魔人さんと無欲少女   作:ほやしろ

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#3-2 魔猫の無欲少女

 魔人が(さき)の部屋に訪れる少し前。

 

 ひょう太の部屋には魔猫と呼ばれる魔界の生物が2匹いた。メムメムの上司が世話をするよう、メムメムに頼んだのだという。

 

「頼まれるの実は3回目なんすよ。最初に世話した時になぜかメムメムに懐いて、2回目は色々大変だったんですけど」と、ひょう太が魔人に話した。

 

 魔猫は魔界でもポピュラーな愛玩動物だ。生存競争の激しい魔界で野生として生き残るには柔弱すぎたが、悪魔にその価値を見出されてから今日に至るまでは割と早かった。

 

 それでも魔猫には野生の名残りがいくつかある。

 暗闇に入り身体を変形させて人型を模したり、相手にかみ付いて魔力を送り込み、自身と同じような魔猫に変形させることができるのだ。

 当然悪魔は対処法を開発済みだ。今現在は、そもそも変形能力を伴わない種を生み出そうと改良が進められてはいるが。

 

 魔人は昨今の魔猫事情を思い出しながら、メムメムとひょう太が道具を使って魔猫を遊ばせているのをながめた。

 

「黒い方もそっち行ったぞ」

「ホッハッ! どーです慣れたもんでしょう」

「はいはい。また噛まれないように気をつけろよ」

 

 一般的に魔猫は白いのだが、ここにいる一匹のように黒い魔猫も稀にいる。中でもオスは希少種なため高値で取引される。魔人も実際に目にするのは初めてだった。

 

 それだけ値の張るものを一匹とさらにもう一匹。どちらの魔猫も毛艶が良く、額の石は磨かれた宝石のようだ。メムメムの上司は高名な悪魔かよほどの魔猫好きなのだろう。

 魔人は黒い魔猫がひょう太の部屋から出て行くのを無言で見送った。

 

 

 

「あの部屋ってことは、アレ青柳(あおやぎ)先輩か!」

 

 咲が黒い魔猫を抱えて自室へ走り去る姿を、ひょう太たちはかろうじて目撃していた。

 ひょう太の挙げた名前にピンとこなかった魔人とメムメムは誰? という顔をみせた。

 

「先週来てたじゃないすか。ほら、新しくマスター(?)になった——」

「ああ……そういえばそうでしたね」

 

 誤ってランプのフタを開け、マスターではなく名前で呼ぶよう言った娘。あの日以来一度も姿を見ていない。魔人は忘れていたわけではなかったが、願いを叶えるのに積極的でない人間をせっつくのは億劫に感じていた。

 そろそろ何かしら思い付いているだろう。と、魔人はメムメムを見下ろした。

 

「マスター、上司から薬剤を預かっていますよね?」

 

 話しかけられたメムメムは未だ誰のことか分かっていない様子ながらも、小さなマントから一つの箱を取り出して魔人に手渡した。

 魔界らしい不気味な装飾がされた宝箱。魔人は顔色一つ変えずに開けた。中には薬剤が入れられた注射器型の容器と予備が入っている。一度使用されたのか、予備の容器は空だった。

 

「魔人さんが行ってくれるんですか?」

「仕事のついでですので」

 

 魔人は上着の中に箱をしまいながら答えた。質問したひょう太が何か言いたげな顔をしている。

 

「なんですか小僧?」

「その、なんというか……大丈夫ですか?」

「どういう意味です」

 

 ひょう太は説明しようと口を開けたが、咲の去った方をちらと見たあとなぜか徐々にその頬を赤くしていく。

 

「いや魔人さんなら大丈夫か……やっぱりなんでもないっす」

「はあ、」

 

 照れ隠しにひょう太は両手を振った。魔人はけげんな顔を向けた。

——娘の変身を解除しその願いを叶えてやるだけの取るに足らないことだ。

 心配される所以(ゆえん)はない。と、彼は早速魔術を発動させて自らを転移させた。

 

 

 

 咲の部屋に訪れた魔人は、あたりを見回すと不快そうに眉を寄せた。

 床の一面は服が散乱し足の踏み場がなく、窓から流れ込む風に揺れるカーテンはビリビリに裂かれている。はっきり言って汚い。

 

「ま、魔人さん、ですか……?」

「はい」

 

 くぐもった辛そうな声の咲に対し、魔人は淡々と返した。

 

「魔猫も一緒ですね? とりあえず出てきてください。変身を解除いたしますので」

 

 魔人は服で築かれた大きな山に声をかけた。人型に変身した魔猫と咲が一緒にいるのは明白だった。

 ピクリと山が反応したあと、中から弱々しい咲の声がもれた。

 

「……ダメ、ダメだよ……」

「何を言ってるんです」呆れた魔人に咲は続ける。

「落ち着いて……大丈夫だから……ね?」

 

 咲は子どもをあやすような声で言った。彼女は魔人ではなく魔猫に話しかけていた。

 魔人は山に一歩近づいた。グルルル、と地響きのような唸り声が部屋に響く。変身した魔猫のものだ。

 

「うっ……!」

 

 小さなうめき声のあと、咲の息づかいが荒くなった。大きかった山がひと回り小さくなった。

 

「咲、早くそこから出てください。人間が魔猫にかまれ続ければ、元に戻れなくなるかもしれません」

「! それは……困るのですが……」

「だったら——」

「でも、そうすると……この子、魔人さんをおそってしまうかもしれません……」

「!」

 

 魔人は目を見開いた。そしてまたかと深いため息をついた。

 つい先日のことを思い出したのだ。

 

 

 メムメムにランプを壊された日。彼女の魔力が魔界の塵以下だと判明したあと。魔人はランプを直すため、別の者からパワーを吸収し、それをメムメムの魔力に変換しようとした。

 

 あてがあると案内された先は、あろうことか悪魔の天敵である悪魔狩りの大家(たいか)。しかしその悪魔狩りである娘は呪いを受けており、メムメムにすら勝てないほど弱体化していた。

 ただしその呪いは対悪魔にのみ作用するもの。魔人は彼女に太刀打ちできなかった。やられる、と思ったすんでのところで、メムメムが身を挺して彼をかばったのである。

 

 これまで仕えてきた数多(あまた)の主人たちから道具扱いされ消耗品と罵られるのが当たり前だった魔人にとって、メムメムの行動は理解しがたいものだった。

 

 

「まったく……マスターといい小僧といい……」

 

 ここの住人はどうにも解せない。

 奇妙な気持ちを抱きながら魔人は吐き捨てるようにつぶやいた。

 

 山はまた一際小さくなった。このままでは咲は本当に戻れなくなる可能性がある。

 魔人はつかつかと山に歩み寄った。冷やりとした風を受けて、彼のウェーブがかった黒髪が優雅に揺れる。フウーッと威嚇する魔猫をものともせず、魔人は口を開いた。

 

「たしかに、ランプが壊れた影響で私は万全な状態ではありません——が、」

「……?」

「あなたに心配されるほどヤワでもありません」

「す、すみません……?」

 

 よく分かっていないような咲を無視して魔人は山の側に片膝をついた。上着にしまっていた箱から注射器を取り出し、山へ手をかけた。

 

「……咲、どういうつもりですか」

 

 服をめくろうとした魔人の手を、内側から何かが妨げている。隙間から黒い両手がのぞいていた。

 

「あ、あの、私……その、服が脱げてしまって、それで……」

 

 震えながら咲が言った。

 そんなことは知っている——と口にしようとして、魔人は明らかに不機嫌なオーラをにじませた。

 

「……まさか、今度は私におそわれるとでも? そのようなバカげた、品のない事を私が?」

「め、滅相もありません!」咲は慌てて加えた。

「品がにゃいということは同意です……! 私は、この姿を誰にも見られたくにゃんにゃんにゃあーん」

「⁉︎」

 

——マズイ。悠長に話をしている場合ではなかった。

 咲はうにゃうにゃと言葉にならない鳴き声を上げている。

 

「開けますよ。一瞬で済みますので」

 

 魔人は勢いよく服をめくった。咲と魔猫の姿があらわになる。魔猫は徐々に人型から元の獣の姿に戻っていった。

 注射器を構え、躊躇なく咲の腕にあてがった魔人だったが、彼女の姿をまじまじと目にしてピタリと動きを止めた。

 

「————」

 

 魔人は息をのみ、食い入るように咲を見つめた。魔猫よりは大きいが元々の咲の大きさに比べると随分小さい。

 彼女本来のしなやかな痩身をおおう濡れ羽色の毛並み。部屋の照明に反射して一本一本がきらめいている。

 

 伏し目にかかる長いまつ毛には涙の雫が飾られていた。顔を上げた咲の不安げな瞳と目が合う。瞳孔は段々と細くなり、魔猫の額にある赤い石のように淡く優しい光を放っていた。

 獣とも人とも言えない、華奢で儚げな姿だった。

 

「フィーン……!」

「! しまっ——」

 

 咲の膝元にまるまっていた魔猫が魔人の手を引っかいた。はめていた白い手袋が破れ、手の甲にひずみが生じる。

 持っていた注射器は宙を舞い、壁に当たってパリンと割れた。中の薬剤が壁を伝って床に垂れていった。

 

「にゃん……?」

 

 魔人がきまりの悪い顔をする理由が分からず、咲は首をかしげて一声鳴いた。

 

 

 

「——調合の心得はありますがおそらく数時間かかります。その間咲には待っていただく他ないのですが……」

 

 魔人はそう言って毒々しい色の液体が入った試験管を揺らした。コポコポと小気味良い音を立てて気泡が上がる。

 テーブルの上は、咲の部屋には不釣り合いな化学器具に占領されていた。

 彼が調合しているのはもちろん、咲の変身を解除するための薬だ。注射器は魔人が魔術を使ったため容易に直ったが、中の薬剤はほとんど蒸発してしまった。

 

 咲はというと、テーブルに並ぶ珍しい道具を遠くからおっかなびっくりのぞいている。魔人の言葉は届いていないようだった。

 テーブルにそろりと忍び寄ろうとして、咲はパチパチとまばたきした。液体の匂いが刺激的だったらしい。

 彼女の思考や行動はすっかり猫と化していた。

 

「にゃ〜……」

「咲、危ないので離れていてください」

 

 魔人は咲を直接見ずに言った。言葉自体は理解しているようで、咲は一声鳴いたあと素直にテーブルから後ずさりした。

 

 部屋に静寂が訪れる。

 正確には魔人が気まずさから耳を塞いでいた。

 

 なぜ咲から目を離せなかったのか分からない。

 視界に入れば再び見入ってしまいそうで、咲のいる方へ顔を向けたくない。

 魔猫を(ひょう太の部屋へ)帰すんじゃなかった。と思いながら、魔人は調合に集中した。

 

 

 ふいに視線を感じ、魔人は横目にそちらを見た。咲がそわそわと首を伸ばして手招くように片手を振っていた。

 窓からそよそよと吹く風が、魔人の頭の両側に生える悪魔の角めいた触覚を揺らす。咲はよほど気になるらしく、一生懸命その動きを追っていた。

 

 魔人は大きなため息をつくと人差し指を立てた。

 窓はひとりでに閉まり、ボロボロのカーテンも魔人の髪もやがて動きを止めた。

 

「……離れているよう言ったはずですよ」

 

 集中を削がれたことで魔人の声には少々厳しさが混じっていた。咲からの返事はない。

 

「聞いているのですか咲?」

「……にゃん」

 

 ぽつりと悲しげに鳴いた咲に、魔人は思わず顔を向けてしまった。淋しそうな顔をしていた咲は魔人と目が合うと慌てて顔をそらし、くしくしと顔面をこすり始めた。

 数種の液体を混ぜたビーカーから煙が上がった。あとはろ過を行うだけだ。装置に流し込むだけなので、その間魔人も手持ちぶさたになる。

 

「…………仕方ないですね」

 

——そう。仕方なくだ。

 魔人は半分自分に言い聞かせるようにして手のひらを上に向けた。ポンッとはじけた音と共にいくつもの道具が出現した。魔猫じゃらし、小さな魔獣のぬいぐるみ、魔猫用ブラシ、などなど。

 それらを咲が見やすいようにきっちりと宙に浮かべる。

 

 咲の狩猟本能が目覚める。小さく身構えしっぽの先端を小刻みに動かす。その瞳は好奇心でらんらんと輝いていた。

 

 魔人は満更でもなさそうな顔で、

「さて——どれから始めましょうか」と言った。

 

 

 

 咲は魔人の膝に頭をのせてゴロゴロとのどを鳴らしていた。頭や背中の上をまんべんなくブラシが往復する。遊び疲れた身体がほぐれるのに丁度いい強さで、咲はゆっくりとまばたきした。

 ひとしきり撫でてもらったあと、咲は大きく伸びをした。夢の中に沈むのも時間の問題だった。

 

「そろそろだな」

 

 魔人が手を止めて何事かつぶやいた。咲がどうしたのかと顔を上げようとした瞬間、首すじにチクリと何かが刺さる。

 にゃっと飛び起きた咲は自身の身体が段々と大きくなるのを感じた。黒い毛は短くなっていき、代わりに素の肌と洋服が中から現れる。

 

 その内身体の変化はおさまったが咲は内心まだ困惑していた。そのすぐ耳元で低い声に話しかけられた。

 

「急ごしらえではありましたが上手くいったようですね。具合はどうですか? 咲」

「!」

 

 ビクリとして咲は目を上げた。すぐ近くに魔人の顔があった。

 キリッとした濃く太い眉。目尻に伸びる長いまつ毛。深みがあり高貴を感じさせる紅色の瞳。中性的な美貌を持つ魔人と視線が重なる。

 両手には弾力のある感触。魔人の膝だった。

 咲は顔を赤くし、慌ててそこから身を離した。

 

 私は今まで何を——?

 咲は必死に記憶を辿った。

 そうだ。魔人がいつの間に部屋に現れ、言葉が話せなくなり、元の姿に戻るための薬を魔人に作ってもらうことになったのだ。

 

 その間私は——?

 記憶がよみがえっていく。嫌な予感がした。

 猫じゃらしやおもちゃを追いかけて部屋中をかけまわり、棚の上に登って降りられなくなったため魔人に抱きかかえられたり、魔人に甘えて身体をこすりつけたり手袋をなめたり……そしてたった今、魔人の膝の上でブラッシングされていたところだったのだ。

 

「あ……わ、私……本当に、ごめんなさい……」

 

 咲の顔は一気に青ざめた。我儘に振る舞ってしまった自分が恥ずかしく情けない。そしてそれ以前に申し訳ないという気持ちの方が大きかった。

 しかし魔人はそんな咲を意に介さず、

「ふむ、言葉も戻ったようですね」と一人うなずいた。

 

 その真顔からは感情が読み取れない。が、少なくとも怒っているわけではなそうだった。

 気を落ち着かせてから咲は改めて魔人に頭を下げた。

 

「ご迷惑かけてしまってごめんなさい。今回も助けていただいて、ありがとうございました」

「……いえ。今回は私の油断が招いた結果ですので、お気になさらず」魔人はどこか言葉をにごした。

「油断、ですか? そんな風には全然——」

 

 咲が言葉を言い終えるより早く魔人がスッと立ち上がってあたりを眺めた。

 

「この部屋はいつもこのような状態ですか?」

「いえ……あの子と遊んでしまったからですね」

 

 破れたカーテン、引き出しが全て開いた棚、布団の乱れたベッド、床に散らばる洋服。我ながらひどい有り様だ。

 寝るまでに片付け終わるだろうか、と咲は苦笑した。

 

「手は足りますか?」

「……手伝っていただけるんですか?」

「このままでは不便でしょうし」魔人はコクとうなずく。

 

 そういえば今日五木荘の庭を清掃したのは魔人で、最近毎日何かしら手伝ってくれるのだと大家に聞いたばかりだった。

 咲は誰かに頼るのがあまり好きではない。初めは断ろうとしていたが、あることに思い当たった。

 

「そうですね……では、()()()してもいいでしょうか?」

「承りました」

 

 魔人にはカーテンを取り換えてもらおうと咲も立ち上がった矢先。魔人が手袋をはめた人差し指を立てた。何かが指先に集中している。キイィ、と光が集まったかと思うと、魔人はその指をくるりと振った。

 気づけば荒れていた部屋が一瞬にして整理整頓されていた。魔猫を連れて来たばかりの部屋と寸分違わない状態だった。

 

「! 全部元通りに……魔人さんが直してくれた、んですよね……?」

「たやすい願いだったので」

 

 そんなことはないと咲は思ったが魔人は相変わらず無表情だった。彼にとっては本当に大した願いじゃないのだろう。

 ともかくこれで"マスター"から解放される。心のわだかまりが解けていくのを感じて咲は笑顔をみせた。

 

「願いを聞いてくださってありがとうございました!」

「……元よりそのつもりでしたから。願いに関しては、また改めて」

「え……っ?」

 

 はぐらかすような言い方だった。咲が聞き返そうとすると窓から一際強い風が入って来た。そちらを見やって再び視線を戻すと、魔人は忽然(こつぜん)と姿を消していた。

 また夢かと思ったが首にはたしかに噛まれた痛みがある。

 驚くのも忘れ、咲は一人つぶやいた。

 

「今……噛み合ってなかったような……?」

 

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