「……どうしたの? おなか痛い?」
「いや……そうね。いたいかも。主に精神的に」
「ごめん。言い出したら聞かない人でね」
俺の横で胃の辺りを押さえる仕草をしているのはイリーナだ。いつもの修道女姿ではなく、休日の装い。少し長めのスカートに白のブラウス、腰の辺りを締めるボディスだ。エプロンまで着ければディアンドルとなる。平民の娘の一般的な仕事着ではあるけど、今日は仕事じゃないのでエプロンは外している。
「いきなり来て同行しろとか言われても、びっくりするでしょ。ふつう……」
「いや、本当にごめん。一応こないだのお礼も含めてらしいんだ」
「お礼?」
「ほら、手当してもらったじゃない? 閣下はお金贈ろうとしたんだけど、それじゃ味気ないと思ってさ」
「普通に謝礼金でよかったわよ……」
あらま。気晴らしにお出掛けを誘ったつもりなんだけど、やっぱり外したか。どうにも女ゴコロは読めないね。
大きめの馬車は前後に個室があり、前には父ちゃん一人、後ろは俺とイリーナになっている。父ちゃんの悲しそうな表情が一瞬見えたけど、イリーナの胃痛のためだ。我慢してくれ(無慈悲)
「あのね。下町の民家に男爵さまが来るとか無いのよ、フツウは」
「ああ」
「周りの人たちから根掘り葉掘りされて、気が気じゃなかったの」
「ご近所様ってどうして聞いてくるんだろうね」
「ただの噂好きなら良いんだけど、やっかむ人もいるのよ。ただでさえ、ウチの母さん、美人なんだからっ!」
なるほど。妻に先立たれた領主(男やもめ)が美人な女性のいる家に来る……勘繰っても仕方ないかな?
「そんなワケなので、閣下はイリーナのお宅に伺ってはいけませんよ」
ワゴンの前側にいる閣下に窓から声をかける。すると面白くなさそうな声が返された。
「私はテレーゼひとすじだと言っておろうが」
「周りの人はそうは見ないのです。せめて後添えを得てからになさいませ」
「ふん」
イリーナと顔を見合わせ苦笑する。周りの人とやらを皆殺しにしろと言わない分別はある人なので有り難いけど、独り身と云うのも貴族的には問題だ。
まあ、今はどうでもいい話だ。窓を閉めてイリーナとの会話に戻ろう。
「小麦の脱穀は見たことある?」
「無いわ。生まれも育ちも
ちなみに街を出るのもあまり無いらしい。かく言う俺も父ちゃんに同行して出歩いてるのは今年に入ってから。それまでは、まあ家の中だったのだろう。
「ラゼラトだっけ? ラガスコとの間の村よね」
「そうだね」
ぱらりと広げるこのあたりの地図。アークラウス男爵領には三つの町と六つの村、二つの開拓村がある。
普通、男爵領では村が三つか町一つに村二つくらいと言われているので、確かにここは広すぎる。何でも父ちゃんが王家とコネがあるとかで任されたらしい。完全な癒着の構図で草である。
まあ、中世の貴族社会なんてそんなものだと思うけど……他の貴族連中はどう思っているのか、気になる所だ。
話は戻るけど、そのラゼラト村は小麦が一番取れる所らしい。今回、収穫の時期だということで見学をする事になった次第である。本来はユーニスが同行すべき案件ではあるけど、アレは箱入りなので表には出したくないと父ちゃんが駄々をこね……俺がまた出張る事になったのだ。
「それにしても……わ、私、居てもいいの?」
イリーナが困ったように言う。平民なので居心地は悪いのだろうけど、それは俺も同類である。少なくとも内面は貴族とは言えないからね。
「君が来てくれて助かりました。やはり旅の同行者は可愛らしい女性の方が楽しいですからね」
「ブッ!? あ、アンタねぇ……」
「イリーナは可愛いですよ?」
少なくとも同世代の中では群を抜いている。薄い栗色の髪に榛色の瞳は少しタレ目気味だけどとても綺麗だ。気が強い中身と違って見た目の印象は清楚系で、お母さんに似た美人になること間違いなしである。
「そういう事は、もっと男らしくなってから言いなさいよ」
「それはたぶん無理じゃないッスかね〜」
どう間違っても父ちゃんのようにはなれない。それは決まっているのだ。なったらなったで、たぶん泣かれると思うし。彼女はあまり深入りしないように話題を変えてきた。
「小麦は粉でしか見たことないから、ちょっと楽しみ」
「大麦とかえん麦はお粥で見るけどね〜」
「そうね~、あんまりおいしくはないのよね」
やはり俺の感覚は間違って無かった。イリーナだって美味いとは思ってないのだ。たぶん大人だって美味いとは思ってない。今度父ちゃんに聞いてみよう。
「焼きたてのパンも食べられるって」
「へえー、いいわね」
「オレも楽しみー♪」
「アンタならいつでも食べれるでしょ、小麦のパンなんて」
「とんでもないっ! 週に二度有ればいいよ?」
「ええっ? お貴族様なのに?」
貴族だからと侮るなかれ。
遅めの朝食はだいたい
「白パンばかり食べる子供はだいたいブクブク太るのだ」
「えっ」
「えっ」
「決して貧乏だと言うことではない。イリーナ嬢もご理解頂きたい」
「は、はあ……」
食べ物に含まれる栄養素の概念も、転生者とか転移者とかの恩恵である。それは分かるけど、子供の純粋な気持ちを踏み握るような知識は要らないと思う、マジで(まあ、中身大人ですけどね)
キキィ。
そんな話をしていたら、馬車がいきなり停まった。どうしたかと父ちゃんが誰何すると、どうやら傷付いた冒険者らしき一行が座っていたとのこと。当然のように色めき立った俺たちは窓からそちらを覗く。
「けっこう、やられてるわね」
「おお……」
革鎧の戦士が頭から血を流していて、
「どうかしたのかね?」
「は、えっ? 領主さま?」
「驚くのはいいから話したまえ」
馬車からここの領主が出てくるとは思うまい。まあ、紋章があるから気付く人は気付くと思うけど。それはともかく、その人が言うにはゴブリンにやられたらしい。
「女性が攫われたのか」
「ウチの僧侶なんですが」
「数は?」
「たぶん……十匹前後です」
この辺の会話でイリーナの顔が怒りに変わっている。
ゴブリンは他のヒト属の雌を繁殖する為に拐かす。これは向こうの世界の創作にも書かれていた。イリーナが怒るのもムリはない。窓を開けてイリーナが父ちゃんに声をかける。
「発言お許しを」
「む? イリーナ嬢か」
「その方たちを癒やす術を私は持ちます。どうかその僧侶の方を」
おう。イリーナはもう神聖術が使えるのか。その言葉に傷付いた彼らは首を振る。
「悪いが嬢ちゃん、俺ら金が無いんだよ」
「この仕事が初めてなんでね」
先立つ物がなければ神官でも魔術師でも魔法を使うことは無い。それは大原則である。
「そ、それは」
イリーナもそれは同じなのだ。無償の奉仕をしてしまえば、次もやらねばならなくなる。神は天上に居まして全てを見透すらしいので、ズルは出来ないのだ。
「閣下」
「なんだ、ユーノ」
そんな訳でこちらが助け船を出そう。なに、方便というのはこういう時に使うものだ。
「俺が対価を支払うよ。それならいいでしょ?」
「……理由は?」
「女の人がヒドい目にあうのはイヤだよ」
見ず知らずの冒険者に治癒をかける代償を払う理由にはちょっと、いやかなり弱いけど。でも、父ちゃんの心を動かすには十分だった。
「お前がそう言うならば叶えよう。しかしイリーナ嬢の手を煩わせる事は無い」
そう言って彼は短く呪文を唱える。魔法陣が現れ、そこからガラスの瓶が二本落ちてきた。
「ユーノの頼みだ。それを飲んで案内せよ」
「えっ?」
「ま、まさか男爵さま本人が?」
「早くせんかっ」
「「は、はいっ!」」
下位回復薬でも彼らなら十分に効果はあるはず。みるみる間に傷が塞がっていくのが少し気持ち悪い。
「おお、すげぇ!」
「ぽ、ポーションなんて初めて飲んだよっ」
「魔術師の君はここで待機しておけ。ハンス、護衛は任せた」
「お気をつけて、旦那さま」
「では、ささっと片付けてくる」
御者の人が恭しく礼をして、二人の冒険者を連れて、父ちゃんが森の中に踏み入って行く。
あれよあれよと言う間に話が進み、イリーナが茫然としていた。少し面白いので笑ったら肩を掴んで揺さぶられた。
「な、な? どういうことっ!」
「父ちゃん、元は冒険者だったらしいから。こういうの慣れてるそうなんだ」
「な、なんですってー!?」
実は新興の貴族は冒険者上がりというのが多いそうだ。剣も魔術もそれなりに出来ると言っていたし。たぶん、俺やイリーナにいい所を見せたかったのだと思う。最後のセリフの時にちょっといい顔しようとしてたし。そういうトコ、割とセコい。
この時は呑気にそんな事を考えていたのだった。
前後編になります。