報われない愛のおはなし   作:加賀崎 美咲

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第2話

 覚えている一番古い記憶は灰が降る、滅びた街並み。

 

 どこにも命の気配がない街。命あるものはきっと他に何もない。

 

 私はそこで地に膝をついて、呆然と暗く曇った空を見上げていた。

 

 自分が誰なのか、思い出せない。

 

 何のために生まれてきたのか、分からない。

 

 確かにあったはずなのだ。

 

 明日を生きる希望。また明日も頑張ろうと、前を向かせてくれる理由が、私にはあったのだ。

 

 なのに、愚かにも私はそれを失った。

 

 名前は覚えてる。

 

 私は『■■■■■■』。けれどそれはただの音の連なりでしかなく、その名の意味を私は思い出せない。

 

 意味を思い出せないと妖精は名前を失う。

 

 名前を忘れた妖精は消えゆくだけ。役割を失った妖精は消えるだけ。

 

 さようなら名もわからない私。

 

 膝と肩に積もる灰の冷たさを感じながら、私が失われていく。

 

 翅が朽ちていく。

 

 手足が崩れていく。

 

 私という輪郭が失われていく。

 

 ああ。せめて、消えてしまう時は、こんな凍えてしまいそうな寒さじゃなくて、優しい温かさを感じて消えたかった。

 

 もう叶うことのない、ささやかな願いを抱いて、私は消えていく。

 

 ——はずだった。

 

 崩れていく私の体を、誰かが抱きとめてくれた。

 

 労る様な優しい手つき。

 

「……誰でしょうか?」

 

 よく見えない瞳を凝らす。ぼんやりとその姿が、輪郭ばかりが見えた。

 

 冷たい氷の様な瞳が私を見ている。

 

 私を見つけてくれていた。

 

「ああ、良かった! まだ、生きている妖精がいた……」

 

 氷のみたいな瞳から一粒、また一粒涙の雫が溢れては、ひび割れた私の肌を濡らす。

 

 それはとても暖かかった。きっと優しい人だ。

 

 私は確信する。

 

 誰かの為に涙を流して泣いてくれる、とても愛おしく優しい人。

 

 私はそんな人の役に立ちたい。きっとそれが私の使命。生まれてきた意味。

 

 思い出せないとしても、間違いないという確信があった。

 

 言うことを聞いてくれない腕に鞭打ち、ボロボロの手で触れることを申し訳なく思いながら、優しい人の涙を拭って差し上げる。

 

「泣かないで優しい人。どうか、私を使ってください。お掃除でも、靴磨きでも、なんでもします。だから、どうかお願いします。私をあなたのお役に立ててくださって」

 

 優しい人は始め、驚いて目を丸くする。

 

 そして本当に美しく、この島にあるどんな花よりも美しい笑みを浮かべた。

 

「分かりました。あなたに名を与えます。私にとって最も大切な名を。私を守り、この世界を守り、こんな悲しいことを起こさせない、そんな立派な騎士になってください」

 

 そして私に名が与えられた。

 

 私の新しい名は妖精騎士『■■■■■■』。

 

 優しいあの人を守る強い妖精騎士。

 

 最強じゃないかもしれない。

 

 立派じゃないかもしれない。

 

 大したことはできないかもしれない。

 

 それでも。あの日私の手を取ってくれた優しい瞳に、もう二度と涙を流させない。

 

 ずっとこの人が笑顔でいられるように、例えどれほど痛い思いをして、傷つくとしても、最後までやりきろう。

 

 与えられた輝く黄金に、誓いを立てた。

 

 それくらいだったら、私にだって出来るはずだ。

 

 これはずっと遠い、むかしのおはなし。

 

 まだブリテンという國が生まれるずっとむかし。

 

 仮面卿という妖精騎士が生まれた日のおはなし。

 

 

 

 ●

 

 

 

 シェフィールドの街を焼き払った戦闘から数日。仮面卿はノリッジの街にやって来ていた。

 

 泊まっている宿のベランダから街を一望する。

 

 もうすぐ「大厄災」が起きるというのに、街は平素通りの賑わいを見せている。

 

 仮面卿は呆れて何も言えない。

 

 マーリンは笑う。

 

「もうすぐ無くなってしまうと聞いていたけれど、随分とみんな明るく賑やかじゃないか。まるで厄災が起こることが、ただの誤報なんじゃないかって」

 

「スプリガンの所為だろう。みな、離れたくても、せっかく手に入れた土地を失うことを恐れている。彼らが滅した後で、持ち主のいなくなった土地をスプリガンがまた手に入れて再開発する、と考えれば本当に悪辣だ」

 

 先代のスプリガンを謀殺し、その地位を簒奪してみせたキャップレス、現スプリガン。

 

 その悪辣とさえ形容できる政治手腕は確かなもので、大厄災をだだのビジネスチャンスに変えてしまっていた。

 

 女王陛下がお認めだとしても、仮面卿は彼を好意的には見られない。ああいった手合いは、仮面卿の好みではなかった。むしろ、それほどまでに利益を追求して何になるのか、嫌悪よりもよく分からないというのが素直な感想だ。

 

 むしろ彼が気にしているのは部屋の奥、勝手にベッドを占領して寝転がる夢魔だった。

 

 白いフードで顔を隠したハーフの夢魔は誘惑する様な蠱惑的な笑みを作った。

 

「おや、私を熱心に見つめて。人肌が恋しいのかい仮面卿」

 

 戯けて見せるマーリンは、本来であれば発見次第女王に殺害ないしはそれに準ずる目に合うに違いないのだが、当の本人は重く受け止めた様子もない。

 

「ほざけ。堂々と白昼を歩いて、よく女王陛下の監視に見つからないな」

 

「幻惑の魔術は私の得意とする分野だからね。一人で歩き回る分なら、それなりに誤魔化しが効くのさ。むしろ君と外を歩いていときの方がよっぽど目立つって寸法さ」

 

「何故?」

 

「あの仮面卿が謎の美女を連れている。あの美人は一体何者なんだ! 愛人? それとも恋人? ……という訳さ。噂話が好きなのは人も妖精も変わらない」

 

「やめろ。普通に寒気がする。冗談でも、言っていい事と悪い事があると思わないのか」

 

 心底嫌そうな雰囲気を醸し出す仮面卿をマーリンは笑って流す。

 

 女王モルガンの命により、ノリッジで起こりうる大厄災の規模の調査、および女王の行う『対処』に、意図しない問題が発生した場合の保険として派遣された仮面卿。

 

 彼は女王には黙ったまま、共犯者であるマーリンを密かに連れてノリッジ入りをしていた。

 

 彼女をわざわざ見つかるかもしれない危険を冒してまで連れて来たのは、一重に予言の子と称される妖精が、真にその資格を持ち得るのかを見定める為。

 

「ほら、きっとあの子じゃないかな?」

 

 群衆の中、マーリンがその一角を指さした。

 

 少し田舎くさいきらいのある服装と身の丈を超える様な杖。記憶にある予言の歌にあった予言の子と容姿が一致していた。

 

 よくよく見てみると側には見慣れない魔術礼装を着た少年。

 

 あれは人間だ。仮面卿の本能がそれを見分けた。人間に■■する妖精である彼自身の本能のせいで、お話をしたい衝動が湧いて出て、それを理性で押さえつける。

 

 自分が■■するのは女王陛下ただ一人。心移りなんてみっともない。そう自分に言い聞かせて。

 

 好物を前にして我慢する子供のように強く唇を噛んだ。

 

「おや、その様子だと当たりの様だね。どうだい? 彼女は予言の子だと思うかい?」

 

「どうだか。単に人間を連れて歩いているだけの上級妖精かもしれない。何よりも我々が警戒すべきなのは、あれが予言の子なのかどうかよりも、あれが予言の子だとして、それが何をしでかすのか。その一点に尽きる」

 

「違いない」

 

 そして二人は予言の子一行を遠くから監視することにした。

 

 そして始まった大厄災。

 

 避難誘導するノリッジの兵士たちに紛れながら、時々モースを切り倒し、監視を継続する仮面卿。

 

 そして仮面卿は見た。

 

 大厄災に勇敢に立ち向かっていく彼らの姿を。突然乱入した、まるで妖精騎士の様な力を振るう盾の騎士が、あまりに強大な大厄災を受け止め、そして打ち払う様子を。

 

 仮面卿は確信する。あれらは本物の予言の子、そして異邦の魔術師とその仲間たち。女王の盤石の統治を破壊する存在だと。

 

 予言にあった通り、今こそが磐石たる女王の統治を崩す最後の機会なのだ。

 

 

 

 ●

 

 

 

 大厄災が収束してすぐ、仮面卿は疲労した彼らを背後から襲う真似は取らなかった。

 

 背後からの奇襲なぞ、女王の妖精騎士にあるまじき選択であったし、そもそも今回彼に下された命に予言の子の始末は含まれていない。

 

 彼は命令を忠実に守り、大厄災が払われたことを確認してキャメロットに帰還した。

 

 女王へ謁見しに参った女王の間。つつがなく報告は終わり、ノリッジを救った褒美に、予言の子一行をこのキャメロットに招くことを女王は定めた。

 

「みなの者。仮面卿と2人で話がしたい。よって全ての文官、書記官はここより退出することを命ずる」

 

 全ての議題が出揃ったという頃、突然女王はそう伝えた。妖精たちは何事だという顔を作りながらも、女王の命令に逆らうはずもなく部屋から姿を消していった。

 

 広い女王の間。たった二人は静かに見つめ合う。仮面卿は何故飛び止められ、公然と密談の場に置かれたのか心当たりが無い。

 

 何故と問いかけようにも、相対する女王は氷の眼で彼を見つめるだけ。無言こそが最も強力な責め立てだった。

 

 先に口を開いたのは女王。

 

「仮面卿。必要ないと分かっていることだが、一つ問わねばならないことがある」

 

「何なりとお聞きください」

 

「そなた、私に何か隠し事をしてはいないか?」

 

「——っ!」

 

 心臓が大きく脈打つ。

 

 マーリンのこと。エクスカリバーのこと。そして自分の抱いている逆心。

 

 どれか一つでも、知られてしまえば不忠の徒として処分は免れない。

 

「どうした? 黙っていては、何も分からぬぞ。どうなのだ仮面卿」

 

 どうしたものかと、仮面卿は答えるべき言葉を見つけられない。

 

 だから白を切ることにした。

 

「まさか。そんなこと、あるはずもありません。私があなたに隠し事なんて」

 

「そうか、やはり妖精たちのくだらぬ戯言だったのか」

 

 女王が心から安心したと笑みをこぼす。久しく見ていなかった表情に、仮面卿も胸の奥が暖かくなるのを感じたい。

 

 そして女王はまた笑った。笑みの色が変わる。

 

「ああ、良かった。本当に。なら、()()はお前とは何の関係もないのだな」

 

 仮面卿と女王の中間地点に何かが落下してくる。湿った肉が床に叩きつけられる様な音。真っ赤な血が一度大きく跳ねて、そして広がっていく。

 

 それは人のカタチをしていた。美しい白い髪。純白の衣装。それらはズタズタに傷つけられ、手にしていたはずの杖は薪にもならないくらいに細切れにされていた。

 

 白いフードが覆い被さり顔は分からない。

 

 次の瞬間。与えられた聖剣を抜いた仮面卿は、床に転がるマーリンを飛び越えて女王に斬りかかる。

 

 瞬きすらも許さない一瞬のこと。

 

 振るった刃は、あらかじめ張られていた魔力障壁によって防がれる。

 

「本当に、私を裏切ったのか? お前が?」

 

 信じられないというように、女王は狼狽している。まだ勘違いかもしれない。斬りかかられる今ですら、女王はどこかでそんな期待をしている。

 

 けれど、一度、また一度と振りかぶる聖剣がそれを否定する。お前は敵だと叫んでいる。

 

 女王の命の危機を感じ取り、防御術式が自動展開し、迫る魔力の槍を斬り払いながら後ろに下がる仮面卿は転がっている友人を拾う。

 

 触れてみれば、まだ僅かに暖かい。脈も途切れていない。手当てをすればまだ助かる見込みがあると、経験則から分かった。

 

 ならばやるべきことは一つ、逃げることだ。

 

 しかしそれは容易なことではない。城そのものが複雑な構造をしているうえ、あちらこちらに衛兵の詰所がある。

 

 どうやっても時間を食われ、追い詰めれる。

 

 正攻法では逃げきれない。

 

 だから仮面卿だからできるやり方を選んだ。

 

 よりにもよって、女王から与えられたやり方を。

 

「宝具解放、偽装展開。これは我が女王にかかる暗雲を穿つための極光! 『偽典・黄金聖剣』!」

 

 なんと皮肉な口上か。女王を守るべき聖剣が、女王を害するために振われる。

 

 ありったけの魔力を聖剣へと流し込む。

 

 聖剣が魔力を加速させ、魔力を光と熱量へと変える。それと同時に、変換しきれない魔力は赤雷と化し、破壊を伴って周囲へ撒き散らされる。

 

 光と赤雷による二重属性の破壊。

 

 城の床が破壊され、地上階までの吹き抜けと化す。

 

 舞い上がる土煙に紛れ仮面卿は走る。女王の間を駆け抜け、転がるマーリンを拾い上げ今さっき作り出した脱出口から逃走を図る。

 

 地上階への一方通行に足をかけようとする中で、モルガンが玉座から立ち上がり、仮面卿を引き留めた。

 

「待て! 行くな!」

 

 必死に駆け寄るモルガン。武装であるはずの大杖を投げ捨て、無防備な姿を晒して。

 

 それほどまでに、女王は必死だった。それほどまでに大切だった。

 

 大穴の淵に手をかけたままの仮面卿。逃げなくてはいけないと分かっていても、無体にはできなかった。

 

 仮面卿が声に静止して、逃げず留まったことに女王は希望を見いだす。縋りつきたくなるような都合の良い展開を望んだ。

 

「今ならお前の不忠を、一時の気の迷いとして許そう。私に隠し事をしたことも許す。その夢魔の手当てだってする。私の永遠の統治には、お前が必要なのだ。お前がいてくれなければ……」

 

 救い上げるように手を差し出すモルガン。果たして、本当に救われようとしているのは、どちらなのか。

 

 けれど仮面卿はその手を取らなかった。取ることが出来なかった、

 

 俯き、なんと伝えるべきか思い悩む。

 

 けれど、しかし、やはり。言うべきことは決まっている。

 

「申し訳ありません陛下。私はあなたの手を取れない。あなたは分かってくれない。()()()()()()()()()()()()()()()、きっと分かってくれはしない」

 

 ——あなたはきっと私の心を分かってくれはしない。

 

 そして仮面卿が手を離した。すぐそばにいたはずの二人は離れゆく。

 

 地上階にまで落ちていった仮面卿とマーリンはそのまま逃走していく。

 

 残されたのは、空を切る手だけ。何も掴めなかった自身の手を見つめるモルガン。

 

「何故だ。仮面卿……。何故分かってくれない。私はこんなにもお前を必要としているのに。お前は違ってしまったのか?」

 

 そこに冷酷な女王はいなかった。寄り添っていた大切な、運命を共にしていた相手を失った哀れな女一人。

 

 何故と問いかけ、答えを求めど、答える者は誰もいなかった。

 

 静けさに包まれた女王の間で、女王はひとりぼっちだった。

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