冬の深夜の澄んだ空気が、私の冬毛を撫でる。空を見てみれば、街明かりのせいで満天とは言わないが、きれいな星空が広がっている。
てくてく、てくてくと歩道を歩きつつ、少し冷えたら適当な民家の軒先で風をしのぎ暖をとりつつ、のんびりと、しかし確実にトレセン学園へと歩みを進めていた。
道中でどのぐらい自分が速く走れるのか、新聞配達のバイクを追いかけた所、並走とまでは行かないが配っているあんちゃんに追いつきながら走れたので、そこそこタヌキというのは速く走れる生き物らしい。
『おおっ!?タヌキじゃん!珍しいなぁー』
とてとてと追いかけていたら、そう言われながら新聞屋のあんちゃんに撫でられたので、もちろんサービスは忘れない。しっかりと撫でてきた手に頭をすりよせて、我ながら完璧な処世術状態である。
『人懐っこいなー。おお、ふかふかだ。つかこいつ、なんで籠持ってんだ?どっかのお使いか?何入ってんだろ』
見るならどうぞ。という意味を込めて、籠を咥えたまま首を上げる。
『栗とサツマイモ?あとなんか小さい傘2つ?お前変わってんなぁ。気を付けてなー』
新聞屋のあんちゃんはそういうと、バイクのアクセルを捻って行ってしまった。また追いかけようかと思ったが、甲州街道から外れるように路地に入って行ってしまったため、ここで完全にお別れだ。
すでに交番の軒先を出発して2時間ほどが経っている。冬だからか、まだ太陽はあがらない。しかしうっすらと地平線は明るくなり、いよいよ夜明けが近い。
風景を楽しみながら、とてとてと四つ足で進む。最初こそ民家が多く、並木がきれいな道だったが、八王子の街中に入ると徐々に徐々に都会らしい高い建物が増えてきたものの、そこを過ぎればまた田舎のような風景。
東京の街を前世を含めてそんなに歩いたことはなかったためか、素晴らしく新鮮だ。
それと同時に感じたのは、案外、遠い。これだけ歩いてもまだ八王子を少し抜けたばかり。どうやら、私の目算が甘かったようである。
まぁ、とはいえ急ぐ旅路ではないので、道すがら人々に甘えつつ、のんびり進むとしよう。
■
流石に冷えてきたので、コンビニの軒先で本格的に暖を取る。暖を取ると言っても、長椅子の下で丸くなるだけである。
地味にではあるが、足もそんなに冷たくはない。コンビニの暖房の熱気が地面を温めているのだろう。さっそく籠を脇に置いて、休憩がてらうとうとしながら丸まっていると。
「…タヌキさんだ」
不意に上から声を掛けられ、思わず顔を上げた。すると、どうやらウマ娘さんがこちらを少し遠めに伺っている。顔は暗くて少し見づらい。ただ、服装からしてトレセン学園のジャージであろうか?朝練中と見た。ご苦労さんです、などと見当違いな事を思っていると、ウマ娘さんはなぜかあたふたし始めた。
「ええと、ええと…あ、ちょ、ちょっとまっててね?」
ウマ娘さんはそう言うや否や、コンビニの中へと駆け込んでいった。ちょっとまっててと言われれば、待つのが道理であろう。ベンチの下から這い出て、体を反転。ベンチの上に軽くジャンプをして、ウマ娘さんが消えたコンビニのドアをじぃーっと見つめた。
そして、待っている間にも太陽はあがり、建物の影が徐々に黒くなりはじめ、気温が上がり始めた。朝日をのんびりと眺めていると、コンビニのドアが不意に開き、ウマ娘さんが手に何かを持って私の前に再び立った。
「あ、タヌキさん。待っててくれたんだね」
そりゃもちろん。顔をあげれば、朝日に照らされるウマ娘の顔が目に入る。これはまた美人さんではあるが、少し垂れ目で幼さが残っている。髪の毛は腰まであり、先端は少し癖がついているものの、それがまた個性として成り立っている。そして何より、色が真っ黒で、毛並みが艶やかだ。
そんなウマ娘さんの手に握られていたのは、湯気が立ちのぼる肉まんである。
もしや!そう思ってウマ娘さんの足元にささっと体を寄せた。
「わっ…!?え、ええと。肉まん、欲しいんだね?」
もちろんです。食べ物を頂けるのであればもう五体投地の心構え。という意味を込めて、足に体を摺り寄せる。冬毛のタヌキ。まずはご堪能くださいませ。
「ふふ、くすぐったいよう」
ウマ娘さんはそういいながら、膝を折ってしゃがんだ。そして、肉まんを半分に割り、その片方をベンチの上に、その片方を更に半分に割る。
「熱いとタヌキさん、やけどしちゃうから…」
そういいながら、ウマ娘さんはふぅふぅと肉まんを冷ましていた。なんという優しさだろうか。きっと良いウマ娘さんになる。間違いない。
「はい!タヌキさん。召し上がれ」
そういいながら差し出された肉まんを、手を傷つけないように前歯で軽く挟み、受け取る。そして首を上に振ると同時に、口を小さく開けて肉まんを空中に放り投げるようにしつつ、改めて口を大きく開け、首を前に振り、奥歯あたりで肉まんを噛みしめる。
久しぶりの果物や菜の物以外の食べ物。肉まんの肉汁が噛めば噛むほどに染み出て来る。あぁ、これは実に旨い。そして肉まんを嚥下したのちに、舌で口周りをぺろりと掃除するまでがローテーションだ。いやぁ、満足満足。
「はい。おかわり。たーんとおあがり?」
お?これはウマ娘さん。…もしかして、その肉まん、わざわざ私のために買ってきて下さったのか?それは申し訳ないような気がするものの、肉まんの誘惑には勝てない。
また前歯で軽く挟み、奥歯で噛みしめながら堪能する。嚥下すればまた肉まんが目の前に現れる。それを繰り返していたら、ついに、肉まんは私の胃袋の中に納まってしまっていた。
「タヌキさん、かわいいなぁ…」
そういいながらも、ただ眺めて来るだけのウマ娘。だが私、タヌキもモフられのプロである。おばさま方や警察官の方々に鍛えられた嗅覚を舐めてもらっては困る。
ウマ娘さん。貴女、先ほどから右手を少し出しては引っ込めてを繰り返しておりますね?…わかっております。皆まで言うな。
そう思いながら、顔をウマ娘さんの方に一瞬向き、そして腹を見せた。
「え?…え?もしかして、撫でていいの…?」
もちろん。肉まんを頂いたのだ。好きなだけ撫でていただいて構わない。
「じゃ、じゃあ…えいっ!」
意を決したようにウマ娘さんは私の腹に手を伸ばした。次の瞬間、その顔が一気に破顔し、笑顔を浮かべていた。
「…わぁー!ふかふかだぁ!」
フカフカだろう?冬毛のタヌキのもっふもふを舐めてもらっては困る。お手入れ、毛繕いは少しさぼっているが、それでも十分なモノのはずだ。
ウマ娘さんは笑顔のまま、私の腹をわさわさと撫で続ける。時々私が寝がえりを打つように体勢を変えると、今度は背中を、と思えば尻尾を、わしゃわしゃと撫でてくれた。実際、撫でられると気持ちがいいのだ。
そうやって撫でられているうちに、そろそろもう一度腹を撫でてもらおうと、お腹を見せたときだ。撫でる手が一瞬止まったかと思うと。
「よいしょっ…っと」
そして何を思ったのか、ウマ娘さんは私の脇に手を入れて、なんと抱き上げたのだ。当然、顔と顔が向き合うようになる。改めてウマ娘さんの容姿を見てみれば、毛の色は漆黒。濡れ烏とも言える見事な艶やかなものだ。目の色は薄い紫色で、肌の色は比較的白い。いっとう特徴的なのは、その耳の大きさで、テイオーやマックイーン、あの長身のウマ娘に比べても、一回り以上大きい。
そんな耳をぴょこぴょこと動かしながらこちらを見つめる様といったら、非常にかわいらしい。
「…やっぱり、可愛い!」
そういってウマ娘さんは、私を胸に抱きかかえた。突然の事に驚いたものの、肉まんの恩義をすぐに思い出して、ほっぺに頭を摺り寄せる。処世術として、食の恩は絶対に忘れてはいけない。
「本当にふっかふかだぁ。幸せ…」
至近距離で見る顔が、ふにゃりと溶けている。いや、そこまで満足していただけますと、タヌキをやっている冥利に尽きます。そう意味を兼ねて、今度は鼻でほっぺを撫でる。
と同時に、聞きなれない電子音がピピピと鳴った。
「あっ…!いけない、時間!ごめんねタヌキさん!」
ウマ娘さんはそう言いながら、私を地面にそっと下して、スマホを取り出していた。
「あわわわ!学園に早く戻らないとおくれちゃう!タヌキさん、ありがとう!私もういかなくちゃ!」
気にせんでいいよ。こちらこそありがとう。そう意味を込めて、鳴き声を一つ。
「ふふ…可愛い…!じゃ、じゃあね!タヌキさん!」
そう言ってこちらに手を振り、ウマ娘さんはコンビニの駐車場出口へと足を運び、その直前で。
「今日は可愛いタヌキさんにも会えた、きっと良いことがある。がんばれライス…がんばれ、お~!」
と、少し変わった掛け声を書けながら、ウマ娘のレーンを颯爽と走って行った。こうして見ると、ウマ娘の走行速度は本当に速い。並走する車を追い抜いても顔色一つ変えていない。これはまた一つ勉強になった。
それはそうとして、本当に良い子だった。野良のタヌキにあそこまでしてくれるウマ娘。名前が判らないのが玉に瑕だったが、おそらく有名な名馬の魂を受け継いだ子だと、私は信じている。
■
漆黒のウマ娘から肉まんをいただき、腹も膨れ、体温も回復した。トレセン行脚へと再出発である。ひとまずは道は府中までは本当にまっすぐであるので、迷う心配はない。
問題は体力と食料面だ。幸い高尾でいただいたサツマイモと栗はあるものの、それだけでは水分が補給できない。公園の蛇口などで水を補給するという手もあるが、蛇口を捻れる確信がないので、最終手段といったところであろう。
となればすることは一つ。
『あー!タヌキだー!』
グータラ処世術の出番である。幸い時間は日が昇り朝方となった。歩道には人通りが増えてきたためか、私が構われる時間も増えてきた。
『タヌキだ!』『警戒心強いのに珍しいー』『病気持ってるかもよ』『それにしては毛並みよくない?』『どこかのペットかな?籠もってる』『何か食べ物もってない?』
などなどいろんな声が聞こえる中で、食べ物をくれそうな人にさっと寄っていく。
『わー!可愛いっ!タヌキ初めて見た!ぶどう食べるかなぁ!?』
『どうだろう?警戒して食べないんじゃない?』
いえいえ、有難く頂きます。そう思いながらぱくりと差し出されたブドウを頂く。ミカンと違い、酸味が少ない甘さと爽やかな香りが口を満たす。これは実に美味しい。
『わ!食べた、食べたよ!』
『写真写真!かわいいー!』
などとやっていたら、不意に腹を持たれて視界が空中に飛ぶ。今日はどうやら、良く抱っこされる日であるらしい。
「おー?お前、思った通り高尾のタヌキじゃん。こんなとこで何してんだ?」
その声に顔を向けてみれば、以前に会った銀髪の大柄でグラマラスなウマ娘が、いい笑顔をこちらに向けていた。何をしてんだと聞かれても正直答えられないので、一鳴きだけしておくことにする。
「相っ変わらず可愛いなぁオマエ」
そういうとウマ娘は、私の頭にほほを寄せていた。うん、申し訳ないのだが、実にたわわである。ありがとう。と感謝の念を込めて、こちらも頭を摺り寄せる。
『ウマ娘さんはこのタヌキの事ご存じなんですか?』
「ん?おうよ。前に山に宝探しにいった帰りに会ってなー?まさかこんなところで会うなんてなぁ」
『へぇー!あ、もしかして高尾のタヌキって、ちょっとニュースになったあのタヌキ!?』
「そうかもしんねぇな?」
『わー!すごい!言われてみれば竹籠咥えてるし。写真撮ろう!あ、あとウマ娘さんも綺麗なので、そのまま写真撮らせてもらってもいいですか!?』
「わはは!んだオメーわかってんじゃん!いいぜいいぜ。好きなだけ撮りな!」
『あ、じゃあ私もいいですか!?』
『僕もお願いします!』
「いいぜいいぜ!じゃんじゃん撮りな!」
そんなことをしていたら、とんとん拍子に話が進んで、なぜか写真撮影会が始まってしまった。そしてその結果として、私向けの大量の果物を頂いてしまい、私タヌキでは持てない量の食べ物が、現状の飼い主ポジションのウマ娘に渡されていた。
「お前大人気だなー。しかしこの果物どうすっか…お、そうだ。お前ちょっとこのまま大人しくしてろよなー」
ウマ娘さんはそういうと、私を左腕に抱きかかえ、右手には果物が大量に入った袋を持ち、ウマ娘レーンをどこかへと駆けだしたのだ。