星達のオーケストラ   作: 龍也/星河琉

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#17 遭遇、未知なる者。

「最近、すごく良くなったね! きな子ちゃんのダンス!」

 

「ほんとっすか? 嬉しいっす!」

 

 かのんが『Sunny Passion』の悠奈(ゆうな)摩央(まお)と言葉を交わして2日経った放課後。かのんは屋上できな子と共にストレッチをしながら彼女のダンスを褒め、きな子は嬉しそうに笑みを溢した。

 

 かのんはきな子と朝練をすることが多く、その際にダンスの動きを見て指導を行っているが、最近のきな子の上達具合は目を見張るものがあり、かのんだけでなく千砂都達も驚きを露わにしていた程だ。ここまで急速に成長しているのはきな子自身の努力と、きな子の自主練に付き合っている音羽(おとは)の的確なアドバイスの賜物だろうとかのんは考えており、心の中で彼に感謝を伝える。今も生徒会の仕事に励み、グループの為に出来ることを常に考え、それを実行に移している音羽には頭が上がらない思いでいる。

 

「さては、夜も練習してたでしょ?」

 

「えへへっ……もっと上手になりたくて、音羽先輩と一緒に自主練してたっす!」

 

「そっか! でも、あんまり無理しちゃダメだよ?」

 

「はいっ! 音羽先輩からもそう言われてるっす!」

 

「ふふっ。だよね! じゃあ尚更気を付けないと!」

 

 きな子は首肯した後、かのんに近況を伝える為に口を動かす。

 

「実は……最近クラスの子に言われたっす。『スクールアイドルって、素敵だね』って」

 

「えっ! ほんとっ?」

 

「はい! 高校入って、1つ大きなものを目指すって……良いなって!」

 

 きな子のクラスメイトからスクールアイドル活動に肯定的な意見が出ていたことを耳にし、普段のきな子の頑張りがちゃんと他の人達に伝わっていたのだと思うと、胸の中からぐっと込み上げてくるものがあった。

 

「嬉しい……すごく嬉しいっ! きな子ちゃんの言った通りだね。一生懸命やっていれば、その姿はちゃんと伝わる!」

 

「繋がっていくってことっすね!」

 

「うん! 応援してくれる皆の為に、頑張ろうね! きな子ちゃん!」

 

「はいっす!」

 

 2人は互いに笑い合い、柔軟運動を再開する。懸命に物事に取り組む姿を見ている誰かが居て、その人達からの応援が何よりの力になる。きな子も一層身が引き締まる思いで日々練習に臨もうという気概で居り、その熱意は彼女の目を見ればすぐに分かった。かのんが熱心にトレーニングを頑張るきな子に感心していた折、練習着に着替えた千砂都(ちさと)が屋上に足を踏み入れた。

 

「うぃっす~! おっ。2人共早いね〜!」

 

「千砂都先輩! ん? それ……差し入れっすか?」

 

 千砂都が紙袋を抱えていることにきな子が気付き、彼女の問いに千砂都は首を縦に振る。

 

「今来たら、これが部室の前に置いてあって。中に手紙も入ってたんだ!」

 

 どうやら千砂都が買ってきた訳ではなく、部室の入口に置かれていたものらしい。紙袋の中にはサポーターである音羽の分も含まれているのか、7本のオレンジジュースが入っており、校内の自販機で購入できる種類のものであった。その他に2つ折りで手紙も入れられていて、開くと『応援してます。頑張れLiella! 様』と読みやすい文字で書かれていて、右下には簡単ではあるが可愛らしい猫のイラストも描かれている。

 

「誰からだろう?」

 

「さぁ?」

 

 紙袋にも手紙にも差出人の名前は記載されておらず、誰が自分達にジュースをくれたのかが分からない状態だった。まずないことだとは思ったが、万が一の可能性を考えて千砂都が念の為怪しいものじゃないか確認してみたところ、ジュースのペットボトルは全て開栓されておらず、何か変なものが混入されているという訳でもなさそうだった。贈り主が誰かわからずに腕を組むかのんと千砂都の側で、きな子は合点がいったように『あっ』と小さく声を漏らす。

 

「多分……1年生っす!」

 

「1年生が?」

 

「はい! きっと、きな子のクラスの誰かが……」

 

「「だぁぁぁぁ〜っ!!」」

 

「のわぁっ!?」

 

 きな子が言葉発している途中で大音声と共に屋上のドアが勢いよく開き、そこから可可(クゥクゥ)とすみれが飛び出してきた。両者共に息も絶え絶えで額からは汗が滲んでいる。先輩達の急な登場に、きな子は狼狽えて後退る。

 

「ど……どうしたんっすか!?」

 

「はっ……すみれが……競争シヨウなんて、言うカラ……」

 

「あんたが……はぁっ……ムキになるからでしょっ……」

 

「あぁ……そういうことっすか……」

 

 理由はいくつかあるみたいだが、要はどちらが早く部室に到着するか競争していたらしく、全力で走っていたことで2人共息を切らしているようだった。納得したきな子の横で千砂都は肩をすくめ、紙袋に入っていたペットボトルを可可に差し出す。

 

「相変わらずだなぁ。はいこれ」

 

「な、何デス……?」

 

「心して飲んでね。後輩の想いがこもったジュースなんだから!」

 

 そう言ってウインクする千砂都もお構いなしに満身創痍のすみれが可可より先にジュースを手に取ってペットボトルに口を付け、その行為に可可が怒ったことで更なるじゃれ合いが勃発。心して飲むよう言われていた筈のジュースの中身が一気に減っていくのを目にし、きな子も千砂都と同様に『相変わらずっすね……』と心の中で呟いたのだった。

 

 

 

 

 

「届いた! やったやった! 『Liella!』に届いた!」

 

 同時刻、結ヶ丘高校の科学室にて。窓から双眼鏡を用いて屋上の様子を覗いている赤髪の少女、米女(よねめ)メイは興奮しながら飛び跳ね、最高潮に上がったテンションで千砂都が手に持っていたものと同じオレンジジュースを開けて一気に飲み干した。彼女こそがスクールアイドル部の部室に差し入れとしてジュースと手紙を置いた張本人であり、無事に『Liella!』の皆が差し入れを受け取ってくれたかどうか数十分前からずっと観察していたのだ。そんな彼女を、丸椅子に足を組みながら座って眺めており、制服の上から白衣を羽織った青髪の少女、若菜(わかな)四季(しき)は溜息と共に口を開く。

 

「ちゃんと渡してくれば良いのに」

 

「うるせぇなっ! これで良いんだよ!」

 

 四季の一言にメイはこれで良いのだと主張し、再度ペットボトルに口を付ける。好きなら好きだと面と向かって直接伝える方が、手紙を書くという回りくどい行為をしなくて済むし効率的だと四季は考えているのだが、今日も今日とてメイの思考は理解不能である。

 

 再び双眼鏡を目に当て、屋上を観察しているメイを後ろから頬杖を突いて見守る四季の脳裏にふと、1人の少年の顔が浮かんだ。暖かで柔らかな笑顔がとても似合うあの可愛らしい少年も、今屋上に居るのだろうか。少し気になった四季は、小さく喉を震わせる。

 

「……今、()()()は居るの?」

 

「ん? あの人って?」

 

 話しかけられたメイは双眼鏡を外して四季の方を向く。頬杖を突いたまま、四季が続ける。

 

「この前メイが言ってた、サポーター」

 

(あずま)さんのことか? 今は……屋上にはいねぇな。多分だけど、生徒会の仕事してるんじゃないか? 副会長だし、けっこう忙しそうだよなぁ……そんな中『Liella!』のサポーターやってるのマジですげぇな……いつ休んでんだろ……」

 

 四季が『サポーター』と表したことでメイは音羽のことを指しているとすぐに理解し、双眼鏡を使って目を凝らして屋上を見てみたが、そこに音羽の姿はなかった。放課となってまだ1時間弱しか経過していない為、恐らく生徒会の仕事で居ないのではないかと予想する。普段の授業、生徒会副会長としての仕事、そして『Liella!』のサポーター。多忙に多忙を極めている彼は一体いつ休息をとっているのかとメイは素朴な疑問を口にする。結論、今彼は屋上に居ないと分かった四季は、静かに目を閉じる。

 

「そう。忙しいんだね」

 

 その一言には、些か残念そうな感情が乗せられていた。四季の発言に引っかかりを覚えたメイは、首から下げた双眼鏡から手を離しながら振り返る。

 

「ってか、なんだって急に東さんがいるか聞いたんだ? 気になるのか?」

 

 基本的に他人に興味がなく、常に無関心な態度を崩さない四季が、特定個人の動向を気にするのは非常に珍しい。且つ同性ならまだしも普段まったくと言って良い程に興味を示さない異性に対してそのように聞いてきたのが、メイにとって驚きの一言だった。頬杖に使っていた右手をスカートの上に乗せて、四季はメイに目線を合わせる。

 

「『Liella!』の先輩達の中で、唯一話したことがある人だから。ほんの少し」

 

「あー、こないだたこ焼きもらったんだもんな」

 

「うん」

 

 音羽を気にしていた理由は単純に、自分と何度か言葉を交わした事がある唯一の先輩だったからと四季に伝えられたメイは腑に落ちた様子でうんうんと頷きを返す。たしかに、何度か話した先輩が気になるのは自然だし、どうしているのか知りたい気持ちは理解できる。その相手がまさか異性である音羽なのは予想ができなかったが。もしかすると四季は、音羽を女性だと思っているのかと一瞬考えたが、彼女に限ってそんなことはないだろうとすぐに疑問を打ち消し、四季の方へ向き直る。

 

「私は喋ったことないけど、良い人なのは間違いねぇと思うぞ? SNSで滅多に顔出さない割にファンがけっこういるくらいだし、桜小路(さくらこうじ)もかなり慕ってるっぽいからな」

 

「ん……」

 

 メイはきな子とたまに話す機会があり、その時に度々音羽の話題が出ていた為に彼女が音羽と良い上下関係を築けているのだと知った。スクールアイドルとして活動を始めたクラスメイト、桜小路きな子が音羽を慕っている。その光景を直接目にしたことはないのに、自然と2人が楽しそうに話をする姿が頭に浮かんできた。それと同時に、音羽と初めて会った際に彼が言っていた言葉が思い出される。

 

『きなちゃんを、独りにさせたくなくて……』

 

 何の変哲もない、恐らく先輩として普通の言葉なのだろうと感じたが、その一言が妙に心に残ったのを覚えている。

 

 何故かは分からない。音羽が自分をよく見せようとして口にした発言という訳ではないのも態度から理解できる。そこにあるのはきっと純粋な、心からの善意だった。きな子を孤独にさせまいとする、音羽の真っ直ぐな想い。眩しくて、思わず目を伏せたくなるような……汚れひとつない綺麗な言葉。きな子を独りにさせない為に自ら勧誘活動を行い、心から彼女を慮れる人物が、悪人である筈がない。日頃から休む間もなく忙しくしている中で新入部員を勧誘していたのなら、尚更だ。

 

「……そうだろうね」

 

「……?」

 

 短い肯定の言葉の後、四季は微かな笑みを浮かべる。目を逸らして何故か微笑を湛える彼女の所作に、メイは小首を傾げたのだった。

 

 

 

 

 

 

「同じところからもう1回いくよ! ワン、ツー、スリー、フォー……」

 

 スクールアイドル部の全体練習を終えた夕暮れ。かのんと千砂都は南青山6丁目にある児童公園できな子の自主練に付き合い、千砂都は手拍子と共にリズムをとっていた。かのんはきな子の動きをじっと見て、違和感や間違いを指摘する役割を担っている。

 

 いつもは音羽がきな子の自主練を見ているのだが、『たまには寄り道したりしてリフレッシュしてほしい』という千砂都の計らいにより、今日はかのんと千砂都の2人がコーチングを担当することとなった。音羽は千砂都の提案通り、今日は可可とすみれと一緒にカフェへ足を運んだようで、先程『Liella!』のSNSにすみれがコーヒーとスイーツの写真を投稿していたのを千砂都がスマホの通知で確認している。今も3人で楽しい時間を過ごしているだろうと思いながら、千砂都は手拍子を止める。

 

「うん、基礎はバッチリ! きな子ちゃん、よくここまで頑張ったね!」

 

「ありがとうございますっすぅ……!」

 

 千砂都から褒められた嬉しさできな子は涙声で謝意を述べる。基礎に関しては完璧と言って良い程に動きが洗練されていて、あとは少し複雑な振りの精度を上げればステージでパフォーマンスができるレベルに仕上がるだろうという所感であった。自分達が思った以上にしっかりできていた為、千砂都は予定よりも早く練習を切り上げることを決めた。

 

「ただし、今日はもうちゃんと休むこと! ケガしないのも、練習のうちだよ?」

 

「はいっ!」

 

 きな子は頷き、飲み物やタオルをリュックに仕舞ってから立ちあがる。

 

「では、失礼しますっす~!」

 

 大きく手を振って公園を後にするきな子を見送り、かのんと千砂都はふぅ、とブランコの安全柵に寄りかかる。掌に金属の冷たさを感じ、少しずつ、じんわりと温められていく感覚が伝わる。暫し互いに無言の時間が流れ、かのんが静かな声音でその沈黙を破る。

 

「ねぇ。ちぃちゃん」

 

「うん?」

 

「勝てるかな? 私達」

 

 投げかけられたその問いに、千砂都は少し笑う。

 

「不安?」

 

「ちょっと。やっぱり『Sunny Passion』さんや、学校の皆の話を聞いてると……結果出したいなって。期待に応えたいなって」

 

「わかるよ。だから、もっと頑張りたいって私は思う!」

 

『Sunny Passion』の悠奈と摩央が『ラブライブ!』の連覇を目指して日々努力していることや、クラスメイトやきな子の後輩達の話を聞いていると、自分も負けていられない、応援してくれる人達の期待に応えたいという気持ちがかのんの中に生まれ、その為の努力は惜しまないと決めていた。千砂都もかのんと同じように自分にできることを頑張りたいと思っていて、前向きに今後を見据えている。言葉にはされずとも、他のメンバーも皆同じ気持ちだろう。学校の為、生徒達の為に努力したいと。その上でかのんは持論を述べる。

 

「私ね、『ラブライブ!』のステージは本当に素敵だったと思うんだ。全員で1つのステージを作り上げることができた。でも……」

 

 前回の『ラブライブ!』東京大会での出来事を思い出し、かのんは苦い顔で俯いた。

 

「終わった後にあったのは、『もう少しだった』とか、『残念だけど仕方ない』とか……そういう思いばっかりで。だから皆で喜ぶには……勝つしかないんだって」

 

 昨年の東京大会の後にかのんの胸中に強く渦巻いたのは、『悔しさ』。もっとこうしていれば、自分がもっとこうであったら。もっと、もっと。列挙すればキリがない程に後悔の念が心に重く居座っていた。自分達は負けた。『Sunny Passion』に敗北した。その事実はこれから先変わることは決してない。だからこそ次は皆で優勝し、結ヶ丘の生徒全員とその喜びを分かち合いたい。それを目指すということは、言い換えれば他の出場校全てに勝つしかない。勝利を掴む以外に、道はない。もう『歌で勝敗を決めるのは嫌だ』等と呑気なことを言える状況ではないことは、かのんが最もよく分かっていた。

 

「そう考えると大変だよねぇ。『ラブライブ!』って」

 

 千砂都は足をぱたぱたと動かしながらそう言った。皆が一丸となってライブを作り上げ、その上で勝ち負けの争いもしなければならない。勝敗争いはスポーツの大会では当たり前に行われるものかもしれないが、『ラブライブ!』はスクールアイドルが個々に持つ技術だけでなく観客からの投票も勝敗に関わってくるという観点から、ただ上手なパフォーマンスをするだけでは上に行けないと考えると、勝利を掴む為には様々な要素が複雑に絡み合う至難の大会であると言える。千砂都の言う通り、『大変』なのは間違いない。

 

「けど、そうやって色んなグループと競い合って、1つのものを目指して高め合っていくのは楽しい。すごく……ワクワクする!」

 

「ふふっ。それでこそかのんちゃんだ!」

 

「うんっ!」

 

 以前、悠奈は『競い合うことで、より高め合えることができる』と言っていた。かのんがそれを初めて聞いた時はよく分からなかったが、その意味が今なら分かる。競い合って生まれるものもある。絶対に負けられないという覚悟、学校や生徒達の想いを背負って戦うのだという責任。それらが自身を奮起させ、強くさせる。高め合い、競い合った先に何があるのか。その未知なる領域に達する為に仲間と共に励むのはかのんにとって楽しく、心躍るものだった。逆境も向かい風も吹き飛ばすような前向きな精神。それこそが、千砂都がよく知る澁谷(しぶや)かのんの本質。変わらない、彼女の全てなのだ。

 

「私達でやれることを頑張ろう。かのんちゃんの気持ちは、他の皆にも伝わるはずだから!」

 

「ちぃちゃん……ありがとう!」

 

 かのんに礼を言われ、千砂都が頬を緩めたその刹那、彼女のスマホが鳴った。画面を一目見てすぐ、千砂都はかのんの方を向く。

 

「あっ。家からだ。遅くなるって話してくるね!」

 

「わかった! いってらっしゃい!」

 

 千砂都の家族からの入電だったようで、通話の為に彼女は一旦公園から少し離れた場所まで移動する。1人、ブランコの安全柵に腰を下ろしているかのんは軽く息を吐き、自身もスマホを開いて現在時刻を確認する。

 

「あ……もうこんな時間! 私も……」

 

()()()()()

 

「え……ッ!?」

 

 鋭い声で、自分の名を呼ばれた。千砂都の声ではない。しかし自分達以外に人は居なかった筈。そう思っていたが、声がした方へ目を向けると、滑り台の頂上に1人の少女が立っていた。モデルだと言われれば即座に信じてしまう程の整った顔立ちで、ウェーブがかった薄紫色の長髪にエメラルドグリーンの双眸を持ち、見慣れない黒を基調とした制服に身を包んでいる。

 

 少なくともかのんはその少女に会ったことはなく、初対面の認識なのだが、彼女は何故か自分のフルネームを知っていた。刺すような視線を向けられ、かのんの背筋に冷たいものが走り、心臓が早鐘を打つ。自分を見下ろしている彼女に対し、かのんは恐る恐る声を掛ける。

 

「あなたは……?」

 

()()()()なんでしょ? 歌ってみてよ」

 

「えっ?」

 

 紫髪の少女は表情を変えずにかのんに言い放つ。唐突にそう言われ、彼女は何がなんだか分からないまま押し黙る。『優勝候補』という単語を出したということは、彼女も『ラブライブ!』に出場したことのあるスクールアイドルなのか。しかし昨年の地区予選や東京大会の際に彼女の姿を見た覚えはない。では彼女は一体何者で、何故自分に歌ってみせろと言うのか。

 

 分からない。分からないが多すぎて、頭の中で整理ができない。驚きと恐怖で暫く言葉を発せずにいたかのんを嘲笑うように、少女は口角を上げる。

 

「できないの?」

 

「っ……」

 

 威圧感に、息が詰まる。上手く声を発せない。何か言うこともままならず硬直するかのんを少女は鼻で笑う。自分がひどく嘲られているのは、よく考えなくても分かった。何も言えずに固まっていたところに、軽快な足音が耳に入った。

 

「かのんちゃん?」

 

 かのんがハッと目線を動かすと、家族との通話を終えたであろう千砂都がこちらに戻って来ていた。頬に汗が流れていて、大きく見開かれたかのんの瞳。千砂都は状況が理解できず、きょとんとした表情で彼女を見る。

 

「どうしたの?」

 

「あっ、今……! ……あれっ?」

 

 千砂都に自分達以外に見知らぬ少女が公園に来ていたことを話そうと、再度滑り台に目線をやると、先程までそこに居た少女の姿は跡形もなくなっていた。彼女から目を離していたのはほんの数秒に過ぎない。それなのにかのんが再び滑り台に目を向けた時には既に居なかった。忽然と姿を消した少女に一層の謎と怖さが深まる。

 

「かのんちゃん……?」

 

「……ううん。なんでもない!」

 

 心配そうに顔を覗き込む千砂都に、かのんは急いで返答し、なんでもないと告げる。そう言われた千砂都は不思議そうに首をひねるも、『帰ろっか!』とすぐに明るく話しかけた。かのんはほっと安堵しながら同意し、2人は公園から出て帰路へ向かい始める。

 

 あの少女は、一体何だったのだろうか。急に現れては、急に姿を消す。自分に接触してきたのは何故か。考えても分からない。

 

 日が落ち行く空の下、かのんはこれから何か大きなことが起こりそうな……そんな漠然とした予感を1人感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 日が完全に落ちた夜。練習を終えてから可可とすみれと共にカフェでスイーツを堪能した音羽は歩いて自宅へと向かっていて、可可達ととても楽しい時間を過ごせたことで晴れやかな顔で歩を進めていた。

 

 もう少しで自宅に到着するところで、前方から1人の少女もゆっくりと歩いていた。薄紫色の長い髪が風で靡き、月明かりに照らされていたその少女を音羽はなんとなく、『綺麗』という感想を抱いた。あの人もどこかで寄り道をした帰りなのだろうか、等と軽く思いながら歩いていると、数秒の後に彼女とすれ違った。瞬間、ふわりと甘い香りが漂う。

 

「あなたの才能、見せてよ。……()()()

 

 音羽の耳と脳に、氷のように冷たい感覚が走る。

 

「っ……!? え……?」

 

 確かに、名を呼ばれた。耳元で囁かれるように。だが、音羽が振り返る頃には少女の姿は夜の闇に消え去っていた。

 

「あの人は……一体……」

 

 音羽はじわじわと痛み始めた頭を右手で押さえ、誰も居ない路地に立ち尽くす。今まで知覚したことがない類の感覚に、音羽は呼吸を荒くする。

 

 凍てつくような冷たさが、脳にまとわり続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




物語が、加速する。




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