「咲ちゃんありがとう!」
「私こそありがとう」
数人の女子生徒たちと可愛いラッピングに包まれたお菓子を交換し合う。咲にとってバレンタインはそういうイベントだった。今年もその日がやって来て、朝のHR前に咲は昨日作ったガトーショコラをクラスの女子生徒たちに配っていた。隣にいる美由はたくさんのお菓子を抱えて幸せそうにしている。
「バレンタイン最高……!」
「はいこれ美由の分ね」
「ありがとう〜お返しはホワイトデーにするから!」
美由が咲を含めた周りの女子生徒たちにも向けてそう言うと、女子たちは口々に返事を返しながら美由がほくほくしているのを笑っていた。
「咲は下宿先の人たちにもあげるの?」
「そのつもりだよ」
「ふうーん……」
これはまだ疑っている顔つきだ。
以前、美由には魔人と買い物に出かけたところを目撃されており、クリスマス前にその事を追求された。魔人について魔界関連のことは伏せて説明していく内に、咲は魔人のことが好きだが実は魔人はひょう太と……と勘違いされてしまった。
新学期に入ってから美由が咲を慰める会を開くというので、咲は口頭でもSNSでも散々説明して誤解を解いたつもりでいた。咲は眉間にしわを寄せて美由に顔を近付けた。
「美由。前にも言ったけど私に好きな人はいないし、小日向君には別に好きな人がいるから――」
「わ、分かってるよう!」
「それならいいんだけど」
咲が頬を引っ張る真似をしたので美由は必死に頷いた。おそらくもう大丈夫だろう……。咲が手を下ろすと美由はほっとしたのか話題を変えた。
「咲今日もバイト?」
「うん。バレンタインは忙しいからね」
「じゃあ来週なら遊べるよね」
「もちろん」
美由が嬉しそうに笑ったので咲もつられてにっこりとした。そのままクラスメイトたちとしばらく他愛ない会話をしていると、担任が教室に入って来たので咲たちはそれぞれ自分の席に着いてHRの準備を始めた。
放課後。クラスメイトに別れを告げてから、咲はバイト先であるくろねこケーキ屋に向かっていた。咲はこの一週間、ほぼ毎日ケーキ屋で働いていた。
クリスマス同様、衣装はバレンタイン用にも用意されていたが、前回の失敗を活かし、黒猫らしい耳と尻尾が付く以外は可愛くも露出のあまり激しくないもので、咲も安心して着ることができた。表に立っていてもそこまで目立つことはなかったので写真にも応じていた。
「いらっしゃいませー! バレンタイン用にチョコレートケーキはいかがですか? 試食も行ってますよー」
咲が試食用のプレートを持ちながら街行く人々に声をかけていると、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「あっ、やっぱり咲せんぱい……!」
通りがかったのは杏と、彼女の友達のようだった。校内で見かけたことがある気がする。咲は二人に向かって手を振り歩み寄った。
「杏ちゃんこんにちは。それから……一緒の高校だよね?」
「黒野雨です」
「私は青柳咲、よろしくね」
咲がにっこりと雨に手を差し出すと、彼女はじっと咲を上から下まで見つめたあと握手を交わしながら言った。
「知ってます。有名なんで」
「えっ⁉︎」
杏と咲の二人は同時に驚いた。「あー属性は違うけど同じ無自覚タイプってことね」と二人を見ながら一人うなずく雨。二人がまた疑問を浮かべたので雨は何でもないと首をふった。
「いえ。クラスで噂されてるの時々聞くんで」
「そ、そうなの? 悪い噂じゃないと良いけど」
咲はそう言って肩をすくめたが、雨がそれはないと首をふったので、気を取り直して二人の目の前にプレートを差し出した。
「そうだ、これよかったらどうかな? バレンタイン限定のケーキなんだ」
「ありがとうございます!」
濃厚な色をしたチョコレートケーキを杏と雨が一つずつ口に運び、やがて二人の顔がほころんでいくのが分かると咲もつられてにこりと説明を加えた。
「これはザッハトルテっていうケーキで、うちのはスポンジの間にアンズジャムを挟んで作ってるんだ。杏ちゃんと一緒だね」
咲はそう言ってウインクすると、杏はぽっと頬を赤らめながらそうですねとうなずいた。咲には照れ笑いしているように見えたが、はたから見れば恋する少女に見えなくもない。雨は咲と杏を何往復か視線で追った。
「杏ってもしかしてあのせんぱいのことお姉さまって呼びたい系?」
杏と雨が咲と別れ商店街を歩く中、ケーキ屋から充分離れたところで雨が聞いた。
「な、なな何それどういう系⁉︎」
「いやそのままだけど」
「お姉さまって……」
杏はよく分からないままに想像する内、あっと小さくつぶやいた。
「顔赤っ」
「ちっ違うの! お正月にせんぱいたちとすごろくしたこと思い出しちゃっただけで! せんぱいと結婚して子どもが生まれたりしたから……!」
「何そのすごろく! もっと詳しく」
そう言って逃げようとする杏を追いかける雨だった。
そんな一幕もつゆ知らず、咲が試食で配っていたケーキは好調な売れ行きを見せていた。閉店前には全て売り切れ、咲は早めに上げてもらう代わりにいくつかの商品をもらえることになった。この時間ならバレンタインが終わらない内に五木荘の住人たちに自分の作ったお菓子を配れるだろうと、少し足早になった。
咲が部屋に帰り早速ケーキを切り分けていると、押入れの中からノックが聞こえた。魔人だ。こんな時間にどうしたのだろうと思いながらも、咲は手を止めずにどうぞと声をかけた。
「階段を駆け上がる音がしましたが、咲ですか?」
「あ……ごめんね。うるさかった?」
「いえ。何かあったのかと思いまして──その黒い塊は何です?」
魔人は咲の横に並び立つとじっとその手元を見つめた。至って真面目な顔で興味津々な視線を注ぐ彼に、咲はふふ、と小さく笑みを浮かべて答えた。切り分けたケーキを一つずつラッピングしていると、魔人はまたも不思議そうな顔をした。
「家主たちに渡すのではないのですか?」
「そうなんだけど、今日はバレンタインデーだから、ちゃんと包んで渡したいなと思って」と返したところで、魔人はバレンタインを知らないのでは、と咲はふと思った。
「ああ――そうでしたね」
が、魔人からはよく知っている風、それもどこか疎ましげな答えが返ってきた。
「もしかして、魔界にもバレンタインの行事があるの?」
魔人は無言でうなずいた。詳細を聞くのは憚られる。咲はそうなんだ、と一言返してラッピングを続けた。魔人へもケーキを包んでから渡そうと考えていたが、そもそももらってくれるのかな? と咲は思い始めた。これまでのバレンタインでは大家たちに渡すだけに留めていたからだ。そのちょっとした迷いが手元に現れたらしい。
「気になりますか?」
「えっ? あ……、気にはなるけど、無理やり聞こうとも思ってないよ。ただ――」
魔人は別に言いたくないわけではない、と前置きしてから淡々と説明した。曰く、魔界では悪魔自身を象ったチョコレートを対象に送る風潮があるという。咲には理解の及ばない領域だ。手元が完全に止まり、改めてケーキを見下ろした。話を聞いたあとでは何だか貧相に見える。これを魔人に渡すのが急に気恥ずかしくなってしまった。
「あの……。魔界のものに比べたら大したことないと思うんだけど、よかったらもらってくれる……?」
「それは、元々私宛てということですか?」
「うん。もちろん無理にとは言わないよ」
「いえ、咲も自身をかたどってチョコレートを作りたいのかと」
「ま、まさか!」
咲は全力で否定した。魔人は咲の方に視線を向け一瞬考える素振りを見せたが、いただきます、と頭を下げた。変な空気が流れていったことにほっとして、咲は魔人の分も包もうとした。が、その動作を止めるように魔人が尋ねた。
「咲の分はないのですか?」
「味見で少し食べたから大丈夫」
咲の返しに魔人が押し黙る。どうしたのか声をかけると、
「良ければ今いただこうかと思いまして」と遠慮がちに答えた。なるほど魔人の分しかないから気遣ってくれたのだろう。
「実は、今日夕飯まだなんだ。あまり食べる時間がなくって」
咲はそう言って通学カバンから友人たちやバイト先でもらったお菓子を取り出して魔人に見せた。
「たくさんいただいたから、こっちも良かったら、一緒にどうかな?」
「承知しました。では先にお茶をいれましょう」
魔人は提案をのむが早いか、早速戸棚からティーセットを取り出した。まるで始めからそうしようと決めていたかのようだった。咲の部屋で二人過ごすのはほぼ日常と化していたので、魔人が物の所在を把握しているせいもあるだろうが。
「ありがとう。それじゃあお願いします。私はその間に大家さんたちのところに行ってくるよ」
「お任せください」
咲は大家たちとひょう太の部屋へ回ってから部屋へ戻って来た。その手には杏からもらったクッキーを抱えていた。
「お帰りなさい。お茶も準備ができたところです」
「た、ただいま。ありがとう魔人さん」
魔人は至って冷静だが、まるで彼と同居しているかのようなやり取りに咲は少し戸惑った。やがて紅茶の香ばしい匂いが鼻をさらったので幾分落ち着くことができた。
咲はテーブルのティーセットの横に置かれた大皿にもらったものを並べていった。大皿といっても数人程度のものでお菓子は2〜3段に積み重なった。もちろん今食べ切るつもりはないが、改めて見ると結構な量がある。
「これが全て咲への貢物ということですか」
「ちっ違うよ。交換したり、お礼にもらったりだよ」
魔人はなるほど、とどこか納得し切れていない顔をしながらも、ティーカップとソーサーをそれぞれに置いた。見れば二人分となぜかとても小さなマグもある。子供用でもない、ミニチュアサイズのものだ。咲がハッとして魔人を見上げると、いつの間に彼の肩にひょっこりと顔を出す使い魔の姿があった。
「使っち! 魔人さんと一緒に来てたの?」
咲が宝物を発見したように使い魔を見つめると、彼(?)は挨拶するように両手を上げた。メムメムの監視役として上司から派遣されてきたゴーレムの使い魔という話だが、咲には可愛い人形に思えて仕方がない。
「たくさんあるからいっぱい食べてね」
咲の言葉に、使い魔はぴょんと大皿へ飛び込むと自分より大きなお菓子を物ともせずに持ち上げもぐもぐと食べ始めた。
使い魔はずんぐりとした体型に身体をまるごと覆えるほどの大きな赤いフードをかぶっている。顔の部分には大きな目玉が一つあるだけで、他のパーツは見受けられない。どうやって食べているのだろう。どうやってその小さな身体にたくさんのお菓子が入るのだろう。
その様子を愛らしいと思うだけでなく、生物的興味も湧いてきた咲の思考を遮るように、魔人から名前を呼ばれた。それだけ使い魔を観察するのに夢中になっていたということだ。
そういえば年明けに魔界のすごろくで遊んだ際、魔界の生物に対して熱心であることを魔人に指摘されたのを思い出し、咲は急に気恥ずかしくなった。
そっと顔を上げると、魔人はティーカップを優雅に手にしていた。指先から持ち上げる仕草には無駄がなく、どこか機械的な美しさがある。
手元の皿は空で、咲があげたケーキを欠片も残さず綺麗に食べ終えていた。
「このケーキ、軽い食感ながらチョコレートは濃密でしたね」
魔人はそう言って静かに紅茶を一口運んだ。短いながらも丁寧で好感の混じった感想に咲は照れ隠しに目を細めた。
「よかった。味の濃さが気になる人もいるから、少し不安だったけど……気に入ってもらえたなら嬉しい」
咲の言葉に魔人は否定せず頷いた。彼の好みに少しでも合っていたことに、思いがけず安堵している自分に気付く。そんな咲の胸中を知ってか知らずか、魔人は一拍置いて口を開いた。
「人間界では知り合い同士お菓子を渡し合うのがバレンタインなのですか?」
咲は少し緊張した。魔人は魔界について知らないことなどなさそうなほどの博識で、人間界についても着々とその知識を増やしている。食べ物ならともかく文化について聞かれると、まるで人間界の代表として答える必要があるとまで思わされるからだ。
「ええと……。この国で親しい人や日頃お世話になっている人にお菓子とか贈り物をし合うようになったのは結構最近かも? それまでは女性が男性にチョコを渡して告白するのが主流だったから」
「――なるほど」
咲の説明を受けて、魔人はそれきり考えるような素振りを見せた。視線はやや伏せられ思考の中へ沈んでいくようだった。二人でいる時もお互い言葉少なになることがあるので、咲は特に気に留めずお菓子に手をつけ始めた。
そのまま誰も会話を継がず、大皿の山はゆっくりとそのかさを減らしていった。
「贈り物をし合う、と言っていましたね」
「うん」
「今は咲の役には立たない魔道具しか持ち合わせがなく……。すみません」
魔人は丁寧に頭を下げた。罪悪感を抱いたような表情だった。彼の様子に気付いた使い魔も食べる手を止め、おそるおそる咲の方をうかがった。
咲は目を瞬かせた。テーブルに広がるお菓子の数々は、それだけ咲が周囲に大切にされていることの証でもある。そういう人の優しさに触れる機会が増えたのは、咲が五木荘で暮らして以来であった。魔人のおかげで改めてそのことに気付かされ、咲は自分の心がじわりと温かくなるのを覚えた。
「そんなこと、気にしなくていいんだよ」
咲は静かに首を横にふり、柔らかな声で続けた。
「私は見返りを求めて渡してるわけじゃないから、その気持ちだけで十分だよ」
そう言って咲は自然な笑みを見せると、テーブルにまだいくらか残ったお菓子を魔人と使い魔にすすめるように手を動かした。
「……気持ち、ですか」
魔人は反すうしたあと、何かを思い出したように上着の内ポケットに手を差し入れた。
「使う機会のない方がよいものですが、咲にこちらを」
「え?」
咲は思わず受け取ってしまった。片手のひらに収まるほどの小さな筒型の物体。見たことのない紋様が、複雑に刻まれている。
「もしかして、魔道具?」
言いながら咲は少し身構えた。メムメムの扱う物には一定の被害を受けている。そして魔人は魔人で、人間界での常識を知らないが故のやや強引なところがあるからだ。
「はい。私専用のモノですが」
「専用?」
咲が首を傾げると、魔人がその機能を淡々と説明した。聞けばこの魔道具は魔人を呼び付ける笛であり、一度吹けば、彼は笛の音から居場所を特定し、すぐに駆けつけることができるのだという。
咲はまじまじと笛を見つめた。繊細な模様が全体に刻まれた古風な質感が、小さくとも存在感を放っている。そして彼専用であるこの魔道具がこれまでずっと魔人の手元にあったという事実が咲の胸を打った。
「でも……そんなに大切な道具、私がもらってもいいの?」
「構いません。寧ろ大事だから差し上げるんです」
咲は一瞬返答に詰まった。それが笛のことだなんて分かりきっているのに。魔人の声色が妙に心に引っかかってしまった。
「――ありがとう。大事にするね」
「万が一の時のために常に携帯してください」
「そうするね。……あ、」
「どうしました?」
「このままだと不安だから、持ちやすいようになったらいいかなと思って……」
魔人はふむ、と考える素振りを見せたあと、笛をこちらに向けるよう言った。咲が言われた通りにすると、魔人は片方の人差し指を立てた。軽く指を振ると、笛の端にいつの間にかアタッチメントとその先にチェーンが付いていた。ペンダントになるように彼が魔術を使ったのだ。
使い魔は興味津々そうに咲の側に来ており、二人でその様子に見とれていると、魔人は咲からそっと笛を取り上げアタッチメントからひねるようにして笛を外してみせた。
「これなら問題ないかと」
「うん。そんな事もできるんだね! すごい」
「このくらい容易です」
魔人は笛をはめ直すと、さっと立ち上がって咲の後ろに回った。
「ではお付けします」
「う、うん。ありがとう」
背後から聞こえる彼の低い声音にどきりとしながらも咲は冷静に振る舞った。魔人の白い手袋が肩越しに見える。彼は咲の身体のどこにも一切触れないように素早く器用に手を動かしペンダントを咲の首に回した。
ひんやりしたチェーンが肌に当たり、魔人から付け終わったと声がかかった。咲は笛を手に取ってまたじっくりと眺めた。アタッチメントにもシンプルながら装飾が施されており、不思議な紋様の笛に合うデザインだった。
「綺麗……」
咲が思いがけず呟くと魔人は当然とも言いたげに、
「その笛と咲に似合うようイメージしました」
と返した。
「ありがとう。こういうのもらった事ないから嬉しい」
「……気に入って頂けて何よりです」
咲の口から自然とこぼれた内容に魔人は少しだけ表情を動かしかけたが、それ以上のことは言わなかった。
「でも、今度は私がもらいすぎてる気がするなあ……」
冗談めかして苦笑した咲に、魔人は大皿に残るお菓子に静かに手をつけながらさらりと返した。
「そんなことを気にする必要はありません。私は見返りを求めて咲に差し上げたわけではありませんので、その気持ちだけで十分です」
「!」
魔人はつい先ほど咲が伝えたことをまるで鏡のように返した。咲の頬はほんの少し赤らみ、そして膨らんだ。
「……魔人さんの意地悪」
口をついて出たとはいえ、我ながら幼い動作をしてしまったと咲自身思った。魔人が目を見開いたのがテーブル越しに分かってしまい余計に恥ずかしさが増す。咲の手元では、使い魔が咲を慰めるように手の甲をぽんぽんと叩いていた。