きな子が練習に参加し始めて数日が経った日の朝。かのんは自室にてスマホから鳴るアラーム音で目が覚めた。時刻は午前5時。かのんは軽く伸びをした後にベッドを出て、窓を開ける。日が昇り始めたばかりでまだ薄暗い空を見上げ、朝の冷たい空気を吸い込んで完全に意識を覚醒させる。昨年から続けているが故にもう朝練にも早起きにも慣れているかのんは手早く支度を完了させ、外へ出る為に1階へと降りる。
「おはようー!」
「おはよう。今日も早いわね」
「うん! 外走ってくる!」
「はーい。行ってらっしゃい。気を付けてね!」
1階の喫茶店フロアに出ると、かのんの母が調理場で食器を磨いており、優しげな眼差しで彼女を見送る。かのんは笑みを見せてから入り口付近まで移動すると、普段飼っているコノハズクである『マンマル』が珍しく早朝の時間帯から目を開けていた。
「あっ……! マンマル! おはよ! ……んっ?」
かのんがマンマルに挨拶したその時。マンマルの背後にある窓から、息を切らして足を止めている少女が見えた。その少女が誰なのかすぐに気が付いたかのんは母に『行ってきます』と一言告げた後に家を出て、結ヶ丘高校のジャージ姿の彼女に声を掛ける。
「きな子ちゃん!」
「あ……かのん先輩!」
立ち止まっていたのはきな子で、恐らく今日から朝の自主練を始めたのだと見受けられ、まだペース配分も不慣れではないかと思ったかのんはきな子と共にランニングをしようと決め、彼女に優しく笑いかける。
「えへへっ。見つけちゃった! せっかくだし、一緒に走ろう?」
「はいっす!」
かのんが一緒に走ってくれることにきな子は嬉しそうに笑みを見せ、かのんの後ろを着いていく形で走り始める。ここ数日きな子は引き続きスクールアイドル部で練習を行い、少しずつではあるが初日の散々な有様から改善の兆しが見えてきており、一同は喜んでいるものの、きな子は先輩達の練習に追い付けないこと、頭では理解していても自分だけが取り残されているように感じている為、練習量を増やすことにしたのだ。かのんはきな子に合わせて横並びになるように走る速度を調整し、隣で微笑む彼女を目にしたきな子は速る鼓動に身を任せ、冷たい風を受けながら力いっぱい街を駆けるのだった。
「はっ……はぁっ……」
ランニングを終え、2人は代々木公園で休憩することにし、きな子はベンチに仰向けに横たわって疲れ果てていた。そんな彼女にかのんは自販機で購入したミネラルウォーターを静かにベンチに置いた。
「はい。ゆっくり飲んで」
「ありがとうっす……」
きな子はゆっくりと起き上がり、貰ったミネラルウォーターのボトルを開栓して渇いた喉を潤す。冷たい水が心地良く身体に入っていく感覚を覚え、彼女は軽く吐息を漏らす。かのんもペットボトルに口を付けた後にきな子の方を向く。
「ちょっとオーバーペースだから、注意してね」
「すみません……どうしても力んじゃって……」
「いつも言ってるけど、自分のペースで。無理が1番良くないよ? おとちゃんも最近、きな子ちゃんのこと心配してたし。無理してるんじゃないかって」
今まで運動も何もしておらず、人並みの体力も身に付いていない状況を鑑みると、きな子の練習ペースはかのん達の想定を大幅に超えてしまっている。1期生の練習に着いていく為に毎日必死に物事に打ち込んでくれているのは皆分かっているのだが、普段の練習だけでなく朝練も始めたとなると到底負担も疲労も大きくなり、身体を壊してしまう懸念がある。サポーターである
「でも、かのん先輩達は……優勝目指してるんっすよね?」
「……うん。目指してるよ」
聞かれたからには、そうだと答える他なかった。今年開催される『ラブライブ!』に出場して優勝を勝ち取る。それが、『Liella!』のメンバー全員の夢であるからだ。それを聞いたきな子は真剣な表情でかのんの瞳を見つめる。
「きな子……足を引っ張りたくないです!!」
「……! きな子ちゃん……」
きな子の言葉と気迫に、かのんは些か気圧されそうになる。『ラブライブ!』を目指して日々努力している先輩達の為にきな子は一刻も早く練習に着いていけるようになり、技術を身に付けたいと日頃から思っている。まだ体力もなく、ダンスの動きも改善点しかないのは重々承知の上だ。それでも、先輩達の足を引っ張りたくない、足手まといのままではいられない。そんな気持ちで彼女は日頃練習に臨んでいる。きな子の気持ちを聞いたかのんは、そのように思ってくれていたことの嬉しさで微笑を浮かべる。
「……わかるよ。でも、『ラブライブ!』で優勝したい。それは大事な目標なんだ。それと同時に……皆にスクールアイドルは楽しいって、知ってもらいたい」
かのんはきな子の隣に腰掛け、そのように伝える。きな子の気持ちが、彼女には痛いほどよく分かる。自分も過去に足手まといになりたくないからと、可可と一緒にステージに立つ事を拒んだ事があった。きな子がそう思うのは、持ち前の優しさの賜物なのであろう。右も左もわからない中でスクールアイドル部で頑張りたいと言ってくれているからこそ彼女を大切にしたいし、自信を持ってステージに立てるように歌やダンスをしっかりと教えていきたい。かのんも、皆もそう考えている。けれど、『ラブライブ!』に優勝する事も、自分達にとっては同じくらい大切な目標であり、その為には今までよりももっと努力が必要なのが事実。故にこそきな子はそれでプレッシャーを感じており、早く自分が戦力にならなければいけないという焦りを生んでしまっている。
かのんにとってきな子を大切に育てていきたい気持ちと『ラブライブ!』で優勝を勝ち取りたいという思いが共存しており、どちらも譲れない事柄なのだが、叶える為にはどちらか一方を手放さなくてはならないのではないかという気持ちがあり、そうなるのはとても苦しい。きな子を放っておく訳にはいかないと考えるなら、他の1年生に入部してもらってきな子の心細さを解消すれば、新たな仲間と共に切磋琢磨していけるのではないかと先日から音羽と軽く話をしていた。その為にはまず、他の人達にスクールアイドルのことを知ってもらう必要がある。
「きな子ちゃん以外の1年生にも楽しいなって思ってもらえて、一緒にやれたら最高だなって。そう思うんだ。でも……それにはどうしたら良いんだろう」
かのんは明るさを増していく空を見上げながらそのように言葉にした。スクールアイドルの楽しさや魅力を共有できて、それに興味を持った者が『Liella!』に加入し、共に活動ができるのなら凄く幸せな事であり、それを実現させるのもかのん達の目標である。しかし、その為には具体的に何をすれば良いのか、どうすれば他の人にスクールアイドルが楽しいと思ってもらえるのか。かのんも、彼女以外の誰も、今はまだその答えを持ち合わせてはいなかった。
「すみません……」
「いやいや! きな子ちゃんを責めてるわけじゃないの!」
しゅんとした様子で謝罪するきな子にかのんは慌てて彼女を責める意図はないことを伝える。これに関しては誰のせいでもないし、尚且つ今すぐに解決できたり果たせる目標ではないのも理解している。だからこそ難しく、1度皆としっかり話し合いが必要であるとかのんはそう感じている。
「むしろ、謝るのは私の方。負担掛けちゃって……ごめんね」
「かのん先輩……」
『ラブライブ!』に優勝する為の練習メニューにきな子も参加してもらっている事で、彼女に色々と負担を掛けさせてしまっている現状をかのんは詫びる。ハードな練習が続けばきな子が身体を壊しかねないし、練習どころではなくなる可能性も0ではない。それはかのん達の本意ではないし、仮にそういった事態に陥った場合、『Liella!』に加入して努力してくれているきな子があまりにも浮かばれない。このままでは良くないと判断したかのんはベンチから立ち上がり、きな子に目線を合わせて言葉を紡ぐ。
「私達でもうちょっと考えてみる! 決まったらすぐきな子ちゃんに伝えるね!」
「は、はいっす!」
かのんに手を差し伸べられ、きな子は少し戸惑いながらも頷きを返し、彼女の手を握る。かのんは笑ってきな子の手を握り返し、優しく笑った。きな子という2期生が加入した以上、スクールアイドル部も多かれ少なかれ方針を変えていかなくてはならないかもしれないとかのんは感じ、陽光が差し始めた空をきな子と共に眺めながら、彼女はこれからの『Liella!』について考え始めるのだった。
本日3時限目の授業を終え、きな子のクラスは休憩時間となり、各々次の授業の準備や移動を始めていた。徐々に教室から生徒が減って行く中、きな子はちらりとクラスメイトである
「ナッツー!!」
「ひぃっ!?」
きな子は驚きのあまり声を上げると、未だ教室に居たクラスメイト、
「日経平均全面安! こ〜れは想定外ですの! このままでは今月の目標が……マニ~! マニ~! マニィ~〜!!」
何やら彼女にとって良くない事象が発生したらしく、夏美は少し離れた席に座しているきな子にも聞こえる声量で泣き言を口にしており、きな子は苦笑しながら一部始終を目にしていたが、四季に合図を送られていたことを思い出して彼女の方へ向き直ると、四季はアイコンタクトと共に親指でメイを差し、メイに話しかけるように指示を出した。
「本当に……行くんっすか……?」
きな子は声を震わせて、小さく呟きを溢す。そして、先日四季から言われた言葉を思い出す。
『お願いがある。……メイを誘ってほしい。スクールアイドルに』
きな子が四季に依頼された事。それは、メイのスクールアイドル部への勧誘であった。スクールアイドルが好きでいつも動画を食い入るように視聴していたり、最近推しているメンバーの話を四季に高頻度でしているメイだったが、自身がスクールアイドルになるという選択肢はないようで、四季が何度かその話をしても自分はやらない、なれないの一点張りで終わっていた。筋金入りのスクールアイドル好きで知識量も他のファンとは一線を画す彼女がどうしてスクールアイドルにならないのか四季にとっては甚だ疑問であり、それを見かねた四季は最近『Liella!』に加入したきな子に接触し、正式にスクールアイドル部のメンバーとなっている彼女から直々に勧誘を依頼したというのが今回の経緯である。
メイに話しかけることの恐れや恐怖が抜け切れていないのか、席を立とうとしないきな子を見て四季は溜息を吐いた後、どうにかしようと口を開いた。
「メイ」
「ん?」
「あの子……話があるって」
「あん?」
四季はきな子を指差し、彼女がメイに用事があると伝える。こうすることで退路を断ち、メイに話しかけに行く流れを作り出した。四季からそう言われたメイはきな子に焦点を合わせ、眉間に皺を寄せて彼女を見る。
「ひっ!? いや……その……」
きな子はメイの視線にビクッと肩を跳ねさせ、ぎゅっと目を瞑る。数秒の後に片目を少し開けると、メイはまだこちらを見続けており、終いには身体をこちらに向け始めていた。完全に逃げ場がなくなったきな子は半ば観念した様子で両目を開いた。
「これも……スクールアイドルのため……にゅんっ!」
きな子は勢いよく席から立ち上がり、早歩きでメイが座している席の正面へ移動する。彼女がこちらに向かってくる速度に少々驚きを露わにしつつもメイは身体を前に持って来てきな子を見上げる。
「な、なんだよ……?」
「あ、あなたも……スクールアイドルやってみませんかっ!?」
メイに右手を差し出し、夏美と負けず劣らずの大きな声できな子は単刀直入にメイをスクールアイドル部に入部しないか誘ってみた。きな子の声を耳にした他の生徒達が仰天すると同時に、一気に周囲が騒めき始める。
「えっ? 米女さんが……スクールアイドル!?」
「好きだったんだ!」
「えー!? 意外!」
「はっ……? やっ……。……ふんッ!」
周りが自分のことを好き勝手に話し始めたこの状況に辟易としつつ、メイは固くきな子の手を握る。
「あっ……! 米女さん! ……って、あれ?」
音を立てて椅子から立ったメイ。手を握ってくれたことで入部を決意したのかときな子はそう思ったのだが、その考えは一瞬で違うということに彼女は気付いた。きな子の頬に、一筋の冷や汗が流れる。
「〜〜ッ! ……ちょっと来いッ!!」
メイから物凄い形相で睨まれ、きな子は強引に彼女に手を引かれながらどこかへ連れて行かれるのだった。
メイに体育館裏に連れて来られ、きな子は手を振り払われると同時に裏口の扉に追いやられる。体育館裏に連れて行かれるということは、金品を巻き上げられるという創作物でよく見られる状況と完全に一致していることに気が付いたきな子は恐れ慄きながらメイに弁解する。
「ヒィィッ! 命だけはお許しを~! お金は今ないんっす! 仕送りで暮らしておりぃぃ……! あ、パン! パンならあるっすよ! カルボナーラパン! 今マイブームで……」
「何も取らねーよ」
「えっ……」
今日の朝に購買で買った結ヶ丘名物のカルボナーラパンを恐る恐るメイに渡すが、彼女はあっさりとそれを手で軽く払う。朝や昼に売られているが、毎度即完売になる程に人気なパンである筈なのにメイから要らない旨を告げられたきな子はしゅんとしてカルボナーラパンを持った腕を下ろす。メイは腕を組みながらきな子に対して1つ問う。
「四季に言われたのか? 私のことスクールアイドル部に誘えって」
「はい……」
「はぁ……そんなことだろうと思ったよ。今後は無視しろ。あと、皆で居る時にスクールアイドルの話を私にしてくるな」
四季に言われてきな子が自分をスクールアイドル部に誘ったことを知ったメイは特に怒る様子もなく冷静に言葉を返す。きな子に悪気があった訳ではないのは本人の態度から分かることであり、疑うまでもない。元はと言えば四季に原因があることを知ったメイは次に彼女からそのようなことを言われても無視するようにときな子に伝える。それと同時に、スクールアイドルについての話を自分に振ってほしくないともストレートに告げる。
「私は……スクールアイドルなんか興味ねぇんだ」
「米女さん……」
四季から事前に聞いていた話とは違い、スクールアイドルに興味がないとメイから言われ、きな子はどのように言葉を返せば良いか分からなかった。暫し無言が続き、メイも伝えるべきことは伝えた為きな子に用がなくなり、彼女はその場から立ち去る。
「次、体育だぞ。お前も急げよー」
「あ、はいっす! ……いてててッ! 朝……張り切りすぎたっすかね……腰が……」
遠ざかって行くメイから4時限目の授業は体育であると思い出させてもらったきな子は急いで駆け出そうとすると、腰に強めの痛みが走る。恐らく朝練を行ったことによる筋肉痛だと彼女は考え、メイが言っていた言葉についても思考しながら、腰に手を回してジャージを取りに教室へと戻るのだった。
「ふひぃぃぃっ……はぁ……はあっ……」
「
「あ、今桜小路さん戻ってきました!」
4時限目の体育の授業でマラソンが行われ、教師が点呼できな子を呼んだところ、彼女はクラスの中で最も遅れて結ヶ丘へと戻って来た。
「大丈夫かな?」
「桜小路さん、最近スクールアイドル部に入ったんだよね?」
「朝練も始めたみたいだし、疲れてるんじゃないかな……?」
「はぁ……? マジかあいつ……」
マラソンを終えて額から流れる汗をタオルで拭いていたメイはよろよろと歩いているきな子を見つけ、きな子がスクールアイドル部に入部したことを周りが話題にしているのを聞いたメイは小走りできな子に近付いて行き、彼女に肩を貸した。
「大丈夫かよ?」
「申し訳ないっす……」
「バテてんじゃねぇか。いきなり朝練とか、無理するから……」
「えへへ……ちょっと……張り切りすぎちゃったっすね……」
「ったく……歩けるか?」
「はいっ……」
メイが自分の為に駆け付けてくれたことに顔を綻ばせながら、きな子はメイと一緒にゆっくりクラスの皆と合流する為に歩く。暫くして校庭に到着し、きな子は数人の生徒から労われるも、同時にクラスメイトの男女からスクールアイドル部の話が出される。
「やっぱりスクールアイドル部って大変なのかな?」
「だろうねぇ……」
「優勝目指してんのは知ってたけど、桜小路にあんまり無茶させんなよなー」
きな子が周りより遅くゴールしたのはスクールアイドル部が原因ではないかという空気になってしまい、彼女は急いでその生徒達に口を挟む。
「違うっすよ! 練習が厳しいからじゃなくて……きな子が全然体力ないんっす!」
「朝も走ってるきな子ちゃん見たよ?」
「あれは、きな子が自主的に……」
「昨日も、夕方遅くまで屋上で練習してたって聞いたけど」
「それは、先輩達にステップを習っていて……」
「自主的ったって、『覚えなきゃいけない』みたいな空気になってんじゃねぇの? そんな部活、俺はヤだね」
「ち、違うっす! 本当に……そんなんじゃないっす……!」
こうなったのは決してスクールアイドル部のせいではないときな子はクラスメイト達に伝えるも、一同は引かずに彼女の日頃の様子を話題に出し、スクールアイドル部のせいだと考える生徒に弁明を行おうとしたところで、教師が鳴らすホイッスルの音が聞こえた。
「全員集合! そこ! 私語は慎んでください!」
「っと……いけねぇ。桜小路、行くぞ」
教師から号令があり、クラスメイト達は教師の言葉に従って1ヶ所に集まり始める。メイはきな子に移動するように促すも、彼女は足を止めたままだった。先程の数人は、完全にスクールアイドル部に非があると思い込んでしまっているようで、きな子は悲しげに俯いた。
「なんか、誤解されちゃってるんっすかね……? きな子のせいっす……」
「気にすんなよ。皆、何も知らないんだよ。何も知らない奴らの言葉を聞く必要なんて……どこにもねぇ」
自分が誤解を招く原因を作ったのだと落ち込むきな子を、メイは気にするなと励ます。先程のクラスメイト達はスクールアイドル部に所属していないのだから内情をよく知らず、憶測でもなんでも好き勝手に語れてしまう。自分達のことをよく知らない人達の声に耳を傾ける必要はないのだと伝えた。きな子は唯一自分をフォローしてくれた彼女を嬉しそうに見つめた。
「米女さん……!」
「って、私もよくわかんねぇけど……悪い。今の、忘れてくれ」
「あっ……」
メイは自分もよく事情を知らないままに言葉にしてしまったことを反省し、自分が言ったことも気にせず忘れるようにきな子に念押ししてから駆け足で集合場所へ向かって行った。その後ろ姿を見つめながらきな子も所定の場所へと向かい始める。きっと、メイは優しい人なのだときな子はそう思っているのだが、たまにこうして助言をくれることもあるのにスクールアイドルのことは知らぬ存ぜぬという態度を崩そうとしない。故にきな子は、余計に米女メイという人物が分からなくなってしまった。もやもやとした感情を抱えながら、きな子は腰に手を当てて歩くのだった。
昼休み。結ヶ丘高校スクールアイドル部『Liella!』のサポーターである少年、
「スクールアイドル部の部員を募集しています! 体験入部もやってます! いかがですか?」
「だ、大丈夫です……」
「私も遠慮しておきます……」
通りかかった2人の女子生徒にチラシを差し出しても、興味がないようで受け取ってもらえず、音羽は一瞬気を落とすも、すぐに気持ちを切り替えて声を張り、勧誘を再開する。まだ誰にもチラシを受け取ってもらえていない為、彼はもっと気合いを入れて勧誘しようと腹から声を出す。そうしているところに男子生徒2人がこちらに向かって走って来ていた。
「早くしろよ! カルボナーラパン売り切れちまうだろ!」
「わかってるって!」
「うわっ! あっ……!」
急いで購買に向かっているであろう男子生徒達の内1人と音羽がぶつかり、その衝撃で彼はチラシを廊下の床に落としてばら撒いてしまった。その男子生徒は音羽とぶつかったこともお構いなしにそのまま走り去り、もう1人の生徒もぶつかったことに気付いてこちらに目線を向けていたものの、特に謝ることもなく一緒に走り抜けて行った。
「あわわ……チラシがっ……」
音羽は慌てて床に散らばったチラシを拾い集めて行く。チラシを多めに所持していた分散らばった枚数も多く、風に煽られて遠くまで飛んでしまったものも何枚かあった。それでも音羽はめげずにチラシを拾っており、1人でも多くの生徒に声を掛ける為に早く全てのチラシを集めようと手を伸ばしたその時。音羽の側でしゃがみ、チラシを何枚かの束にして集めて行く女子生徒が現れた。
「手伝う」
「あ……ありがとうございますっ!」
その女子生徒は青いミディアムヘアーで、両耳には赤いピアスが孔けられていた。恐らく1年生だろうと音羽は思ったが、名前が分からない為一旦はチラシを集めるのを手伝ってくれることのお礼を伝え、音羽は女子生徒と共にチラシを拾い集め、2人でテキパキと拾っていた為あっという間に全てのチラシを回収することができた。自分達で拾える分のチラシを集め終えた2人は静かに立ち上がり、女子生徒は音羽にチラシの束を手渡した。
「はい」
「すみません……手伝ってくれて、本当にありがとうございます……!」
「偶然通りかかっただけ。礼には及ばない」
「それでも、手伝ってくれて嬉しかったです。ありがとうございました!」
「ん……」
音羽は女子生徒に頭を下げて謝意を伝え、彼女は少々大袈裟だと思いながらも、自分へ向けられたお礼を無下にはできない為、特に何も言わなかった。音羽が顔を上げた後、女子生徒はちらりと彼の手に持たれているチラシに目をやりながら口を開いた。
「……部員」
「え?」
「部員、まだ募集してるの?」
「あぁ、はい。新入生で1人入部してくれた人が居るんですけど……もう何人か入ってくれたら、その人が寂しくなくなるんじゃないかと思って」
青髪の女子生徒からの質問に音羽は素直に答える。きな子が入部してくれたのはとても喜ばしい事なのだが、新入部員がきな子1人だけだとどうしてもその心細さや孤独感は消えないと音羽は考えており、勿論きな子の相談に乗ったり、メンタルケアは『Liella!』メンバー全員で行っていく体制ではあるが、2年生と1年生では見えているものがどうしても異なってくるだろうし、出来る限り同じ目線に立って向き合う努力はしているが、悔しいことにそれにも限界がある。故にきな子と同じ1年生が入部し、一緒に励まし合って頑張れる環境を作れるのが1番だと音羽は思っていた。それに付随し、個人の感情にはなってしまうが、勧誘を続けるのには音羽にとって譲れない理由があった。
「あの人を……きなちゃんを、独りにさせたくなくて……」
「……!」
音羽の言葉を聞き、女子生徒は目を見開いた。音羽は周囲に自分1人しか居ない感覚、孤独を経験しているからこそ、それと同じ気持ちをきな子に感じてほしくなく、少しでもきな子が楽しくスクールアイドル活動が出来るようにしたい、彼女にとってスクールアイドル部が笑って過ごせるような居場所で在りたい。そう思うからこそ音羽は生徒会やサポーターの仕事もある中で合間を縫って勧誘を行っていた。
「だから、僕は勧誘を続けています。『ラブライブ!』っていう大きな大会で優勝するのが、僕達にとって大事な目標なんですけど……それと同じくらい、入部してくれたきなちゃんや……他に入部してくれる人も大事にしたいんです!」
そう言って、音羽は笑顔を見せる。彼の言葉は紛れもなく本心からのものであった。音羽の想いを聞いた女子生徒は、彼の手に持たれている紙束に手を伸ばし、音羽の手を切ってしまわないようにチラシをそっと引き抜いた。
「あ……!」
「1枚、貰っておく」
「ありがとうございます……! 興味があれば、いつでも部室に来てください! お待ちしてます!」
音羽は今日初めてチラシを1枚貰ってくれた女子生徒に再度お礼と、いつでも部室で待っていることを伝えた。彼女は数秒の間音羽の顔を見つめ続け、彼の柔らかな眼差しを受けて、ほんの少し微笑んだ。
「……
「あ……はいっ! また!」
会話している間ずっと無表情だったその女子生徒が別れ際に笑みを見せたことに音羽は少し驚きながら、自分に背を向けて歩いて行く彼女に軽く手を振った。その後に、女子生徒の言葉と、自身の発言に引っ掛かりを覚える。
「ん……? また……?」
『じゃあね』や『さよなら』ではなく、『またね』と女子生徒は言っていた。ということは、自分とまた会うことを想定しているのか、それともただ何気なくそう言っただけなのか。音羽は少々思考するが、何にせよチラシを貰ってくれたということは前向きに入部を検討しているのかもしれないと結論付け、きな子に次ぐ1年生に入部してもらう為、彼は再度明るく声出しを始め、勧誘活動を再開したのだった。