「……だから僕は音楽を辞めたんだ。人と関わることだって辞めた。辞めたはずなんだ」
「こんな思いするくらいなら……無闇に他人と関わる必要ないって、そう思ってたのに……どうして君には話せたんだろう」
自分の過去を話し終えた後で、自問を口に出す。当初は掻い摘んで話す筈だったのに、ちゃんと話を聞いてくれるかのんに感化されたのか、事の詳細全てを打ち明けていた。音羽は自分でも分かっていない疑問を独り言のように述べていたことに一拍置いて気付き、急いでかのんの方を見る。
「あっ……ごめん。君に話したことを後悔してる訳じゃ……って、え?」
音羽は思わずいつもの小声とは違う頓狂な声を口にした。かのんの顔を見ると、彼女の瞳からぽろぽろと涙が溢れていた。あまりに予想外のその反応に、音羽は勢いよく席から立ち上がった。
「ええっ!? な、何で!? 何で泣くの!?」
「だって……だって……」
動揺した時に見せる素の喋り方で音羽はかのんに問う。かのんは手首で目を擦りながらなんとか言葉にしようと口を動かす。話を聞きながらかのんは、自分と音羽は『似ている』と感じていた。境遇が異なっていても、かのんと同じく音羽もまた、音楽に対して真摯に向き合い、努力していたから。故に、音羽に降り掛かった理不尽を本気で悲しみ、疑念とやるせなさが胸中に募る。
「音楽をただ頑張って、お父さんみたいになりたいってだけだったのにあんな……酷いこと言われて音楽辞めてっ……幼馴染とも離れるなんて……そんなの辛すぎるよっ!」
拭っても拭っても、音羽の気持ちを考えるととめどなく涙が伝い落ちる。どれだけの思いで音羽が音楽をやってきたのか。ずっと一緒だった幼馴染に敢えて身を引くことがどれだけ辛いか。自らも音楽をやっていて且つ幼馴染がいるからこそ、かのんは音羽の心情をよく理解できる。だからこそ自分のことのように音羽の過去を悲しみ、そして音羽に音楽を離れさせるまでに追い詰めた人々に対して憤る。
「
「も、もう過ぎたことだから良いんだよ……」
かのんは眉間に皺を寄せながら普段の声とは違う低い声で毒付き、音羽はおろおろと怒りを露わにするかのんを宥めるが、その怒りは留まる所を知らない。
「良くない!! 音羽君ばっかり傷付いて、苦しくて辛い思いして、そんな不条理なことあって良い訳ない! 私は……音楽で傷付く人を見たくないんだよ……」
その声音からはやるせない悲しみ、慈しみが感じられた。かのんが本当に音羽を思って言っているのは紛れもない事実であった。かのんの言葉に音羽は何も言うことができずに押し黙る。こんなにも真っ直ぐに感情を露わにする人物と今まで会ったことがあるだろうか。かのんには、音羽が会ってきた人とは違う『何か』が有る。音羽はそう思わざるを得なかった。
「でも、辞めた理由なんて大したものじゃない。今まで聞こえてこなかったことが聞こえて、嫌になっただけなんだ。本当に、些細なことなんだよ。その声に負けた僕がただ弱かった。……情けない話さ」
「音羽君は何も悪くない! いや、悪いはずないよ!」
音楽を辞めたのは自分が悪いと言い張る音羽に、かのんは『悪くない』と、それを否定する。涙を流してまで自分の為に擁護の言葉を投げ掛けてくれる彼女の姿を見て、少しではあるが心が救われたような気持ちになった。
「優しいんだね。
「音羽君の方こそ。他人の為に自分が好きだったことを辞めるなんて。お人好しすぎだよ!」
そう言われて音羽は少し首を傾げる。果たして、自分は音楽が好きだったのだろうかと。
「好き、だったのかな。音楽」
「違うの?」
「分からないんだ。元々、親に言われて始めたのが音楽で……好きとか嫌いとか関係なしに『すごい人』を目指してたから。音楽が本当に好きだったのか、自分でも分からない」
「そうなんだ……」
かのんは最初から、音羽はきっと音楽が好きだったのだと感じていたが、本人には音楽に対する自身の感情が分からないと告げられた。それが余計にかのんの心を締め付ける。
「昔から、自分の意志で物事を始めたりとかしてこなかった。誰かに言われるままその通りにしてきた。結ヶ丘だって、僕が行きたいから入学した訳じゃないし。そんな僕が『嫌だ』って思うけど、かと言って何かを始める勇気がある訳でもない……」
音羽が喫茶店に入る前に渦巻いていた、『自分が嫌だ』という本音をかのんに吐露した。自分でも驚くくらいに口数が多くなっているという自覚はある。けれどかのんになら打ち明けても良い。音羽は不思議とそう思うことができた。話したところで彼女にどうにかしてほしいという気持ちは少しも無いが、話すだけなら問題はないと考えたようだ。
「僕は何者にもなれなかった。だからきっと、何かになるなんて最初から無理だったんだって……分かったから」
「音羽君……」
「長話に付き合ってくれてありがとう。僕はこれで失礼するよ」
テーブルに置いていた眼鏡とマスクを着けながら音羽はレジがある場所へ向かい、会計の為にかのんもそこへ移動した。
「話、聞かせてくれてありがとう。話してくれてすごく嬉しかった」
「君には、話していいと思えた。不思議だね。ほとんど喋ったこともなかったのに」
「あははっ。これで私達、
「友……達?」
小銭を受け皿に出しながら音羽はかのんの言葉を反復した。
「だってもう『顔見知り』じゃないし。お互いのことも話し合えたから、『友達』じゃない? 私と音羽君!」
「……そうだね。きっと、そうかもしれない」
「でしょ? またここに来てくれたら嬉しいな!」
「気が向いたらね」
「ありがと! じゃあね音羽君! 学校でも会えたらよろしくね!」
「うん……その時は、また」
音羽はかのんに別れを告げて喫茶店を出て歩き始める。彼女が言った『友達』という単語。それが何故だか音羽の心に残り続け、別れ際はその言葉に気を取られて生返事のようになってしまった。友達という言葉に、音羽の心は揺れ動く。
自分は、また人と関わりを持って良いのだろうか。人を信じても良いのだろうか。早る心臓の鼓動を感じながら、優しい風が吹き始めた街を真っ直ぐに歩いていった。