その学年のあるクラスには大変珍しい少年がいた。
緑谷出久という少年は誰しもが個性という超能力を持って生まれてくる昨今、足の小指に関節がある個性が発現しない人間の特徴を持っていた。
無個性……それは思春期の少年少女にとって明確な“持たざる者”であり、落ちこぼれとしてみる格好の指標であった。
出久がそれすら笑い飛ばし、周りに溶け込むコミュニケーション能力があれば、厚く友情を育んでくれる友がいれば話は変わっていたのかもしれない。
だが彼は内向的で、“運悪く”下に見た人間を害する事を躊躇わない幼馴染も存在したせいか、中学三年までは暗い汚泥の中を進むような日々だった。
数ヵ月前のあの日までは……。
この学校は弁当持参の為、お昼時になれば教室で仲のいいグループがお弁当を広げて仲良く食べる時間。
シャカシャカシャカシャカ……
シェイカーというプラスチックの入れ物に、水と何かの粉を入れてひたすら振って混ぜている出久の姿があった。
これをご飯時に最初にやり始めた時はクラスのお調子者がからかい混じりに取り上げたり、しまいにはわざと中身をぶちまけられたりしていたが、今は誰も出久に構わなかった。
怖いのだ、単純に。
ヘドロ事件というセンセーショナルな事件の後から彼の見た目と雰囲気に徐々に大きな変化が現れ始める。
典型的なもやしっ子だった体は今や運動系の部活に入っている生徒すら貧相に見えるほど逞しい肉体になり。
何処かおどおどしていた雰囲気がすっかり鳴りを潜め、今ではその身体に相応しい風格が出始めていた。
子供というか精神的に幼い人間は分かりやすいものだ、弱いものは馬鹿にされ、強いものにはへりくだる。
無個性と馬鹿にした少年は、今や純粋な身体能力で自分達個性持ちを叩きのめせる能力を手に入れつつある。
そのように思ったクラスのほぼ全員と、担任の先生ですら腫れ物のように出久を扱っている。半ば公然に虐められた弱者が見てわかる程巨大で鋭利な牙を手に入れつつあることに恐怖して。
そして当の出久といえば、人生でこれ程充実している時があっただろうかと、疑問に思う程充実していた。
明確な目標があり、人生で最も尊敬している人間に師事し、そして目標達成の為にこれでもかと心を砕いてくれる人がいる。
認めて貰うために幾つもの挑戦を乗り越え、小さな承認欲求と成功体験を積み重ねた出久の心は徐々に自信と余裕をつけていく。
日々成長する身体と共に周りへの劣等感が消えていき、気がつけば自分はいじめられっ子というポジションを脱却していた。
あの日からがむしゃらに頑張っていたら、勝手に周りの環境が変わっていた事に出久は苦笑しかなかっだが、それならそれでいいと日々を過ごしている。
そしてそんな出久を面白くなさそうに見ているクラスメイトが一人。
爆豪勝己……緑谷出久の幼馴染である。
彼等の関係性を一言で言うなら強者と弱者、いじめっ子といじめられっ子であった。
幼い頃にあったある出来事が彼が出久に辛く当たる原因となっているが、ヘドロ事件の時の出久の行動に更に嫌悪感を募らせ、今では関わることすら避けるようになっていく。
好きの反対は無関心といったところだろうか。
だが爆豪にとって出久は段々無関心ではすませられない存在になっていく。
通常の学校生活において個性を使うことは禁止されているので、体育の身体測定は生徒の個性を使わない身体能力が如実に現れるのだが。
ピッ!
「……おいおい……6.2秒だと」
体育を受け持つ先生は出久の出した50メートル走のタイムに仰天した。
基本的に15歳前後の男子の平均タイムというのは大体8秒前半から7秒後半で、これが陸上や運動系の部活をしているなら7秒を切るか切らないかまで速くなる。
しかし何の部活も入っていない帰宅部の生徒が6秒前半で走ったのだ。
「おい緑谷……お前陸上の十種競技でも目指しているのか? 最近凄い記録が出てるぞ」
「あ、ありがとうございます」
「走り方も綺麗なフォームだったし……誰かに教えて貰ってるのか?」
「はい、実はトレーニングとか肉体操作にとても詳しい人と知り合いになったんです」
「ほーう……体もでかくなってるのに敏捷性を失わないように効率的なトレーニングをさせて貰ってるようだな……お前最近授業中に水と一緒に何か飲んでるだろ? プロテインか?」
「いいえ……BCAAとアミノ酸の粉末です」
出久の言葉に体育の先生の目付きが変わる。実は彼は筋トレマニアとして有名なのだ。
「BCAAとアミノ酸!! ……どこのメーカーだ? 他には何使ってるんだ?」
「知り合いの人に指定された奴を時間通り飲んでるだけなんで僕はそこまで詳しくはないんです!」
「なんだそうなのか……しかしBCAAもアミノ酸も安くないだろうにご家族の負担になってないか?」
「いえ、全部その知り合いから貰ってます」
「う、羨ましすぎる」
先生の言葉に出久は苦笑しながら
「僕も雄英に入りたいとはいえ、ちょっと期待が重いなって感じるときがあります」
「そうか……頑張れよ緑谷! 俺は応援してるからな」
そう言って記録に戻る先生を見送る出久を見る爆豪のイライラは止まらない。
(6.2?……あのデクが俺の記録に迫って来てるだと?)
ヘドロ事件以前なら出久の記録は8秒を切るか切らないかの記録だったと記憶している爆豪
(進化している……弱いくせに夢だけ語るクソナードが、本当に雄英に入るために己を高め続けている)
爆豪の背中にヒヤリと何かが走った。
それは恐怖だったのか武者震いだったのか……。
「……チッ!」
それを知るのは爆豪のみであった。