「はぁ……はぁ……ひぃっ……。あっつ~い! なんですのこの暑さはぁ~っ!」
とある休日。結ヶ丘高等学校の1年生、
数分歩き続けたところで頭のヘルメットを外し、配達で疲れた身体を近くの壁に預ける。なんとなくスマホを取り出して『LberEats』の進捗管理アプリを見てみると、先程訪問したばかりの客からメッセージ付きの配達員評価が届いていた。その内容に、夏美はぎょっとして画面に顔を近付ける。
「ガッデ~ム! たった1分遅れただけで低評価……あ~もうっ! やってられないですの!」
乱暴にスマホをポケットに突っ込み、夏美は深い溜息を吐いた。料理を注文した際に定められる配達予定時間帯はあくまで目安の時間であり、必ずしもその時間内に品が届くというものではないのだ。にも関わらず予定時間に少し遅れただけで低評価を付けてくる客は一定数居る。そういういちゃもんに近い文句や評価を下す人に当たる度、「物はちゃんと届いてるのだから良いだろう」と彼女はいつも思う。
新聞配達、引っ越し業者、イベント会場の設営。これまで様々なアルバイトを経験してきたが、対面で人と接さなくてはいけない仕事は性に合わないと改めて感じる。言われたことをできる限りやっているのにちょっとのことで怒られたり皮肉を言われるような仕事は理不尽極まるし、軽率に他者に対して苛立ちや不審を募らせるような自分には務まらない。だが、所詮自分はアルバイトの身。それ以上でも、以下でもない。自分の代わりなんていくらでも居るのだから、向いていないと感じたのならきっぱり辞めれば良い。夏美はそう言い聞かせ、注文品を入れる用のリュックを背負う。
「ま、2度と会うことのない人の低評価でいちいち悩んでるほど暇じゃないですの。早いとこ終わらせて、また次のバイトを……んっ?」
そう言って自転車のハンドルを握った瞬間、背後から歓声が聞こえて肩を跳ねさせる。
「随分賑わっているんですの。なにごと?」
移した視線の先にはずらっと立ち並ぶ屋台と、見渡す限りの人、人、人。他校の制服を着ていたり、コスプレみたいな格好をした人だらけである。この賑わいようからして、お祭りか何かだろうか。元々ここ、代々木エリアは休日のイベントやライブでよく混雑する街なのでこのような光景はさして珍しい事でもないのだが、目の前でそれを目にすれば、何故賑わっているのか気になるのが人の性。自転車から降り、会場に向かって1歩足を踏み出したところで夏美は我に返る。
「……いや、モタモタしてたらまた低評価付けられますの!」
自分は今バイト中であり、スマホのGPSで配達員の現在地を本社の人間はいつでも確認できる。どこかで道草を食っていては本社から怒りの入電が飛んでくること間違いなし。このまま与えられた仕事を忘れてお祭りにうつつを抜かしていたことが露見した場合のビジョンが夏美の目に容易に浮かんできた。時給がそこそこ高くてお金になるからこのアルバイトをしているというのに、ペナルティで給料が支払われないなんて事態になれば本末転倒もいいところである。
「あ〜〜っ。面倒だけど、とっとと終わらせますの! タイム・イズ・マニーですの! マニー、マニー……マニィィィィッ!!」
何のお祭りかわからない謎のイベントへの興味を振り払い、夏美は自転車のサドルに腰掛け、面倒がりながらも次の配達先を目標に猛スピードで走り去るのだった。
それと同時刻。結ヶ丘スクールアイドル部『Liella!』一同は今日行われるイベントの会場へと歩を進めていた。
「ん……?」
「きなちゃん? どうかした?」
「なんだか、聞き覚えのある声が聞こえた気がして……」
「マニーィィィィ……」と、やまびこのように徐々に遠くなる声を微かに耳にし、きな子はその単語を言いそうな人物に1人心当たりがあった。きな子からその旨を聞いた音羽は柔和に笑む。
「そっか! もしかしたら、きなちゃんのクラスメイトかもしれないね。結ヶ丘の生徒もたくさん来るって聞いたから。あ、着いたよ!」
「んっ……わぁっ!」
音羽が指差す方へ視線をやると、そこにはりんご飴やかき氷といった食べ物の屋台や、Tシャツやペンライトに缶バッジ、ブロマイド等のライブに関する物販がずらりと並んでいた。周囲には他校の制服を着た同年代か少し上くらいの若い人達で男女問わず賑わっており、中にはステージ衣装に身を包んでいる者も居たり、会場内全てがスクールアイドル一色に染まっているかのような空間であった。眼前に広がる景色に、きな子は瞳を輝かせる。
「これが代々木スクールアイドルフェス……! スクールアイドルがたくさんいるんっすね!」
「ねっ! 僕も今日初めて来たけど、すごいね……皆楽しそう!」
「あんた達は今回が初めてだものね。私は去年通りかかって来たことあるけど、やっぱすごい熱気ね……ハンディ扇風機でも持って来れば良かったわ」
「今日も暑いねぇ……きなちゃん、喉が渇いてなくても、こまめに水分補給してね!」
「はいっす! 熱中症に注意っすね……!」
「アァ〜ッ幸せデス! スクールアイドルマミレ〜~ッ!!」
「スクールアイドルフェスまであっという間でしたね……練習はしっかり重ねてきたつもりですが……あっ! 音羽くん! 見てください! いちご飴の屋台があります!」
「ほんとだ! あとで買いに行こっか! わっ……
「良いですね! いちごミルクもあるようですし、こちらも後ほど買いに行きましょう!」
「うんっ! 楽しみだね!」
「まったく、揃いも揃ってはしゃいじゃって……私達、遊びに来たんじゃないのよ?」
スクールアイドルフェスの会場に各々嬉々とした反応を見せる音羽達にすみれはやれやれ、と肩をすくめる。彼女の隣に立ちながら、かのんは笑って皆の様子を見つめる。
「良いじゃん。本番までまだまだ時間はあるんだし! それに、おとちゃんがあんなに楽しそうにしてるの久しぶりだもん!」
「あー。そうね。いつも生徒会とか私達のサポートを頑張ってくれてるけど、ああやってはしゃいだりしなくなったもんね。ここのところずっと忙しくしてるし」
「そうそう。でも私、今度おとちゃんと買い物行くんだ〜! 良いでしょっ?」
「別に羨ましくもなんともないわよ。私だって近いうちに音羽とご飯食べに行く約束してるし」
「なにそれ!? 聞いてないよ!?」
「言ってなかったんだから知らないに決まってるじゃない。マウントとろうったってそうはいかないわよ」
「別にそんなんじゃ……良いもん! 買い物のあとにおとちゃんとカラオケ行くから!」
「なっ……!? まだ2人では行ったことないのに……!」
「すみれちゃんはおとちゃんとご飯行くんだから良いでしょ? あ、スポッチャ行くのもアリかなぁ……いや、ちょっぴり趣向を変えて観覧車とか……」
「音羽っ! あとで私と屋台見て回りましょ! 本番まで時間はたっぷりあるから、行くったら行くわよ!」
「うん、良いよ! 一緒に見よう!」
「ちょっ……ズルい! おとちゃん、私とも行こっ!」
「待ってください!
「ククもイッショに行きたいデス! スクールアイドルのグッズを買イニ行きマショウ!」
「ふふっ。じゃあ皆で回ろうか!」
次々と音羽を誘い始めるかのん達を見て、
この代々木スクールアイドルフェスに向けて出来る限りの練習を行い、新曲の作詞と作曲をしているうちにあっという間にフェス当日を迎えた。準備期間が少し短かったが故にきな子の動きの精度や振り付けの完成度に些か不安を残した状態ではあるが、今回は『ラブライブ!』の大会ではなく交流会に近しいイベントの為、結果よりもライブを楽しむことを考えるべきだと千砂都は皆に伝え、一同はそれに賛成している。このフェスを自分達も楽しんで肩の力を抜くのは良いことだと千砂都は考えており、久方ぶりに楽しそうに笑う音羽と、賑やかにはしゃぐ皆の姿を暫しの間見守っていた。
「愛されてるなぁおとくん。そうだ! かのんちゃん、こっち見て!」
「えっ? うわぁっ!? なにっ!?」
千砂都にスマホを向けられたかのんは狼狽えながら可可の背中に隠れる。
「はい、ステージに向けた意気込みを!」
「なっ……なにこれぇっ!?」
「ライブのウラガワを後でアップシヨウと思ッテマス!」
「じゃあ……みんな見るってこと!?」
「当たり前でしょ……オフショットなんだから」
「えぇ〜っ!?」
すみれの冷静な返答にかのんは驚きの叫びを上げて縮こまる。以前と変わらずカメラに映るのはどうにも不慣れなようで、キラリと光るスマホのカメラに怯えた彼女は瞬時に画角から外れた位置に移動する。
「すみれちゃん代わりにお願〜いっ!」
「私? まったく、しょうがないわねぇ。良い? こういう時は……ギャラクシー!
指名されたすみれは満更でもないような顔で鼻を鳴らし、千砂都のスマホに向かって堂々とポーズを取った瞬間、画面に千砂都の顔が映り込んだ。
「あ、ごめん。バッテリー切れちゃった」
「なんで!?」
「あはは……すみれちゃん、僕が代わりに撮るね!」
「ナイスよ音羽! しっかり映しなさい!」
「は〜い! 撮るねー!」
運悪く千砂都のスマホの充電が切れてしまい、代わりに音羽がズボンのポケットからスマホを取り出し、それをすみれにそっと向ける。オフショットには自分を除いたメンバーが代わりに写ってくれそうだと、ほっと胸を撫で下ろしたかのんの背に、3名の女子生徒が声を掛ける。
「かのんちゃん〜!」
「ナナミちゃん! ヤエちゃんにココノちゃんも! 来てくれたんだ!」
「やっほー。今日のフェス、すごい人気あるみたいでさ。うちの生徒でも入れなかった子たくさんいるみたい!」
「えっ、そうなの?」
「うん。でも皆、ネットでかのんちゃんたちを応援してるって言ってたから! 頑張ってね!」
3人から話を聞き、かのんは再度結ヶ丘の生徒達皆の期待を背負っているのだと自覚する。フェスに来れなかった人達も、『Liella!』を応援してくれている。目には見えなくても、確かな想いがここにある。その期待には応えたい。自分達の歌で、皆を笑顔にしたい。どんな場所であっても、それは変わらない。かのんはナナミ達を見据え、強く頷きを返す。
「うん。私、頑張る!」
「その様子だと、実は1番緊張してるのはかのんちゃんだったりして?」
「えへへ……そうかも……」
「自分達のやってきたことを信じよ? 私達の気持ちは、きっとお客さんに届くはずだよ!」
後頭部に手を回して少し笑うかのんに、千砂都は自信を持って返答する。フェスの準備期間中、自分達は何もしなかった訳ではない。練習を積み、新たな曲も作った。応援してくれている人達の為に、やれることはやってきた。あとはその成果をステージで披露するのみ。千砂都だけでなく、他のメンバーも千砂都の言葉に頷いている。彼女の励ましに勇気付けられたかのんは、力強く自らの拳を天高く振り上げる。
「よぉーしっ、今日のフェス……皆で力を合わせて頑張ろうっ!」
「「「おーっ!」」」
音羽達もかのんと同様、快晴の青空に拳をかざし、トリとして代々木スクールアイドルフェスを盛り上がることを誓うのだった。
他のスクールアイドルのパフォーマンスが殆ど終わり、日も沈みかけていた頃、『Liella!』のライブステージの出番が刻一刻と近付いていた。音羽は制服のジャケットを肩に羽織り、既にライブ衣装に着替えている可可達と合流した。
「皆、そろそろ出番だね!」
「ええ。準備万端ったら万端よ!」
「頼もしいね! すみれちゃん!」
「フッ。当然でしょ? ……あら? かのんは?」
「『着替えに行く』って言ったっきりで、まだ戻ってないんだよね。てっきりおとくんと一緒に戻ってくると思ったんだけど……」
皆準備が整っている中、この場にかのんの姿だけが見えていない。音羽が辺りを見回すが、それらしい人は居なかった。
「おそらくまだ更衣室に居るかと思われます。音羽くん、申し訳ないのですが……かのんさんの様子を見に行ってもらえますか? 私達はもうすぐスタッフさんに呼ばれるでしょうし……」
「わかった! 行ってくるね!」
恋にかのんを探すよう頼まれた音羽は急いで駆け出そうとしたが、きな子の隣で困った顔を見せる
「くぅちゃん、どうしたの?」
「ジツは……コインロッカーに今日のニモツを預けてキタのデスが……コレだけ入りキラナクテ……」
「あっ、『Liella!』の旗!」
可可が手にしているのは、彼女の身の丈よりも少し長い伸縮式の棒の上部に大きく『Liella!』の印字が施されたフラッグ布付きの旗であった。可可は今日1日この旗を持って歩いており、すれ違う人達から注目を集めて声を掛けられることが多々あった。それをライブ直前になった今も可可の手に握られていた。
「そうデス! コレもロッカーに入れようとシタのデスが……キョウ買ったスクールアイドルのグッズでロッカーがイッパイにナッテ……他のロッカーも空いてイナクテこのママ持ってクルコトに……」
「だからあれ程グッズ買いすぎるなって言ったじゃない! そもそも何で旗なんてかさばる物持ってきたのよ!? どう考えても要らないわよそれ!」
「要らないトハなんデスか! ククがタンセイ込めて作った旗なのデスよ! グソクムシには絶対触ラセテやらないデス!」
「いや、別に触りたい訳じゃ……って、グソクムシ言うなっ!」
すみれの突っ込みをもろともせず、可可が音羽に話を続ける。
「セッカクのフェスデスし、『Liella!』のアピールのタメにモッテキタのデスが、ロッカーに収マラなくてピンチデスぅ……クク、どうスレバ……」
不安気な声を出す可可と、風に靡く旗を音羽は交互に見つめる。普段の練習で疲れているだろうに、準備期間もあまりない中でこの旗を作ってくれたことを彼は理解しており、『Liella!』の為にと心を込めて作ったからこそどこかに放置したくなくて今もこうして手に持っていたのだろうと悟る。可可の気持ちに寄り添うように、音羽は優しく旗の持ち手を握る。
「くぅちゃん、旗は僕が持つよ! くぅちゃんはステージに集中して!」
「音羽……! 良いのデスか!?」
「もちろん! どこかに置いといて汚れちゃうのは嫌だし、せっかくくぅちゃんが作ってくれたものだもん! この旗は、僕が責任を持って預かる!」
「音羽〜〜!! アリガトウゴザイマス〜ッ!」
「んっ……ふふっ。くすぐったいよぉ……」
可可は満面の笑みで礼を言い、音羽に頬ずりをする。そんな彼女にすみれが即座に止めに入ったことで口論が始まる。暫く待っても止まらない為、諫めるように千砂都がわざとらしく咳払いをしてようやく2人が同時に口を閉じた。
「時間ないから、続きはライブの後にしてね。おとくん、かのんちゃんのことお願い!」
「おっけー! くぅちゃん、借りるね!」
「ハイデス! 旗、オマカセしマス!」
「うんっ! それじゃ、行ってきます!」
可可がぱっと旗から手を離したのを見て、音羽は両手で旗を抱えて小走りでかのんの元へ向かっていった。
「さて、音羽が探しに行ってくれたからひとまず大丈夫そうね。……恋?」
音羽がかのんの所に行ったことに安堵した様子ですみれは恋に話しかけるが、返答がない。彼女の目線は、次のスクールアイドルが行うライブのステージに集中していた。
「恋? 大丈夫?」
「あ……すみません。あのステージを見て、少し胸騒ぎがして……」
「胸騒ぎ? 私達の前のグループ、そんなにクオリティー高いステージな……っ!?」
言いかけたすみれの言葉が、止まった。
「何よ……? あのステージ……」
黒を基調とした周囲の装飾に、巨大な時計の振り子がその存在を主張するように設置されている。床には時計や羅針盤を想起させる大小様々な歯車が映っている。一部はプロジェクションマッピングを使用しているものと思われるが、それは今まで見てきたスクールアイドルのステージとはまったく違う、言うなれば異質とも形容できるものだった。
「このステージの完成度と……漂う空気感。他のスクールアイドルとは、明らかにレベルが違う……そんな気がするのです」
まるで周囲の空気を冷やすかのような会場の雰囲気、そしてそのステージに立つスクールアイドルは一体何者なのか。重い口調で放たれた恋の発言に一同は何も言えずに、今はまだ動いていない巨大な時計の振り子をただ見つめることしかできなかった。
「かのんちゃんー? いるー?」
更衣室の前に到着した音羽は、ドアを3回ノックしてかのんが居ないか声を掛けた。数秒の後にドアが開き、ライブ衣装に着替えたかのんが立っていた。
「おとちゃん! ごめんごめん! 迎えに来てくれたの?」
「うん。もうそろそろ出番だから、かのんちゃんを呼びに行くように頼まれて。気分悪くない? 大丈夫?」
「大丈夫! ちょっと考え事してただけだから!」
いつもと変わらない様子で笑顔を見せるかのんに音羽は安心して微笑み、2人は会場の廊下をゆっくり歩き始めた。周りには他のスクールアイドルが居るので走ったりするのはあまり好ましくない。音羽とかのんは迷惑にならないように並んで廊下の端を歩く。
「おとちゃん、その旗は?」
「くぅちゃんから預かってきた! コインロッカーに入りきらなかったみたいで……」
「あー……可可ちゃん、グッズいっぱい買ってたもんね。なんか、おとちゃんが持つと様になるというか……かっこいい!」
「えぇっ、そうかなぁ……? この旗なら誰が持ってもかっこいいよ!」
「うーん、どうだろう? 私は多分似合わないしなぁ。すみれちゃんあたりが持ったらかっこいいかも!」
「たしかに! すみれちゃんなら絶対かっこいいよね!」
「ねー! 今度持ってもらおうよ!」
「あ、でも……くぅちゃんがすみれちゃんには触らせないって言ってた……」
「それ、絶対照れ隠しだから! 大丈夫大丈夫!」
「ふふっ。それなら安心だね!」
他愛もない、音羽とかのんの会話。その2人の背後に、いつの間にか1人の少女が姿を表していた。
「
「え……あっ……!?」
名を呼ばれた方へ2人が振り返ると、薄紫色の長髪に王冠のような飾りを付け、その身には各所に羽が造形された漆黒のドレスを纏った少女が立っていた。彼女の佇まいに周囲の視線が集まっており、少女の持つ翠色の瞳が音羽とかのんを捉える。
「あなたは……」
「君は……この前の……?」
「えっ。おとちゃん、会ったことあるの!?」
「う、うん。すれ違っただけだけど、一応……」
かのんの問いに音羽は正直に答え、彼は改めて少女を見る。姿を見たのはあの一夜だけだった為に周りにそのことを話したりしなかったが、間違いなくすれ違いざまに自分に声を掛けてきた少女本人だった。衣装を着ているということは、彼女もスクールアイドルフェスのステージに立つ者なのだと思い、2人は表情を強張らせる。
「ふっ。……
「あなた……おとちゃんのことも知って……」
不敵な笑みを浮かべて音羽の名を呼ぶ彼女の声に、ぞわりと悪寒が走る。衣装の影響もあるのかもしれないが、他を寄せ付けない威圧感が彼女にあった。紫髪の少女は音羽が抱えている旗に印字された『Liella!』の文字に気が付き、静かに口を開く。
「『Liella!』……それが、あなた達の名前。……笑える」
「……! 何が……っ!?」
「おとちゃん……? おとちゃん!?」
「はっ……ぁ……」
『何がおかしい』。そう言い返そうとした音羽の脳に鋭い痛みが走り、左手で頭を押さえる。あの時と同じ、凍てつくような冷たさ。少女の冷ややかな目と声が、音羽の脳に激しく『色』を知覚させる。痛みに顔を顰める彼を一瞥し、少女はかのんに目線を戻す。
「
一言そう告げ、少女は踵を返して歩き去る。彼女が歩いて行った道の先に、音羽はあるものを目にした。
「蝶……?」
音羽がそう口にし、何事かと思いかのんも辺りを見回すと、彼女にもそれが見えた。淡い光を纏う蝶が、少女の跡を追うように飛んでいる。ありのまま自身が見えたものを話すには、この表現が最も正しかった。少女の言葉に何故かいても立ってもいられなくなり、かのんは音羽に話し掛ける。
「おとちゃん、大丈夫? 歩けそう?」
「僕は、大丈夫。あの人……呼んでる。僕達を呼んでるんだ。音が、聞こえる」
「うん……行こう、おとちゃん!」
頭から手を離し、音羽は無言で頷く。周囲の人を次々と避け、2人は全速力で廊下を駆け抜けていく。あの少女は何者で、何故自分や音羽に会いに来たのか。彼女の全てが謎に満ちている。しかし、この会場に居ることが意味するのは、たった1つの事実。
「あの子は……」
曲がり角に辿り着いたところで、歓声が聞こえた。声がした方角は外のステージへと繋がっていて、今この瞬間、少女のパフォーマンスが幕を開けたようだった。かのんと音羽は更に走る速度を上げてステージへと向かい、到着したその時。
少女が、天から舞い降りた。
ステージ演出だろうか、床の歯車が忙しなく動作し始め、彼女の背後にある振り子も左右に揺れ動く。スポットライトが少女の姿を照らし、歌声が音羽とかのんの耳に響く。まるで頭を鈍器で殴られたかのような、強い衝撃が両者に走る。
凪のような静寂と、全てを焼き尽くすかの如き激情。歌とダンスでそれらを非常に高い技術で表現する少女に、音羽の大きく見開かれた目は釘付けとなる。自身の脳に雪崩れ込む音階と『色』に、彼は再度頭を押さえる。
青色、黒色といった寒色だけでなく、『炎』を想起させる赤色。少女が歌に乗せて放つ思いが、音羽の目と、脳を蹂躙していく。それでも、少女から目を離すことができない。曲も、歌声も、所作も。全てが暴力的なまでに美しい。
そのパフォーマンスに、かのんも開いた口が塞がらなかった。肌が粟立ち、冷や汗が流れる。ソロで活動している者の中でこれ程までにレベルの高いスクールアイドルは今まで目にしたことがない。たった1人で、ライブの全てを完成させている。先程まで自分達が見ていたライブでも、凄いと思える人は居た。けれど今ステージに立っている少女は、その枠組みには到底入れられない。あまりにも、差がありすぎる。自分達含め、今回出場したスクールアイドルと隔絶された位置に居る。そう思わざるを得ない程に、少女が魅せる世界は他とは一線を画す圧倒的なものだった。
パフォーマンスが終わり、拍手が鳴り止まない会場で、音羽とかのんはその場に呆然と立ち尽くしていた。脳内で知覚した情報を1度に処理し切れずに音羽は肩で息をしており、頭を押さえていた手で髪をくしゃりと握りしめる。彼女の歌は、他とは違う。『Liella!』や『Sunny Passion』にはない色と、少女の心の裡の感情を微かに垣間見た。とても冷たく、他の全てを否定し、拒絶するかのような強い反抗心。彼女の形成する世界には、彼女自身しか居ない。信じられるのはこの身ひとつだと言わんばかりに、他の概念と断絶された世界。
床の歯車が止まり、少女の姿が消えた真っ暗なステージを、2人は暫し並んで見つめ続けたのだった。