魔人さんと無欲少女   作:ほやしろ

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#3-1 魔猫の無欲少女

 昼下がりの午後。

 今日は太陽が雲に隠れ気味で、どちらかというと肌寒い。月が変わったせいもあるかもしれない。

 バイトを終えた(さき)は、まくっていたカーディガンの袖をおろしながら、五木(いつき)荘へと帰って来た。

 

 庭の池のそばには大家の姿があった。池の鯉などにエサをやっていた彼女は顔を上げると、咲に気付いてにっこりした。

 

「おかえりなさい青柳(あおやぎ)さん」

 

 咲も笑顔を浮かべ頭を下げたあと、大家のもとへ向かった。

 鯉たちはバシャバシャと大きな音を立てて、水面に浮かぶ小粒のエサに向かって、我先にと食らいついていく。

 寒さなど関係なさそうに動く彼らが、少し羨ましい。

 

「みんな元気ですね」

「最近は水温も下がり始めているから、ごはんは少なくしているんですけれどね〜」

 

 今は2回目のエサをあげたところだが、ゆくゆくは日に一度にするらしい。大家はそう加えたあと、ふいにうふふ、と何かを思い出すように笑った。

 

「どうしたんですか?」

「ここも人が増えてにぎやかになったでしょう?

 お菓子やごはんを作る機会も増えたから、作りがいがありますね〜」

 

 大家はにこにこと鯉たちを見つめている。反して咲は少し目を丸くした。

 

「……どなたかここに越してきたんですか?」

「あら、青柳さんはまだお会いしたことなかったかしら? 小日向(こひなた)さんのところのメムちゃん」

「メムちゃん……?」

 

 聞き慣れない名前だ。いや、近しい名前を一週間前に聞いた覚えがある。

 あっと思い出した咲はもしかして、と続けた。

 

「メムメムちゃんのことですか……?」

 

 悪魔の、と付け足そうとしたが、大家がどこまで知っているのか分からない。何より普段口にしない単語のため、なんとなく気恥ずかしい。

 大家はそんな咲の思考をものともせず言った。

 

「はい、あの小さな悪魔ちゃんのことですよ〜。それからメムちゃんのお兄さんの、たしか——」

「…………魔人さん、ですか?」

「そうそう、魔人さんと仰ってましたね〜」と、大家は微笑んだ。

 

 魔人はメムメムの兄ではなかったはずだ。しかし咲もひょう太から聞いただけで、詳しいことは正直よく知らない。

 彼はランプに封印されていた魔人で、メムメムはそのマスターで、そもそもランプというのは魔界の——などと、上手く説明できる自信がなかった。

 

 大家があまりに自然に言うので、咲は自分の方が気にしすぎなのかと思うほどだった。

 彼らとの出会いを大家にたずねると、

「初めはもちろんびっくりしましたけど、お手伝いもしてくれるし(ゆず)ちゃんとも遊んでくれますし、いい子なんですよ〜」と言ってメムメムを褒めた。

 

 悪魔にいい子と言うのもなんだかおかしな話だが、たしかにメムメムからはあまり悪魔っぽさを感じない。

 そうなんですね、と咲は相槌を打った。

 

「私、今日はもう特に予定がないんです。何か手伝えることはありますか?」

 

 咲はちらりと後ろに目を向けながら言った。

 今日のようにバイトが早く終わった日は、五木荘の庭を掃除することが咲の役目のようなものだった。

 しかし言ったあとで、庭がすでに手入れ後で綺麗だったことに気付いた。

 

「ありがとう、でも大丈夫ですよ〜。今日はメムちゃんのお兄さんがお掃除してくださったので」

「……魔人さんが、ですか?」

 

 驚きはしたものの、想像するのは容易だった。執事風の格好をした魔人が優雅に庭を清掃しているのを、咲は脳裏に思い浮かべた。

 

「ええ。最近は毎日お手伝いしてくれて、とても助かっているんですよ〜」

「そうだったんですか……」

「青柳さんはお部屋でゆっくり休んでくださいね」

 

 

 大家に礼を言って別れたあと。

 咲が五木荘の玄関を開けると暖かい空気を感じた。ほっとするような暖かさだが、その足取りは重かった。

 一週間前のことを思い返していたからだ。

 

 メムメムを助けようと誤ってランプの封印を解いてしまい、新しく魔人のマスターとなったあの日。

 あれきりメムメムや魔人には会っていない。

 

 そのため、実をいうと咲はそれらが全て夢だったのではないかと思っていた。が、違った。

 魔界からやって来たという彼らは、咲の知らぬ間にすっかり五木荘の住人として馴染んでいたのだ。

 

『魔人の掟にのっとり願いを一つ叶えてしんぜよう——さぁマスター、望みをどうぞ』

 

 彼の深紅の瞳に見つめられながら言われたことを、咲は反すうした。

 

「願いごと……」

 

 咲は小さく言ったあと無意識に口を結んだ。

 叶えたい願いが、思いつかない。

 正確には、魔人という超常的な存在に頼んでまで叶えたい願いが、思いつかないのだ。

 

『願いについて、ちゃんと考えてみます。もう少しだけ、待っていてもらえますか?』

『承りました』

 

 あの時魔人にそう言ってしまった手前、答えは出さなければならない。

 2階へ上がろうとする咲の足がさらに重くなる。

 思えば彼はこうも言っていた。

 

『ただ、決めあぐねて発狂したり老衰で死んだマスターもおりましたので——』

 

 そう。このまま願いを叶えずに寿命を迎える方法もある。

 魔人は"おススメしない"と言っていたが(主に発狂するおそれを憂いてのことだろうが)、この先叶えたい願いを思いつく日が来るとは限らない。

 

 ただ、咲の寿命は平均でいえば残り70年ほど。まだ17年しか生きていない咲には、4倍以上の長さがある。その途方もない月日を魔人に待ってもらうのはさすがに申し訳ない。

 やはり大なり小なり何かしら願いを叶えてもらうのが一番現実的だろう。

 でも——。

 

「どうしよう……」

 

 目の前に続く階段が果てしなく見える。

 咲は深いため息をついた。

 願うこと自体を悪いとは思っていない。

 問題は叶ったあとだ。

 

 一つ叶えば次を欲する。欲には際限がない。

 欲のためなら周囲を引きずり下ろすし、欲のためなら周囲を簡単に陥れる。

 咲はそういう家で育った。そしてその血を引く自分自身もまた、欲におぼれる可能性があることを自覚していた。

 

 また? また"欲"に苦しめられるの——?

 心の中で咲はつぶやいた。

 実家を出てからなるべく考えないようにしていたことが、咲の脳内をむしばもうとする。

 

 必死に追い出そうと、咲は目の前を駆け上がった。

 2階の廊下に顔を出したところで、それらの嫌な感情すべてが吹き飛ばされた。

 

「……ん……?」

 

 202号室。ひょう太の部屋のそばに、黒いぬいぐるみが落ちている。

 小型犬ほどの大きさで動物を模しているようだが、何かは分からない。架空のもののようだ。

 

 咲が拾いあげようと近付いていくと、それはぴくりと動き、

「フィー」と小さく鳴いた。

 機械の音声などではない。生き物だった。

 

 ふっくらとした体型に、触り心地が良さそうなツヤのある体毛。地面にたれたロップイヤーのような長い耳。頭上に生えた2本の白い触角。

 

 脇腹からしっぽにかけて白いシマ模様があり、2本のしっぽが絡み合っているように見える。そして額には小さくも輝きを放つ宝石、のようなもの。

 そういう不思議な見た目の割には、素朴で愛嬌のある顔をしていた。

 

 咲がまじまじ見つめていると、その生き物は小さくつぶらな瞳をぱちくりさせ、もう一度フィーンと、今度は甘えるように高く鳴いた。

 かまってほしげに、咲に向かってのそのそと短い足を動かしている。一歩進むたびに、触角が無邪気にゆれた。

 

「……!」

 

 きゅん、と胸が軽くしめつけられる感覚。

 咲の思考は"かわいい"で満たされた。

 先ほどまで思い悩んでいたのが嘘のようだった。

 

「おいで——」

 

 咲はしゃがんでおもむろに手のひらを見せた。

 生き物は一瞬動きを止め、警戒心をあらわにする。咲はじっと手を動かさず、向こうからやって来るのを待った。

 大丈夫だよ、とささやいて見守っていると、それは手のひらの匂いをくんくんと嗅ぎ始め——やがて自らのあごをすり寄せた。

 

「わ、あ……っ」

 

 あまりのふわふわな毛並みに咲はおもわず声を上げた。

 町では野良の動物はほとんど見かけないし、動物園は中学校以来だ。数年ぶりに触れた生き物を慈しむように見つめ、しばらくその手触りに癒されていた。

 

「あなたはどこから来たの? もしかして……魔界、とか……?」

 

 咲はこの生き物を目にしてから思っていたことを口にした。

 話しかけてはみたものの返事はもちろんなく、代わりにゴロゴロと猫のようにのどを鳴らすのが聞こえた。

 

「ふふ、小日向くんに聞いてみようね」

 

 見ればひょう太の部屋のドアがわずかに開いている。おそらくそのすき間から出てきたのだろう。

 咲は微笑みながら手を引っ込めて、やわらかな体を抱き上げようとした。が、その生き物はやめるなと言わんばかりに、かぷ、と咲の指を甘がみした。

 

「またあとでね。一回聞いてみてか、ら…………?」

 

 異変が起きたのはその直後だった。

 噛まれた指先にむず痒さを覚えて見ると、黒く変色していた。いや違う。無数の毛におおわれている。抱えた生き物とそっくりな、光沢のある黒い毛が。

 それはみるみる内に着ていた洋服をもとりこみ、咲の身体を包んでいった。

 

「いったい、()()()が起こって……っ⁉︎」

 

 話し言葉までおかしい。咲はハッと口元をおさえる。

 ぷに、と手のひらが唇に吸い付く感触があった。肉球だ。

 手はグローブをはめたように大きかった。関節の曲がったふさふさな指にベビーピンクの肉球。もう猫の手と形容する以外なかった。

 

 早くひょう太の部屋へ行かなければ。

 だが自身を見下ろした咲はその考えを即座に打ち消した。

 胸元からへその下にかけては毛が生えていない。どういうわけかそこだけは自分の肌のままだ。

 さらに毛が黒いおかげで、くびれや足のラインがくっきりと浮かび上がっている。

 

「黒い魔猫なら先ほど出て行きましたよ。そこの扉から」

「なんで教えてくれなかったんですか⁉︎」

「聞かれなかったからです。知らなければ知らないままで、何の不都合もないので」

「なにどっかの生命体みたいなこと言ってるんすか!」

 

 ドアはほぼ閉まっているのに、部屋の中の会話がはっきりと咲の耳に届いた。

 

「この声は……小日向くんと、魔人さん……?」

 

 頭上に生えた何かがぴくぴくと反応している。おそらく耳だ。そして尾てい骨のあたりにも違和感がある。しっぽがぼわっと逆立っている感覚だった。

 

「また? また面倒なことになったんですか?」

「それこっちのセリフなんだけど⁉︎ とにかく早く追いかけるぞ!」

 

 メムメムとひょう太の声がしたあと、足音が複数こちらに近づいて来た。逃げなければ。

 咲は助けを求めるより、恥ずかしさと警戒心の方がMAXに達していた。謎の生き物——きっと魔人の言う黒い魔猫だろう——を抱えたまま、一目散に自室へと走り去って行った。

 

 

「連れて来ちゃってごめんね。このままじゃ人前に()()()()()から……」

 

 魔猫に言いながら咲は洋服棚をあさっていた。これじゃにゃい、あれじゃにゃいと引っ張り出された服がぽんぽんと宙を舞う。

 自分の洋服のはずなのに、柔軟剤の匂いがやけに鼻につく。洋服だけじゃない。自分のもの、と思えるものが部屋の中に一切なかった。

 

 不快に感じながら咲が振り返ると、魔猫は散乱した洋服になかば埋もれていた。小さな前足でふみふみと服を揉んだりして楽しそうに遊んでいる姿を見て、咲は無意識につぶやいた。

 

「いいにゃあ、ずるい……」

 

 彼女の背中で不満げに大きく揺れていたしっぽがくねくねとうねり始める。咲は身体をうずうずさせると、洋服の山の中へと飛び込んだ。

 

 服に頬をこすりつけたり引っかいたり噛んだりとしばらく遊んでいた咲の元に、魔猫が擦り寄って来た。咲はからかうように別の山へ滑り込む。

 魔猫を驚かせようと暗闇の中で息をひそめていた咲だったが、驚いたのは咲の方だった。

 

「フィーン……!」

 

 彼女の後をついて入って来た魔猫の身体が、突然モコモコと大きくふくらんでいく。

 

「えっ、え……っ?」

 

 咲が冷静に戻ったころには、魔猫はもはや猫とはいえない姿をしていた。

 ツヤツヤした黒の体毛や耳などはそのままに、それ以外はたくましい身体付きの男性。咲のひと回り以上の体格差がある。

 

 耳を伏せ、しっぽを丸めて咲は後ずさりしたが、やすやすと捕まってしまった。魔猫は咲におおい被さり、周りの洋服は二人(匹)を埋めたままで逃げ出せそうにない。

 先ほどは分からなかった魔猫の獣独特の匂いが、咲に身の危険を教えた。

 

「お、落ち着いて……ね?」

 

 ダメ元で咲は話しかけたがやっぱり通じない。魔猫はふんふんと鼻を鳴らし咲に顔を近付けるだけだ。

 素朴で愛嬌のあった表情は変わらないが、不釣り合いな男性の骨格と相まって何を考えているのか分からない。逆に不気味だった。

 

「っ……!」

 

 魔猫がふいに咲の頬をなめた。ざりっとした舌ざわりに咲は身震いする。肌が少しずつ削り取られていくような痺れを覚えた。

 

 ひとしきりなめて満足したのか、魔猫は今度は咲の首すじに顔を寄せた。そこには毛が生えていない。やわらかい魔猫の毛がそよそよとむき出しの肌を撫でる。

「んっ」と小さな吐息が咲の口からもれた。

 

 またなめられると咲が身構えていると、魔猫は大きく口を開けた。そこからのぞいたキバが唾液で光ったかと思うと、咲の首の後ろにがぶりと食いついた。

 

「い……ッ! だ、め……かんだら……」

 

 最初に身体に変化が起きた直前、魔猫に指をかまれた。今度はどうなってしまうのだろう。

 不安で痛みもあって逃げ出したいのに、咲は支配されたように身体を動かすことができない。

 しゅんしゅんと再び身体が変化していくのを感じる。咲は半分あきらめたように瞳をとじた。

 

「そこにいるのですか。マスター……いや、咲」

「…………?」

 

 あまりに落ち着いた男性の声に、咲は初め幻聴かと思った。

 自分をマスターと呼ぶ人物など魔人しかいない。いつから、どうやって、どうしてという疑問が浮かんでは消える。首の痛みで咲の頭は朦朧(もうろう)としていた。

 

 

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