日が降りて夜の闇が近付き始める頃、練習着から制服に着替えたすみれと音羽は並んで道を歩いていた。すみれからの唐突な提案に訳もわからないまま着いてきている音羽。さすがに気になったのか、無言が続いているこの空気を音羽が破る。
「あのー……これからどこに行くの?」
「すぐに分かるわ」
すみれが淡白にそう言い返し、一瞬で問答が終了した。音羽はすみれとさほど話し慣れていないからか、いまいち距離感を測れずにいる。何を考えているのか分からない、というのが唯一音羽が彼女に抱いている感情であった。
「
歩きながらすみれはリュックからペットボトルを取り出し、音羽に差し出した。ボトルの中身は至って普通のミネラルウォーターだった。
「くれるの?」
「ただ座って見てるだけでも疲れるし喉も渇くでしょ? 飲みなさいったら飲みなさい」
「あ、ありがとう……」
すみれ独特の言葉回しに若干戸惑うが、彼女の厚意だと思い、音羽は素直に礼を言った。歩きながら飲み物を飲むのは行儀的に失礼だと考えた音羽はすぐにそのボトルに口は付けずに自分のリュックにしまい、すみれが言う『連れて行きたい場所』に向かって静かに歩き続けた。
「着いたわよ」
気付けば2人は目的地に辿り着いており、すみれに声を掛けられて音羽は立ち止まる。
「ここは……神社?」
周囲には賽銭箱や鈴があり、御守りを売っている小屋もある。音羽が口にした通り、まごうことなき神社である。尚更意味が分からない、といった面持ちで音羽はすみれを見るが、彼女はいたって冷静に神社の奥へ足を進めた。
「荷物置いてくるから、そこで待っててもらえる?」
「わかった。待ってるね」
言われた通りに音羽はすみれを待つことに。木で出来たベンチに腰を下ろし、リュックを膝の上に乗せる。その際に聞こえた僅かな水音でつい先程彼女から飲み物を貰っていたことを思い出したのでそれを取り出し、すみれがここに居ない今を見計らってマスクを下にずらしてミネラルウォーターを飲んだ。マスクのせいで余計に渇いていた喉が一気に潤い、音羽は小さく息をつく。荷物を置いたすみれの足音が聞こえたので急いでマスクで口元を隠し、姿勢を正した。
「お待たせ。放置しちゃって悪いわね」
一応待たせてしまったことの謝意を述べ、すみれは音羽の右隣に座った。
「大丈夫だよ。それで……何で僕を神社に連れてきたのかな?」
音羽は向かう時から気になっていた疑問をすみれに直接伝える。何故すみれが自分に、しかも神社という意図がまったく読めない場所に自分を連れてきたのか音羽は不思議でしょうがなかった。音羽の問いに、すみれはただただ無言を貫く。
「へ、
「それが
質問を質問で、且つ音羽の心に突き刺さる言葉をすみれはにべもなく彼に聞いた。
「ど……どうしたの? 何でいきなり」
「だから、そのボソボソ喋るのがあんたの素なのかって聞いてんの。前々から思ってたけど違和感ありまくりよ、ソレ」
「それは……その……」
直球な彼女の物言いに音羽は口籠る。違和感があるに決まっている。自分だけ小声で、しかも他の人は着けていない物まで着けているのだから。けれどその理由を誰彼構わず話すつもりに音羽はとてもなれなかった。現状、かのんだけが例外的に音羽の過去を知っているということにはなるが、それ以外の3人は音羽のことなど知る由もない。彼の口数が少ない故に、彼女らからすればただの部員見習いという印象でしかないのだ。それ以上でも、それ以下でもない。友達と言うにも関わりが薄い。稀な関係性である。
「何? もっと大きい声で喋りなさいよ」
「えっと……あのっ……」
「もう良い。呆れた。自分のことすらマトモに喋れないとは思わなかったわ」
「……僕だってっ、好きでこんなことしてる訳じゃな……っ!?」
すみれに発破をかけられて思わず音羽は先程よりも幾分か声量を上げて否定しようとした瞬間、突如音羽の視界が揺らぎ、全身が脱力した感覚に襲われる。重力に従ってすみれがいる方へ倒れ込み、頬に柔らかな感触が走るのを感じたと同時に、音羽の意識は幾分の微睡の後、深淵に吸い込まれていった。
「う……ぁ……?」
ゆっくり目を覚まし、辺りを見回す。そこは先程までいたベンチとは違う、薄暗い部屋に音羽は位置している。体を動かそうとしたが思うように体が動かない。今置かれている自分の状況を把握し、音羽の意識が瞬時にはっきりと覚醒した。
「え!? なに、これっ……縛られてる!?」
音羽の体が椅子ごと縄でぐるぐる巻きにされており、固く巻かれている影響でまったく身動きがとれない。それと同時に、自分が普段感じるはずの口元に接触している感覚、耳に掛かっている感覚が無い。そこから導き出される結論は1つ。
「……マスクと眼鏡が無い。何でっ……!?」
「目が覚めたようね」
手で顔を抑えようとするがそれは叶わず、蝋燭の灯で周りが明るくなる。音羽の目の前には、儀式等で着るような和服に身を包んだすみれが立っていた。
「平安名さん!? これ、一体何を……」
「今から、あんたの中にある
「ジ、ジャキ!? 何それ!? というか縄解いてよっ!」
音羽はあまりの動揺により素の喋り方ですみれに懇願する。
「心の中にある負のエネルギーを浄化するのよ。そうしたら、その性格も少しはマシになるんじゃない?」
「そういう問題じゃなくって! 何されるの!? 怖いよぉっ! 嫌だぁっ!」
「安心しなさい。何も危険なことはないわよ。えーっと? 邪気を払うには……これをこうして、こうするのね」
すみれは音羽の懇願に耳を傾けることなく開いた本に書かれてある文章に目を通し、邪気の払い方を学んでいた。そのすみれの行動でついに音羽の感情がピークに達する。
「人のこと眠らせた人が言っても何も説得力ないよそれ! 何で!? 何で僕にこんなことするの!? 教えてよぉっ……」
恐怖で半ば錯乱のような状態になり、最早普段の音羽の面影はどこにも存在しない。かつてのような喋り方ですみれに再度懇願するが、その態度が彼女の逆鱗に触れる。
「何で、ですって?」
右手に持っているお祓いの棒を強く握り締め、左手に持っている本を床に落とす。すみれはわなわなと震えながら音羽を睨みつけた。
「聞きたいのはこっちの方よ! 毎日毎日辛気臭い顔して、黙って聞いてれば『連れてこられただけ』とか『そんなつもりはなかった』とかいつも他人を理由にして! あんた、自分の意志ってもんがない訳!?」
「っ……!」
次から次へと放たれる正論の応酬に音羽は顔を歪ませる。全てその通りだった。意志薄弱な自分の人間性を、彼女に全て見抜かれていた。
「どうせ、かのんに言われてついてきただけなんでしょ? 自分から来たくて部室に来た訳じゃないなら、いくら見学したって意味ないわよ。違う?」
「僕、だって……」
「……あんたに何があったかは知らないし、何抱えてんのかも知らないけど、そんなんじゃいつまで経っても同じことの繰り返しよ。ちょっとくらいかのんと向き合ったらどうなの?」
音羽に対して言い過ぎた罪悪感からか、今度は優しい口調で諭すように音羽にそう提案した。
「
「音羽のこと、色々心配してんのよ。本当の自分を出せるように、少しでも音楽を好きになれるようにって、あの子なりに考えてる。いい加減目逸らすのはやめて、近くにいる人に目を向けなさいよ」
「澁谷さん……」
知らなかった。彼女が自分にそんなことを思っていただなんて。音羽は心の中でそう呟く。半ば強引のように思えた部室への招待も、かのんなりの考えがあってのことだとすみれの口から聞かされた。それなのに音羽は彼女の厚意までも無下にしようとしていた自分への情けなさで唇を噛む。
「それに、音羽のその顔と声。
すみれは率直に音羽の素顔を見た感想を述べる。音羽の何もかも隠そうとする態度が気に食わなかった故に、彼女は眠っている音羽から眼鏡とマスクを外して素顔を露わにしたのである。素の喋り声も今の状況で聞くことができ、すみれはようやく音羽の本当の性格の一端を垣間見た気がしていた。『ショウビジネスに通じる』というのは最近の彼女らのやり取りを聞いているうちに褒め言葉なのだと気付いた音羽は、自身の声がまた別の人に褒められた事実に驚きながらすみれに声を掛ける。
「声……君もそう言うんだね」
「フン。でも、あんたが本当の自分を見せるまで、自分の意志で何かを決めるようになるまで……私はあんたを認めない。認めないったら認めないわ!」
一種の宣戦布告のように、すみれは人差し指と小指を立てた特徴的なハンドサインで音羽のことを指差した。すみれは最初から、『音羽は優しい言葉をかけてほしい訳ではないのではないか』と考えていた。何事も、自分で決めなければ意味がない。自身もショウビジネスの世界で何事も自分の意志で行動に移していたように。かのんと同じく、すみれも音羽を放ってはおけなかったのだ。以前の自分と同じく、ただ待っているだけの彼を。
すみれの言葉により、音羽の心にまた惑いが生じる。自分はどう在るべきか、本当の自分を出してコミュニケーションをとるべきなのか。体を縛られたまま音羽はじっと、静かにすみれの瞳に眼差しを向けた。