夏も終わりに近づいてきた。昼日中は暑いけど日が落ちると途端に風は冷たく感じるようになり、日も短くなってきた気がする。
そして、それよりも顕著に季節を感じるのは市場に並ぶ品々だ。夏野菜が姿を消すと秋の味覚が並び始める。もう少ししたら麦穂の香りも感じるようになる。
そして、一番香りが強いのはこれだ。
「うわー、みどり色一色ー♪」
「あまり身を乗り出すと危険だぞ、ユーノ」
前世知識で
ここはアークラウス家の所有するぶどう畑である。領主というのは領内の収穫にある程度の税を徴収する権利を有しているが、自分の裁量によってそれを増やしてはいけないという法は存在しない。実際、大貴族と呼ばれる侯爵や公爵等は自前の荘園を持っている。この荘園での収益は王国としては徴収する事が出来ない。大貴族が肥え太る要因の一つでもある。
男爵家であるアークラウスのそれは荘園とは異なり、ただの事業だ。決められた分の税を支払うけど、その収益は領主の懐に直接入る。実際に働く事業主や農民等には給金を支払い、その整備や費用は男爵家が面倒を見る訳だ。
「まさかこうして遠出が出来るようになるとは……」
「いやいや、涙ぐまないで下さい。閣下」
サイラスも一緒だけど、切り替えはしっかりしないといけない。表では父ちゃんの事は『閣下』ないし、『男爵さま』と呼ぶようにしている。少し嫌そうな顔をするけど、よく知る俺やサイラスくらいにしかそれは分からない。それくらい表情が乏しいのがアークラウス男爵エルザムなのである。
「日和もよく、今年は雨も適度でございました。実の出来は良いと報告は上がっております」
「そのようだな。獣害も少なかったようで、まずまずだ」
報告書を流し見する男爵。ちなみにここは異世界なので獣や鳥以外にも害敵は存在する。魔物である。
「スライムの類が多かったようだな」
「ヒューマス、グリーンなど植生に影響のあるモノが確認されました。相当数討伐されたようですが、そのついでにゴブリンの小集団も幾つか討伐されております」
「冒険者ギルドへ回したか?」
「はい。そちらからも報告はありました。十匹前後の集団が三件ほど」
「少し多いな。北の領地からの流入か」
「左様でございますな」
きな臭い話ではあるけど、領主という立場だと避けては通れないモノらしい。多く聞こえるけど、この領地は男爵領としては格段に広い。一説によると伯爵領と言っても差し支えない広さなんだとか。そりゃあ、父ちゃん休む暇無いよなぁ。
そんな心配をしてはいるものの、疲れている様子はない。まあ、無表情だから分からないという話もあるけど。
「……どうした、ユーノ?」
「いえ、お疲れではないかと」
「子供の気にする事では無い」
そういって頭を撫でる父ちゃん。剣の稽古の時は力強いのに、その手つきは優しかった。
「ようこそおいで下さいました、男爵閣下」
「うむ。よしなに」
ぶどう畑を任されている少し小太りの男が揉み手で父ちゃんと話をしている。たぶんこの人が責任者なんだろうね。俺とサイラスはその後ろで行儀よく待ちの姿勢だ。ふと、彼がこちらを見た。
「おや、お子様はお嬢さまと伺っておりましたが……」
「遠縁の子を預かっている。ユーニスは家で留守番だよ。まだ身体が弱くてな」
「左様でございましたか。ゆくゆくは跡目を継ぐような事になりますのですか?」
「詮索好きは長生きできんぞ?」
「!……これは、失礼しました。平にご容赦を」
慌てて頭を下げる工房の責任者を無表情で見下す父ちゃん。あ、意外と怒ってるな。ここは空気を読んでいこう。
「ユーノと申します。僕、楽しみだったんです。葡萄酒がどうやって作られているのか知りたかったので」
「それはそれは。探究心がお有りですな。では、ご案内致します」
やれやれ。大人の操縦もラクじゃないね。
彼に続いて大きな建物に入ると、中はむせ返るような果実の匂いが立ち込めている。収穫した葡萄が集められているからだ。
「こちらの葡萄は皮も厚く、良質な赤ワインとなります」
「実が小さくて、いっぱい付いてるんですね」
見せてくれた葡萄はデラウェアに近い大きさの実を付けている。ただし、実の色はかなり濃い目。
「お一つ如何ですか?」
「はいっ、では」
一粒むしって皮から実を押し出す。中の実は食用の物とあまり変わらなく見える。そのまま口へ入れると、なかなかの酸味と甘みがする。あれ、このまま食べても旨いな。
「食用の葡萄は皮が薄い品種でね」
「同じ葡萄なのに違うんですね」
中世ファンタジーな世界なのに品種とか言われて驚いたけど、よくよく考えてみればそれくらい有るよね。より良い物を掛け合わせて、品種を改良していくと云うのは当たり前な話だ。
次の部屋では何人もの人が葡萄の実を房から取って選り分けている。見た目おばさんとか女性が多いな。男の人はまとまった桶を台車で運んでいる。
「房から外した実は、傷んでいるものや虫のついたものをはじいていきます。使えるものは桶にまとめてから次の工程に移ります」
さて、そろそろか。ワクワクしながら次の部屋に向かうと、そこには何やらファンタジーらしからぬ物があった。金属の板で作られた大きな筒が置いてある。洗浄された葡萄の実がその中に入れられ……暫くすると筒が振動を始めた。
「破砕して、身と皮を混合します」
「えええ?」
「あの魔道具は中に刃が入っておりまして。グルグルかき回すときれいに混ぜ合わされるのです」
この、中世ファンタジー風な世界で……まさかの工業化である。思いがけずいいパンチを喰らったかのように膝から崩れ落ちる俺に、周りの大人が驚く。
「ど、どうかなさいましたか?」
「……サイラス」
「は、直ちに」
「わ、平気! 大丈夫ですよおっ?」
家令のサイラスが俺を持ち上げようとするので慌てて元気アピールをする。暑さでやられたと思ったのだろう。
膝の埃を叩きながら、ポツリと言葉が漏れてしまう。
「ああ……女の子が踏んで作っているモノだと思ってたのに」
それを聴いて、経営者のおじさんがははぁ、と笑った。
「坊っちゃん、それは作り話ですよ?」
「え?」
「少なくとも今はそんな作り方はしていません。よほど田舎の、自家栽培ならあるかも知れませんが」
「そ、そうなんだ」
昔のやり方……なるほど。そういうことか。今の時代には無い、というだけの事か。彼はさらに続けて話してくれる。
「若い娘が丹精込めて踏んだワイン……上手い売り口上ですよね。そう聞いたら誰でも気になりますもの」
眦を下げて言う経営者のおじさん。俺の求める浪漫とは若干方向が違うかもしれない。俺は様式美というつもりだったんだけど。
女の子がきゃいきゃい騒ぎつつ、スカートの裾を持ち上げて踏む姿は……うん、絵になるじゃない? しかし。
「昔の作り方でもやっていたのは野郎ばかりでしたよ。体重も体力もある方が効率いいでしょうからね」
身も蓋もない言い方である。
どこかの魔女さんもガッカリすること請け合いな真実。そこへ父ちゃんが追い討ちをかけた。
「そも。知らん男どもの足が踏み付けた物を飲みたいか?」
……どうやら、浪漫は浪漫として諦める方が正しいようであった。がっでむ。
そこから後の工程の説明は、悪いけど聞き逃していた。それほどショックだったのだ。向こうもこちらも、世知辛い世の中やね……。
所々に、やはり大型の魔道具と魔術師のローブを着た人が見かけられた。破砕や圧搾、加熱や洗浄などには魔術や生活魔術が必要となってくるそうだ。おかげで冒険者を辞めた者たちの就職口として広がっているとか。やるやん♪
「どうぞ。今年の初物です」
透明なグラスに赤い液体が注がれている。ゆらゆらと陽射しを受けて透ける色は、赤紫色。二つ置いてあるので俺も飲んでいいのかなと手を伸ばしたら、すいっと取り上げられてしまった。
「子供が飲んではいかん。サイラス」
「宜しいのですか?」
俺をチラリと見るサイラス。うう……確かにアルコールだから良くはない……はず。でも、飲みたいっ!
熱い視線を送っていると、はぁ、とため息をついてから父ちゃんがグラスを渡してくる。
「一口だけだ」
「♪ 閣下、ありがとうございますっ!」
受け取ったグラスを前にして、まず匂いを確かめる。初物ゆえか、アルコールはさほど強くなさそう……くるりと回して状態も確認。そして、くい、と傾ける。
「……おいしい♪」
葡萄を絞った果汁を飲んだ事はあるけど、それよりも濃縮されている風味。それと熟成による芳醇な香りが口中から鼻に抜ける。何とも言えない、豊かな香りに喜びを感じてしまう。そして口の中に残る味は葡萄の皮と果実の織り成すハーモニー。
ワインとはこんなものだったのか。向こうで暮らしていた時に飲んだ物には、ここまで鮮烈な印象は無かった。身体が子供だからなのか? そうしていると、父ちゃんが僅かに心配そうな表情(たぶん周りの人には分からない)で問いかけてくる。
「平気……か? 一杯飲んでしまって」
「あっ!」
一口のつもりが、器は空になっていた。勢いよく飲んでしまった事に恥ずかしくなる。
「すみません。閣下のものを全て……」
「そんな事より、身体は平気か? 気分が悪くなったり、ふらふらしたりしないか?」
まるでユーニスにするように気遣ってくる父ちゃんに、驚きを隠せない。
「あっ、はい。平気です」
「顔が赤いじゃないか。酔いが回っているのではないか」
顔が赤いのは、あんたが外聞を気にしないで心配してるからだよ。恥ずかしいだけだ。
「ユーノ、こちらをお飲みなさい」
横から水の革袋を差し出すサイラスの動じない所を見習え、父ちゃん。一口飲んでスッキリすると、ようやく杞憂だと分かったらしい。でも、帰りの馬車の中では爆睡してしまっていたのだから、やはり酔いはあったのかもしれない。
顛末。
ナターシア叔母さんにこの一件がバレてしまい、俺と父ちゃんは正座で一時間説教された。