あたくし、牡馬ですわ!   作:深澤清淡

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 難産でした。更にキングクリムゾンしたい。


第五走 あたくし、主人ですわ!

『クロスさぁん……!』

 

『まったく。あの程度で何を泣く必要がありまして?』

 

『だってぇ……! 松前さんが、追い掛けてくるんですよぉ……!?』

 

 

 あたくしに泣きついてくる薫子を慰めながら、先輩馬の鞍上でしてやったりという顔をする松前を睨む。

 まあ、実際してやったりという顔はしていませんし、あたくしや薫子を追い掛けるのにも理由があるのですけど、下僕一号のくせにちょっと調子に乗っているように見えなくもないので。

 

 

『これは追い運動ですわ』

 

『追い運動……?』

 

『ええ。あたくし達のような仔馬を走らせて体力を付けさせたり、運動不足を予防、解消させる為の行程ですわね』

 

 

 段々と肌寒くなってきた十一月。

 大体これくらいの頃から始まる行程であると、あたくしの中の知識も言っていますわ。

 

 乗馬の馬になるにせよ、競走馬になるにせよ、まだまだ仔馬であるあたくし達にとってはとても大切な時期だ。

 ここでサボれば後々に響くことなど想像に難くない。なのであたくしも本気で臨む所存でしてよ。

 

 ……けれども、それはそれとして。

 下僕一号をこのまま調子に乗らせておくのも腹立たしいですわね。

 

 

『……はあ。仕方ありませんわね』

 

『え、あの、クロスさん?』

 

「? どうしたんだ、クロス?」

 

 

 運動場のコースの上、先達馬鞍上の松前の前に立ち塞がって嘶きをひとつ。

 

 松前ェ、その惚けた顔を今から驚愕に染まった阿呆面に変えて差し上げますわ……!

 

 

「ん? 本当に、どうしたんだよ」

 

 

 この運動場の一周は200メートルと、この牧場に存在する運動場の中で一番小さい。

 恐らく走りたい盛りな仔馬の為に、また追い運動用に作られた運動場といったところだろう。

 

 あたくしは松前に踵を返すと唐突に全力疾走を始める。

 

 

「あ、ちょっ」

 

 

 戸惑う松前を尻目に、速く、速くと加速を続けるあたくし。

 仔馬と言えども、この身は馬。全力で走れば速さはそれなり。本格化している先達馬方とは比べるべくもない稚拙なスピードですが、それは今気にしても仕方がありません。

 

 これは松前が冷静になって先達馬を走らせるまでが勝負。

 とにかく、松前が持ち直すより速く200メートルを一周しなければならない。

 まあ、トロい松前は未だにボケっとしてあたくしを眺めているだけですけど。

 

 それが、命取りですわ!

 

 

『あたくし、見下ろされるのは嫌いですのよ!!』

 

「え、はやっ!?」

 

 

 全力疾走のままに先達馬の後ろまで回ってくると、あたくしはそのお臀に軽く頭突きをかます。

 

 次の瞬間、

 

 

「ヒヒィンッ!」

 

「うわぁっ!?」

 

 

 先達馬は驚いていきなり走り出し、身構えていなかった松前は見事に振り落とされて地面に真っ逆さま。

 

 ……まあ、松前に怪我をさせたいわけではありませんし。

 あの詐欺師の手によって富士山の山頂が見えてしまいそうな高度から落下した経験があるあたくしだからこそ、地面に墜落する苦痛などは知っています。

 何より、松前はあたくしの下僕。下僕をいたずらに怪我させるのは、主人として褒められたことではありませんわ。

 

 落ちる松前の上半身の下にそっとクッション代わりとしてあたくしが入ったことで、松前は臀部を地面に強打するだけに済んだ。あたくしは上手く受け流したので多少重たかった程度。

 とはいえ松前、貴方もう少し痩せるべきですわね。

 

 

「あでっ!」

 

『くふふ、いい気味ですわ! これに懲りたら二度と調子に乗らないことですわね!』

 

 

 ほら、薫子! 貴女の仇は討って差し上げましたわよ!

 

 そして松前。これで産後あたくしの体をぺたぺた触ったこともチャラにして差し上げますわ、喜びなさいな変態下僕。

 

 

『ええ……』

 

『なんですの、薫子。その微妙な顔は?』

 

『もうすこし、こう、何か方法が……』

 

『調子に乗った下僕を分からせるのに、他に方法などありませんわ』

 

 

 良いかしら、薫子。

 下僕には飴と鞭と言いますが、松前には鞭と鞭と落馬くらいがちょうど良いのですわ!

 おーほっほっほ!

 

 

 

 後日あたくしは寒空の下、夜間放牧に出された。

 

 

 

 ────第五走 あたくし、主人ですわ!────

 

 

 

「くっそぅ、クロスのやつ……」

 

 

 松前は強打したことで痛む腰を擦りながら、牧舎の清掃を続ける。

 普通に追い運動をしていただけであるというのに、いきなり走り出しぐるっと一周回って後ろに回り込んできたクロスによって落馬させられたのだ。

 どういうわけか、落ちる直前でクロスがクッション代わりになってくれたお陰で全身を強打する事態には至らなかったが、それでも暫くは痛みが続くだろう。

 

 下崎に相談して夜間放牧に出そうと決意しながら清掃を続けていると、唐突に牧舎の入口に人影が現れた。

 

 

「……大変そうだな」

 

「そうなんだよ、練太郎。クロスのやつ、気性難にも程がある」

 

 

 現れた精巧な顔立ちの男の名前は下崎練太郎。

 苗字の通り、この牧場のオーナーである下崎の親類だ。幼い頃に両親を亡くし、叔父である下崎に引き取られた。

 

 

「というか、いつ帰ってきたんだ?」

 

「……今さっきだ。伊沢調教師に帰れと言われてな。また叔父貴に怒られる」

 

「あー、また文句付けたのか。お前も懲りないやつだな」

 

 

 練太郎はどこか周りを寄せつけない雰囲気を持った男だが、松前と彼の間には親しみのようなものがあった。

 それもそのはず。

 練太郎と松前は同い年の、所謂幼馴染という間柄だ。

 松前は牧場で働く道を選び、練太郎は騎手(・・)としての道を選んだ。

 その違いはあれど、馬のことが好きで、馬のことに関してならどこまでも真摯で実直な二人の仲は悪くない。

 

 人間関係に四苦八苦するレベルには飾らない性格で、思ったことをなんでも言ってしまうくせに言葉数が少ない質の練太郎は昔から敵を作ることが多く、逆にコミュニケーション能力に秀でていて世渡りが得意な松前とはとても相性が良かった。

 

 

「……クロス、だったか。叔父貴が目を掛けているアイツ、凄い馬だな」

 

「そうなんだけどなあ。どうにも気性が荒くて、手に負えないよ」

 

「……騙馬には出来ないんだったか」

 

「おう。騙馬になんてしたら向こうにドヤされちまうって下崎さんも言ってたからな。それに、騙馬だとクラシックに出られないだろ?」

 

「ああ……叔父貴の夢のことか」

 

 

 騙馬にはクラシック競走への出走制限が課されるというのは周知の事実。

 下崎の夢である東京優駿にクロスが出走する為には、騙馬にするわけにはいかないのだ。

 

 

「……叔父貴は、クロスにそこまで懸けてるんだな」

 

「ああ。だから俺も、下崎さんの為にクロスを全力で育てるつもりだ」

 

「……俺がクロスに乗ることになった」

 

「そうなのか……って、ええ!?」

 

 

 唐突なカミングアウトに松前は驚きを隠せない。

 この練太郎という男は実力こそ確かであるものの、馬主や調教師との折り合いが悪いことで有名な騎手だ。

 そして何より、育ての親である下崎とも仲が悪い。

 

 そんな練太郎が、下崎がこれまでのホースマン人生の中で最も期待していると言っても過言ではないクロスに乗るというのだ。

 いったい、どのような起承転結があったのか。

 それを問おうにも、目の前の練太郎という男は圧倒的に言葉が足りない男だ。聞いてもよく分からないだろうことが、松前には歯がゆかった。

 

 

「……とにかく、アイツが叔父貴の夢を果たせる馬なら、その為にお前の努力が必要だ」

 

「分かってるって、任せろよ。お前こそ、ちゃんと乗れよ?」

 

「……当然だ。これで、恩返しも出来そうだからな」

 

 

 こういうところをちゃんと言葉にできていたら、あんなにギクシャクした関係にはならないんだがなあ。

 松前は、練太郎の難儀な性格に溜息を零した。

 

 

「……そういえば、あの馬は信じられないくらい頭が良いぞ」

 

「え? まあ、そうだろうなって感じはするけど……何より気性が荒いから、俺の事とか全然気にしてないしなあ。人間の言葉なんて聞かないタイプだろ」

 

「……そうか? さっきのお前が落ちた時、アイツはお前のことを気遣ってたと思うが」

 

「ええ?」

 

 

 松前は己が耳を疑った。

 あのクロスが人間を気遣うなど有り得ない。そう言いたげな顔。

 

 だが、練太郎は淡々と目撃した事実を述べる。

 

 

「……お前が落ちそうになった時、自分から下敷きになりに行ってたからな」

 

「……え?」

 

「……アイツになら、俺も全てを預けられそうだ」

 

 

 確かにあのタイミングで落ちる松前の下にクロスがいたのは不自然だ。だが、本当にあのクロスが?

 

 困惑を隠せない松前を他所に一人合点する練太郎。これ以上何かを話すつもりはないらしい。

 松前は、言葉が少な過ぎる親友に悪態を吐きたくなるのを我慢しながら牧舎の清掃を再開した。

 

 帰ってきた時、いつもより更に綺麗になっている自らの牧舎に喜びを顕にした牡馬がいたとかいなかったとか。




 今話を投稿したらと言っていましたが、感想返信はもう少し跡にします。申し訳ない。
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