テイオーがダービーを獲った5月も終わり、いよいよ夏の空気が近づいてきたなと肌で感じるこの頃である。私自身も毛が冬毛のモッフモフから、夏毛のモフに切り替わっている。そしてそんな私を見て、皆が言った。
『めちゃくちゃ痩せてるように見える』
そう、冬毛であった頭や首の周りのもふもふの毛はほとんど抜け落ちて短い夏毛に変わったので、我ながら別の生き物になったようにも感じるのである。ちなみにマックイーンの騒ぎようは面白かった。
『タヌ吉のもふもふが取れてしまいましたわー!?』
朝っぱら、私をブラッシングしながらそう叫ぶものだから、私も驚いて飛び上がってしまった。そしてマックイーンから距離を取り、その手にあるブラシを見て確信した。ああ、冬毛が抜けたのね、と。しかし私が納得したところで、マックイーンはあわわあわわと慌てるばかり。
『おー!?朝から騒がしいと思ったら。おはようございます。マックイーン先輩』
『ウオッカ!あぁ、見てくださいましタヌ吉のモフモフがー!?』
『おお!?って、先輩、これ冬毛から夏毛に生え変わってるだけですよ?』
『…え。夏毛、ですの?』
途中から合流したウオッカのおかげで事なきを得た。慌てるマックイーンが少し可愛かったが、ああも慌てられてはこちらも焦るというものだ。ただ、その後。
『あぁー…夏毛のタヌ吉も触り心地が良いですわー!あ、でもお腹はモフモフしておりますね』
と笑顔を見せてくれたので、良しとする。
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さて、夏毛になったタヌキこと私であるが、状況も色々変わってきたこともあり、ここで一つ情報を整理してみたいと思う。
まず食と住に関しては完全にクリアしていると言えるであろう。朝のブラッシングこそマックイーンの専属になっているが、ほかの餌や散歩などは日々、スピカのウマ娘の面々が代わる代わる世話をしてくれている。
スピカの面々がいないときはシンボリルドルフ…リギルの面々が、更にはナイスネイチャ…カノープスの面々が、といったように持ち回りで世話をしていただいている形だ。本当に有難い。
そして目下の目的であるが、まぁ、いろいろあるにせよ、第一目標は生き残る事。実際、未だ学園から正式な承認が降りていないのが私の立場だ。下手なことは出来ない。
暴れず従順に。目下それを意識しながら活動せねばなるまい。
そして第二目標はレースをこの目で見ることであるが、模擬レースこそ学園内なので見れる。だが、本番のレースは、レース場そのものに動物の立ち入りが禁止されているため現状では見ることが出来ない。せっかくウマ娘のいる世界に来たのだから、やはり生の本気のレースを見たいし、このまま怪我無くいけば、菊花賞にトウカイテイオーが出るのだ。見ない、という選択肢は無い。そうは思うが決まり事の壁が高い。悩ましい事である。
それに合わせて、実は竹細工も少しは編みたいと思っている。マックイーンとテイオーに新たなものを。ただ、トレセン学園内に竹は無いし、勝手に外に出る訳にもいかない。文字で意思疎通を図るという手もあるのかもしれないが、普通のタヌキはそんなことは絶対にしない。いや、竹細工も普通のタヌキは編まないという事は重々承知しているが、それでも、ヒトやウマ娘に『竹頂戴』などと言葉や文字で伝えられるわけがないと個人的には思っている。あくまで普通のタヌキとして過ごしたいなぁという私の我儘である。
そう。あくまで私はただの人懐っこいタヌキであるからね。
ただ、中身は人間なので少し頭を使って考えたわけだ。その結果、実は1か月もすれば竹を手に入れるチャンス、という時が来るのだ。
『トレセン学園 夏合宿』である。
アプリでもあった夏合宿であるが、この世界でも存在するということが最近判った。というのも。
『そろそろ夏合宿の時期が近づいて参りましたわね』
『あ、本当だー。でも、ちゃんとホテルに泊まれるのかな?トレーナー貧乏だし』
『…まぁ、そこは期待しないでおきましょう。あ、タヌ吉を連れていけるように言っておかなければなりませんね』
そうテイオーとマックイーンが雑談しているのを聞いたからだ。しかも今回は私も連れていかれることは確定っぽいので、ここにきてトレセン学園の外に出れる可能性が出てきたのだ。つまり、その時に竹を手に入れることが出来るかもしれない。
まぁ、あとは野となれ山となれの精神で流されるままやってみようと思う。
あぁ、でも、やはり、出来れば菊花賞をレース場で見たいものである。
■
あくる日。今日は珍しく沖野氏とテイオーが遅れて部室に来ていない。他のスピカの面子は、私を軽く撫でると早々と練習を行っていた。私はと言えば、日差しが強くなり、暑くなってきたので日陰であるスピカの部室で涼んでいる形である。マックイーンやゴルシなどは、
『タヌ吉ー?練習にいきますわよー?あら、こちらに来ませんわね』
『あー、暑いんじゃね?夏毛っても毛皮だろ?』
『では、しばらくは日陰…そうですね、部室で休ませましょう』
『それがいいんじゃね?ま、ポン吉よ。気が向いたら練習見に来ていいからなー』
などと言って部室を出て練習に向かっている。というかゴールドシップは私が言葉を理解すると解っているのだろうか?確かに私は言葉は理解もするし実行もするのではあるが、果たして、実に謎である。
一人取り残された部室で私は、丁度心地よい風が入る窓の下で涼みながら横たわりつつ、惰眠をむさぼる。くああと欠伸が勝手に出て、そしてうとうとと瞼が落ちそうになった時。ふいにスピカの部室のドアがガチャリと開いた。
「だから言ったじゃん?ボクの脚はなんでもないんだってばー」
「っかしいな。確かに動きが怪しかったような気がしたんだがなぁ」
入ってきたのは、右足に湿布を貼っているトウカイテイオーと、どうも納得のいかないような怪訝な顔をしている沖野氏だ。おや?確かトウカイテイオーは、ダービーでケガをしなかったはずなのだが、いったいどうしたことだろう。
「こんな湿布だって本当はいらないんだってば」
「いや、それは念のためだ。テイオー、良いというまでは貼っていて貰うぞ」
「はーい。判ったよトレーナー」
ふむ。話から察するに、テイオー自身はさほど気にしていない不調をトレーナーである沖野氏が見つけたということだろうか?そう考えていたところ。
「あ、ポン太ー!今日は皆の練習について行かなかったんだね。よいしょっと」
トウカイテイオーの手がこちらに伸びて、そのまま抱きかかえられた。そしてそのままテイオーは椅子に座ると、沖野氏と向き合う。私はと言えば、とりあえず落ちないようにトウカイテイオーの腕に頭と前足を乗せてしっかりと体を固定している形だ。そんな私を見て、沖野氏が口を開く。
「お、そいつ夏毛になってたんだな」
「え?あ、うん。そうなんだよー。最初はマックイーンが騒いでてさー。『もふもふが!タヌ吉のモフモフが取れてしまいましたわ!?』なんて。面白かったよー」
「はは、目に浮かぶようだよ。マックイーンはあれで天然入ってるもんな」
「トレーナーもそう思う?」
まぁ、マックイーンはお嬢様だけど、確かに天然であろうとは思う。というかお嬢様なのにゴールドシップに突っ込みを入れたり、私の名前を意地でもタヌ吉にしたがったりと、我も強いと思うのだ。まぁ、そこも可愛いところであると思う。
「それはそうとしてだ、テイオー。今のお前の脚は確かに、レントゲンや触診で異常はない」
「まぁ、そうだろうねー。動かしてても違和感なんてないし?」
「…だが、俺が見たとき、お前は昨日の追い切りの時に、確かに少し様子が奇怪しかったんだよ」
「まぁ、トレーナーがそう言うのなら信じるけどさー」
「だから今日はお前は練習休みだ。それで、明日からの練習はストレッチとアイシングの時間を、今までよりも長くとる事にする」
「うん、わかった。そのぐらいの事なら全然いいよ」
「…最近はずいぶんと素直だな、テイオー。前だったら『大丈夫だよーそんなこと!練習するー!』と、わがまま言ってたのにな」
「えー?トレーナーから見たらそんな感じだったのボクって。ひっどいなぁ」
そう言いながら私の腹を撫でるテイオー。夏毛でも比較的フカフカなそこは、スピカの面々のお気に入りである。時折手が止まるが、遠慮せずに好きなだけ撫でて良いのだよ?
それにしても、沖野氏がテイオーの脚に違和感を感じて、病院にでも行っていたわけか。流石沖野氏。ダービーで怪我しなくてよかったなーなんて思っていた私と違って、目の付け所が違う。
「ま、トレーナーにはボクの我儘を聞いてもらったしね」
そういうテイオーの顔を横目で見てみれば、天真爛漫の笑みを浮かべつつ、しかしどこか大人の女性といった雰囲気を漂わせていた。いつのまにか成長したなぁ。テイオー。しみじみとそう感じながらも体をテイオーに預けていたわけであるが、相も変わらず私の腹を撫で続けている。こういう変わらない部分もまた、テイオーらしい。
「ま、こちらとしてはやりやすくなったがな。ということで改めて、今日はお前は休み。ただ、ストレッチのメニューは渡しておくから、部屋でしっかりやるように」
「判ったよトレーナー」
テイオーはそう言いながら私をテーブルの上に置いて、沖野氏のメモを受け取る。すると、その眉間にしわが寄った。
「うげ。ストレッチって…多くない?」
「お前の走り、どうしても走法を切り替えるときに体に負荷がかかるからな。ケガの防止の意味もある。更にだ、これからは夏合宿も控えているから、その準備も兼ねているんだ。今のうちにルーティーンになるように、しっかりと体に覚えさせておくんだ。テイオー」
「うーん…ま、わかったよトレーナー。ボクは夏を超えて菊花賞を獲るウマ娘なんだもんね。こなしてみせるよ」
「おう。その意気だ。テイオー」
これは良い青春である。最後に笑い合う沖野氏とテイオーを見れたのは眼福というものだ。そしてテイオーは、荷物を肩にかけて部室のドアへと歩みを進めていった。
「それじゃあ今日は帰るね。トレーナー。また明日よろしくね」
「おう。しっかり休めよー」
そう言ってテイオーは、脚を地面に2回打ち付けて、靴の位置を直して部室を後にしていった。
…んん?今の姿、どこかで見たことがあるような、そうでもないような。まぁ、深く考えても仕方がないであろう。
とりあえずは、夏合宿の間に作る竹細工を考えることにしよう。もう一度竹笠というのも味気が無い。末広がりで、夢を掬い取れるようなものがあれば…と思うと竹ザルあたりが妥当であろうか。高尾のおばちゃんや警察官に贈らせていただいたものと被るが、それはそれとして縁起を担ぐには最高のものだとは思う。それに夏の合宿の間という時間に材料を見繕って…となるとそのぐらいの物しか作れないのも実情だ。さぁて。ではもうちょっと構想を練ることとしようか。