御守恋菜はごく普通の高校生だった。
何か特別な能力を兼ね備えて生まれたわけでも無ければ、特別なポジションにいたり宿命を背負ったというわけでもない。
本当にただ普通に学校に通って普通に帰宅するだけの、面白みのない毎日を過ごしている。
少しやぼったそうな黒ぶちの眼鏡に目にかかって鬱陶しそうな前髪と、長めのロングヘアー。まさに地味といった風貌の少女はマンションの自宅の玄関をくぐろうとしている。
「……行ってきます」
彼女の内向的さを象徴するようなやや気弱そうで小さい声で朝の出発の挨拶をする。だがその声に誰も返事をしない。
それは彼女が親から無視をされているというわけではない。現在彼女の両親は仕事に傾倒していて殆ど家に帰ることが出来ていないというのが現状なのだ。
それを思い出して肩にかけている通学用の鞄についているストラップに触れる。それは珍しく家族の休みが重なった際に遊びに行った時に買ってもらった有名なネズミのストラップだった。
学校の自分に宛がわれている教室の扉をくぐるとそこにはクラスメイトである生徒たちが楽しそうに雑談をしているという光景だった。
「…………」
恋菜は黙って俯きながら自分に宛がわれている座席にそそくさと座った。
間違いなく自分の居場所のはずなのに何故か悪い事をしているような、ここが自分にとって場違いな場所かのように思ってしまう。
御守恋菜には友達がいない。中学まで漫画やアニメに小説に傾倒して友達なんていて楽しいの?と考えてボッチを極めていたのだ。
だが高校生になる直前にそれが恥ずかしい事であると感じるようになって、心機一転友達を作ろうと張り切っていたのだ。
入学直後の四月こそ色々な人やグループに無謀にもアタックをしてそれなりに話せるクラスメイトを獲得した。
だがこれまで友達を作るための努力も、それを継続する苦しさも知らなかった彼女は、共感できない話題に相槌を入れる接待のようなやり取りや、興味が引かれなくても友人の好きなことは無理にチェックする大変さを痛感して自然とボッチに戻ってしまい、現在五月今のようなクラス内での立ち位置になった。
決していじめられているわけでは無いが、必要以上に関わる事も無いちょっとした隅っこにいる人枠に収まっている。
ふと彼女が教室の黒板前で話している三人組を見る。かつて自分が積極的にコミュニケーションを取った元友人と言える人達だった。
元々漫画の好きなグループだったのだが、どちらかと言えばアニメのようなメディアミックスされた話題作が多かった。彼女もまたその手の作品を毛嫌いするわけでは無かった。
だが彼女はどちらかと言えば知る人ぞ知る連載が始まって一年も満たない作品を割と好んでいたため、どこかで軋轢が出てきて自然と会話がぎくしゃくし始めて自然消滅、厳密には恋菜がそのグループから抜けてしまったのだ。
(きっと私は…)
思ってしまうのは三人からすれば自分と関わったのは黒歴史でしかないんだろうなという後ろ向きな思考だった。
彼女は自分の席でいつも通りに本を読んで始業の合図の待つ事にした。
昼休みに入ってすぐに彼女は教室から出たが誰にもその事は認識されなかった。厳密には教室の扉から出る瞬間だけは何人かは認識していたのだが、すぐに興味を喪失されてしまう。
教室の外に出た彼女が向かっているのは購買だった。目的は当然ながら昼食を買う事。
「はぁ…」
購買前でおしくらまんじゅうになりながら待っている今の自分の現状に溜息をこぼしてしまう。
(朝の通勤ラッシュってこんな感じなのかなー…)
そんな現実逃避的な思考を巡らせてしまう。全国の汗水流して働いているお父さんお疲れ様だった。
彼女は徒歩で通学しているため、それはあくまでイメージでの話でしかないのだが。
恋菜は購買で買った焼きそばパンを胃に流し込んでから、いつもの通りに図書室への直行した。彼女は図書室の主というやつなのだ。
元々彼女自身本は好きなのでボッチ関係なくこうなっていたのは間違いの無い事なのだが、教室にもグラウンドにも居場所が無いため流れついての図書室に避難という部分も若干あるのは自覚ありで泣きたい気持ちになる。
「あれ?」
彼女の視界に入ったのは自分よりも先に本を読んでいる茶髪にくせっ毛のあるショートヘアーの女子生徒だった。
それを見て驚きと珍しいなという純粋な興味だった、全くもって偏見でしかないのだが、もっと友達とはしゃいでそうな派手そうな容姿だったからだ。
そして思い至る。こんなに早く図書室にやって来て本を読んでいるという事は、それなりに本好きであるかもしれないため気が合うかもしれないという事だった。
「っ…」
けれど掠れた音が喉から出てくるだけで言葉にはならない。
かつて勇気を出して友達を作ろうとしたのはいいのだが、結局はボッチになったという事実がその一歩を踏み出す勇気を奪ってしまっているのだ。
脳内では様々な誘い文句こそ浮かんだのだが、それが現実になる事は無かった。
◎
びっくりするほど恋もトラブルもなーんもない学校生活を終えた彼女は夜ご飯を買うために放課後スーパーに寄っていた。
「冷蔵庫に何おいてたっけ……」
彼女の視線の先には品ぞろえが豊富な冷凍食品の数々だった。基本的に料理を自作するという概念が存在しない彼女には、外食かレンジでチンして食べられるものの二択しか思いつかない。
―ウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥ……
「…ッ…空間震警報…?」
ここ数年になって増加の傾向にある正体不明な自然災害である空間震。
彼女は学校等で警報が起きた際の行動はレクチャーされているため落ち着いて避難をしようとする。
「うわっ」
「あっごめんなさい」
自分の背後にいた女性がぶつかってしまい恋菜は少しつんのめって、肩にかけて持っていた鞄を落として中身をぶちまけてしまった。
「いえ…大丈夫です」
どちらかといえば気弱な彼女は相手に食って掛かる事も無く小さな声でそう答えた。
「早く拾わなきゃ」
そう言ってぶちまけられた教科書を乱雑に鞄に放り込んでその場から避難をしようとするのだが、
「あれ…?…ストラップは……」
鞄についていたはずの親に買ってもらったそれが無くなっていたのだ。考えられるのは先ほどの衝撃で何処かにいってしまったという可能性だろう。
「どっ、どこっ」
慌ててその場に屈んでストラップを探し始める。そんな事をしている間にもスーパーの店員も客もその場から立ち去っていく。
(不味い不味いっ)
ストラップ探しをしていたらすっかり街から人がいなくなっていた。その事実が彼女を途方もなく焦らせる。
空間震の脅威は実際に目撃こそした事は無いが、ありとあらゆる場所で嫌というほど教え込まれて来たからか、今の街に一人でいるという状況がどれほど危険であるのかはキチンと理解できていた。
(早くシェルターに…)
取りあえず現状するべきであるのは避難する事である為、落ち着いて避難経路やシェルターの場所を思い出して行動をしようと考える。
「え…?」
すると遠くが真っ白に光ったかと思うと轟音が鳴り響いて、強烈な衝撃が恋菜を襲った。彼女は叫ぶことも出来ずに吹き飛ばされてしまう。
「いっ…つう……」
彼女は遠くから爆音が炸裂する音で目を覚ました。
「これって……」
そして意識を取り戻して起き上がった彼女の視界に飛び込んできたのは瓦礫の塊と成り下がってしまった街だった。
話には聞いていた空間震被害の現場の状況とよく酷似した景色が目の前に広がっていた。
「いったい何が……」
目の前の景色にも驚かされたのだが、彼女に今現在進行形で耳に入ってくる何やら戦闘音のような衝撃音が耳に継続的に届いているのだ。
音と閃光のする方向に引かれるように、痛む体を無理矢理引きずってその方向へと歩いて行く。
「どうやってこの建物を直すんだろ……」
既に廃墟となっている街を歩いていると思いついてしまうのはそんな感想だった。
どんなに深刻な建物への被害であっても数日もすれば元通りの街並みになってしまうという、陰謀論がいくつも囁かれている現象だった。普通であれば元の状態に戻すのは五年や十年はくだらないだろう。
一般人である彼女には復興用に存在する顕現装置など知りようもない事実なのだが。
そして何よりも気になったのは、衝撃で崩れたわけでも無ければ、空間震によって削られたわけでもない何やら鋭利なもので切られたり、銃弾のようなもので抉られたような外壁があった。
「せ、戦争…?」
彼女の口から洩れたのは国境という概念を実感しにくい、島国育ちの平和ボケした感想だった。
そんな事を考えているといつの間にか、まるでSFかのような戦闘音が聞こえなくなっていた。
「撤退です!」
「!」
そして彼女の耳に届いたのは男性の声だった。その声の方を向くと上空にいたのは金髪のロン毛の男性だった、顔立ちは整っており凛々しく、声色は紳士的といった印象を彼女は受けた。
だがそれよりも気になったのは全身を機械で固めて宙に浮いているという現実離れした状況だった。それこそ彼女の知識にあるSFの光景そのものだった。
そんな事を考えている間にも、機械の鎧を着こんだ人たちが空を掛けて遠くへと飛んで行ってしまう。仕方のない事ではあるのだが、それを恋菜は呆然と見ている事しか出来なかったのだ。
「…あっ…もしかして本当に不味いんじゃ……」
やっとの事で思い至ったのは、あの機械をまとった強そうな人たちが逃げざるを得ない状況がこの先に存在するであろうという事と、今の彼女にはその危険を目の前にして自衛をする方法が無いという事実だ。
「…お前も敵か?」
「……あ」
先ほどまで目の前に非日常な光景が飛び込んで来て、情報を処理することが出来ず何をしたらいいのか分からずに呆然と立ち尽くすしか出来ない恋菜は、突如としてかけられた声に体が凍り付いてしまう。
「質問をしているつもりだが…言語が通じないのか?ASTの奴らと同じに見えるが」
「……あ、あなたは…?」
声の主は半壊した建物の上にいた。恋菜は少し不機嫌で苛立ちの混じったその声音を聞き、慌ててその主の方へと顔を向ける。
彼女の視界に飛び込んだのはドレスに白衣という誰もが合わせないだろうと思われる服装、そしてスッとした鼻梁、パッチリとした目、そして控えめにふっくらとした顔の輪郭という美人と可愛さを同居した美少女がいた。
相手は瓦礫の上からふわりと飛び上がって恋菜の前に着地をする。その際に着地音がせずに、まるで重力を感じさせない不思議な挙動だった。
恋菜は何を言ったらいいのか分からなかった、とにかく、
「あっあの…えっと……」
しかし相手はびくびくしながらぐだついている恋菜の態度をみて苛立ったように手にメスを構える。そしてその刃を目の前の恋菜の喉元に突き付ける。
「…あっ」
「質問はお前が敵かどうかの二択のはずだが?」
隙なく相手の挙動を観察しながらも苛立った声で言う。
正直な話、恋菜はこの時点で腰が抜けてちびりそうだったのだが、精神力を振り絞って何とかその場に足の裏を縫い付けることに成功する。
「て、敵じゃない……」
「じゃあ何なんだ?」
「殺さないで…」
彼女のその冷や汗を流しながらのセリフを情けないと切って捨てる人間はいないだろう。
いきなり空間震被害に巻き込まれてしまったと思ったら、訳も分からない組織が逃げるのを見て、恐らくだが撤退判断を下すに至ったであろう存在を前にして何とか単語を口に出来るだけ立派としか言いようがない。
「…………」
恐怖に染まってしまっている相手を見て持っていたメスを消した。
突如としてこの場を支配していた威圧感が消えたのを感じて、恋菜は驚いた声を出していしまう。
「え……」
「消えろ…さっさとどこにでも行け…」
そう言って精霊は身をひるがえしてどこかに行こうとした。
その背中を見て恋菜は奇妙な感覚を覚えていた。ASTという単語に特別詳しいわけでは無いのだが、予想では空を飛んで撤退していた組織だと思われた。
あのような最高機密に指定されているような連中を退けた相手の顔には強者のオーラを纏っているのに、その反面満たされたような雰囲気は感じなかったのだ。
何よりも身をひるがえす直前に見せた疲れたような表情が脳裏に焼き付いて仕方なかった。
背負うモノや程度は違う、いや比べようもないのだがそれでも言わずにはいられなかった。
「あ、あのっ」
「…!」
恋菜のその呼び声に精霊は足を止めた。
彼女は自分でも何故教室にいるクラスメートには話しかけられなくて、正体不明の少女に声を掛けられるのか分からなかった。
無理矢理にでも理由を見つけようとするのであれば図書室で話しかけなかった事に後悔を覚えたからだろうか。
「私は…御守恋菜って言うの…良かったらだけど…と、友達になれないかな…?」
「友達?」
「仲の良い人同士…みたいな……?」
友達と言われても相手は特にピンとは来ないようだった。一応彼女は説明したが、この極度の緊張状態ではまともな解説は出来ようはずもなかった。
「その友達とはどうすればなれるんだ?雰囲気的にあいつらのような敵対的なものではないのだろう?」
「うっ」
精霊に言われて恋菜は困ってしまう。友達になろうと言ってもそもそも現在進行形でボッチな自分がなりかたなど分かるはずがない。
そもそも友達という人間関係はお互いに「はい、なりましょう」と言って成立をするわけでは無いのだが、経験の浅い彼女には分からないし、精霊である相手はそれ以前の問題だ。
だがそこである事に気が付いた。
「名前……」
「何だ」
「あなたの名前を知らない……」
これからどのような関係性を築くにしてもまずは自己紹介が最初だろう。
「名前か…不思議なものなんだが誰かに名乗るのは初めてだな…そもそも聞かれた事すらないからな……」
そこで初めて精霊は口元が緩んで、険の取れた表情になった。
恋菜は相手が改めて途轍もなく可愛い美少女である事を再確認した。
「虚華だ」