あたくし、牡馬ですわ! 作:深澤清淡
一週間。
それは、あたくしが馬として産まれ落ちてから経過した時間だ。
夢であるという考えを捨てて、渋々ながらも馬として生きることを選ぶには十分な時間。
生後一週間、あたくしはこれといって問題も無く順調に仔馬として生活していた。
お母様もまあ、普通にあたくしのことを子供として認めて乳をくれている。案外お乳は美味しかったですわね。
転生については、この際もう仕方の無いものだと納得することにした。転生、というのは今のあたくしの状況を端的に指し示すに相応しい故に便宜上そう読んでいるだけのこと。
転生か、詐欺師の持つVR技術か、可能性は低いが夢か。個人的には夢が一番良いですけれども、夢であると断定して命を無駄には出来ませんわ。
臨機応変に対応してこそ、令嬢としての素養が示されるというもの。
あの詐欺師野郎は次会ったら殴り殺す、もとい蹴り殺しますけども。
「よーし、クロス。お母さんと遊んでこい」
クロス、というのはあたくしのお顔のマーキングが十字模様に見えるからというとても安直な理由で付けられた、あたくしの幼名のこと。
命名者はあたくしの下僕第一号となった松前。彼は、あたくしが生まれた日にこの高貴な身体を無遠慮に触ってきた変態ですわ。
変態な上に、十字模様だからクロスだなどと安直な名前しか付けられなほどの浅い学識。失礼ですが、お先真っ暗でしてよ、貴方。
「なんか、今馬鹿にされたような……気のせいか?」
『気の所為ですわ』
北海道の片田舎、零細牧場の下崎ファームで生まれたあたくしは、オーナーの下崎が知人に頼み込んで母馬のシュヴァルツヒメルを腹の中に居たあたくしごとドイツから輸入してきたらしい。
これは、松前があたくしの世話をする傍ら話し掛けて来るので、仕方なく聞いてやっている時に得た情報ですわ。
『それにしても、ダンスインザダークに、バブルガムフェロー、フサイチコンコルドが警戒するべき同年代、ですのね』
ちなみに、あたくしの脳内は競馬についての知らないはずの情報で溢れ返っていた。
多分だが、あの詐欺師がアタクシの脳裏に直接刷り込んだのだろう。
罪が増えましたわね、くふふふ。
とは言え、簡単な競馬知識に加え、競走馬の牡馬としてどのレースが大切なのか、そして立ち塞がる同年代と前後の世代の雄の知識のみですけど。
それでも、競馬について何も知らないよりはマシ。この知識で活躍し、名馬として歴史に名を残してやりますわ!
……とでも言うと思ったのかしら?
『────あたくし、種付けなんてしたくありませんわよ!!』
「ま、またか……!」
そう。これに尽きる。
あたくしの性自認は女だ。雌だ。まあ、牝馬に転生したとしても馬と致したいなんて微塵も思いませんが。
ともかく、今のあたくしの肉体は牡馬。
つまり、ブラッドスポーツとの呼び声高い競馬において、優秀な馬や貴重な血筋の馬はその血を後世に遺さねばならない。
もしもあたくしが活躍したならば、あたくしの血は遺されて然るべき。むしろ、有難がって遺しなさい。
しかし、そういう時、必然的に牡馬であるあたくしは股間のポークビッツを牝馬相手に奮い立たせなくてはならないわけで。
その場合において問題として立ち塞がるのが、あたくしという中身。
あたくし、馬と致す趣味は、それも雄として雌と致す趣味はありませんの。
ぜぇーったいに、種付けなんてお断りですわ!
「落ち着けって、クロス……な? 何に怒ってるんだ?」
……だが、考えてもみましょう。
競走馬として活躍しなければ、あたくしに種付けのお鉢は回ってこないのではなくて?
そうですわ。
あたくしが競走馬として活躍しなければ、種付け用の牡馬にはならずに乗馬用の馬にでもしてもらえるはず。
完璧! 流石はあたくし!
そうと決まれば、乗馬用として最低限以上は頑張れるように身体を鍛えますわよー!!
「な、なんだったんだ……?」
ほらお母様、あと松前! ぼさっとしないであたくしについて来なさいな! 走り込みですわー!
────第二走 あたくし、策士ですわ!────
「クロスの育成は順調なのか?」
「あ、下崎さん……いらっしゃったのですね。気付かず、申し訳ないです」
「いやいや、気にしなくて良い。たまたま寄っただけだ」
下崎は仕事帰りに寄った自らの牧場の牧舎で、疲れた顔をして作業に従事する男松前に話しかけた。
松前は、今気がついたと言わんばかりに下崎へと慌てて向き直る。
精巧な顔付きには覇気が無い。
目の下にクマがあるわけではなく、顔色も悪くない。恐らくは精神的な疲れが要因か。
「クロスなら、今日も元気いっぱいでしたよ。あれだけ元気なら、怪我や病気とは多分無縁だと思います。ただ……」
「ただ?」
「……ご存知かと思いますが、クロスは気性難の気があります。何かに怒り出したかと思えば、すぐに冷めることもありますが、酷ければ一日中苛立っていることも。……母馬や他の仔馬に対して攻撃的じゃないのがせめてもの救いですね」
馬と関わるこの仕事に就いて五年ほど経つ松前だが、これほどまでに気性の荒い馬はほとんど見たことが無かった。
気性の荒い馬は基本的に並大抵の騎手では御し切れず、ベテランでも折り合いを付けるのに苦労する。
クロスもその例に漏れないだろうことは想像に難くない。
その上、この馬は騙馬には出来ない。
恐らく普通の牧場ならば、普通の馬ならば必ず騙馬にしてしまうような気性の荒さも、ことこの馬とこの牧場では出来ないのだ。
この牧場は長らく経営不振で、まともに走れる馬は二頭しかいないという有様。その内一頭は大した成績も出せず、専ら重賞を勝ったことのあるもう一頭のお陰で何とか食い繋いでいる。
そんな中、下崎がドイツの知人に頼み込んでなんとか譲ってもらったクロスは、シュヴァルツゴルトのファミリーラインに属し、その父親はあのイギリスクラシック三冠馬ニジンスキーという正に名族と呼んでも良い血筋なのだ。
母親であるシュヴァルツヒメルも現役時代は大した活躍を見せなかったが、その容貌は故シュヴァルツゴルトと瓜二つとまで言われ、某牧場でも期待されていた繁殖牝馬だった。
その腹にニジンスキーの血を半分受け継いで生まれたのが、今松前を悩ませるクロスであり、下崎が下崎ファーム最後の希望として期待を寄せる馬なのである。
その上、シュヴァルツヒメルは来年にはドイツに帰り、クロスもまた戦績次第では引退後数年でドイツの某牧場に送られるという契約で譲ってもらっている。
そんな馬を騙馬にすることなど出来はしない。
「……クロスを頼む。コイツは、俺の夢を叶えてくれるかもしれない馬なんだ」
「東京優駿、ですか?」
「ああ」
この下崎という男の夢は、自らの牧場で生まれた馬で東京優駿に勝つというなんともありふれたものだ。
その為に、牧場を開いて競馬界という大海原に舵を切った。
当然ながら、この牧場が栄えていた時期は存在しない。
常に零細の域を出ず、この牧場が続いてこられたのは、単に下崎の収入と時折活躍する所有馬のお陰であった。
GⅠレースを勝ったことなどあるはずもない。
男の夢は、未だに指先が掠ることすらない。
「頼む……!」
「あ、頭を上げてください。何も気性難だからって勝てないわけじゃない。難しいところはあっても、きっと何とかなりますよ」
頭を下げる雇い主に慌ててフォローを入れる。
無論、松前とて手詰まりだから気を落としていたのではない。
クロスに勝って欲しいという気持ちは、松前だって強く持っている。
元より綺麗で強い血筋が好きで、ブラッドスポーツである競馬の配合という闇鍋や沼のような部分に魅せられてこの世界に飛び込んだのが松前という男だ。
その点において、クロスという馬は満点と言って良い。
「下崎さん、きっと、クロスなら東京優駿に勝ってくれます。俺達は、信じて熱意を注ぐだけですよ」
「……そうだな。ありがとう、松前。俺は弱気になっていたらしい」
「そうですよ、下崎さんこそ一番クロスを信じてやってください」
「ああ、分かってる。……松前、クロスのことを頼んだぞ」
「はい」
どこかスッキリとした顔の下崎に松前は内心安堵しながら、牧舎の掃除を再開した。
明後日はここにもう一頭幼駒が来るのだ。その馬も良いとこの令嬢である為、清掃にも一層身が入る。
問題は、臆病な性格らしいその子とあのクロスが上手くやれるか、ということのみ。
……きっと無理だ。
前途多難な道行きに、松前はため息のひとつも零したくなるのであった。