星達のオーケストラ   作: 龍也/星河琉

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読んでいただきありがとうございます。本年も星達のオーケストラをよろしくお願いいたします。


#20 一体どうして、こんなことに。

 

 

 代々木スクールアイドルフェスティバルが終わった翌日の夕方。音羽(おとは)は1人帰路を歩いており、昨日のフェスのことを思い出していた。

 

 やれることはやった。『Liella!』全員で持てる力を出し切れたと思えるパフォーマンスだった。けれど、自分達より前にライブを行った少女、ウィーン・マルガレーテには敵わなかった。

 

 負けた。結ヶ丘スクールアイドル部はまた、結果を残すことができなかった。昨日すみれに言われた通り、自分のことを責めずにいられているが、それでも音羽の胸中に悔しさとやるせなさが募る。きっと皆も同じ気持ちで、故に今日の練習にあまり身が入っていなかったのだろう。

 

 全員の調子があまり良くないと判断した千砂都(ちさと)は練習を早めに切り上げ、今日のところは解散となった為に音羽はまだ明るい時間帯の都内を歩いていた。様々なことに思いを巡らせながら歩を進めているからか足取りはゆっくりで、今しがた住宅地に入ってきたところであった。

 

 曲がり角を抜けて自宅が見えたところで、とある人影も目に映る。徐々に近付いてみると、それが誰なのかはっきりと分かった。

 

 ウェーブがかった紫色の髪に黒と赤を基調とした制服。すらりと長い脚を交差して電信柱に背中を預け、腕を組んで瞼を下ろしている少女……ウィーン・マルガレーテの姿が在った。

 

「あの人……どうしてここに……?」

 

 音羽はやや困惑混じりにそう呟く。ここは住宅地で、ショッピングモールや飲食店等もなくお世辞にも面白みがあるとは言い難いこの場所に何故佇んでいるのか。顎に手を当てて考えるが、いまいち分からない。だがたまには街の喧騒とは離れた静かな場所に身を置きたくなる気持ちは音羽も理解できるので、何も言わずに自宅の玄関へ向かおうとした、その時。

 

「……(あずま)音羽」

 

「はっ! はいっ!?」

 

 背後から急に名を呼ばれ、音羽はビクッと肩を跳ねさせて振り返る。先程まで閉じられていた翠色の眼が開かれていて、その目線は完全にこちらに向いていた。マルガレーテは組まれた腕を解かないまま、音羽に話しかける。

 

「予想していたより早い帰りね。てっきり私に負けた悔しさで、レッスンに没頭しているかと思ったけれど」

 

「練習はしたけど、皆落ち着かないみたいで。今日は早めに切り上げることになったんだ」

 

「ふっ。レッスンが気分やモチベーションに左右されるなんて、やっぱりあなた達はそんなものなのね。程度が知れるわ」

 

 マルガレーテの口から出た、皆を小馬鹿にしているような言葉に音羽はむっとする。

 

「何で僕の家を知ってるかはとりあえず置いとくとして……そんなことを言う為だけに、ここに来たのかな?」

 

「そんな訳ないでしょう? あなたに用があるからここに来た。じゃなきゃこんなつまらない場所にわざわざ足を運ぶ訳ないじゃない」

 

「そ、そっか……」

 

 淡々とこの住宅地をつまらない場所だと一蹴する彼女に、音羽は早くも圧されてしまう。しかし、自分に用があってここに来たと言うのなら、どんな内容であるのか聞くべきだと思い、緊張で速る心臓の鼓動を抑える為に両の拳をきゅっと握りしめる。

 

「えっと、僕に何の用……?」

 

「単刀直入に聞くわ。あなたは何故、()()()()()()に居るの?」

 

「あんなところ……もしかして、『Liella!』のこと?」

 

「そう。日本に来る前……私の両親から「優れた才能を持つ者が居る」と聞いて、調べた。その1人が……東音羽。あなたよ」

 

 白く、爪の整えられた人差し指を音羽に向けるマルガレーテ。

 

「僕を……?」

 

「知らないの? あなた、私の母国ではそこそこ名が知れ渡っているのよ。東家の1人息子であると共に……特殊な技能を備えていることも」

 

「え……!?」

 

「調べてわかった。あなた……()()()()()だし、()()()()でしょう? 絶対音感だけじゃなく、シナスタジアまで持っているなんて、上玉も良いところじゃない」

 

「なっ……どうして、そのこと……」

 

 驚きを隠せない音羽に、マルガレーテは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 

「ウィーンの情報網を舐めてもらっちゃ困るわ。まぁ、サイトに投稿されていた動画で絶対音感なのはすぐに察しがついたけれど」

 

 音羽に向けた人差し指を自身の右目に移動させながら、続ける。

 

「シナスタジアがあるのをこの目で確信したのは昨日のフェス。私の声や歌を聞いて頭を押さえていたでしょう? 入ってきた情報が1度に処理し切れなくて、頭痛や吐き気を起こす。母国では『オーバーフロー』なんて呼ばれてるわ。他の人は平然としているのに、あなただけがそうしていた。これ以上の答え合わせが、他にあるかしら?」

 

「っ……」

 

 昨日のマルガレーテのライブで、ステージから自分やかのんの姿を見られていたことを悟る。しかも、決して自ら公にしていなかった特殊技能について知られていたり、それにまつわる聞き覚えのない単語も知っているあたり……彼女が母国であると言った『ウィーン』は、日本よりも音楽に関する研究が進んでいるのかもしれないと音羽は感じた。

 

「『百聞は一見にしかず』、とはよく言ったものね。言伝や山程のデータよりも、実際に見た方が明確に理解できる」

 

「山程……すごいね、ウィーンの情報網って。でも、それと僕が『Liella!』に居ることに、なんの関係が……?」

 

「わからないの? それだけの才能を持つあなたが……何故スクールアイドルのサポーターなんかに納まっているのかと聞いてるのよ!」

 

「えっ……」

 

 怒気を乗せて声を荒げるマルガレーテから、真っ赤な色彩を知覚する。

 

「あなたの作った曲は、昨日聴いたどの曲よりも優れていたわ。その気になれば技術は更に洗練されて、いつか音楽の常識を覆す存在になれるかもしれない。なのにスクールアイドルのサポートに徹して、自己研鑽に時間を使わない。……馬鹿馬鹿しい。宝の持ち腐れよ。せっかくの才を、自分の為に使おうとは思わないの?」

 

 マルガレーテの言葉から見える色は、一切の淀みがなかった。そこに嘘はなく、本心でそう言っていると音羽は気付く。最初に彼女を見た時に感じた冷たい感覚ではなく、今は炎のような熱の灯った赤色ばかりが見えてくる。

 

「僕は、皆や自分の為に『Liella!』に居るつもりだよ」

 

「嘘ね。どこが自分の為だって言うの? 他人にばかり構って、己を高めようとしない。あのグループに就いているから高められない。自分を縛るあんな場所から飛び立って、己の力で高みを目指すべきよ。あなたならそれが容易にできる。……東音羽」

 

 マルガレーテは近付き、音羽に対してスッ、と右手を差し出す。

 

「私と一緒に来なさい。あなたと私で、世界に知らしめるのよ。()()()()がどういうものなのかをね」

 

 先程から見えていた色と、今の発言。マルガレーテが自分に用があると言った真意を音羽は把握した。彼女は、自分をスカウトしに来たのだと。恐らくマルガレーテの中に叶えたいものや何かしらの打算があってのことなのはなんとなく分かる。けれどそれ以上に、それらをかき消す程の熱を宿している。

 

 彼女は本気だ。本気で自分を引き込もうとしている。きっとマルガレーテは音楽に対して非常に真摯で、ひたむきに研鑽を積んできたのだろう。高みを目指す為ならなんだってできると言わんばかりの意志が見える。それがなんだか、音羽にとって嬉しかった。

 

「えっと、まずは……僕の曲を褒めてくれてありがとう。まさか君からそう言ってくれるとは思わなかった」

 

「御託は要らないわ。それで、どうするの?」

 

「……君が今日ここに来た目的が、僕を『Liella!』から引き抜くことなんだとしたら……悪いけど、君の要望には応えられない。僕の夢は、1人で高みを目指すことじゃないし。何より……」

 

 マルガレーテの翠色の瞳を捉え、音羽は静かに喉を震わせる。

 

「僕の友達を見下す人と、一緒には居られない」

 

 そう告げられたマルガレーテの眉が、微かに動く。

 

「僕は僕として……『Liella!』のメンバーとして、君と向き合いたい。先のことはよくわからないけど、今の僕にできるのは……君の音楽に対する気持ちに真っ直ぐ向き合うことだと思うから!」

 

 大切な仲間を小馬鹿にした態度をとる人間と一緒には居られない。けれども、音羽はマルガレーテと向き合うことを選んだ。彼女の持つ熱と、真っ向から向き合っていきたい。今の自分には、譲れないものがある。叶えたい夢がある。その為に音羽は『Liella!』のサポーターで在り続ける。どんなことがあろうと決して揺るがない、彼自身の意志だ。音羽の言葉を受けたマルガレーテは、呆れたように溜息を吐く。

 

「じゃあ……あなたは私の()って訳ね」

 

「敵だなんて……僕はそんなこと……」

 

「そっちがどう思おうと、あなたは敵よ。私の誘いを断って、挙句の果てに勝負する決断をした。グループ全体の実力で及ばなかったのに、この私を敵に回したのよ? それが何を意味するのか……思い知らせてあげる」

 

 口角を上げて音羽にそう伝えるマルガレーテに、彼はそれを受け入れるかのように柔らかく笑む。

 

「未来は君にも、僕にもわからない。もしかしたら、君に勝つ未来が訪れるかもしれないよ? 僕達にだって、負けられない理由があるからね。それを背負っていれば……どこまでだって強くなれる」

 

 怒る訳でも、取り乱す訳でもなく、音羽はいたって冷静だった。その落ち着いた態度がマルガレーテの癪に触る。

 

「あなた……澁谷(しぶや)かのんと違って随分口が減らないわね。……良いわ。2度とそんな口利けないよう、完膚なきまでに叩き潰してあげ……」

 

「あら? 音羽?」

 

 最高潮にヒートアップし、マルガレーテが堂々と宣戦布告しようとした刹那、横から声が聞こえた。2人が同時に目線を動かした先に、買い物袋を腕に提げた女性が居た。

 

「……!? (かなえ)詩穂(しほ)……!」

 

「あっ、お母さん!」

 

 各々異なる呼び方で、女性の名を口にする。

 

 東詩穂。旧姓は『叶』で、その名字の頃は『白い歌姫』の異名を持ち、当時絶大な人気を博していた歌手であった。『音楽界の巨匠』、東湊人(みなと)と結婚する旨を発表したのと同時期に歌手活動を引退、現在は歌のインストラクターとして子供達の指導を行っている、音羽の母親だ。マルガレーテの母国でも彼女は有名で、実際に詩穂の姿を目にするのは初めてであるが故に呆気に取られているマルガレーテの目の前で、音羽と彼女は言葉を交わす。

 

「おかえりお母さん。買い物行ってたの?」

 

「音羽もおかえり! 今日の夕飯にカレーを作ってるんだけど、福神漬を切らしちゃってて。急いで買ってきたの! 音羽は家の前でなにしてたの?」

 

「あ、それは……その……」

 

 何をしていたのかと母に問われ、なんと返せば良いかわからずお茶を濁す音羽。彼の目線には驚きで口を開けているマルガレーテが居て、音羽の視線の先に居る少女に気が付いた詩穂は声を弾ませる。

 

「あら! お友達と話してたのね! ごめんなさい! お邪魔だったかしら?」

 

「う、ううん! 全然! ねっ?」

 

 音羽から受けたアイコンタクトにすぐ目を逸らし、マルガレーテは横を向く。

 

「もう用は済んだから、私はこれで失礼するわ」

 

 そう言って、足早にその場を去ろうとするマルガレーテ。そんな彼女の右手を詩穂がそっと掴む。

 

「なっ……」

 

「あなた、音羽のお友達よね? せっかくだし、お家に上がっていかない? あ、もうすぐカレーもできるから、良かったら食べてって!」

 

「い、いえ……私は……」

 

 先程まで音羽に見せていた態度とは打って変わって困惑が滲むマルガレーテの表情や声音に、音羽の口から思わずクスッと笑みが溢れてしまう。

 

「ちょっと! 笑ってないでなんとかしなさいよ!」

 

「ご、ごめんっ! えっと、どうすれば……?」

 

「もう……! なんなのよアンタはっ……!」

 

「ふふっ。仲良しなのね。さ、入って入って!」

 

「え、ちょっ……! あぁっ!」

 

 詩穂に肩を掴まれ、家の玄関まで押されるマルガレーテ。そのまま吸い込まれるように自宅のドアをくぐっていった2人の後を着いていくように、音羽は控えめに笑いながら帰宅するのだった。

 

 

 

 

 

 

 一体どうして、こんなことに。

 

 東邸のリビングにて、ソファに座っているマルガレーテはそう言いたげなように不服そうな表情をしていた。眉間に寄っている皺から、その態度が伺える。テーブルの向かいで正座している音羽はなんだか申し訳なさそうにしているし、彼女は今にも叫び出したい気持ちでいっぱいであった。

 

 数分後、マルガレーテの側に紅茶が、音羽の側にはコップに注がれたオレンジジュースが詩穂の手で置かれた。

 

「カレーができるまで適当にくつろいでて! ね、お名前はなんていうの?」

 

「……ウィーン・マルガレーテ」

 

 詩穂に名を聞かれ、彼女は数秒の間があった後にようやく声を出した。『マルガレーテ』という名前の響きの良さに彼女は嬉々とした反応を見せる。

 

「まぁっ! 綺麗な名前! 海外の方だったのね。背も高くてモデルさんみたい! ちなみに、出身はどちら?」

 

「オーストリア、です」

 

「オーストリア! 良いところよねぇ。昔主人と新婚旅行で行ったことあるの! 特にチーズが絶品で……スウィーツもどれもおいしかったわぁ」

 

「そ、そうでしたか……母国を訪れていただけて、光栄です」

 

「こちらこそ! 主人と最高の思い出を作れたから、行けて良かったわ! それにしてもマルガレーテちゃん、日本語上手ねぇ。私達と大差ないくらい発音が日本人に近いし、かなり勉強したんじゃない?」

 

「いずれ海外の曲を歌えるようにと、幼い頃から他言語を勉強していて。日本語も、その1つとして……」

 

「おぉ〜! えらいわねぇ。それで、ウチの音羽とはどんなふうに知り合っ……」

 

「お、お母さん……そんな一気に質問するのは良くないよ……」

 

 音羽から聞くまでもなく詩穂がマルガレーテについて次々と質問し始め、耐えきれなくなったのか彼女が視線でこちらに訴えかけた為、音羽が助け舟を出した。

 

「あぁ、ごめんなさい! 私ったらつい……」

 

「いえ……私は、気にしていないので」

 

「ごめんね……じゃあ私、夕飯作ってるから! 音羽とおしゃべりしてて?」

 

「は、はい……」

 

 絞り出すように返事をするマルガレーテに、そんなに自分と話したくないのか、と音羽は少し胸が痛む。軽い足取りでキッチンに戻る詩穂を目で追い、マルガレーテはこれでもかというくらいに深く、長い溜息を落とした。

 

「一体どういう状況よ、これ」

 

「あはは……その、流れといいますか……」

 

「『あはは』じゃないわよ……よく呑気に笑っていられるわねあなた……」

 

「うっ……ごめん……」

 

「まったく……私が抱いていた東家のイメージと、どんどんかけ離れていくのを感じるわ」

 

 そう言ってマルガレーテはティーカップを手に持ち、紅茶を一口啜る。

 

 幼い頃から存在を認知していた詩穂があんなにもおしゃべりな人物だとは思わなかったし、その異名や美しい容姿から物静かな印象だったので尚更そのように思ってしまった。無論、音羽もあれだけの凄い曲を作れる才があるのにやや頼りなさに欠けるというか、言ってしまえば弱気な面が目立つ少年だと感じた。音楽界の名家として名高い東家のイメージが瓦解していくような感覚を覚える。

 

「君は……僕達にどんなイメージを抱いてたの?」

 

「あれだけの功績を生んでいる一家なんだから……もっと厳しくて、実力主義的な思想が強いのかと思っていたわ。見た感じ、そんなことはなさそうだけれど」

 

「そうだね。お父さんとお母さんはいつも僕を尊重してくれたし、何かを強いられたこともなかったかな」

 

「だから、あなたみたいな甘ちゃんが育つ訳ね。私に勝つでも、倒すでもなく……「向き合う」だなんて、笑わせてくれるわ」

 

「君と向き合いたいのは本当だよ。君の『色』を見て、わかった。君の音楽に対する熱量は本物なんだって。だから、知らなきゃいけないと思ったんだ。マルガレーテさんのこと」

 

 マルガレーテは舌打ちと共に両手でテーブルを叩き、カップに淹れられた紅茶が激しく揺れる。何故かは分からないが、音羽に自分を見透かしたようなことを言われるのがどうしようもなく腹立たしい。驚いて正座を崩した彼を睨み付けながら、自身の中で湧き立つ怒りを露わにする。

 

「ふざけないで。私はあなたと馴れ合うつもりなんてない。強引に家に招いて、食べ物で餌付けすれば仲良くなれるとかそういう魂胆でしょ? 勘違いも甚だしいわ!」

 

「い、いやっ……僕もお母さんもそんなつもりじゃ……」

 

「もう良い。帰る。あなたに誘いを断られた時点で、とっくに用は済んでるの。あなた達の勝手な都合で、私の予定を狂わせないで!」

 

「あっ……! ちょっ……」

 

 音羽の制止を振り切り、早歩きで廊下に出ようとした瞬間、詩穂が作っているカレーの香りが2人の鼻腔をくすぐった。リビングと廊下を繋ぐドア前まで来たところで、マルガレーテが足を止める。

 

「あ、マルガレーテちゃん! お手洗いなら、廊下に出てすぐ左にあるわよ?」

 

「……いえ、そうではなく。やっぱり私、帰ろうと思って……」

 

「うふふっ。その割には、お鍋に目が行ってるみたいだけど?」

 

 詩穂にそう言われてハッとする。ゆっくりと混ぜられていることで食欲をそそる良い香りを漂わせているカレー鍋に、いつの間にか釘付けになっていた。マルガレーテはブンブンと首を横に振って紫色の長髪を揺らす。

 

「いいえ。私はこれで失礼しま……」

 

 そう言い終える直前で、マルガレーテの腹から元気な音が聞こえた。彼女を追う為に立ち上がっていた音羽は、その音を聞いて優しく笑みを浮かべる。

 

「お腹の虫さんは、正直みたいね?」

 

「ッ……! ち、ちがっ……!」

 

「我慢しなくて良いのよ。申し訳なさとかも、感じないでほしいの。私がしたくてしてることだから。それと、マルガレーテちゃん。もしかしてお料理好き?」

 

「は……? どうして……」

 

「爪、綺麗にしてるから。それとお鍋を見てる時の目で、なんとなく。あと、ほのかにクッキーとかタルト生地みたいな匂いがしたからかな? あ、これスメハラになっちゃう?」

 

 詩穂の言い分に、マルガレーテはすぐに言葉を返せなかった。彼女の言うことが、全て違わず当たっていたから。爪は自身の清潔意識によるものだが、その他の断片的な理由、且つ顔を合わせたたった数分で日頃から料理をする人間であると見抜いた詩穂の観察眼に、彼女は息を呑んだ。

 

 自分のことをそこまで見抜かれているのなら詩穂にいくら隠しても無駄だと判断し、正直に答えようと口を動かす。

 

「はい。それなりに、しています」

 

「やっぱり! だから、ウチのカレーがどんな味するのか気になってたのかなぁって。もしよければ……味見、してみる?」

 

「え……良いの、ですか?」

 

「もちろん! 音羽や主人はいつもおいしいって言ってくれるけど、他の人の意見も聞きたいから!」

 

「では……失礼します」

 

 詩穂にカレーの味見を頼まれ、マルガレーテはゆっくりとキッチンに足を踏み入れる。

 

 一連の2人の会話を見ていた音羽は、詩穂の凄さを改めて実感した。インストラクターを務めていることで培われた人を見る目と、優れたコミュニケーション能力。マルガレーテの怒りをあっという間に鎮め、彼女と普通に対話ができている。自分ではあんな風にできないし、逆にマルガレーテの怒りを更に増大させていたかもしれない。自分も母を見習わなければと思いつつ、音羽もキッチンの方へ向かう。自分や湊人以外の人物が詩穂特製のカレーにどんな感想を抱くのか、純粋に興味があるからだ。

 

 詩穂は小皿にカレーのルーを乗せて、マルガレーテに差し出す。それを受け取った彼女は音を立てずにルーを口に運ぶ。味を充分に理解してからルーを飲み込み、舌なめずりをした後にマルガレーテが口を開く。

 

「……少々刺激が足りない気がするわね。ガラムマサラやブラックペッパーで辛さを調整した方が良いかも。それから……」

 

「うち、高級レストランじゃないんだけどなぁ……」

 

 家庭料理にするにはあまりに本格的な指摘に音羽は苦笑するが、逆に詩穂はマルガレーテの発言に瞳を輝かせる。

 

「あら、ほんと? 思ったこと、もっと聞かせて!」

 

「えっ……お母さん!?」

 

 てっきり自分と同じ反応をするかと思っていたら、詩穂はむしろマルガレーテの意見を更に求め始め、音羽は驚いた様子で彼女を見る。

 

「だって、料理にアドバイスしてもらえるのよ? 良い機会じゃない! 今日はマルガレーテちゃん流のカレーにしてみようかしら! マルガレーテちゃん、味の調整……手伝ってもらえる?」

 

 詩穂はもう1着のエプロンをマルガレーテに差し出し、にこっと笑う。何故、見ず知らずの他人に対して謙虚にアドバイスを求められるのだろうか。理解はできないが、このように自分を頼ってもらえるのは、マルガレーテにとって嫌ではなかった。

 

「任せてください。今よりもっと良い味に変えてみせます」

 

 詩穂からエプロンを受け取り、慣れた所作で肩にかけて紐を結ぶ。なんだか思いもよらない方向へ事が進んでいるような気がする音羽であったが、先刻まで顰めっ面ばかりしていたマルガレーテが表情を緩めているのを目にし、今はこの流れに身を任せてみようと思い、台に次々と香辛料を並べていく2人の様子を見守りながら、柔らかく笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




想定外、なのに。




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