それからの3人はサクサクと良いペースでゲームを進めていた。主にメムメムが前回とは違い、アイテムラボで新薬の開発に成功したり多数の業績を認められ室長に推薦されたりと出世街道を爆上がりしていたからだ。
しかし中盤に差し掛かったところで、魔人はとあるマスで足止めを食らった。
「……参ったな」
魔人は腰に手を当て足元を見やった。そこにはでかでかと書かれた結婚の二文字。
結婚後は強制的に別ルートへ進む。本ルートより遠回りになること、ゲームは全員がゴールしないと終わらないため、正直避けたいマスだった。魔人は早く終わらせたいとはそこまで思っていなかった。が、咲が段々と使い魔を気にする素振りを見せたのを魔人は無視できなかった。
メムメムはこのマスに止まることなく、すでにはるか遠くにいる。つまり相手は必然的に、まだ後ろにいる咲ということになる。
わずかの間をおいて咲が近くに止まった。魔人が全く動かない理由を察したのか、咲は気まずそうに肩をすくめた。
「もしかして——」
「はい。他にプレイヤーがいないので、咲は強制的にここに止まるでしょう」
「そ、そうだよね。あの……よろしくお願いいたします……は変、ですよね……」
「いえ。私なんかで申し訳ありませんが、こちらこそ」
魔人が貴族同然の振る舞いで頭を下げると、咲はとんでもないと言いたげに首を大きく横にふった。咲の態度がおかしくなってきていることに、魔人はまだ気付いていない。
魔人の予想通り、次の咲の番で二人は結婚した。
「結婚を強制させてしまいすみません……しかし決して咲のことを軽んじている訳ではありませんので」
二人の頭上には、城からそのまま持って来たような柱を花で彩った豪華なアーチが出現していた。その周りには魔人の
魔人としては咲を気遣うため、何の他意もなく、そっと肩に手を添え別ルートへと誘導したつもりだった。
「は、はい。私こそ、光栄です」
「……?」
咲の不自然な返答に魔人の片眉が上がった。彼女は胸の前で祈るように両手を組んでいる。恍惚とした表情で曖昧な笑みを浮かべる様はまるで操り人形——そこまで考えて魔人は嫌な予感を抱いた。
「……咲、あの時何か言いかけていましたね?」
咲はあの時? と夢心地の表情のまま首をかしげた。魔人が自身の衣装を差すと、咲も思い出したのか、頬を赤くしながら答えた。
「はい。今お召しの衣装、とてもお似合いだと伝えかったのです——けれど魔人さんはお嫌いなのですよね。お叱りを受けると思い、だまっていました」
「……そのくらいで叱ったりなどしません」
魔人はなんとかそう返した。大分重症だ。その原因は他でもない、自分にある。インキュバスとしての魔力、淫気が咲を魅了してしまったのだ。最悪、ゲームが終わるまで咲はこのままの可能性がある。魔人がなんてこったと額に手を当てていると、咲がうれしそうに両手を頬に当てた。
「ありがとうございます、魔人さん。いえ、今は——旦那さま、ですよね」
「…………」
魔人は言葉を失った。しおらしく微笑む咲が本当の彼女でないことはもちろん分かっている。分かってはいるが。
言いようのないむず痒さを覚えた魔人は、咲をこれ以上刺激しないようにと、数歩距離を置きつつ結婚ルートに臨んだ。
「S級昇格おめでとうございます、旦那さま」
「旦那さま、本日はしもべが1000人を越えたお祝いです」
「今回の集会も成績上位でしたね! 旦那さまなら、六淫将の席も夢ではありませんね——」
「…………」
魔人の仕事は不愉快なくらい順風満帆だった。
咲は事あるごとに魔人を褒めたたえ、その度に彼女の奉仕度も増した。初めは半歩下がって歩いていたのが、今や片時も離れまいと魔人の腕にぴったりと寄り添っている。魔人は無下にできなかった。
異様な疲労を感じていた魔人に光明が差した。彼にとっては悪趣味に思えるくらい、華々しく
——ここを抜ければ少しは落ち着くかもしれん。
すぐ側で
「旦那さまと結婚できて、とても幸せでした」
「咲?」
「一つ心残りがあるとすれば、旦那さまとの間に子を成せなかったことぐらい……」
「⁉︎」
魔人が耳を疑っていると、咲はルートの終わり間際に設置されたやたら黒々としたマスを差した。
「あのマスに止まれば結婚はなかったことに——つまり離婚することになります」
「!」
「旦那さまが結婚に乗り気でなかったのは知っていました」
魔人から離れた咲の両目には、こぼれ落ちないように耐える涙があった。咲は気丈に笑顔で振る舞った。
「それでも私に優しくしてくれたこと、本当に……感謝しています……っ」
「私はそんなつもりでは——」
魔人の顔に焦りが浮かんだ。咲が本心から言っているように聞こえてしまったのだ。魔人が言葉に詰まっていると、咲は何を思ったのか自身の洋服に手をかけた。
「最後に一度だけ、」真剣な表情で咲は言った。
「抱いてください。旦那さま」
魔人は度を失った。
「なッッ」
「思い出を、いただけますか」
「いや、待っ……ここで……?」
咲は魔人の目の前に歩み寄り、すっと目を閉じた。
涙に艶めいた睫毛。あらわになった滑らかな肩。
魔人は咲をそっと引き寄せた。そうする他ない気がした。丹花に彩られた唇にいよいよ触れようとしたその時。
「何してるんですか?」
「‼︎‼︎」
魔人はバッと顔を上げた。彼の全身から冷や汗が一気に吹き出た。
「マ、マスター⁉︎ これは、その……」
メムメムがどこからともなく現れ、魔人と咲を見下ろしていた。その後も出世街道を突き進んでいたメムメムは、今や背後に巨大なラボを構え、同じような白衣を着た研究員たちを多数従えて、組織の頂点に立っていた。
魔人が固まっていると、メムメムはやれやれとため息を吐いた。
「まだそんな所にいるんですか? あたしもうすぐゴールしちゃうんで、早く追い付いてくださいね」
「……すみません」
メムメムはしたり顔で研究員たちに目配せすると、その場からふよふよと飛び去って行った。
どうやら魔人と咲が何をしようとしていたのか気付いていないらしい。我に返った魔人は今だ目をつぶって彼を心待ちにしている咲の肩から手を離した。
「咲、たとえあのマスに止まったとしても離婚はしません。ここを抜けても、私たちは夫婦です」
「! 旦那さま……」
咲はぱっと顔を輝かせて「ありがとうございます」と涙ぐんだ。
魔人が安心したのも束の間。咲はいきなり魔人に抱きついたかと思うと、背伸びして彼の頬に口付けた。
「⁉︎」
「続きはまた後ですね——大好きです、旦那さま」
咲は名残惜しそうに言うと、足元に転がってきたサイコロを手に取り魔人に渡した。魔人は開いた口が塞がらず無言のままそれを手にした。
運が良いのか悪いのか、魔人も咲も離婚のマスには止まらず結婚ルートを終えた。
しかし魔人から離れたにもかかわらず、いや魅了された時間が長かったせいかもしれない、咲はご主人様と呼ぶのをやめなかったし腕に寄り添ってくるし抱きつこうとするしで、以前にも増して物理的に魔人に絡んでいった。
そうして
「……あれ?」
いち早く気付いたのは咲だった。見慣れた自分の部屋よりもすぐに、身体に違和感を覚えた。自分の上半身を押しつけるようにして黒い腕にしがみついている。それが魔人のものであると判明したと同時に、咲は顔を真っ赤にして彼から飛び退いた。
「なっ、なんで⁉︎」
口にしたものの心当たりがまるでない。思えばゲームをした記憶も途中からまるでない。
咲は嫌な予感がしておそるおそる魔人の顔色をうかがった。が、無表情、というより心ここにあらずと言った方が近い。まるで読めない。
「魔人さん、大丈夫……?」
「…………」
しかし魔人の反応はない。非常に気にはなるがところで一緒にいたはずのメムメムはどこへ行ったのか。答えはすぐ足元にあった。
「メムメムちゃん⁉︎」
咲は生き倒れるようにして床に突っ伏したメムメムを抱き起こした。心なしかやつれたメムメムは全身を震わせ、かすれた声でうわごとを口にした。
「あ……あそこでやめておけば……こんな、こんなことにはあぁぁ」
メムメムはがくりと気絶した。
「メ、メムメムちゃーーん‼︎」
「——マスターはゴール直前の賭けに負けに負けて全財産を失ったのです」
「!」
魔人は何事もなかったかのように燕尾服の上着を正すと、ぬいぐるみらしく固まったメムメムを咲から取り上げた。そしてもう片方の手で、今は役目を終えテーブルの上に大人しく鎮座する魔界転生ゲーム(その上にちょこちょこやって来た使い魔が乗った)を拾い上げた。
彼らがひょう太の部屋に帰ろうとしているのは明らかだった。
「魔人さん、大丈夫……?」
咲はもう一度言った。しかし魔人は答えない。その目線もどことなく彼方にある。
「あの、具合が悪いなら、何か飲——」
咲は立ち上がって魔人に歩み寄ろうとした。が、魔人は咲から一歩後ずさった。
確実に避けられている。その事実が意外に心に重くのしかかったらしい。咲はショックを覚え、その場に立ち尽くした。
「…………」
咲の部屋に流れていた穏やかで暖かな空気が生ぬるく気まずい空気に変わり、魔人と咲の間に流れる。
やがて魔人がごく小さな声で言った。
「それ以上触れるのは、ご勘弁を」
「そんなつもりは……えっ、私、そんなに触ってたの……?」
「私の口からはそれ以上言えません」
そんなに⁉︎ ひょう太がいればそうつっこんでいただろうが、咲にはそんな気力もなく段々と顔を青くした。
「ご、ごめんなさい……」
「いえ。そもそもは私が原因ですから。……もう限界なので失礼します」
魔人は言い終わると同時に、すぐさま転移の魔術を発動させ、一瞬の内に消えた。
——もしかして、嫌われた……?
咲にとって、魔人に何をしてしまったかよりも、魔人に避けられたことの方がダメージが大きかった。
こうして2度目の魔界転生ゲームは、プレイヤー全員にダメージを与えて終わったのだった。