「私はあなたに会うことも、手をとってお話することも叶わないでしょう。ただ、選んだ道が何にも邪魔をされないより良いものであるよう、見守っております。あなたに太陽と星の祝福を」
とある人気のない森の中で・前
王都ランドソルには、ギルドに所属する人たちのための住居が提供される。数に限りがあるものの、国民全員へのギルド参画を呼びかけている国ならではの施策とも言えるものだ。駆け出しの冒険者でも希望すれば提供が可能で、そこを活動拠点として冒険を行うことができるのだ。
ランドソル城下町でギルドハウスが建ち並ぶ住宅地のある一軒の家へと、一人の獣人が走り込みながら慌てた様子で近づく。そして、何の躊躇いもなくその扉を開けて放った。
「ユイちゃんユイちゃん! ……あっレイさん! ユイちゃんいる??」
トゥインクルウィッシュのギルドハウスの扉を大きな音を立てて開けたのは、ギルドメンバーの一人である獣人族のヒヨリだった。額には大粒の汗を滲ませ、口で何度も呼吸を繰り返している。
「どうしたんだ、ヒヨリ。ユイなら、奥の部屋で、ギルド協会に提出する書類作成を手伝ってもらっているところだよ。それよりも、一度深呼吸をして落ち着こう」
そわそわしながらギルドハウス内をキョロキョロとせわしなく動く彼女を見て、魔族のレイは椅子から立ち上がり、彼女の肩に手を置き彼女の視線に合わせて落ち着かせる。
「すぅー……。はぁー……。それでね! えっと、急いで回復魔法を使って欲しい人がいるんだけど……」
「回復魔法……? その人は怪我でもしているのかい?」
「うーん……怪我というよりも……? とにかく、ユイちゃんに直接見てもらったほうが早いと思うの!」
確かにもう一人のギルドメンバーである、人族のユイは、特に回復などの支援魔法や精霊魔法に長けた魔術師だ。ただ、怪我をしていない人物にそれほど焦る理由がレイには見つからなかった。
ギルドマスターであるヒヨリは、困っている人を見かけたら必ず手を差し伸べる優しい娘だ。それゆえに、ギルドへ依頼がひっきりなしに届くことが玉に瑕であるが、そのことをギルドメンバーは目を瞑っている。そんなヒヨリが、いつも以上に切羽詰まるほど取り乱す光景は見た事がなかった。
「そのね、うんとね……。騎士くんが……おじいさんみたいになっちゃったの!」
ベッドに寝そべる文字通り変わり果てた姿になっているユウキを囲うように、トゥインクルウィッシュのメンバーとコッコロは彼の姿を見ていた。
「ねぇユイちゃん、その呪詛って何?」
「そっか、ヒヨリちゃんは初めて聞く言葉だったかな? 呪詛っていうのは、呪術士がある対象者に対して放った呪いの痕跡を指すものなの。呪詛を取り除く事ができれば、呪いを解く事ができるのだけど……」
ユウキの横で、光の精の力を借りて呪いを解くユイは、その手をユウキの胸に押し当てるものの、見えない
「……!」
「ユイちゃん!?」
「……大丈夫。それよりも、騎士クンの呪いの力に反発されて呪詛が取り除けないなんて……。コッコロちゃん、騎士クンの呪いって本当に魔物がやったの?」
「はい……主さまは先程お話しした通り、魔物によるものでございます。ご覧のように強力な呪詛が主さまの全身に植え付けられており、わたくしの精霊の力を持っても、払うことができませんでした……」
ユウキとコッコロは高価な野草の採取をしていたところで、魔物に襲われ、命からがら逃げてきたという。採取クエストを行っている時に、魔物に遭遇してしまうという事は時折起きることがある。自身の器量を未測れない初心者の冒険者でよく聞く話だ。
ただそれは彼らには当てはまらないパターンであり、冒険に慣れているコッコロの判断に誤りが起きたとは考えにくい。それはつまり、イレギュラーがない限り起こり得ない出来事であった。
「最近は、凶暴化した魔物に関連する依頼もギルドに張り出されているね。ただ、彼やコッコロさんが向かったという森は凶暴化する魔物が出る話は聞いた事がないし、このような強力な呪詛を与える魔物が生息する森ではない。あそこは好戦的な魔物はいない場所だ」
壁に寄りかかりながら、レイはギルドから配布される洋紙を手に見比べる。ギルド管理協会によって作成されている魔物の分布図を、穴が開くほど見返してもユウキたちが行った森は彼らが追い払うことができる魔物ばかりが生息しているのだ。
「そうだよねぇ……。そうだ、騎士くんって見た目が変わっちゃったこと以外には何か悪い場所はないの?」
「……うん。すこし足と手に力が入らないけど、だいじょうぶ」
ヒヨリが興味本位に見つめる中、ユウキは少しだけ起き上がり、笑顔で力こぶを作るポーズを取る。彼の笑顔はいつも見ていたものと何ら変わらなかった。
「あぁ、騎士クン! 急に動いちゃダメだよ!」
「そうですよ主さま。異常が見受けられないとはいえ、無理をしてはいけません」
ユイとコッコロは慌ててユウキに大人しくベッドに寝かし付けている様子を見ながら、レイは洋紙を丸めて机の上に並べる。
「ユイ。彼の呪詛を取り除く方法は他にあるのかい? 見たところ、すぐに死に至らせるようなものではなさそうだが、このまま放置してはいけないだろう」
「そうだよね。もしかしたら騎士くんの、体調が変わっちゃうかもしれないわけだし……」
「うん……。それなんだけど……」
ユイは少しだけ口をキュッと結び、言葉を詰まらせつつも、その場にいる人たちへ解決方法を話始めた。ユウキに呪詛を植え付けた呪術士__骨の魔物に解いてもらう以外には方法がないと。
そもそも、呪詛を植え付けるような相手に簡単に取り除いてもらうように依頼をするのは、天地がひっくり返っても出来ない事だ。魔物としては、テリトリーにズカズカと入ってきた人間に対して追い払うために呪詛を植え付けた可能性がある。呪いを解いてもらえない。そうなると答えは一つ。
その魔物を討伐する他ないのだ。
***
ユウキとコッコロが向かった森というのは、最近まで高価な野草が取れる場所だと言われてこなかった所だ。元々、遠方の国から王都ランドソルへと向かう旅人や商人たちが、王都への道の目印としての役割だけを担ってきたような森であった。
確かに、高価な野草がある場所だと言われていたが、生息数としてはさほど多くなく、そして見つかりづらい。むしろ、件の野草が育ちやすいというフローラ湖畔近くの森での採取が推奨されていたため、冒険者たちが頻繁に立ち入る所ではなかった。
ただ、ここ最近になってフローラ湖畔近くの森での採取制限がされるようになっていた。原因は無法者たちによる乱獲。
生息場所付近では、強い魔物が彷徨いていることも相まって、金銭的価値が高い野草であるが非合法な魔法道具により、野草の乱獲がされていることが問題視されていた。
そのため、ギルド管理協会では野草の乱獲防止及び資源枯渇を防ぐために、フローラ湖畔近くの森への出入り口を整備し、入るためには許可証を用意するようにした。そのような経緯があり、ランドソルからさほど遠くなく、皆から見放されていた王都の道の目印として担ってきた森に注目が集まり始めたのだ。ただ、その場所ではとある噂が流れ始めるようになった。
『あそこの森では街道以外を歩いてはいけない』
王都へ行くための目印となっている森には、整備された街道が存在する。馬車がすれ違っても大丈夫なほど広く、踏み固められた土の道を道なりに進んでいけば魔物と遭遇しない。
ただ、その道とは別に、魔物によって作られた獣道というのも存在する。獣道は街道を進んでいけば道の脇にあちこちで見られ、その道の先は太陽の光をも通さない深い森の奥へと示している。その深い森の中では、方角を知る事ができる新品の魔法道具でさえ使い物にならなくなってしまうために土地勘のない人が踏み込めば、簡単に後戻りすることは出来ないのだ。
そして野草が生息している場所は、森の奥深く。右も左も分からない冒険者が、野草を手に戻ってくる事は出来ないのだ。
それに加えて、もう一つ街道以外を歩いてはいけないと言われる所以がある。その森には、目をつけられてはいけないという魔物が生息しているという噂があるのだ。
そもそも、王都への目印となる森では、既に魔物の生息調査というものは何年も前に、それも定期的に行われている。
人の行き来する場所であるということもあり、街道付近に現れる魔物はほとんどおらず、せいぜい道を横切ろうとする害のない魔物だけ。もちろん、森の中へと入っていけばそれなりの種類の魔物が生息している。ただ、強さとしては初心者の冒険者にとってみれば苦労する程度であり、中級以上の冒険者にとっては手応えのない魔物ばかりだ。
場所によっては魔獣や怪鳥と呼ばれるような
では何故、目をつけられてはいけない魔物がいるという噂が流れているのか。それは誰にも分かっていない。一体どこの誰が言い始めたのか分からないまま、その話から伝わる恐怖だけが冒険者の間で伝達していき広まっていた。その噂というのは、ただ遭ってはいけない強力な魔物がいる。目をつけられたら最後生き残る事は出来ないなどというもの。実に抽象的で具体性に欠けている話である。一体どのような風貌をしている魔物で、どのような攻撃をするのかなんていう情報は入ってこないのだ。
そのような噂を聞き、下らないと一蹴する冒険者がいたのは事実だった。場所は一度聞いたことがあるものの、目に留めていないためにそんな場所もあったなと頭の片隅からようやく引っ張り出して思い出す程度の森。そんな場所に強い魔物がいるとなれば、自身の力を試してみたいと思ってしまうのが冒険者の
冒険者の間で恐怖の対象となっていた魔物を倒したとなれば、冒険者としての名声は鰻登りに上がり、優先的に良いクエストを融通してくれるのは確実。職業病と人間の欲求が相まって、噂の魔物を討伐しようと何組かの冒険者が戦いに挑むために太陽の照らさぬ深森へと足を踏み入れたという。
ただ無謀にも果敢に挑んだ冒険者たちが、行きつけの宿へと入って戻ってくることはなかった。魔物討伐をするという宣言を聞いていた宿の主人や同席していた冒険者が、噂が本当だったという話を広めていっていた。
ランドソル王家の君主は、そのような噂を聞きつけてすぐさま王家直属ギルド
国策を滅多に行わないような陛下にしては珍しく、貴族院からも驚きの声が出たという。実際、噂の実態は把握されておらず、被害者が増えているとなれば、問題として取り上げられるのは当然であった。王宮騎士団団長の命の元、調査班が編成されて、噂の元となっている森へと派遣を決めたのだった。
昼間とは思えないほど暗い深森。
じめっとして植物が腐ったような空気を肺いっぱいに吸い込みながら、脇目もふらずに木々の根や岩を飛び越えて何かから逃げる人たちがいた。
「なんで、こうなるんだよぉ!!!」
若い男たち四人のうちの一人が、喉が張り裂けるほどの大声で叫び、日の光を通さぬ森の中にこだまする。
皆一同に冒険者が良く身につける動きやすい服装で、一振りの剣を身につけていた。彼らは、森で噂になっている魔物の調査のために派遣された王宮騎士団の団員である。彼らの役割はただ一つ。森に生息するという魔物の囮だ。
『ほぉら、目標地点まであと少しだ、がんばれがんばれ♪ 急がないと、お前たちも魔物の餌食になるぞ?』
彼らの身につける魔法道具から、艶気を含んだ低い女性の声が聞こえてくる。一緒に茶をしているような呑気で、気の抜けた雰囲気が団員には伝わっていた。
ただ彼らは誰一人として、調査班の班長として任命された王宮騎士団副団長、クリスティーナ・モーガンを責めるような言葉は口にしなかった。彼らの後ろから迫ってくるボロボロの甲冑を着た骨の魔物の事で精一杯だという事もあるが、副団長に対して不満がないと言えば嘘になる。
囮となっている団員たちは、副団長が直々にスカウトした調査班のメンバーである。戦闘及び身体能力に問題がなく、何人もの冒険者を葬ってきた魔物を相手にしても良いような団員ばかりだ。
決して、休憩中の猥談にたまたま副団長の話題で盛り上がり、その話の最中に当の本人が偶然通りかかってしまい、副団長の剣の錆になっても仕方ない人たちであったから召集した訳ではないのだ。
***
クリスティーナは地面で大の字にへたばる団員たちへ拍手を送る。誰もが、頭上に広がる生い茂る木々の葉を眺めており、彼女の抜群のスタイルを見せつける改造された黒いドレスには目にも留まっていない。
そんな彼らを見る見目麗しい彼女は、意地の悪い微笑みを口元に浮かべていた。
「ご苦労! 素晴らしい走りだったな。木の上から見ていて、お前たちの愉快な悲鳴で少しは楽しめたぞ☆ ただもう少し、見ているこっちがハラハラさせられる展開にならなかったのが残念だ」
彼女の後ろでは、魔法によって生成された大岩で出来た小さな山が形成されていた。
臨時で雇われた魔術師が開けて擬態させた大穴へと、魔物を誘導し、罠を張り巡らせた穴へ落ちた魔物を上から大岩で圧死させる。出来る限りの損害をなくすために、と団長が考案した作戦である。
自分自身では戦わずに済む作戦であるためクリスティーナは反対を表明したものの、すぐに却下された。王家直属のギルドとはいえ最近では予算削減に加え、貴族院議員お抱えの私兵への引き抜きにより、ギルド全体での力が低下している。最近では、反国家勢力撲滅として秘密結社ラビリンスという集団や、反体制派の高位魔法を扱う魔術師の討伐への出兵で受けた傷が癒えきっていない。王国の治安維持も行わなければならず、団員への被害を最小限に抑えるのは王宮騎士団の現状を鑑みれば当然であった。
「副団長。目標の魔物に動きがなく、討伐を確認しました。探知魔法の生命感知にも反応なしです。如何なさいますか?」
雇った魔術師たちの指揮を取っていた王宮騎士団の正装である、甲冑姿の団員がクリスティーナへと近づく。
「そうだな……。ひとまずもう使い物にならない魔術師どもを下がらせて、もう一度周辺の探索を行ってもらおうか。場合によっては、もう一体別の魔物がいるかもしれない」
「はっ。……ただ副団長。探索をするのは私だけで?」
「何を言っている貴様、その地面に座り込んでいる根性なしどもを連れていけば良いだろう? 元々そのような役割だからな」
「……この人鬼だ」
団員は小声で呟き、地面と一体化しようとしている仲間たちに水筒を投げつけて、指示を出していく。そんな様子を見ながら、クリスティーナは先程できた岩の山へと視線を移した。
ずいぶんとつまらない作戦だ。
彼女は、団長発案の作戦には否定的ではあったものの微かな希望を抱いていた。
暇つぶしになるから、という理由で彼女は今回の作戦への参加を決めた。何人もの冒険者たちの消息を絶たせたという魔物の討伐。ここ最近の、刺激の少ない生活に飽き飽きしていた彼女によって絶好の機会だった。もしかしたら、用意した罠に引っかからない頭を使う魔物かもしれない。もしかしたら、生と死の狭間を何度も行き来するような手強い魔物かもしれない。そんな光景を彼女は待ち望んでいた。
ただ現実は違った。目の前に現れたのは、罠で死ぬようなおつむの足りない魔物。ボロボロの鎧に骨だけの体に、錆びた剣とボロい盾。こんな大したこともない奴の、餌食になった冒険者の実力を疑ってしまうほどだ。
愛用の大剣を担ぎ直し、クリスティーナは陽の当たらぬ深森を大きく見渡す。
高価な野草が手に入るという話が流れるまでは、誰も足を踏み入れようとしなかった森。そんな辺鄙な森でも、王宮騎士団は通年の行事として魔物の分布調査を行っている。定型業務の形骸化により、より詳しく調査が行われていなかったという見方も考えられるが、誘き出した魔物は目立つ大きさである。成人男性の一回りも大きく、朽ち果てた鎧の中で響くカラカラとした音を聞けば、森の中に立ち入った誰でも気づくはずなのだ。
ただ、それは冒険者が襲われるまでは一切耳にしなかった。それも、野草採取の規制が入るまで。
魔物と野草、何か関係があるのでは。そんな考えを彼女は持っていたものの、確信は得ていない。まだまだ判断材料が少ないのだ。
囮に使っていた団員たちが立ち上がったところで、クリスティーナは魔術師が戻った馬車へと向かう。雇った彼らはギルド管理協会で探せばすぐに見つかるようなごくありふれた普通の魔術師だ。一応、残存魔力を確認するものの先程行ったような魔法の使い方では、ほとんど残されていないと考えるのが普通だ。万が一、森にうろつく魔物がもう一体いた場合には、同様の策を行うことはできない。そうなってくると待ちに待った彼女自身の出番となる。戦いに邪魔な部下と魔術師たちを下がらせて、魔物とともに狂乱の宴を始めるができるのだ。
「なんか揺れてね?」
クリスティーナの背後で団員の一人がそんなことをポツリと呟いた。
息を整えたものの、激しい走り込みを終えたばかり。体がふらつくのは当たり前である。他の皆も気のせいだ、と彼の言葉を聞き流していた。ただ、彼女は地面の異変に気づいていた。
「お前ら! そこからすぐに……」
彼女が団員たちへ叱咤する前に、地面が大きく揺れ動く。
葉が擦れ合い、静寂に包まれていた森の中で歓声となり、大地が森にやってきた侵入者への怒りを示すように辺りがざわついた。
程なくして、団員たちのいた地面が大きく起伏し、地面から大きい何かが飛び出してきた。
足元をすくわれその場に転がる団員たちが目にしたのは、地面から生える先の尖った鋭利な岩の群れと黒い霧だった。岩によって開けられた穴からもくもくと黒い霧が湧き水のように地面へと出ており、彼らのいる場所まで広がっていた。
手足に痺れを感じつつも、その場から逃れようとする彼らの耳に、ある音が聞こえてきた。
金属の中で何かが当たる音。硬いものがぶつかって聞こえる音だ。その音は段々と大きくなり、黒い霧が出てくる場所から這い上がってきた。
全身を覆う錆びた甲冑姿。手足の一部には、穴も空いておりその穴からは白い骨が動いて見える。鋭利な棘のついた剣が黒い霧の中で鈍く光り、団員たちの視線を奪う。
骨の魔物の口からは黒い霧が溢れ出ており、自身の足元へと広がる。甲冑の隙間から見える、まばゆい二つの赤い光はじっと小癪な真似をした獲物を捉えていた。
こちらはトゥインクル・ウィッシュルートです。
本当です。