魔人さんと無欲少女   作:ほやしろ

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#1 無欲少女の日常

 将来のために授業を受け、将来のためにバイトをする。

 2年目の高校生活も半分以上が過ぎ、来年もそういうルーティンで高校を終えるものだと、青柳咲(あおやぎさき)は思っていた。

 

 

 HR終了後の放課後。

 スマホで明日の時間割を確認しながら、咲は鞄と机の教科書を整理していた。

 

「咲帰ろー!」

 

 彼女の友人である美由(みゆ)が明朗快活な様子でやって来る。

 咲は肩をすくめてそちらに顔を向けた。

 

「ごめん。今日もバイト入ってるから一緒に帰れないよ、って、朝言わなかったっけ?」

「えー‼︎」

 

 きいてない! と小さな子供が駄々をこねるように、美由は自分の鞄をぽこぽこ叩いて続ける。

 

「咲毎日バイトいってない⁉︎ 過労でたおれちゃうよ⁉︎」

「今週はたまたまね。普段はちゃんと休んでるし問題ないよ」

「ううーん……たしかに咲が風邪引いたり学校休んだとか聞いたことないけどさ」

 

 天井に頭ごと視線を向けて考える仕草をする美由に、咲は「でしょ?」と返す。美由は咲に向き直ったかと思うと急に真面目な顔をした。

 

「な、何?」

「学生の本分は! 遊びだよ!」

「いや勉強だよ」

 

 すかさず咲がつっこむと「あと恋愛も!」と美由は加える。

 

「恋愛……いやそれも本分とは違うからね」

 

 一瞬だけ眉をひそめたあと呆れたように返した咲に対し、美由はふふんと得意げな様子を見せた。

 

「私は知っている……先週B組男子に告られたことを! そしてフッたことを!」

「!」

 

 美由はそういう色恋に関してはやたら情報が早い。

 その現場を知られていたのかと思うと、咲は少し気恥ずかしくなった。

 

「言おうとは思ってたんだけど……話すタイミングが見つからなくて……ごめん」

「咲って見た目クールだけど本当ピュアだよね〜〜。

 素クールは真逆だしクーデレというにはまだ尚早……てゆかクール属性って他に派生あったっけ……?」と早口で呟く美由。意味はよく分からないが褒められている気は全くしない。

 

「…………」

「みゃー! ほっぺらひっぱららいで(ほっぺたひっぱらないで)!」

 

 美由の両頬を軽くつまみながら、咲は教室の時計をふと見上げた。針は丁度4時半を指している。

 咲は美由の頬から手を下ろして呟いた。

 

「そろそろ行かなきゃ」

「いたかった〜〜」

 

 涙目で両頬をさする美由に、咲はごめんごめん、と軽く謝ったあと鞄を手にした。

 

「それじゃ美由、また来週ね」

「月曜はいっしょに帰れる?」

「うん、大丈夫」

 

 そう頷くと、美由はにっこりとして元気を取り戻したようだった。バイト頑張ってねと、両手を小さく振る美由に手を振り返し、咲は教室を後にした。

 

 

 

 

 バイト先に向かいながら、咲は美由との会話を思い返していた。

 

 学生の本分。

 美由に言った手前、第一に勉強であることは否定しない。だが、彼女の言っていることもあながち間違いではないのだろう。

 高校生の内にできる遊びと社会人になってから遊ぶのとではおそらく全く違う内容になる。経験という意味では勉強以外にも触れるべきかもしれない……と、彼女は真面目に考えていた。

 

 咲は高校入学と同時に親元を離れ、単身五木(いつき)荘へと下宿している。家賃や生活費・高校の授業料を始め、さらには今後の進学費までも自分のアルバイト代から捻出しようとしていた。

 できるだけ堅実にそして勉学を怠らない程度に働いてきた結果、進学してもアルバイトを続ければ、計算上は短大へ行けるほどの額が貯まり、推薦も狙えるほどの成績を維持できるようになった。

 

 しかし人生何が起こるか分からない。

 咲は親に頼るつもりは毛頭なかったため、できる限り貯金をしようと、アルバイトと勉学に日々を費やしているのだった。

 

 

 

 

「ふう……金曜はやっぱり忙しいな……今日は22時まであっという間だったし……」

 

 近くの商店街にある"くろねこケーキ"という洋菓子店で、条例ギリギリの時間まで働いたあと。息を切らしていた咲は呼吸を整えてから五木荘の門をくぐった。

 

 五木荘は2階建てで、1階には大家である五木家が住んでいる。2階は6部屋あり、その内咲を含めた半分に借主たち——家族で住んでいる光野(ひかりの)家、それから咲の後輩である小日向(こひなた)ひょう太——が住む。

 

 玄関へと続く石畳の左横には、五木荘がもう一軒建てられそうなほどの広い庭がある。

 

 建物を囲むブロック塀の内側を、丸く整えたトピアリーがさらに点々と庭を囲んでいる。地面に植えた草はところどころ赤色を帯びているが、夏は一面が見事な緑色に覆われていた。そろそろ肥料をまき、雑草を摘むころかもしれない。

 

 また、中央のブロック塀寄りには池が設置されている。まわりに石を敷き詰め、真ん中に板を乗せて渡れるようにしてある。中には水草だけでなく鯉やメダカも生きている。

 みな寝静まっているので、今は池をろ過するポンプの音だけが、ぽこぽこと小気味良いリズムを刻んでいた。

 

 そういう程々に凝った庭なのでメンテナンスはやはりかかせない。五木家はほぼ毎日と言っていいほど庭掃除をしていて、咲も暇があれば手伝うようにしていた。

 

 どちらかというと朝型な咲だが、アルバイトの帰りに眺める夜の庭の雰囲気は好きだった。というのも、咲の部屋は庭の反対側に位置するため、部屋で過ごしている時はどうしたって庭を眺めることができないからだ。

 

 五木家のリビングへ通じるベランダの側には、"おこげ"と書かれたプレートが打ち付けられた小屋がある。かれらが飼っている犬のものだ。

 かれを起こさないよう、そして月明かりにほんのりと照らされた庭をじっくりと眺めるよう、咲は一歩一歩石畳を進んでいった。

 

 静かに扉を開け玄関に入ると、ちょうど大家が自宅へ戻ろうとするところだった。

 

「あら青柳さん、お帰りなさい」

 

 ふわりと優しい笑顔で出迎えられ、咲もつられて微笑みを浮かべこんばんはと挨拶した。

 

「毎日遅くまで働いているみたいだけれど、ちゃんと休みも取らないとだめですよ〜」

 

 彼女はひょう太と同じクラスの(あんず)と幼稚園に通う(ゆず)という2人の娘をもつ母親ということもあって、咲にとっても下宿先の母のような存在である。

 

「そうですね、この土日にゆっくり体を休めようと思います」

 

 似たような台詞を放課後に言われたこともあり、咲は苦笑して答えた。

 

 普段から口調や動作がおっとりとしている大家だが、彼女の言うことはなぜだか素直に聞き入れてしまう雰囲気がある(別に今まで命令されたわけでも理不尽なことを言われたわけでもないが)。

 

 それはおそらく、大家が非常に魅力的な体つきをしているせいもあるのだろう。

 淡いピンクのタートルネックを着ることが多い彼女。リブニットでぴっちりとしたシルエットが、豊満なバストと引き締まったくびれをいっそう強調させている。

 

 引っ越したばかりの時は、あまりに豊かな胸に目のやり場に困るほどドキドキしていた咲だったが、今では当たり前の光景ですっかり慣れていた。

 

 夜も遅いので部屋へ戻ろうとした咲に、大家が思い付いたような顔で両手を合わせた。

 

「そうだわ〜ちょっと待っててね」と言って自宅へするっと入っていったあと、フードコンテナを抱えて戻って来る。

 

「今日は煮物をいっぱい作ったの〜よかったら召し上がって」

「こんなにたくさん……良いんですか?」

「せっかくの休日ですもの、たまには(らく)しないとね」

 

 たまには、とにっこり笑っているが、大家は結構な頻度で手作りのおかずやお菓子をおすそ分けしてくれる。しかもどれも美味しい。

 

 もらってばかりでは悪いからと、咲は時々お菓子などを作って返すことがある。五木家や友人の美由ぐらいにしか振る舞ったことはないが、ありがたいことに好評を得ている。

 しかしその腕も実をいうとバイトでの経験が少々と、大半は大家に教えてもらった結果であり、ここでの生活はお世話になりっぱなしなのだ。

 

 彼女に丁寧にお礼を伝え別れたあと、咲は2階への階段を登っていった。

 自室へ続く薄明るい廊下を歩く途中、にぎやかな声がドアから漏れているのに気付いた。咲は立ち止まり、ふとそちらに目をやる。

 

 "202"と書かれた番号札の下に"小日向"という表札。

 咲と同じ善良高校に通う、後輩の部屋だ。彼もまた実家を離れて五木荘に下宿しているのだと大家から聞いたのを思い出す。

 

 しかし今年に入ってからだろうか。理由は知らないがある日を境に、この部屋は連日大騒ぎしているような気がする。

 とはいえ早く出て遅く帰ることの多い咲は、他の住人含めひょう太とは挨拶ぐらいしか交わしたことがない。学校で会っても会釈する程度の間柄である。

 特にうるさいとまでは思わないし、自分には関係ない——。

 と、どこか他人事のように、咲は扉から目線を外し自室へと帰っていった。

 

 次の日以降、ひょう太の部屋の騒がしい理由を知り、()()()との接点が今以上に増えることになろうとは、この時の咲には知る由もなかった。

 


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