初夏。この世界には二十四節気なるものはない。ただ、似たようなものはある。夏の初めの区切りの日のことを『エウリペ』と呼ぶ……何だ、そりゃ?
由来は過去の偉人、聖人の名前であり、季節の変わり目の辺りの日を印象付ける為に慣習として呼んでいるのである。まあ、ダリウスの日が春の初めで、カンパーネルラは冬の初め、なんて感じだ。
初夏に当たるこの『エウリペ』の日。だいたいこの辺りから暑くなり始める。梅雨、というものは無いけど、日中と夜間の気温の落差から雨が降ることは多くなる。とは言っても、そんなに降るわけではないけどね。
「おう……いいツヤだね」
「お前、ガキなのに分かるのか」
「おう、分かってるさ。この実の張り具合……美味そうだ」
俺の手の中にあるのはすももである。
すももはこの時期に実をつける初夏が旬の果物だ。
俺の知っている物よりは幾分大きくて形も丸い。桃と間違うこともあるのだけど、あちらはもう少し後の時期が最盛期になる。
この世界でも果樹園というものは存在する。高位貴族の領地などではビニールハウスじみたものすら作って栽培するという。ウチの辺りではそんなものは無いのでもっぱら露地栽培である。
「これ、初物だよな?」
「ああ、そうだよ。今朝収穫したばかりだ」
うむ。これは買いだな。一つと言わず持てるだけ買う。小遣いが無くなってしまうが構うものか。多く買っていけばメイド長のミューリが買い上げてくれる……はず。
皿や串など返さなければならない物がある食べ物はその場で食べるのだけど、そうでないものの場合は毎回適当な場所を見つけて座って食べるのが俺の流儀だ。今日は川の見える高台へと上がってみた。
この街には大きな川があるけど、実はもっと大きな河の支流だという話だ。そこから北に行けば別の貴族の治める領地になる。今日も川の上を行ったり来たりする船がいたりする。満載にした荷物はここから出荷するのか、それとも南の他の領地からのものなのかは分からない。
御用商人なんかは貴族の旗を掲げていたりするけど、殆どはそうではないのだ。生活に関わる物はたいていギルドを経由した商会や個人の商船だったりする。
「あむ……ふぅむ。これは」
まだ熟れてなさそうなすももに齧り付く。思ったとおりやや固く、甘みも少ない。その代わりに酸味は強い。暑くなってくるこの時期の身体には、とても良い刺激だ。
「【
手に持ったすももを軽く冷やす。雪解けの水で冷やしたくらいが理想であり、このあたりの制御はお手の物だ。手に持った呪符の文字が消えて、代わりに魔法陣が小さく展開される。しばし待つと手に持った辺りが冷たくなってきたのが分かる。展開を止めて術式を終え、改めて噛み付いてみる。
「うん。やっぱ冷やした方が旨いっ!」
この世界の便利なところは、魔法があることに尽きる。しかも便利な使い方まで考えられた生活魔術は、その最たる例だ。冷蔵庫に入れて数分も経たずに冷え冷えにする事は、現代でも出来はしない。
「うん、うん。ちょっと熟れたやつも食べてみよっか」
別の呪符を取り出して右手に貼り付ける。これは『熟成』を封じた呪符だ。どういう原理か知らないけど、限定的な時間経過を進行させる。パンの発酵に使ったり、ワインの熟成に使ったりする場合もあるらしいけど、大きな工房等では割に合わないのでやらないらしい。魔力が足らなくなるらしいのだ。
左手に置いたすももに右手を翳すとみるみる赤くなっていくのが分かる。動画の早回しのようで面白い。適当なところで止めると、右手の甲に貼った呪符がパラリと落ちる。使い終わった呪符は、再度使い回せるので回収を忘れずにね。
「あんむ……うん!」
これは……甘いっ! うちの父ちゃんの惚気よりも甘いぞっ!(本気で甘いのである)酸味が変化するのか、程よい酸っぱさの中に芳醇な甘味がある。初物のわりにこれは良い出来だったらしい。
「……あむ。うん……んぅ?」
何処かから視線を感じる。どうも高台の下から眺めている修道女見習いの子らしい。手を振ると、こちらに気付かれたと思ったのか離れていこうとする。
「こっちにおいでよ。一緒に食べよ?」
そう言うと、少し迷ったようだけど高台まで上がってきてくれた。
年の頃は俺より少し上。薄い緑のラインの入った僧衣を着ているので、キョウガイシの信者だと分かる。
「か、神への貢ぎ物ならば喜んで」
綺麗な榛色の瞳がきつく睨みつけている。顔立ちもすごく可愛いのに険のある表情だなぁ。背中には買い出しの為の背負子がある。
「あ、いや。そういうつもりじゃなかったんだけど……」
こっちを見てたということは、このすももを食べたかったのではないか。では一緒に如何かな? と、誘ってみたわけなんだけど……どうもそうは受け取ってくれなかったらしい。生真面目なタイプみたいだ。
「わたくし個人への施しはお断りしております」
「あ、そう……」
それならばと、持っていた袋を担ぎ上げた。
「それじゃあ、寄付するよ」
「え?」
「その様子だと持てないよね。神殿まで一緒に行くから」
「え? あの、ちょっと……」
背負子には野菜やら穀物の袋が見える。とてもでは無いけど、5キロ以上の果物を持たせるわけにはいかないだろう。困惑する修道女見習いより先を歩いて行くと、彼女が声をかけてきた。
「あ、憐れまれての施しなら必要ありません」
「そんなつもりは無いよ? ただのお裾分けさ」
「はあ……?」
勝手知ったる道を歩いて、キョウガイシ神殿にたどり着く。
なかなかに荘厳な造りのこの建物は、俺は密かに好きだった。けど、あんまり長居する訳にもいかない。一つだけ手に持って彼女の修道服のポケットに入れると、袋はそのまま渡す。
「大地と智の恵みを賜りたく存じます」
「え、と。キョウガイシの御名において汝に祝福があらん事を」
寄進の言葉を言うと、ドギマギしながらも返しの祝詞をくれた。よしよし、ちゃんと憶えていたね。
それじゃあ、と手を振ってから駆け出す。2個食べたし、神殿への寄進ならまあいいだろう。お小遣いは少なくなったけど、なんとかなるだろうし。
いつものように、フランが怒って迎えてくれた。全く過保護だなぁ。
おいしそうだな。
高台に座ってすももに齧り付く少年を見て出た感想はそれだった。今年で九つの私には、色気よりもまず食い気。それが当たり前だ。
修道女見習いになってからは、個人的なお金は持たせては貰えないので、甘いものとか果物とかはめったに食べられない。どこぞの商家の御曹司のような子供が呑気に果物を食べてる姿とか、腹が立つとしか言いようがなかった。
しかしソイツはあろう事か、こう言ったのだ。
「こっちにおいでよ。一緒に食べよ?」
そう言われて、自分が長いこと眺めていた事に初めて気が付いた。同時に気恥ずかしくもなったのだけど、無視をするのも良くはない。
今の私はキョウガイシ様に仕える見習いだ。躾の悪い修道女見習いがいるなんて話が上がったら、経歴に傷が付きかねない。相手はお金を持っているお坊ちゃんなのだ。何が巡り巡ってくるかは分からない。
「か、神への貢ぎ物ならば喜んで」
略式の礼をしてそう宣う。だが、彼は個人的にご馳走したかったらしい。敬虔な信者としては、町中で買い食いしている様を見られるなんて出来ない。
「わたくし個人への施しはお断りしております」
「それじゃあ、寄付するよ」
「え?」
そう答えると、今度は寄進すると言い出した。両手で抱える程のすももである。いったい幾らなのか検討もつかないが、ニコニコと笑う様子は冷やかしのようには見えなかった。
「その様子だと持てないよね。神殿まで一緒に行くから」
「え? あの、ちょっと……」
彼は私の横へ来てそう言った。
は? なんで? 自分で寄進する物を運ぶとか何なの、この子。確かにその袋を持つ余裕は私には無いけど。
「あ、憐れまれての施しなら必要ありません」
「そんなつもりは無いよ? ただのお裾分けさ」
あっけらかんと言う彼。
水菓子という物は、本来は食べなくてもいい余計なモノである。つまりその分、値段も高い。それも今年の初物。おそらく銀貨三枚ほどはするはずだ。
それをポンと寄進しようとしている。
今更ながらに奇異に思えたので、彼を観察する様に眺めた。
年は私より下のようだ(背が低いので)。目深に被った帽子からは深い
神殿に辿り着くと、彼は包みから小ぶりなすももを一つ取り出し、私の修道服のポケットに落とす。ぱちりとウインクする姿はなかなかに堂に入っていた。
すると、袋を渡しながら徐ろに彼が言う。
「大地と智の恵みを賜りたく存じます」
神殿の前で、正式に寄進をするらしい。ここにいる修道女や神官に私の成果を知らしめる。そのためにだと気が付き、慌てて憶えた祝詞を返す。
「キョウガイシの御名において汝に祝福があらん事を」
正式な神聖魔術ではないけれど、この祝詞も契約としての効果はある。これでこのすももは正式に神殿へと寄進された物となるのだ。
「修道女見習いイリーナ。どうかなさいましたか?」
「ナターシアさま」
走り去る少年に声をかけようと思ったらナターシア司祭に声をかけられてしまった。
「まあ、水菓子の寄進ですか」
「は、はい。羽振りのいい子供が」
「キョウガイシ様の思し召しですよ」
「は、そうですね。はい、そのとおりです」
モノの経緯はどうであれ、神殿への寄進という形で手に入ったものは全て神の思し召しだ。出処については深く詮索しないのが流儀なのである。ここだけ聴くと、わりと黒い面も見えてしまうけどそれも仕方が無い。
世の中は綺麗事では回らないのだ。
「あ、これも……」
ポケットに入ったすももも取り出してナターシア様に渡す。けど、彼女はそれは受け取らなかった。
「寄進を記されていない物は神殿では受け取れませんよ」
「は……でも」
「それはあなた個人への
ニッコリ笑顔で拒否されては致し方ない。これは同僚のいない所でこっそり食べることにしようか。
いつか会ったらお礼言わなきゃ、ね。