Bazett in ClockTower (時計塔のバゼット) 作:kanpan
第1話
ロンドンのある高層ビルの屋上から一人の少女が夜景を眺めていた。屋上、といってもこのビルに展望台のようなものはない。彼女は関係者以外立ち入り禁止のビルのてっぺんで、フェンスも乗り越え、コンクリートの縁に腰掛けて夜の街を物憂げに見つめている。
彼女の名はバゼット。まだ少女であるがルーン魔術を使いこなす魔術師である。
故郷アイルランドの寒村から今日ロンドンにたどり着いたばかりのバゼットは、とりあえず街全体を見渡そうと適当な高層ビルを見つけて屋上に勝手に登り、遠見のルーンでロンドンの夜を見渡していた。
目の前には延々と広がるかに見える摩天楼の光。彼女が後にしてきた小さな漁村の夜景とは大違いだ。夜になれば地上の明かりは消え失せて真っ暗になり、夜空にだけ星の輝きが灯る故郷の景色を思い出す。それに比べてこのロンドンでは地上に夜は訪れず、むしろこの自分の周りだけが暗闇なのかとすら感じる。
カツカツカツ、と背後で足音が響いた。階段を登ってくる者がいる。がちゃり、と屋上の入り口のドアが開く。
「誰だ、そこにいるのは!何処から入ってきた!」
眩しいサーチライトと誰何の声が、屋上の暗闇と静寂を壊し、彼女の思考も中断した。
やってきたのはおそらくこのビルの警備員だ。高層ビルの屋上に一般人が易々入れるはずもない。むろんバゼットは屋上の鍵を壊して不法侵入している。
当然、捕まると面倒だ。———面倒なので飛び降りる。
「なにをするんだ君!動くな、止まりなさい!」
背後から飛ぶ警備員の声を無視して、バゼットはビルの縁に立ち上がり、目の前に軽く跳躍して夜空に身を躍らせた。
着地はルーン魔術で制御する。地面に付くまでの時間は魔術の発動に充分足りる。手早く魔術を発動させて着地の体勢を整える。
だが、真下を見下ろしたバゼットは息を飲んだ。あろうことか、たった今ビルの入り口から出てくる人間がいる。避けなければぶつかる!
「
衝突寸前に移動のルーンを発動を間に合わせた。ルーンの力に寄り落下の方向を変化させ、衝突を免れる事ができたものの体勢を戻すことまではできない。そのまま、まともな受け身を取れず激しく地面に叩き付けられた。
その日、魔術師ウェイバー・ベルベットは所用で街に出かけ、用を済ませてそのビルから出た所だった。
頭上からただならぬ気配を察知し、ふと見上げると何かが降ってくるではないか!
「う、うわあああああ!」
慌てて頭を覆いかがみ込んだ彼の真横に、どざざざっと大袈裟な音をたてて、その何かは落ちてきた。ウェイバーはそっと顔をあげて落下物を観察する。それはどうやら人間———女の子だった。
空から女の子が降ってくるなんてまるで日本のアニメみたいじゃないか。しかし、そんな夢のような出来事であろうとも命中したらこっちが死んでしまう。
「———う……。」
急な出来事に混乱しながらそんなことを考えていたら、降ってきた少女が微かに身じろぎした。おや、生きているようだ。ウェイバーは立ちあがりそっと彼女に近寄った。
「君…大丈夫?」
頭上から声をかけられてバゼットは目を開けた。一瞬気が遠くなっていたのかもしれない。着地時にかろうじて頭は守ったが、他の箇所は盛大に打撲した。多少骨折もしている気配がある。
ロンドンという街はこんな夜中まで人が出歩いているとは。
故郷の村ではこの時間になれば家々は寝静まり、外に人気はほとんどないのに。
まだぼんやりする頭を一振りして意識を回復させ、声をかけてきた相手に向き合う。相手は細身の青年だった。私が迷惑をかけたのはおそらく彼のようだ。
「すみません…。お怪我は…ないですか?」
バゼットが尋ねると、とまどいながら青年は答えた。
「い、いやいや。僕は大丈夫何だけど…心配なのは君の方だよ。なにしろ18階建てのビルから降ってきたんだよ…。頭を打っているんじゃないか?救急車を呼ぼう」
「ま、待って。それは困ります!」
バゼットは携帯電話を取り出した青年の手をとっさに止めた。それはまずい。魔術を行使した以上、堂々と公的機関のお世話になるわけにはいかない。青年の顔を見ると彼もびっくりした表情を浮かべていた。
「これは———。その…、君の手に残っているのは魔力の
つまり———この少女は一般人ではない、とこの青年は気づいたのだ。
「君は魔術師なの?」
「……。」
「実は僕も魔術師なんだ。僕はウェイバー。時計塔で講師の見習いをしている」
「……あなたは時計塔の方なのですか」
時計塔、それはロンドンに在る魔術協会の総本部である。
そして、そここそがバゼットのロンドンでの目的地だった。彼女は魔術協会に所属するためアイルランドからロンドンにやってきた。
ここで起こしてしまった騒ぎはまずかったが、関わった相手が時計塔の人間だったのはラッキーだった、とバゼットは思った。
空から人が降ってきたとあって、周りには野次馬が集まってきている。何はともあれ、この場からは早く離れたほうがよさそうだとウェイバーは判断した。ウェイバーが呼ばなくてもまもなく誰かが呼んだ救急車がここに到着してしまうだろう。そうなったら面倒なことになる。魔術をみだりに一般人の目に触れさせるのは避けなくてはならない。
あまり考える時間はない。空から降ってきた少女は怪我で身動きがとれないだろうし、彼女を背負ってとりあえず自宅に連れ帰ることにした。少女にそう提案すると、彼女は一瞬考え込んだものの結局同意してくれた。
ウェイバーは野次馬達に催眠術をかけてその場の記憶を曖昧にし、少女を背負って自宅にたどり着いた。彼女をソファにおろし、自分も向かいに腰掛けて一息つく。
ふと顔をあげて少女を見ると、彼女は傷ついた腕を動かし自分の体になにかの模様を描こうとしていた。
「無理に動こうとしないでしばらくじっといていたほうが…」
とウェイバーが言いかける間に少女は魔術を発動させていた。腕にあった痛々しい打撲と擦り傷のあとが消える。治癒魔術だ。
ウェイバーが見守る中、少女は次々に自分の体の傷跡に治癒魔術を発動させていった。
一通り自分を治癒し終わると「ふう」と軽くため息をついて体を起こしウェイバーの方に向き直る。
「いやあ…お見事」
ウェイバーはおもわずパチパチパチと拍手していた。
「それはルーン魔術かな?珍しいね。本格的なルーン魔術の使い手は初めて見たよ」
「これがルーンとわかるとは貴方は物知りですね。現代では占いの道具としか思われていないのに」
ウェイバーの賞賛に少女はまんざらでもなさそうな表情を浮かべながら軽く答えてから、少し真面目な口調に戻った。
「改めて、今日はどうもありがとう。私はバゼット。魔術協会に所属する為にアイルランドから来たばかりです」
魔術協会の総本部「時計塔」には己の能力を高め、世に問い、名声を得ようとする魔術師が集まってくる。ウェイバーも故郷を出て時計塔の門を叩いた。ウェイバーは両親の死後、財産を処分して学費を捻出して時計塔の魔術学園に入学したのだ。バゼットもおそらくそういう若い魔術師の一人なのだろう、とウェイバーはバゼットに少し親近感を感じた。
「今日は時計塔の後見人を訪ねるはずだったのですが、つい寄り道をしてしまいまして」
寄り道でビルの屋上に登るのは普通は奇妙な行動なのだが、魔術師であればそう変でもない。地形に宿る霊脈をざっと判断するために高みから街を見下ろすのは新しい土地を訪れた魔術ならよくやる事だ。
ただし、立ち入り禁止の屋上に不法侵入してバレたから飛び降りるというのはこの大都会ではずいぶん雑というか大胆な行動である。
ウェイバーがそう思ったのが表情にでていたのか、バゼットはやや気まずそうに身を小さくした。
バゼットは見た目、十代後半くらいだ。故郷の学校を卒業した後に時計塔にやってきたのだろうか。
「バゼットはいくつなの?時計塔の学園に入学しにきたのかな?」
「15歳です。」
……意外に若い、とウェイバーは少し驚く。17歳くらいに見えたのだが。今日の大胆な行動は若さ故の
「学園に入る予定はありません。私は生家の魔術を継承し既に一人前なのです」
自信を持った口調でバゼットは言い切った。
その後、明日は時計塔の後見人を訪ねるというバゼットにウェイバーは時計塔の建物の作りや事務手続きなどを教えた。
時計塔は大英博物館の地下に隠されている施設であり、一般人の目に触れないように様々な仕掛けが施されている。魔術師でも慣れていない者が時計塔構内を歩けば迷うだろう。
それなりに話し込んで時間が遅くなってしまったので今日はウチに泊ってもいいよ、僕も時計塔の人間だから妙な事はしないし、とバゼットに伝えてウェイバーは一旦雑用を片付ける為にその場を離れ、自分の個室に向かった。
「…えっ、と」
小一時間して戻ってくるとバゼットはソファの上ですやすやと寝こけていた。ウェイバーは一瞬あっけにとられてしまった。自分で薦めておいてなんだが、その度胸はさすがビルから降ってくるだけの事はある。
バゼットの規則正しい寝息とともに彼女の胸が上下しているのがウェイバーの目に入る。うん、こっちも歳の割には大人びているな……。
おっと、とウェイバーは我に返りぶんぶんと頭を降って妄想を振り払う。彼女はまだ15歳なのだ、いかん。
寝室から毛布を撮ってくるとバゼットに被せ、妄想の元を視界から隠した。
それに、ビルから降ってきた時の彼女の手から感じた魔力の痕跡、部屋で見せた鮮やかな治癒魔術。それは彼女の年齢には似つかわしくない高度な腕前だった。ウェイバー
はとてもそのレベルに達していない。それどころかベテランの魔術師でもこうはいくまい。
このバゼットという少女は何者なのだろうか?
さきほど彼女は生家を継いだと言った。その時は詳しく聞かなかったが、かなりの名門の出なのかもしれない。明日、時計塔でそれとなく彼女のことを探ってみよう。