偉大なる女王モルガン妃が建国せし、妖精國ブリテン。その首都、罪都キャメロット。
世界の中心とも言うべき女王の間。本来、静粛であるべきはずのそこは今、にわかにざわめていた。
「聞いたか? あの、仮面卿が登城なされるらしいぞ!」
「まさか⁉︎ 最後に姿をお見せになったのは半年ほど前だろう? またすぐに姿を現されるなんて……」
「なんでも、北の湿地で発生したおびただしい数のモースを討ち取ったとか。この度の登城は、その褒美なのでは?」
女王の間で控える文官妖精たちは、好き勝手に仮面卿と呼ばれている人物に関して噂話を囁いている。
玉座に腰を下ろした女王モルガンは、そんな妖精たちの落ち着きのなさをどうでもよさそうに一瞥だけすると、また頬杖をついた。
「たくっ、おっせーな。仮面卿のやろう。いつまでお母様を待たせる気だ?」
文官妖精たちとは別の位置にいた妖精騎士トリスタンが赤い髪をかき上げながら毒づく。
短気で荒っぽい性格の彼女は待たされていることが酷く不快で、それを隠そうともしない。
「はしたないぞトリスタン。ここは女王陛下の御前だ。陛下の後継者といえど、無礼は許されない」
「はいはい、わぁーかったよ。まったく、てめぇは堅っ苦しくてヤだよ」
それを嗜めたのはトリスタンと同じ、長身の妖精騎士のガウェインだった。その青い双眸で見下ろされたと感じたトリスタンは嫌味ったらしく呟いて目を合わせない。
基本的にこの二人は相性が悪い。奔放で加虐趣味のあるトリスタン。誠実で騎士の模範たらんとするガウェイン。
その二人が互いに手を出さないのはひとえに、その間で黙する一人の妖精騎士が抑止力となっているから。
その名は妖精騎士ランスロット。背丈も体躯も二人に大きく劣るように見えるものの、その実力は妖精騎士、ひいてはこの妖精國においても最強と名高い騎士であった。
彼女を敵に回すような真似を二人ともとれない。それほどまでに彼女は隔絶した実力者だった。
そのランスロットだが。彼女はいつものように口喧嘩する同僚二人を意に介した様子もなく、女王の間、その入り口をじっと見つめ、何かを待っていた。
間もなく、変化があった。
コツン、コツン。大理石の廊下を靴が音鳴らす。
そしてその人物はゆっくりと女王の間に現れた。
赤の線がいくつも走る白亜の鎧。体格はそれほど大柄でもなく、ガウェインより小さくトリスタンより大きい。
素肌の全ては白亜の鎧に隠され、見た目からはどの氏族の妖精なのかは分からない。唯一、その素性の手がかりとなりそうなのは、鎧によって覆われた一対の翅。
その名は秘されている。なによりも女王の意向によって。
それこそが、妖精國が誇る最後の妖精騎士。名は公表されておらず周囲から、そして女王からも仮面卿と呼ばれる妖精騎士その人だった。
女王の間を中ほどまで進み、立ち止まった仮面卿は臣下の礼をとる。
「女王陛下につきましては、益々のご発展喜び申し上げます。仮面卿、ただ今参上いたしました」
「良い、楽にせよ」
初めて女王が笑った。道具が満足いく仕事をしたことに喜ぶ笑みだった。
文官たちが決まった文言を唱え、式典が始まる。仮面卿の働きを褒め称えるための式典。
「北のモースどもの討伐ご苦労であった。褒美を取らす」
女王が言うと、控えていた文官二人が協力して、舞台袖から重そうにして何かを持ってくる。
それは黄金に輝く聖剣。仮面卿に与えられるのは、女王モルガンが作り出す量産型聖剣。使い捨ての聖剣がこうして彼に与えられるのはもう何度目か。
女王は魔術を使い、ひとりでにそれを浮かせると仮面卿の目前にまで運んだ。
「次の聖剣だ。またお前がそれを使い、我が妖精國を脅かす敵を滅ぼし、武勇を重ねることを期待する」
「是非もなく。拝領させていただきます」
宙に浮いたままだったそれを、仮面卿は受け取った。
仮面卿が聖剣を手にすると、聖剣と仮面卿、双方の魔力が干渉し合って、聖剣は輝きを増し、仮面卿は身体の節々から魔力が赤雷となって漏れ出る。
黄金に輝くその聖剣は、女王が作り出す使い捨ての神秘。実に数十本目となる聖剣が授与された。
妖精たちは預かり知らぬことであったが、本来その聖剣は女王にとって、自身の破滅を連想させる忌避すべき代物だった。
たとえ模造品であっても、それを与えていることは女王から彼への信頼の重さを表している。
静かに聖剣を拝領して、式典は厳粛に執り行われていった。
ここは女王モルガンの治める妖精國。本来であれば成立しないはずだった可能性の歴史、異聞帯。
女王歴2017年。人理保証機関フィニス・カルデアが調査のため、訪問する半年前のことであった。
●
式典も終わり、厳かだった雰囲気も、女王の御前であるから完全とはいかないまでも、柔らかさを取り戻していた。
式典の主役、仮面卿は要件も終わったと踵を返して去ろうとしていた。
それに待ったをかけたのは女王であった。
「待て、仮面卿。聖剣は渡したが、貴様への褒美がまだである。好きに望むものを言え。私はそれを与えよう」
足を止めた仮面卿は振り返ると、丁寧に一礼をしてその女王の申し出を断った。
「いえ、女王陛下。それには及びません。殿下のために働くことこそ私の喜び。これ以上の褒美は過ぎたものです」
「相変わらず無欲な忠臣よ。お前がそう言うなら、まあいい。女王は寛大だ。お前のわがまま、許そう」
女王は実に満足げだった。過去に情夫として手元に置いていた時期があるほど、女王はこの騎士を気に入っていた。
対して騎士は淡々とした口調で、あくまで臣下としての立場を崩そうとはしない。
そんな二人の会話を興味深そうに見つめているのは妖精騎士ランスロット。女王と仮面卿。二人を交互に見ては落ち着かない様子だった。
別れの言葉を最後に仮面卿が女王の間を去る。それを見てランスロットも好機とその背中を追った。
トテトテと軽い足音を立てる追跡者に気がついた仮面卿が足を止めた。
「……何用でしょうか、ランスロット卿」
事務的な口調にランスロットは少し不満げな声をあげる。
「用がなければ話しかけてはいけない?」
怒ったような口調ではあるが、鈴の音のような声からは親しみが伝わり、愛らしさが優っている。
話せることが嬉しいと、ランスロットの声は弾む。
「いや、なに。この間、君が好きそうな紅茶を出す店を見つけたんだ。せっかく顔を合わせたのだから、この後どうだろうか?」
ようすれば、会食への誘いだった。
仮面越しではあるものの、仮面卿が少し面食らったのはランスロットにも分かった。
けれどすぐに動揺は霧散した。
「いえ、申し出は嬉しいのですが、これから私は北の氏族への偵察任務に就く予定。せっかくのお誘いですが——」
「いや、仮面卿。その誘いを受けろ」
二人の間に割って入る声。間違えるはずもない。それは女王だった。『水鏡』の魔術の応用、声だけを二人に聞こえるように飛ばしている。
「仮面卿、良い機会だ。褒美を取らす。今日一日、休暇をこのキャメロットを楽しめ。案内にランスロット卿をつけよう。我が命、まさか断りはせぬよな?」
それだけ命じて、女王は消えた。
あっという間に外堀が埋められる事態を呑み込みきれず、ぼんやりとした生返事を仮面卿がして、女王の命令は下された。
後に残されたのは仮面卿とランスロット。
いち早く復活したランスロットは微笑む。
「それでは行こうか」
手を差し出し、騎士らしくエスコート。仮面卿はその手を取るしかなかった。
●
ブリテンで最も栄える都キャメロット。その大通りに面するオープンしたばかりの喫茶店に二人はいた。
方や蒼い騎士の鎧を脱ぎ、可愛らしさと気品が同居するワンピースに着替えたランスロット。
甘いチーズケーキと香り高い紅茶に舌鼓。
そしてテーブルを挟んで果実のケーキと紅茶に手をつけず座ったままの仮面卿。
さすがに鎧は脱いだものの、白のシャツと黒のズボンというシンプルな装いと、被ったまま仮面が異質な存在感を放っていた。
仮面の機構が作動することで口元が開き、切ったケーキを運ぶ。
無機質だった仮面卿の雰囲気が柔らいだことにランスロットは手応えを感じた。
この同僚が意外にも、甘いものに目がないことを、ランスロットは最近になって知った。
「食事を取る際にも仮面を外さないのね」
からかうような笑みでランスロットが指摘した。妖精騎士ランスロットでは無い。親しい人にしか見せたくない、柔らかい素の声だった。
「お気を悪くさせてしまったのなら謝罪します。ですが、この仮面は女王陛下より賜ったもの、おいそれと外すわけにもいきません」
「分かっているわ。誰だって隠したい事の一つや二つあるもの。良く、分かるわ」
ランスロットは笑う。それは少し自虐を含んだ笑い。
咳払い。せっかくの食事が辛気臭くなってしまうと危惧したランスロットが話題を変えた。
「そう言えば今回、君は北の湿地の方に行ったんだって? あちらはどんな様子だった? 君のことだからモースに遅れを取ることはないだろうけど」
「驚くほどモースが大量に湧いていた。聖剣がなければ一度出直すことも考えていた。……やはり女王が言うように、『大厄災』が近いのだろう。最近特にこうしたモースの出現の頻度が増している」
二人の頭を悩ます問題。妖精に害なす黒い粘液状の生命体モース。その大量発生は妖精國を守る騎士である二人にとって無視できないものだった。
その時だった。仮面卿の近くを通り過ぎようとしていた給仕係が少しつまずき、手に持っていた皿から料理の汁が飛んだ。
それは仮面卿のシャツに小さな染みをつくる。
「あっ、ああ! 申し訳ありませんお客様! ど、どうか命だけは」
粗相をしでかし、動揺して声をあげる給仕係は人間だった。
妖精に使われるためだけに作り出される命である人間。それが仮にも使う立場にいる妖精に粗相をしたのなら、どうなるかは彼の態度を見れば分かるだろう。
ましてや相手は高級そうな服を着た上級妖精。きっと自分は妖精の怒りを買い、もうすぐ命を終えてしまう。人間はそう理解して、それでも命乞いをしていた。
仮面卿は何も言わず、静かに仮面を人間に近寄せた。
死刑宣告だと、人間は強く目を瞑った。
けれど人間が聞いたのは予想外の言葉だった。
「お前はなにもしてないし、私は何も見ていない。良いな?」
それだけ言うと仮面卿は給仕係を突き放して、何もなかったかのように食事を再開した。
給仕係は初め、何が起きているのかわからず目を白黒とさせていた。
が、その意味がわかると何度も礼を言いながら仕事に戻っていく。
何度も頭を下げながら去っていく給仕係を見送って、改めてランスロットは仮面卿を見た。
「前から思っていたけれど、君は人間に優しいね。何か特別な思い入れでもあるの?」
確認する様な口調。それもそのはず。
普通、妖精は人間を可愛がっても、庇いはしない。地を這う虫や羽虫を人間が気にしない様に、不快になったのなら軽く除けてしまう。
「……何も。何も無いよ。息を吹きかけても死んでしまうような存在に一々怒りをぶつけたところで、自分が無為に疲れるだけだ」
どうでも良いことだと仮面卿は言う。
それが本当のことを言っていて、その実、少し違うのにランスロットは気づいていた。
決して憐れむのではない、ただ弱者を労る優しさ。それはランスロットにとってとても、とても好ましく映るものだった。
「君のそういうところ、僕は好きだよ」
だから自然と笑みが溢れ、温い目で彼を見つめてしまう。
熱で潤んだ瞳に見つめられて、頬がむず痒くなった仮面卿は、誤魔化すように指先で宙に何かを描く。
それは魔力で宙に描かれた魔法陣。
小さく光の炎が灯り、燃える様にして服についた染みが消え去った。
片手間に行われた奇術にランスロット目を丸くした。
「それは女王陛下に習った魔術?」
妖精で魔術を扱うものは少ない。そもそもが神秘の塊であり、思うがままに世界に影響を与えられる妖精にとって魔術はある種、当たり前のことを遠回しにして実行する手段でしかない。
「手慰みに教わった程度のもの。そう大したことはない。それこそ女王陛下に教わって、たまに領地で練習する程度だよ」
「なら今度、君の領地に遊びに行っても良いだろうか?」
「それは……」
一般的に、それは家に招かれてもよいかという問いだ。もっと奥にある意味は言わずもがな。
「だめだろうか?」
答えに窮した仮面卿の手をランスロットは取った。両手で彼の手を引き、身長差が自然と上目遣いをさせる。
彼女の意図しないところで、答えを急くような形になっていた。
しばしの沈黙。仮面の下がどうなっているのかランスロットには分からない。
ただ色良い返事を期待して待つことだけが、彼女に出来ることだった。
そして返事は申し訳なさを多分に含んだため息。
「……すまない。君の誘いは嬉しいが、これでも忙しい身で、今君を領地に招待しても、お客様としてちゃんと相手をできない」
「そうか……。それは残念だ。仕方ない、ならいつか君の都合の良い時に、ぜひ誘って欲しい。きっとだ」
「ええ。その時は、必ず」
そう伝える仮面卿の言葉は、どこか寒々しかった。
●
仮面卿の領地はブリテンの南方、コーンウォールの一地域にある。
短時間でも滞在すると記憶を失う名無しの森にも近い場所であるが、仮面卿の村は静かで牧歌的な穏やかな空気が流れる場所だった。
飛行して村の中央に降り立つ仮面卿。住人の妖精や人間たちが領主の帰還を見つけて、嬉しそうに駆け寄る。
そんな住人たちを優しくいなして、仮面卿は自身の屋敷に戻った。
静かな屋敷。手入れは行き届いている。しかし人と気配は無い。
常駐するハウスキーパーがいないのだ。
「やあ、おかえり。今回は早かったね? もしかして私に会いたくて早く帰ってきたのかな? だとしたら嬉しい限りだけど」
だというのに、帰ってきた仮面卿を出迎える声があった。
白い髪にアメジストの色の瞳。一目見て絶世の美女といえる容姿だが、それと相対して仮面卿はとても嫌そうな顔を作る。
「……また来ていたのか、
仮面卿は重いため息をつく。白髪の美女は酷いなあ、と楽しそうに言う。
本来、いるはずがない存在。妖精郷に閉じ込められているはずの妖精は、まるで勝手知る我が家の様に、仮面卿の屋敷に居直っていた。
「そういえば彼女、ええっと名前は何だっけ? ……ああ! そうそう、ランスロットだ。彼女、ここに来たがっていたけど、断って良かったのかい? 折角だからここに招待すれば良かったのに」
勝手に出した紅茶と、とっておいた茶菓子を食みながらマーリンが言う。
飄々としたマーリンの語り口に仮面卿は少しだけ苛立ちを見せる。
「お前がいつここにいるかも分からないのに、そう気安く人を呼べると思うか?」
「いやだなあー! そういう時はモチロン空気を読んでお暇して、いい感じのムードを遠くから眺めてるさ」
「そういうことをしかねないから、呼べないのだ。分かっているのか?」
「ふふふっ。つまり、そういう空気になるかもしれない相手だと? 君も隅に置けないなー!」
「——っ! マーリン! おちょくりに来たのなら、帰ってもらうぞ!」
羞恥に仮面卿がワナワナと怒りに震え、拳を振り上げようとしている。
当の原因はまあまあと、どの口が言うのかなだめていた。
「じゃあおふざけはここまで。今日は君の聖剣の状態を見せてもらいに来たんだ」
そしてコインの裏表をひっくり返した様に、おふざけの雰囲気が霧散する。これは女王にも話していない。仮面卿の秘密だ。
「……分かった」
仮面卿がうなずき、魔術を行使する。背後の空間が水面の波紋のように歪み、その奥から光り輝く何かが現れる。隠されていたものが暴かれた。
それは聖剣だ。モルガンから仮面卿が賜ってきた量産型聖剣と同型で。しかし、少しだけ違う箇所があった。
鞘だ。量産型聖剣にはない、封印の様な鞘が現れた聖剣にはあった。
聖剣を受け取って、マーリンは眺めたり、魔力を流してみたり、その様子を確かめて、一つ頷いてから仮面卿に返却した。
「うん、やはりまだ覚醒する様子はないね。けれど内側にある魔力は段々と励起し始めている。いずれ来たる『大厄災』に反応しているのは間違いない」
「その、……本当に来るのか? 『カルデア』という、別の世界から来た人間たち。予言にある異邦の魔術師は」
「ああ、必ず来るよ。鏡の氏族の長エインセルの予言の歌のとおり、予言の子が現れ、巡礼の旅を始める。そして、その時が大厄災の現れる時、君の出番というわけさ」
マーリンが手に持っていた聖剣を仮面卿に差し出す。
聖剣を受け取る。重い。重さがでは無い。この聖剣を使って、自分がしなければならない、酷い未来を想像して、ずっと重たく感じる。
「……そのために『最果て』からこれを回収してきたんだ。この、返還されたはずの、本当の聖剣。
これでなければ救えないものがあるから。
これでなければ斬れないものがあるから。
「やらなければならないって分かっていても。いざ、時期がせまってくると覚悟も揺らいでいく。まったく、情けない」
「それは仕方がないことだよ。君の女王への忠誠、仲間たちへの親愛も本物だ。それを裏切るのだから、君の苦悩は知性ある生き物として、とても真っ当な悩みだ」
その運命を運んできた奴が面厚く言えたものだと、仮面卿は内心毒づく。
けれど未来を知り、その結果、何もかもを裏切ることを選んだのは自分自身なのだ。だから仮面卿自身も同罪。
「でも皮肉な話だ。女王から最も信頼されながら、その君がその円卓を崩すきっかけになってしまうとは。私が思うにその名前はある種、概念的に円卓を滅ぼすものなのかもしれないね」
——ねえ、妖精騎士「■■■■■■」
マーリンがその名前を呼ぶ。ため息と自虐的な笑み。仮面卿はその兜を外した。
聖剣と同じ、美しい金色の髪が柔らかく舞う。
これは救いのない話。愛を知り、それでなお裏切る話。
与えられた愛に、刃をもって報いた愚かな一人の妖精騎士の物語。