オレオールに向かう道中で、フリーレンは昔ヒンメルたちのために魔法で花畑を出した日のことを夢に見る。
その時に見せたヒンメルの眼差しの意味が今になって気になったが、いくら考えてもそれらしい答えは思いつかない。

しかし、ふとした時に、フェルンがシュタルクに向ける視線が、あの時のヒンメルの目とよく似ていることに気づいた。
フリーレンは、フェルンにその意味を問うが――

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花畑の魔法

 朝。起床したフェルンは軽く身支度を整えた後、宿の水汲み場に向かった。

 木桶に両手を差し入れ、水を掬い上げると、そっと顔を押し当てる。

 持ってきた布で顔を拭きながら、フェルンはブルっと身体を震わせた。

 季節は早春。この時間はまだ肌寒さが残っている。

 

 宿の部屋の前まで戻ると、念のためドアをノックする。が、案の定反応はなくてため息をひとつつきながら扉を開けて部屋に入った。

「フリーレン様、今日も朝食は抜き……」

 言いかけた言葉がひっこんで、思わず反射的に身構えてしまった。

 てっきりいつものようにひどい寝相で寝こけていると思っていたフリーレンは、ベッドの上で上半身を起こし、ぼんやりとした表情で、じっと前を見つめていた。

 一瞬の硬直の後、フェルンは彼女が寝ぼけているだけだと察すると、

「フリーレン様、せっかく起きれたのですから、朝食をとりに行きましょう」

 そう声をかけてフリーレンのそばに歩み寄った。

 ベッドの上に着替えを置き、フリーレンの貫頭衣を脱がそうと手をかけたところで、

「フェルン」

 不意に、フリーレンからそう声をかけられた。

「私はさ、記憶力は結構いいんだよね。100年前くらいのことなら、昨日のことのように覚えてる」

「はい」

 話の意図が分からないまま、それでもフェルンは首を縦に振る。

 確かに、彼女が昔話を語ってくれる時、驚くほど細かい所まで説明してくれる。

「だから、後になってから気づくこともあるんだ。どうしてあの時――」

 話の流れが分からないなりに、耳を傾けているフェルンを見て、フリーレンはふっと微笑んだ。

「いや、なんでもない。ご飯、食べに行こうか」

 

 フリーレンとフェルン、そしてシュタルクが滞在しているこの町は、北側諸国からオレオールに向かうルートの要衝の一つではあるが、外部からの通行が遮断される厳しい冬を過ぎたばかりとあって、まだ本格的に賑わうには至っていない。

 それでも市場に商品を並べる店の数は増えており、フェルンたちはこの先の旅に向けて買い込む物資の目星をつける意図もあって、ぶらりと街の中を歩いていた。

「そう言えば、シュタルクは何してるの?」

 フリーレンが魔法屋の看板に後ろ髪をひかれながら、横を歩くフェルンに尋ねると、

「さあ? フリーレン様が起きる前に、先に市場をのぞいてくると言って宿を出ていきましたが。どうせ今頃子供たちに構われていたりするのではないでしょうか」

 関心がなさそうにフェルンは素っ気なく答える。

「ふーん。まぁ、いつものことだね」

 フリーレンも自分で質問しておきながら、それほど興味がなさそうに相槌を打つ。

 しかし、それからそう間を置かずに、小さな広場に出ると、まさにシュタルクが数人の子供にまとわりつかれている姿が二人の目に入ってくる。

 フリーレンとフェルンはお互いに目配せをし合って、クスリと笑みをもらした。

 

「お、フリーレン。ちょうど良かった」

 シュタルクもフェルンたちに気付いて、歩み寄ってくる。

「フリーレン、花畑を出す魔法使えたよな。今ここで使ってくれねぇか?」

「いいけど、どうして?」

 シュタルクがフリーレンの問いに答えようと口を開くが、

「ん? 自分でお願いできるか?」

 ぎゅっと自分の膝をつかんできた小さな女の子に、シュタルクは優しく問いかける。

「あの、私、お姉ちゃんの誕生日にお花の冠を作ってあげたくて」

 緊張気味に、フリーレンを見上げながら女の子が言う。

「この子の誕生日には、お姉ちゃんが毎年花冠を作ってプレゼントしてくれるんだってさ」

 シュタルクがそう補足すると、それを肯定するように女の子は頷いた。

 ああ、なるほど。お返しに花冠を作ってあげたくても、この時期だとこの辺りではまだ花が咲いていないのか。フェルンはそう気づいて得心がいく。

「そう。いいよ」

 フリーレンはそれで十分とばかりに小さな少女の願いを聞き入れると、杖を握りしめたままそっと目を閉じた。

 

 目の前に現れた一面の蒼い花畑を見て、ひとしきり歓喜の声を上げた子どもたちは、その後思い思いに花畑に足を踏み入れる。

 フリーレンにお願いをした女の子は、懐からハンカチを取り出して広げると、見栄えのいい花を選別しながら丁寧に引き抜いて、その上にのせていく。

 彼女より少しだけ年上に見える女の子が、その様子を見守りながら近づいていき、花冠の作り方を教えているようだった。

 年上の女の子と同じくらいの年齢に見える少年二人組は、勢い任せに花を引っこ抜いて、大きな山を作っていた。

 そして、最年少であろう3歳くらいの小さな男の子は、花をブチっと乱暴に引き抜くと、少女のハンカチの上にばら撒いた。

 手伝いのつもりだったのだろうが、きれいに並べていた花束に、泥がたっぷりついた花を混ぜられて、少女は涙を浮かべる。

「こら、お姉ちゃんの邪魔したら駄目だろ?」

 そう言いながら、シュタルクは男の子を抱きあげると、肩車をした。

 一瞬、強張った表情を浮かべた男の子だが、すぐに興奮してきゃっきゃっと声を上げる。

「あ、いてっ。痛いって! 髪引っ張るなよ!」

 シュタルクが悲鳴を上げると、それに気づいた少年二人組が、悪戯っぽく笑みを浮かべると、自分たちが引き抜いた花を両腕いっぱいに抱えて走り寄ってきた。

 そして、勢いよくシュタルクに向けて投げつける。

「わぷっ、ちょっ、口に泥が入ったぞ。やめろってば!」

 そんな少年たちの悪戯を見て、フリーレンも便乗する。

 極限まで弱めたつむじ風を魔法で生み出すと、それは少年たちがまき散らした花を絡めとって、シュタルクと、少年たち自身に向かってペチペチと叩きつける。

 少年たちはそれが思いの外楽しかったのか、足をバタバタさせながら花畑の上を笑い転げる。

 それを見て、やれやれと溜息をついたシュタルクは、視線を少女たちに向けると、一心不乱に花冠を編み込んでいる姿を目にして、そっと微笑む。

 

 そんなシュタルクの姿を、フェルンはじっと見詰めていた。

「同じだ」

 すぐ横から聞こえたその言葉に、ハッとしてフェルンが振り向くと、フリーレンが真っすぐに視線を向けてきていた。

 見られていたのか、といたたまれなくなって、思わずフェルンは顔を背ける。

「今朝、夢を見たんだ。80年くらい前に、ヒンメルが私に花畑を出してくれって言ってきた時の、夢」

 フェルンの反応をどう捉えたのか、フリーレンはそれについては特に言及することなく、淡々とした声音で話始める。

「花畑が見たいって言ったから出したのに、あの時のヒンメルが見ていたのは、花じゃなかった」

「……きっとヒンメル様は、お花そのものを見たかったわけではなくて、それを通して、生まれ故郷のこととか、大切な思い出とか、そういうものに触れたかったのではないでしょうか」

 フリーレンは確かに人間の機微に疎い所もあるが、それくらいは察することはできたはずだ。そう思いながらもフェルンが自らの推論を口にすると、

「うん、その時は私もそう思ったんだ」

 フリーレンは頷きながら、わずかに目を細める。

「でもね、今朝私が夢で見た、その時のヒンメルの眼差しには、すごく見覚えがあったんだ。そして思い出した。それは、ヒンメルがたまに私に向けてくる眼差しと同じだった。野営で火の番を二人でしながらくだらない話をしていた時、迷宮で苦労して入手した魔法書が話に聞いていたものと全然違っていて皆で笑っちゃった時、私が魔法で助けた人に感謝された時、何でもない一日の終わりに、ふと目が合った時。その目の意味は何なんだろうってずっと考えていたんだけど、どうしても共通点が見つけられなくて、私には分からなかった」

 今朝、フリーレンの様子が少しおかしかったのは、そういうことだったのかとフェルンは納得する。

「でも、今、フェルンがシュタルクたちに向けていた目は、あの時のヒンメルの目と同じだった。フェルンは何を見て、どんなことを考えていたの?」

 フリーレンは何の含みもなく、ストレートにそう問いかける。

 フェルンはわずかな逡巡を見せた後、

「フリーレン様は、ヒンメル様がそういう目をするのは嫌だったのですか?」

 そう質問を投げ返した。

「嫌では、なかったよ。……そうだね、あの時もせっかく出した花を見てくれなかったのに、嫌じゃなかった。不思議だね」

 フリーレンは、記憶の中の想いを噛み締めるように、目を伏せる。

「それなら、私は何も言わないことにします」

「どうして?」

 フリーレンはわずかに驚きの色をまじえて、フェルンに問う。

「だって、フリーレン様。あなたは——」

 そして、フェルンはそう言って微笑む。

「それを知るために、この旅を始めたのでしょう?」

「……そう。その通りだね」

 フリーレンは表情を柔らかくして頷くが、すぐに気が重そうに眉尻を下げる。

「でもなぁ、私多分最後まで分からないよ、これは」

「そうかもしれませんね。でもオレオールまではまだまだ時間がありますから。それに、もし最後まで分からなければ、その時はヒンメル様に直接聞いてみてはいかがですか?」

 くすくすと笑いながらフェルンがそう提案すると、フリーレンも笑みを浮かべる。

「そうだね。そうしようか」

 

 その後、お昼時に入ってから少女が花冠を完成させると、フェルンたちは手分けして子どもたちを家まで送った。そして、その帰り道。

「それにしても、ヒンメル様に直接聞いて、というのはさすがに意地悪だったでしょうか」

 一人、待ち合わせ場所の食堂に向かうフェルンはそう独り言ちる。

 まさか、ヒンメルも当時どういう想いだったかをフリーレン本人から問い詰められることは想像していないだろう。

「でも、それも仕方ありません。色々と仄めかしておきながら結局何もせず、それでいてフリーレン様の中であれだけ大きなウェイトを占めているのですから。ヒンメル様はずるいです」

 言いながら、多分に妬みが入っていることを自覚して、フェルンは思わず立ち止まり、かすかに顔を赤らめると、ため息をつく。

 ただ、ハイターとアイゼンが、フリーレンとヒンメルのことを「可哀そう」だと言い、もう一度話をさせてあげたい、と思ったことについては本当にその通りだと思う。最初は良くわからなかったが、フリーレンからヒンメルの話を聞く度に、フェルンはその思いを強くする。

「ハイター様」

 フェルンは心の内で呼びかける。

 話したいことがたくさんあります。私のことも、フリーレン様の事も。オレオールでお会いしたら、きっと聞いてください。

 それから――、

 フェルンはそっと笑みをこぼす。

 フリーレン様とヒンメル様がずっと先延ばしにしていた、答え合わせをするその瞬間を、一緒に見ていてあげましょうね。

 


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