女神ニエーナ様は常に地上に生きる全ての人類を優しく見守っておられます。
畑を耕す、獣を狩る、漁に出る、糸を紡ぐ、鉄を鍛える、料理をする、学ぶ、永遠の愛を誓いあう…人の営み総てを等しく慈しんでおられます。
女神様は私たちを愛してくださっています。ですが、だからこそ女神様は滅多なことでは地上に干渉なされません。私たちが困難に立ち向かい、力を合わせて乗り越え、成長することを望んでおられるからです。
しかし、人々がどれだけ頑張っても覆せない事態へと陥ってしまった時、そんな時には女神様は直接の救いを与えてくださるのです。それは、何年もの干ばつに苦しむ地に恵みの雨を降らせたり、恐ろしい流行り病に侵された地に万病を直す薬草を生やしたりといった奇跡の数々です。
―――そして。魔王と魔族、そして魔物。邪神の眷属たる存在が私たちの暮らしを脅かす時。その時、女神様は人の中から特に尊い魂を有した者たちを選び出し、世界を救うための力を授けるのです。
◆
生まれ育った町が魔族に率いられた魔物の大群に襲われた日。
鳥型の魔物が教会に隣接した孤児院へと襲来した。
私はたまたまそこにいて。どうすればいいかなんてわからなった。突然の事態に驚いて恐怖して頭の中ぐちゃぐちゃで。
それでも、泣いている子供たちを守らなければらならないってことだけはハッキリと分かったから。
方法なんてわからないまま、それでも子供たちと魔物の前に立ち塞がって。
そしてその時、私は神の御声を聴いたのです。
私は「聖女」なのだと。
与えられた力で街の皆を救えと。
魔物という脅威を排除し、邪なる存在である魔族を討ち滅ぼすのだと。
そうして、世界中の人間を救いなさいと。
「聖女」の力は凄まじくて、体から放出された白い光が一瞬で鳥型の魔物だけを消し飛ばした。
怖くなかったと言えば噓になる。ずっと戦いとは無縁で暮らしてきた、ただの町娘でしかなかったのだから。
困惑した。恐怖した。逃げ出したくもなった。
でも、何よりも。
皆を救えるかもしれないということより重視すべきことなんて無かった。
孤児だった私を実の子供のように育ててくれたお父さん。もう若くないのに私を育てるためにって毎日頑張って働いてくれている。実は、昔は盗みとかをしちゃっていた悪い人だったらしい。自分がどれだけ悪いことをしてきたのかって語り聞かせては俺のようにはなってはいけないっていうのが口癖。読み書きだってできないような身の上だったけど、私を育てるために一から手探りで商売を続けてきた凄い人。いつもいつも自分のことをどうしようもない悪党だって言うけれど、私にとっては格好良くて尊敬できる世界でただ一人のお父さん。そんなお父さんが魔物に殺されてしまうなんて耐えられない。
町の衛兵隊の女隊長さん。見習い時代に小悪党時代のお父さんを追いかけまわしていた仲らしい。今でも監視の名目でしょちゅう、というか毎日来ている。私はお母さんになってくれるの全然構わないどころか嬉しいんだけどな。そんな彼女は今まさに衛兵を率いて戦っている。
読み書きを教えてくれた教会のシスターさん。彼女は長年連れ添った夫を魔物に殺されてシスターになった人。とても悲しい過去を背負っていて、それでも笑顔を絶やさず困っている人に手を差し伸べてくれる凄い人。大切な誰かが魔物たちに殺されてしまうような悲しみを、再び彼女に与えるわけにはいかない。
お父さんと私のお店にいつも来てくれるお客さんたち。いつも朝一でくるお爺さんは今日こそシスターさんを口説くんだって決意を語るけど、いざ本人を前にすると何も言えなくなっちゃう。豪快な笑い方をするドワーフの奥様はいつも美味しい料理をお裾分けしてくれる。美しいエルフの奥様の大きくなったお腹には新しい命が宿っている。いつも冷やかしにくる近所で有名な悪ガキは、最近好きな人ができたらしいと専らの噂だけど、一体誰なんだろう。他にも他にも他にも。みんなみんな日々を精一杯生きていて、それぞれに大切なものがある。
そんな彼らがまた笑って明日を迎えられるのなら。
聖女の力があれば夢物語ではなくなる。私が彼らの平穏な日々を護ることができる。
だから私は教会へ聖女に選ばれたことを伝え、力の使い方を教えてもらって、そのまま単身で殴りこんだ。シスターさんを筆頭に何人もの人が必死に止めてくれたけど、聖女の力で振り切った。もうこれ以上町の人たちが悲しむのを見ていたくはなかったから。
そして、私は出逢った。
森の中、不自然にも木々が無い開けた所。陽光が降り注ぎ、神聖な雰囲気を感じるその場所で。漏れ出る力だけで気を失いそうになるほどの尋常ではない魔力を有する怪物を。そして
◆
今、私の目の前には国の中枢で働く偉い学者さんがいる。
聖女とならなければ一生会う機会など無かっただろう凄い人だ。本なんて高級なもの滅多に読まない私でも名前を知っているくらい。
「すまないね、聖女ソレイユ様。何度も話しただろうに。けれどやっぱり詳しい話を聞いておきたくてね。魔王の話―――それと、魔王が町に攻め入るのを単身で食い止め、力及ばず攫われた青年の話を」
街に戻って直ぐに、私が目撃した存在こそが魔王だったのだという神託が下された。
それはもう大騒ぎだった。魔王と相対したことが判明した私は皆から凄く心配された。
「衛兵の1人が君の証言と合致する青年の姿を目撃していたよ。見慣れないものではあったが洗練されている仕草と丁寧な言葉遣い、そしてどこか異国の非常に上等な衣服を繕いながら、しかし頑なに身元は明かさない。どこかからの亡命だと思ったようだが、魔物に襲われている町では安全とは言えないし、政治的いざこざを抱えるような余裕もないということでお引き取りを願ったそうだ。その際、件の彼は罵るでも悪態をつくでもなく、ただ申し訳なさそうにしていたということだよ。魔物に襲われている中でもきちんと対応をしてくれたことに感謝の言葉すら告げる始末で、衛兵は非常にいたたまれない気持ちになったと証言している」
間違いない、彼だ。
あんなに上等な衣服は中々みられるものではない。私が見た時には既に彼が討伐した魔物の返り血と、恐らくは彼自身の血で真っ赤になってしまっていたが、それでも布地や仕立ての素晴らしさは見て取れた。
もしかしたら彼はどこかの国の貴族やそれに近しい存在だったのかもしれない。
そして、それにも関わらずに驕らず、誰かへの感謝の心を忘れない。思った通り、とても優しい心の持ち主だったようだ。
「なら、やはり多少の無理をしてでも救いに行くべきではないのですか?魔王に立ち向かうのに人の国同士の協力は必要不可欠のはずです」
東方には、「カタナ」なる剣を用いて戦う猛者たちがひしめく国があると聞く。魔力も加護も必要とせず、ただ鍛えた技と一本の剣であらゆるものを斬り捨てる一騎当千の実力者。そのような肉体重視の戦い方でありながら随分と小柄な姿をした摩訶不思議な人たちだそうだ。
聖女の目を通しても彼からは特別な力を何も感じなかった。それでいて傭兵や冒険者のような筋骨隆々の身体でもなかった。一方で、血だらけになる程魔物を屠った実力がある。この不可思議さも東方の民ならば納得だ。もしかしたら、彼は東方の国の地位ある存在だったのかもしれない。魔王との戦いで「カタナ」が壊れてしまったのだとしたら状況の説明はつく。
彼を救うことで東方の国の助力を得られるかもしれない。そういう利さえあれば軍を動かしてくれるのではないかと問いかけてみるが、反応は芳しくない。
「それは正しくその通り。だけれども、残念ながら今はまだ無理だ。軍というものは簡単に動かせるものではない。この町だって町内に直接の被害はないとはいえ、それでも立て直すのに何日もかかる。それはここに住む君が一番わかっているだろう?」
その通りだった。町を守る外壁越しの戦いだったとはいえ、少なくない死傷者が出ている。町の外の畑に至ってはボロボロ。商人だって来ていない。復興には時間が必要だった。
「うむ。それでは軍以外の強大な個人戦力というのはどうかと言えば、これも現状難しい。というのも、襲われているのはこの町だけではなく、人員に余裕がないというのが1つ。そしてそもそも、魔王というのが伝承と記録にあるだけの力を有するのならば、打倒するには力不足も甚だしい。これもやはり、直接対峙した君ならばわかるだろう。それこそ勇者が現れれば話は変わってくるのだが」
聖女の目を通した時、あの魔王の周りは気持ち悪く歪んでさえ見えた。あまりにも強大な魔力が渦を巻き、息をしているだけでどうにかなってしまいそうだったことを覚えている。普通だったら
今の時点で魔王に勝つというのは不可能だと本能が理解してしまっている。
「魔王を一時的とはいえ食い止めた実力だ。或いは件の彼が勇者ではとも考えたが、神託が下っていない。勇者の力を授けたという神託がないのであれば、やはり彼は勇者ではないと判断せざるを得ない。そして、ただ実力があるだけの人物1人を救う余裕はこの国、いや人類にはない。酷なことを言うようだが、これが現実だよ」
そう、私は救うことができなかった。魔王とはいえ一体の魔族を前にたった一人を救うことさえできなかった。
聖女の力を与えられたのに。女神さまに選ばれたのに。それなのに救うことができなかった。それどころか私が救われてしまった。
あの時、あの方の身体は血だらけでした。魔王に取り上げられたか壊されたかで武器すら失ってしまっていました。
町の人たちを護ろうと孤立無援で戦った結果なのでしょう。私たちの町は彼を受け入れられなかったというのに、それでも町の人々の置かれた状況を知って単身で戦いに身を投じた。
そうして窮地に陥って尚、彼は決して怯えることなく、それどころか唐突に現れた私を気遣いさえした。あの時の彼の目は必死に逃げろと伝えてくれていました。
今にして思えば、彼はアレが魔王だったと気付いていたのかもしれません。だからこそ、勝つ見込みなどないから逃げてくれと目で訴えていた。
何て高潔な方でしょうか。
そして、そんな優しい彼を結局私は救えず、逆に救われてしまった。
彼は魔王の気を引き、自らの身を捧げることで私と町の人々を救ったのだ。
ただ、あの時の言葉選びには不思議な点も多かった。
というのも、魔族の気を引くために煽てる言葉として「聖女」を用いる必要性はない。むしろ、歴史上で幾度も聖女と呼ばれる存在は勇者と共に魔族と戦っているのだから、魔族が聖女と呼ばれて喜ぶはずがないことは明白だ。
それにもかかわらず、彼は魔王に――明らかに人ではない魔力を発する存在に向かって人類の希望として語り継がれてきた「聖女」と呼びかけた。
考えられる可能性は2つ。
先ずは、洗脳や暗示で認識を書き換えられた可能性。恐らくはこれが一番有力でしょう。
あれだけの魔力を有する存在です。人一人の意思を捻じ曲げるなど造作もないはず。
あえて聖女である私の前で自らを聖女だと認識させる。いかにも悪逆非道の魔族が選びそうな手段です。
ですが。もしも、もう1つの可能性であったとしたら。
彼があの時まだ理性を保てていて、あえて「聖女」という言葉を用いたのだとしたら。
私のことを聖女だと見抜いた上で、あのように語っていたとしたら。
もしそうであるならば、あれは魔族の気を引くための言葉であると同時に、私への言葉であったのではないだろうか。
―――私は貴女様のことが心配なのです!いくら強くても、貴女が美しい一人の女性であることには変わりありません!
もしもあれが私に向けられた言葉だったとしたら。
―――私は貴女が戦いで傷ついてしまうかもしれないと考えると胸が張り裂けそうなのです!
あの時のことを思い返すと何故だか顔が熱くなる。一体、私はどうしてしまったのでしょうか。
あの直後、何度も彼の救出に向かうべきだと主張したが、教会や町が動くことはなかった。そして今、こうして国の軍が動く可能性も潰れてしまった。
すべては同じ理屈です。たった一人のために動くことは出来ない、と。
正論だということは分かります。理性ではそれが正しいのだと分かっています。たった一人の安全より、人類全体のために動くべきだということは。何より私自身が、女神さまからそうあれと使命を与えられた「聖女」なのですから。
あぁ、それでも私は―――
名も知れぬ貴方。
高潔で優しい心を持つ貴方。
どうかどうか無事でいてください。いつの日か魔王を打倒し、必ず救い出して見せます。
「今日はありがとう聖女ソレイユ様。魔王のことが深く知れてよかった。情報は戦争で何より重要なものだからね。…気休めになるかもしれないが、勇者が現れて体制が整えば人類にも勝ちの目が出てくる。それは歴史が証明していることだ。その時には彼を救い出す機会があるかもしれないよ」
「ありがとうございます。何があろうと私は必ずあの方を救い出します。そのためならば、この命すら惜しくはありません」
総ての人間を救済するための聖女の力は、たった一人を救うために振るわれようとしているのだった。
〈あとがき〉※長いです。読まなくても大丈夫です。
あわあわわ…凄いたくさんの人が読んでくれてる。ランキング乗っちゃった…あわわ…。
お気に入りが1000件に迫っていました。
本当に、皆さんありがとうございます!
多くの方に読んでもらって、お気に入り登録していただいて。
多くの方が評価をしてくれて、たくさんの感想を頂いて、初めてここ好きも貰いました!
もう感無量です。今後も少しでも皆さんに満足してもらえるような内容をお届けしていきたいと思います。
長々とすみませんでした。
ゆっくりにはなりますが、完結まで頑張りたいと思います。
やる気に繋がるので、感想やお気に入り登録などしていただけますと幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
2021.8.4.21:45 追記
簡単なアンケートを追加しました。
作者の単純な興味と、アンケート機能のテストです。
後々にキャラ人気投票などもしたいと考えているので、そのための試作アンケートとなります。
お時間に余裕があれば回答をしていただけると幸いです。
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