かのん達にリュックを預け、先に帰るように皆に伝えた
「きなちゃん、無理してない? 大丈夫?」
「ふぇっ!? えっと……あのっ……」
自身を見透かしたような問いを投げかけられたきな子は驚いたように声を出し、なんと言葉を返せば良いか分からず口籠る。そんな彼女に音羽は優しく笑みを見せた。
「ふふっ。言いたいこととか、話したいことがあればなんでも聞くよ? 今は僕しか居ないし、かのんちゃん達に言いづらいことでも……もしあったら話してもらえたら嬉しいな」
「音羽先輩……その……」
柔らかな声音で音羽にそう言われたきな子は、彼になら自身が感じている不安、モヤモヤとした気持ちを打ち明けて良いと判断した。かのん達に言うのも気が引ける事柄もあり、そのことも含めてサポーターである音羽に話してみることにした。きな子は音羽に嘘偽りなく正直に今の自分が思っていることを吐露した。音羽は彼女の言葉を口を挟むことなく聞き、時に頷きながら真剣にきな子と向き合っていた。きな子が一通り話し終えたところで、音羽が静かに口を開く。
「……そっか。どうしても、皆と比べちゃうんだね」
「はい……頭ではわかってるっすけど……きな子が全然できないから……それが目立って余計に……」
「わかるよ。身近な人ができてると、焦っちゃうよね。僕も……そうだったから」
「えっ……音羽先輩もっすか?」
「うん。幼い頃に
「そう、だったんすね……」
きな子は音羽から語られた話に驚きを隠せない様子であった。いつも的確に皆をサポートし、先日彼がピアノを弾いているところを目にした時もまだ素人目のきな子から見ても完璧だと感じる程に調和の取れた音を奏でていた。そんな音羽でも自分と同じく上手くいかない時期があったのだと、きな子は彼に親近感を抱く。
幼い頃の音羽が周囲の人達より遅れをとっていたのは、彼が持つ特殊な才覚である『共感覚』が起因している。音羽は先天的に耳で聴いた音を『色』としても知覚する共感覚、『色聴』を保有しており、日常的にも音楽の習い事をしている時でも音羽が聴く音全てに音としてだけでなく色の情報も脳内に入ってくる。音羽が脳で処理する音の情報は常人とは処理の方法が大きく異なる。音羽は他人とは違う形で世界を、音を認識していたが故に他人が口にする手法や当たり前の事柄を自分自身の見え方、捉え方に適合するように自力で補正しなければならず、音楽教室で1つの教えを会得する為には他人よりも段階を1つ多く踏まなくてはならなかった。
喩えるなら、常人は同じ言語で会話をして意思疎通ができる中、音羽にはそれが他言語のように聞こえてしまう為に言葉を噛み砕いて理解するまでに言語を『翻訳する』という工程が挟まる。故に常人との疎通にタイムラグが生じているようなものと言うべきか。無論、当時の音羽は自身の音の捉え方が特殊であると知る由がなく、周囲と比べて習熟が遅れていたのは単に自分の努力と理解力不足だと思っていた。そんな音羽に、彼の幼馴染である恋は音羽に伝わりやすい言葉を用いて補助を行っていた。音羽はいつも側に居てくれる恋に強い恩義を感じると同時に、彼女に追い付きたい、彼女の隣に並び立てるような存在になりたい、そしていつかは両親のような『すごい人』になる為に、来る日も来る日も必死に努力を続けていたのだ。
何事も回数を重ねていけば必ず『慣れ』が生じる。幼い頃の音羽は自分にできる練習を毎日行ったことで、小学校低学年の課程に至るまでに聴こえる音を常人と同じレベルで捉えることが出来るようになっていた。自身の中に眠っている才を極限まで磨き上げたことでもう1つの特殊感覚である『絶対音感』が目覚め、音を色としてだけでなく音階としても認識出来るようになっていた。音羽を形作っているのはまさしく努力に次ぐ努力、常人とは違う音の知覚方法を持つ逆境とも言える状況下であっても決して折れずに音楽に打ち込んだ程の強い胆力であり、その努力の過程は他人にとって想像を絶するものだというのは言うまでもないだろう。
「なんでもそうだけど、初めからできる人なんて居ない。もし、きなちゃんが歌もダンスも完璧だったら、僕やかのんちゃん達の立つ瀬がない。だから……できないのが当たり前なんだよ。『何でできないの?』とか言うつもりはもちろんないし、そもそも言える立場にないんだ。僕達」
「音羽先輩……」
音羽もかのん達も出来ない苦しみや辛さを知っている。初めて行う事柄が上手くいかない、出来ないのは当然の道理であり、本来ならきな子が気に病むものでは決してない。だが、気にする必要はないと分かっていても内心では出来ない自分に嫌気が差したり、悔しいという感情が伴う。そのことも、音羽はよく理解している。
「できなくて当たり前とか、比べる必要ないってわかってても……気にしちゃうよね。自分だけができてない、置いて行かれてるって感じがして……苦しいよね」
「はいっす……ほんとに、その通りで……」
「でも、きなちゃんは毎日少しずつできるようになってきてるよ。きなちゃん自身でもきっと、前よりはできてるって思うこと……あるんじゃないかな?」
「それは……あるっす。少なくとも、初日よりはマシになったかなって……思うっす!」
「うん。きなちゃんは、しっかり前に進めてるよ。少しずつ、1歩でも良い。昨日できなかったことを今日できるようになれれば、それだけですごいんだよ。それを毎日積み重ねていけば……きなちゃんもかのんちゃん達と同じくらいのことができるようになる。絶対にね」
「先輩達と、同じくらい……」
音羽は自信をなくしかけているきな子に少しずつ着実に成長していることを伝える。1歩ずつでも前に進めば自分自身の力になっていき、その歩みが重なればかのん達に追い付けると彼は確信を持ってきな子にそう言った。その為に、音羽はサポーターとしてやるべきことを改めて自認する。
「きなちゃんが一人前になれるように、僕にできることをなんだってするよ! だから……1人で悩まないで。悩んだら、すぐ相談してもらえると嬉しいな」
「ど、どうしてっ……」
「えっ?」
「音羽先輩はどうして、こんなダメダメなきな子の為に……そこまでするっすか……?」
きな子は自身を気に掛けてくれる音羽に率直に問う。自分のせいで先輩達の足を引っ張り、練習メニューも簡単なものに変更させてしまった自分なんかの為に、何故力になろうとするのか。きな子は今にも泣きそうな表情で音羽の目を見つめる。彼女にそう問われた音羽は、柔和に微笑んだ。
「僕が、『Liella!』のサポーターだからだよ」
音羽はきな子に自信を持って答える。自分が皆に任されている役職であるサポーターを務めているから。きな子の力になりたいと願う理由は、至極単純且つ明快であった。
「サポーターだから、メンバー全員の力になれるように……皆を助ける。今度こそ『ラブライブ!』で優勝する為に……きなちゃんの力が必要なんだ。きなちゃんは1人じゃない。僕や、かのんちゃん達が居る。僕は……皆で『ラブライブ!』に勝ちたいんだ!」
「音羽先輩……!」
昨年の『ラブライブ!』で敗退した悔しさは、音羽にとって消えることはない。次こそは皆で必ず優勝を勝ち取る為に、よりサポートの質を上げるつもりで居り、皆の中には勿論、新入生であるきな子も含まれている。何かが出来ない、皆より遅れている等、それらは音羽がサポートを行わない理由にはならない。彼にとっては皆等しく大切な存在であり、『ラブライブ!』で勝つ為にサポートを過不足なく行うことが音羽の役割、そして果たすべき責務なのである。
「僕達は、きなちゃんを1人にしない。きなちゃんと一緒に……頑張りたい」
以前すみれが言っていた通り、自分達だけで『ラブライブ!』優勝を目指すという考え方は自己満足でしかない。新たに入部してくれたきな子とも一緒に優勝の為に励むことが音羽の願いであり、きな子に活動を続けてもらえるように彼女を孤独にせずに寄り添う。彼のサポーターとしての信念は、もう揺らぎはしない。
「もう……誰も1人にはさせない」
音羽は真剣な表情で自分に言い聞かせるようにそう呟いた。理由があったとはいえ、嘗て音羽は恋を孤独にしてしまった。自分を、恋の価値を守る為にしたことだが、独りにさせられた側の気持ちをその時の彼は汲み取ることができなかった。故にこそ音羽はもう誰も孤独にさせないと強く誓っており、自身の周りに居る人達を決して1人にしないと心に決めているのだ。音羽の真っ直ぐな思いを受けたきな子は、先程まで見せていた憂いを帯びた表情が、朗らかな笑みへと変わった。
「音羽先輩……ありがとうございますっす。少し、気持ちが楽になったっす!」
「ほんとっ? それなら良かった! 困った時はいつでも言ってね。きなちゃんの力になれるように頑張るから!」
「ありがとうっす……! これからも迷惑かけることあると思うっすけど……お世話になるっす!」
「迷惑とか思わないで良いんだよ! きなちゃん達をサポートするのが僕の役目だからね」
音羽も笑ってきな子に返答し、彼女は安心したように笑みを溢す。音羽は机上に置いていたリュックを背負いってから再度きな子の方へ目線を移した。
「一緒に頑張ろうね! きなちゃん!」
「……! はいっす!」
音羽に一言そう伝えられたきな子はこくりと頷き、2人はスクールアイドル部の部室を後にした。音羽が『Liella!』の皆から慕われている理由が、彼女はなんとなく分かった気がした。常に誰に対しても分け隔てなく優しく、他者への気遣いが第一で表情も柔らかい。何より彼の言葉にプレッシャーを微塵も感じないことにきな子は内心驚いていた。自分を励ましてくれた言葉の中に、『頑張って』や『期待してる』等は一切なかった。音羽が意識してそれらの言葉を使わなかったのか否かは分からないが、音羽は『一緒に頑張りたい』と言ってくれた。『頑張れ』ではなく自分も共に頑張ると笑顔でそう言っていた。それが、きな子にとって何より嬉しかった。ちゃんと自分を見てくれているのだと感じさせる彼の激励に、自然ときな子の頬が緩む。
自分には音羽や、共にステージに立つ5人の頼れる先輩達が居る。その人達が皆自分の為に動いてくれている。独りにしないと言ってくれた人が居る。ならばせめて、その人達の厚意に報いられるような人で在りたい。今は未熟でも、いつか必ず今までの恩を返せるような立派なスクールアイドルになりたいと、きな子の胸中に新たな目標が芽生えた。そう思わせてくれたのは紛れもなく、自分の隣で歩幅を合わせて歩いてくれる彼だった。
「ん? どうしたの? きなちゃん」
「……いえっ! なんでもないっす!」
「ふふっ。そっか! ……あっ! 見て、きなちゃん! 夕陽、綺麗だよ!」
「わぁっ……! キレイっす!」
歩きながら音羽を見つめていると、それに気付いた彼は小さく首を傾げるも、きな子は笑顔でなんでもないと伝える。それを聞いた音羽は微笑んだ後、生徒玄関を出た先に見えた夕陽に声を弾ませて立ち止まり、橙色に染まる空を指差した。きな子も彼と同様に空を見ると、その言葉通りの綺麗な夕焼けに感嘆の声を上げた。眩しすぎず、けれど明るく校舎や道を照らしている夕陽を浴びながら、2人は同じ歩幅とペースで再び歩き出す。
その太陽の輝きが、すぐ側で微笑みをくれる彼に似ていると、きな子はふと心の中でそう思うのだった。