魔人さんと無欲少女   作:ほやしろ

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#4 無欲少女の赤い実は

 部屋の姿見の前に立ち、(さき)は首をひねっていた。

 

「やっぱり……派手じゃないかな……?」と、鏡の前でつぶやく。

 

 黒い猫耳と赤いリボンの付いたカチューシャ。膝丈の黒いワンピースに、フリルがついたオフホワイトのエプロン。いわゆるメイド服だ。

 

 咲は身をひるがえした。ワンピースとエプロンがふわりと舞い、隙間から太ももがのぞいた。靴下をはくつもりだったが、当日もグレーのタイツをはいた方が良さそうだ。

 エプロンの結び目からは、細長い黒猫のしっぽが生えている。猫耳を含めもちろん偽物なのだが、今にも動き出しそうな(無駄に)精巧な作りだと咲は思った。

 

 この衣装は咲の趣味ではない。咲がメインでバイトしている"くろねこケーキ屋"という洋菓子店の店長の趣味である。今回のメイド服は、ハロウィンも兼ねた新しい制服だった。

 高校入学時から咲はそこで働いているが、年々派手になっている気がしていた。

 

 そう思いはしても、咲はそこまで嫌がっているわけではなかった。普段着ることのない衣装に袖を通すことで、別の自分に成り代わった気分を味わえるからだ。ちなみにそういう理由で、咲は年末年始になると近くの神社で巫女として奉仕している。

 

「そろそろできたかな?」

 

 咲はメイド服を着たままキッチンへ向かった。

 鍋の透明なフタからはとめどなく蒸気がふき出ていた。火を止めゆっくりとフタを開けると、蒸気が勢いよくあたりに広がり、さわやかな酸味が咲の鼻をかすめた。

 

 いまだぐつぐつと音をあげる赤いスープの中に、色とりどりの野菜や豆、ベーコンが浮かんでいる。トマトをベースにしたスープが具材に染み込み、その出汁はスープに溶け込んだようだった。

 

 咲は野菜に火が通っているか確認したあと一口味見した。自然な甘さが口の中に広がる。煮込む前に野菜をじっくり炒めたおかげだ。ベーコンの塩気だけでも十分だったが、調味料で軽く味を整えた。

 

 スープを冷ましている間に、咲はテーブルやその周りを整理し始めた。

 メイド服は可愛さ重視かと思いきや意外に動きやすい。バイト中も支障ないだろう。咲は店長のこだわりを強く感じた。

 

 もう一度鍋を火にかけ、キッチン上の棚から食器を出しながら、ふいに咲は笑いが込み上げた。

 

「この格好で掃除するって……ふふ、ちょっと魔人さんみたい」

 

 当然今は部屋に咲一人。咲自身、もちろん独り言のつもりだった。しかし背後から返事があった。

 

「私が何ですか」

「きゃああ‼︎」

 

 悲鳴を上げ身体が大きく揺れた咲の手から、重ねた食器がすべり落ちた。あっと気付いた時には床に触れる寸前で、破片が飛び散るのを恐れた咲は顔をおおった。が、食器の割れる甲高い音は一向に起きない。

 おそるおそる顔を上げると、魔人が全ての皿をそれぞれ器用に持って立っていた。

 

「……あ、ありがとう、ございます……」

 

 しどろもどろになりながら咲は皿を受け取った。

 魔人には色々と聞きたいことがある。何から聞くべきか迷っていると、魔人と視線が重なった。

 彼はふいと顔を背け、気まずさとやや呆れが混じった声で言った。

 

「……咲、また魔猫にかまれたのですか」

「ち、違います!」咲は慌ててカチューシャを外した。

「これは私のアルバイト先の新しい制服で、今度のハロウィンに向けて支給されたものでして……! 今は試着も兼ねて部屋の掃除をしていたところで……ですから、私の趣味というわけではなくてですね……!」

「はあ、」

 

 咲が早口に弁解したのを魔人は一言で返した。別段気にしていない様子だったので、咲も気を落ち着かせてから改めて魔人にたずねた。

 

「それで……魔人さんはいつから、いえ、どうやってここに……?」

「つい先ほど、これで参りました」

 

 魔人はそう言って白い手袋をはめた手のひらを上に向けた。すると人一人通れるほどの大きさの、金属でできたような頑丈な輪っかがフッと出現した。

 魔人曰く、彼の魔力でもってほぼどこにでも行ける魔術だという。最初に咲をひょう太の部屋に運んだのも、咲が魔猫に変身した時の出入りも、それを使ったとのことだった。

 

 便利な道具だと驚きつつ、友人の美由から聞いたことがあるアニメに出て来る青い猫型ロボットを重ねてしまい、咲の口角が少し上がった。

 

「ところで……魔人さん、何のご用ですか?」

「あれから一週間経ちましたので、"願い"もお決まりになったかと」

「……以前部屋を片付けていただいたのは、"願い"に入らないのですか?」

「以前お伝えした通り、私の不注意のせいでもあるのでお気になさらず」

「そうですか……」

 

 先週、魔人との別れ際、会話が成立していないように感じられたのは気のせいではなかったのだ。咲は残念に思いながら、願いはまだ決まっていないことを魔人に謝った。

 

「構いません」

 

 魔人は静かに首を振った。咲はホッとしながら火にかけていた鍋を下ろした。

 けれど根本的な解決には至っていない。咲が願いを決めない限り、魔人はこうして不定期に(勝手に)部屋へ訪れる可能性があるということだ。

 

 ——それは困る……!

 

 咲はできるだけ丁寧に、魔術で部屋に来るのはやめるよう言おうと、魔人を盗み見た。

 魔人は紅い瞳を見開き、しげしげと何かを見つめている。視線は咲の手元。鍋の中身に興味があるようだった。

 

「あの、どうかしましたか?」

「それは何の獣の血液ですか?」

「血ではないです……!」

 

 たしかに赤いですが、と苦笑したあと、咲はミネストローネだと答えようとした。が、それだけでは不十分かもしれないと思い直した。

 魔界の住人である魔人にどこまで教えるべきか迷ったが魔人は嫌な顔一つせず黙って聞いてくれる。咲は一通り説明していった。

 

「なるほど人間の料理は奥深い……」

 

 そう言って魔人は両目をつむった。目尻に伸びた長いまつ毛と下まつ毛が左右対称に整っている。改めて見ても鼻筋が通った美形だ。

 咲は気恥ずかしくなってきた。

 具材を切って炒めて煮込んだだけのシンプルな調理に、そんなに大げさなことを言われるとは思わなかった。

 

 それを隠すように、咲はまだスープに興味がありそうだった魔人に向かって、

「もしよかったら、ご一緒にいかがですか?」と思わず口にしていた。

 

 魔人は面食らった顔を見せた。

 名前で呼んでほしいと彼にお願いした時と同じ反応だったため、咲は慌てて両手を振った。

 

「あ……っ、すみません急に……。魔界にはない食べ物ですし、口に合わないですよね。ごめんなさい」

「……いえ、いただきます」魔人は小さく言った。

「そうですよね。引き留めてしまってごめんなさ……えっ、いいのですか?」

「咲がそう仰るなら断る理由はないので」

 

 それが当たり前だとでもいうような言い方に、咲はもの悲しさを覚えた。その理由はすぐにわかった。魔人に命令だと思わせてしまったのが悲しかったのだ。

 

「そういうつもりで言ったわけではないんです。あ、でも、もしそれが"願い"になるなら……」

 

 咲はダメ元で言った。一緒に食事するだけなら魔術を使う必要はない。魔人はたちまち首を振るだろうと思っていた。

 だが魔人は少しうつむき、返答を考えている様子だった。そのあいだ、秋風の涼しい空気が窓から流れ込み、魔人のウェーブがかった髪をそっと撫でていた。

 

「私は魔力さえあれば朽ちることはないので食物を摂取する必要はありません」

「そうなんですね……?」

「しかし味覚はあります。マスターや小僧と食事を共にすることも少なくないですし、口に合わないと思ったこともありません」

 

 つまり……?

 咲は魔人の言わんとしていることが何なのか考えた。

 

 マスターとは言わずもがなメムメムのことだろう。小僧は誰だろうと一瞬考えたが五木荘で当てはまるのはひょう太以外いない。普段から二人と食事するということは、(残念ながら)願いには含まれないということだ。

 そして、咲と昼食をとることも特に嫌には思っていないと考えて良さそうだった。

 

 相変わらず無表情な魔人に向かって、咲はにこりと笑顔を見せた。

 

「では、準備しますね! 少し待ってていただけますか」

 

 咲はテーブルに座るよう促したが、魔人は手伝うと言って聞かなかった。

 冷蔵庫には事前に作って冷やしていたサンドイッチもあり、それを取り出すと魔人が再び興味を示したので、咲はスープと同じように丁寧に説明していった。

 

「これは……野菜の甘味がトマトの酸味と非常に合いますね。ベーコンなどの塩加減もちょうど良く——美味です」

「こちらのサンドイッチも材料は卵とマヨネーズだけのシンプルな具ながら、飽きのこない味ですね。ミネストローネとの相性が抜群です」

 

 魔人がそれぞれ口にしたあとの第一声だった。

 TVで見るような食レポで料理を褒めちぎるので、咲は頬を染め、「あ、ありがとうございます……」とお礼を言うので精一杯だった。

 

 初対面では見た目こそ怖いと思ってしまったが、燕尾服という外見をふくめても魔人はまさに執事だった。言葉遣い、食事の準備、食べ物を口に運ぶ姿——その一つ一つがとても丁寧だった。と思えば、人間の食事に興味を示し純粋に感動する様は、どこか可愛いらしささえ感じてしまう。

 

 突然部屋に現れたことには目をつむろうと、食事に夢中になっている魔人を見て咲は思った。

 

 

 

 しばらく魔人は咲と二人で静かに食事を続けていた。あらかた食べ終えたところで、咲がテーブルに置いていた機械から音が鳴った。

 通信機のようなものだろうか。魔人が考えていると、咲は申し訳なさそうに頭を下げその機械を耳に当て話し出した。

 

「もしもし、どうしたの?」

『咲ー! ごめんー明日の時間割教えて! アプリに入れ忘れちゃってて……』

「時間割? ちょっと待ってて」

 

 機械の向こうからもれる甲高い声。対照的な落ち着いた声で、咲は機械を操作しながら喋っていた。その姿を横目に、魔人は空になった食器類を重ね始めた。

 

 どことなく違和感を覚え、魔人は彼女らの会話に耳を傾けた。

 内容はほとんど分からない。が、咲の口調が随分くだけていることと、つい先ほどまで動揺したり顔を赤くするなどの臆病な態度とは正反対であることに気付いた。

 

 ——だからどうだというのだ?

 

 そう思いながらも魔人はなぜか釈然としなかった。

 咲はこれまで仕えてきた主人とは違う。それだけのはずだ。

 臆病な態度に加え、咲があまりに礼儀正しく接するので、魔人は咲との距離を測りかねていたのだった。

 

「それから明日の古文は小テストがあるからね」

『そうだった! ありがとう〜!』

「範囲はわかる?」

『ええと〜……あ、書いてあった!』

「じゃあ大丈夫だね。それじゃまた明日ね美由」

『うん、ありがと咲! ばいばーい!』

 

 咲は持っていた機械の画面をタッチして通信を切ったようだった。魔人は食器類を全て片付け終え、今はテーブルを拭いているところだった。

 

「ご、ごめんなさい! 準備だけでなく片付けまでしていただいて……」咲はまたへりくだった。

「食事をいただいた身ですからこのくらい当然です」

 

 テーブルを隅々まで拭きあげたあと、魔人は布巾をたたんだ。咲は申し訳なさそうにしている。やはり態度が全く違う。

 わだかまりを不快に思ったものの言葉にするには煩わしい。その考えを振り払うように、魔人は軽く咳払いした。

 

「それから、」

「?」

「咲はもう少し遠慮を捨てるべきです」

「遠慮、ですか?」

「私に対してそうかしこまる必要はありません」

「…………」

 

 咲は目を丸くした。そんなことを言われるとは思わなかった、という顔だ。

 魔人はやや後悔した。理由を聞かれたらうまく説明できそうにない。

 そんな考えとは裏腹に咲は顎に指を当てた。

 

「……魔人さんも一緒だと思うんだけど……でも私もマスターとは呼ばないようにお願いしてるもんね……」咲はぶつぶつとつぶやいた。だが魔人にはよく聞こえない。

 

 やがて咲は魔人に向き直ると、わかったという一言と共にはにかんだ笑顔を見せた。その頬は、先ほど口にしたスープの赤だった。

 

「………トマト」

「えっ?」

「いえ、何でも」

 

 咲の髪がなびく。柔らかな風が赤い頬を隠した。

 

「テーブルありがとう。あとは、私が片付けるね」

 

 はにかんだまま布巾を受け取った咲は、逃げるように、すぐさまキッチンへと向かっていった。

 水の流れる音が遠い。他に手伝うこともない。気もそぞろだった魔人は帰ろうとした。

 

「魔人さん、」咲がためらいがちに呼びかけた。

「お茶を用意しようと思うんだけど……よかったら、飲んで行く?」

「いただきます」

 

 魔人は反射的に答えた。

 出されたお茶を飲み、ひょう太の部屋に帰るまで、魔人は半分上の空だった。

 一瞬だったにもかかわらず咲のはにかんだ笑顔がなぜだか印象的で、彼の脳裏に焼きついてしまっていた。

 

 

 

「ところで魔人さん、次に部屋に来るときなんだけど……できればその、ノックをしてほしいというか……」

「ノック?」

「ほ、ほら、突然来られるとびっくりするから」

「……ではあちらから参ります。小僧の部屋ではそちらを寝床にしているので」

「やっぱりドラえもん……!」

「なんですか?」

「いえ、なんでも!」

 

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