを促す。
「提唱。もし仮に虚華に友達がいたのであればその相手が彼女に人としての常識や知識を教えたのではないでしょうか?」
◎
士道は虚華と手を繋ぎながら高台にある公園に向かっていた。
やはりキスをするならば景色のいい場所に限るというありきたりな理由だが、既に辺りは暗くなっているため夜景がきれいに見えると踏んでいる。
だがそれと同時並行で別の事を考えていた。
(そうだ…あの時虚華は友達がいるような口ぶりだった…あまりにも自然な感じだったから見逃していた…)
その誰かに人としてのイロハを学んだのであれば彼女の闊達とした口ぶりや、サブカルチャーに関する知識を持っているのも分かるというものだ。
(じゃあ誰なんだ…?…ラタトクス以外にもそんな精霊と向き合える優しい人がいるのか?)
そこまで考えたところである事が引っかかった。
『DEMを知ってるのか?』
『何度も命を狙って来たからね。あいつらは精霊だけじゃなくてそれに関わった人も容赦なく狙うような奴らだし』
それは虚華が苦々しい表情で言った事だった。もし精霊に関わった人を狙うというその標的が件の友人だとしたら?
虚華がその時に感じた絶望はどれほどのものだったのだろうか?
それらはあくまで士道が想像した最悪過ぎるシナリオでしかないのだが、何故か今の彼はその嫌な想像を振り払うことが出来ない。
冷静に考えればあったばかりのラタトクスを簡単に信じることは出来ないため、仲の良い人や関りのある組織があったとしても素直に教えるはずは無い。そのように考えるのが普通だった。
「もしかして士道が連れて来たかった所ってここ?」
「へっ?」
「いや疑問符で返されても……」
彼が脳をフル回転させて思考を巡らせている間も時間は平等に過ぎている。
気が付くと彼の目的地である高台のある公園に到着していた。意識は別の事を考えていて散漫でも足はこの街の地図の事はキチンと覚えていたようだ。
「おー夜景が綺麗じゃない」
「ああ、そうなんだいい場所だろ?」
「うん、もしかしてあの建物が昼間に遊んだデパートかな」
気持ちが心なしか沈んでいる士道に対して、虚華は電気が生み出すオブジェを楽しんでいるようだった。
(あまりにも都合がよすぎて忘れていたけど…命を狙われる精霊がこうもあっさりと力を捨てようとするものなのか……?)
『多分嘘はついていないんだろうけど…そうだね…うーんどこまで信じたらいいのか……』
『…封印後もラタトクスは…キチンと力を失ったあなたの保護やアフターケアは継続して行っていくわ』
『ん…まぁそれは別に期待してないけど…じゃあ取りあえず封印されている精霊に会わせてよ。そっから考えるからさ』
ラタトクスが精霊の力の封印を目的として動いていると説明した際に、琴里は力を失った後もきちんと守ると言った。それは虚華がそれを不安に思っているだろうと思ったからこそ口にしたのだ。
だが相手はその事は別に期待していないと言ったのだ。
封印によって弱体化は了承しているのに、ラタトクスのアフターケアは別段欲していないというのはどうにも分からなかった。
「そろそろいい時間だね。楽しかった」
「ああ、俺もだ」
「そう言えばこのデートの主目的って力の封印なんだよね?結局何をするの?」
「ああ、えっとだな……」
虚華はこれまで気になってはいたが、迷惑になったり気を悪くするかもしれないと思って言ってこなかったことを口にした。
そこで士道は相手の肩をしっかりと握ってぐっと体を引き付けて顔をお互いの顔を近づけた。
「えっ…へ…ええっ!」
虚華は自分の置かれている状況に気が付いて、顔を真っ赤にして驚きの声をあげる。
それは実体験として誰かからキスをされるという事は無かったのだが、彼女の蓄えた知識の中にはキスの手前の状況になっているのに気が付いた。
だが動揺こそしていたが目を瞑って相手の行動を容認した、つまりキスされる事を受け入れたという事だった。
『今度時間を作って仕事場に入れてもらえるように頼もうか?二亜も虚華の事気に入ってたっぽいし』
『うーん…まぁそれはいいかな…素人がズカズカ入っちゃいけないだろうし……』
『何か嫌なことを言ったか?』
『いや嬉しいしそうじゃないんだけど…さ…色々と思うところがね……』
本屋での一件、それはまるで次の約束を取り付ける事を恐れているようなそんな雰囲気を感じた会話。
彼がそんな事を思い出しながらも時間の針は少しづつ進んでいく。二人の顔の距離はもう僅かでゼロになる。
『いやーごめんごめん、こうやって気兼ねなく遊ぶなんて久しぶり…たくさんの事を楽しめて本当に良かったというか…つまらない日々を忘れられてさ、やりきって悔いなしっていうか…ありがとうね士道』
士道の脳裏に浮かんだのはデート中に虚華が口にした言葉だった。まるで自分自身の全てが終わったかのようなそんなニュアンスにもとれるセリフ。
(……まさかっ!)
彼は脳裏に浮かんだ目の前の相手の目的に気が付いてとっさに肩を掴んでいた腕を伸ばしてとっさに距離を作る。
「士道…?…どうした?…キスをするつもりだったんだろう?…しないのか?したいんじゃないの?」
虚華はもろにキス顔を見せてしまって、その事実が途轍もなく恥ずかしくて少しだけ棘のある口調で話してしまう。
「ち、違うんだ…そうじゃなくて……」
不機嫌になった相手を見て少し引いてしまったが、どうしても伝えなくてはいけない意志があった。
だからこそ一切引くことなく言い切った。
「虚華…俺は……お前を封印出来ない」
彼がそのセリフを口にするとこれまで暗闇の中でも優しい空気が流れていたのに、突如としてまるで絶対零度化のような厳かな雰囲気になってしまう。
『って士道!何言ってくれてんのよ!後はキスするだけだったのよ!』
誰もが凍り付いて動けない中で、一番最初にその硬直から抜け出した琴里は素早く叱責をした。あと一歩で封印可能であったことは士道自身も理解できたはずなのにそれを投げ出すというあり得ない行動は彼女でなくても怒り心頭だろう。
だが今の彼にはその叱責で怯んでしまうような、心に割ける精神的なリソースは存在しなかった。今の彼にはある事しか考えることが出来ない。
「なぁ虚華」
「え…?」
「…次はさ、どこに遊びに行こうか……」
「何を……」
相手は目の前で目まぐるしく動いていく状況に上手く対応できていないといった感じだ。
「だからさ、次の約束をしようって話だよ。デートってだけじゃなくて精霊の皆とももっと話して欲しいって俺は思ってるんだ」
「それは……」
虚華は相手の提案に感嘆に首を縦に振れなかった。今日のデートの感触を考えれば、少なくともあっさりとまでは言わなくても好感触の返答は得られてもおかしくないというのにだ。
相手のその困惑、そして焦っているような対応を見て、彼は自分の予想が間違いのない事を確信してしまった。
二亜の漫画家としての現場の見学を提案した際にやんわりと断ったのは、次の約束をする事そのものを嫌ったから。
「……そうか…やっぱ…出来ないんだよな…だってさ……」
彼はここで虚華がここまでラタトクスの思惑に乗ってきた理由を述べた。それはラタトクスの願いや行動理念とはまさに対極とも言えるものだった。
「虚華が今日、デートに乗っかってきたのは力を封印させて弱体化をしてから自殺するためなんだろ……」
その言葉に二人の中に流れていた雰囲気だけでなく、フラクシナスの内部も凍り付いた。そして流れるのは気味が悪いくらいの沈黙。
その誰もが永遠にすら感じるほど静かな中で重い口を開いたのは士道だった。
「黙ってるって事は肯定なんだよな…否定や言い訳はしないんだな…」
「ああ、そうだよ。よく分かったね……」
虚華はここでやっと口を開いた。そして士道が語った全てをその口で一切の偽りなく肯定した。
彼は呆然といった感じで言葉を紡ぐ。
「何でなんだ……」
「精霊は…生まれながらに強力な力を持って生まれたが故に…そう簡単に死ぬことは出来ないから…天使に霊装が死ぬことを妨げてくるんだよ…だから死にたくても死ねないんだ…」
「そうじゃない…それだけじゃない…何で死にたいんだよ……」
「そっちか、そうだね…ここまで迷惑をかけたんだから話そうか…長くなるけど……」
そう言って虚華は己の過去を話し始めた。