初めてのHRを終え、音楽科のクラスは放課となった。机上に置いてある教材を学校指定のリュックにしまいながら、音羽は小さな溜息をついた。
理事長や担任の先生の話を聞いた上で音羽が導き出した結論は、『自分はこの場に居ていい人ではない』ということであった。周囲の人達は皆、この結ヶ丘という新設校の記念すべき第1期生として、少なくとも音楽科の生徒は希望に満ちている者で溢れていた。何をしたいのか、何をこの学校で成し遂げたいのかを明確にしている生徒が大半であった。
対照的に、音羽には結ヶ丘でやりたいことも、成し遂げたいことも無い。自分がこの学校で何を為せば良いのかも分からない状態であった。入学初日であるならそうなるのも決して無い話という訳ではないが、自分と比較して周りが余りにもしっかりしすぎている。まるで己だけがスタートラインにすら立てていないような、そんな感情が音羽の脳裏に渦巻いていた。
教室を出て、やや猫背気味に歩を進めた音羽の前に、1人の女子生徒がその前に立った。艶やかな黒髪を後ろで束ね、厳格さを漂わせる瞳。音羽はその生徒を知っている。何せ自分と共に、嘗て苦楽を共にした張本人であるのだから。
「……
「
「僕に何の用かな?」
「用が無いと、話しかけてはいけないのですか?」
「……君と話すことは何もないよ」
目を伏せがちに音羽は恋にそう言った。その態度は、幼馴染にかける言葉とは思えない程に冷たく、そっけないものだった。その態度に恋は戸惑うも、音羽に対し言葉を紡ぐ。ある時から変わってしまった彼に、期待にも似た面持ちで接する。
「結ヶ丘に入ってくれたということは、また音楽を始める気になったんですよね? この結ヶ丘は、音羽くんの才能を遺憾なく発揮できる場所だと保証します。共にこの学校をより良いものに……」
「悪いけどそれは出来ない。……僕は、音楽を辞めたんだ。また始めるつもりはない」
淡々と事実を告げる音羽。どんな表情でその言葉を言ったのかは口元が隠れているので分からない。穏和な口調ではあるが、その言葉はやはり恋がなんとか聞き取れる程の小さな声で発せられた。音羽が音楽から離れた理由を恋は勿論知っている。知っていて、辞めたと分かっていても、言わずにはいられなかったのだ。自分の母が作ったこの学校に、相応しい実力と才能を持っていると見込んだ幼馴染が共に入学してきたのだから。
「結ヶ丘に入ったのも、音楽科を選んだのも、全部両親の言う通りにしただけ。望んでここに入った訳じゃない。これ以上……失望させたくなかったからそうしたに過ぎないんだよ」
「そんな……何故ですか!? 何故あなた程の人が、音楽を辞めなければいけないのですか!?」
恋は必死に音羽に問いかける。彼が音楽の才能に恵まれていることに恋はとうに気付いている。だからこそ納得がいかないのだ。才能があるにも関わらず、それを発揮しようとしない今の音羽に。マスクを着けて自分自身の存在すら目立たず隠そうとするその所業にも。
「葉月さんには分からないさ。それに……僕に才能なんて無い。何者にもなれなかったんだから」
「音羽くんのお父様とお母様は、きっと音羽くんを信じて結ヶ丘に行くよう言った筈です! 私は……」
「もういいよ」
父と母。その単語を出された瞬間に音羽の眉間に皺が寄った。表情を読み取れないながらも、音羽が些か不機嫌になったということは恋の目から見ても明らかだった。
「嫌なんだ。音楽で両親の価値を下げるのが。だからもう……やらない。やっちゃ……いけないんだ」
「音羽くん……」
「……ごめんね。期待に応えられなくて」
恋の横で囁きに近い小声でそう言い放ち、音羽は早歩きでその場を去った。彼は恋の自分に向けるその表情に耐えることができなかった。同情、憐れみ。昔嫌と言うほど他者から向けられたソレと一致している上に、恋までもが自分をそんな目で見てくるという事実に、音羽は改めて自覚する。『入る学科を間違えた』と。普通科に進めば彼女とこうして鉢合わせて話すことも、幼馴染の期待に応えられないことまで本人に伝えずに済んだだろうと。
その一方で、幼馴染が自分の前から居なくなった廊下で恋は1人、悔しさと悲しみ。そしてやるせなさに打ちひしがれながら、強く唇を噛んだ。
一緒だった筈なのに