「よし、これでOKの筈だ」
「ごめんねお父さん、面倒かけて」
「このくらい造作もない。リモート通話は仕事でもよく使うし、設定も今では慣れたものだしな」
マウスのボタンを数回押しながら湊人はそう言った。音羽は家に帰ってすぐに両親に今日あった出来事と、音楽科に来たあの男子生徒のことを話すと、湊人がすぐに祖母と話す為にテーブルにパソコンを配置、通話の為に必要な準備を全て請け負った。湊人が祖母に『今から話せるか』とメッセージを送ると祖母から『話したい』と返事が来たので、急遽ではあるが通話で話す流れとなった。
当初は音声通話のみの予定であったが、
湊人が画面内の通話ボタンをクリックし、数秒の後に詠と繋がる。ボブカットの白髪に老眼鏡をかけた女性の姿が映し出された。
「もしもし、聞こえてるか? お袋」
『聞こえてるわ。久しぶりねぇ湊人、
「開口1番で私に言う言葉がそれか……随分だなお袋」
『なーにカッコつけて『私』とか『お袋』って言ってんの! 普通の話し方で良いでしょう?』
「いや、私はもうそういう歳じゃな……」
『みーなーとっ!』
口角を引き攣らせながら対応しているうちに詠に強めに言われ、湊人は深い溜息をついた。
「……
普段の固い喋り方ではなく、親になる以前の素の喋り方で詠に話し始め、それを聞いていた詩穂と音羽が顔を見合わせ、笑いを堪えられずに吹き出した。
『あら、音羽が? 珍しいわねぇ。で、音羽は?』
「今隣に居る。音羽、場所を交代しよう」
「うん、わかった!」
湊人は椅子を音羽に譲り、湊人が居た位置に音羽が着き、詠が映し出されている画面に向き合った。久しぶりに祖母と話す為、少し緊張した面持ちで口を開いた。
「おばあちゃん、お久しぶり! 音羽です!」
『まぁ……! 音羽! 元気だったかい? いつのまにこんな大きくなっちゃって……おばあちゃん嬉しい!』
詠はしばらくぶりに見る孫の顔に気持ちを昂らせ、満面の笑みで応対する。湊人と通話している時とのあまりのテンションの差に湊人は失笑しながら頭を掻いた。
『高校はちゃんと楽しめてる? 湊人に音羽の話は聞いてたから心配でねぇ』
「今日から2学期が始まったんだけど、上手くやれてるよ。大丈夫! 学校に行って、ちょっとおばあちゃんに確かめたいことができたから電話したんだ」
『なら良かったわ。確かめたいこと? 何かしら?』
詠は首を傾げながら孫の言葉に疑問を浮かべる。わざわざ電話をかけてまで聞きたいのだから、決して小さな案件ではないのは察しがついているが、それがどういったものなのか、詠はいまいちピンと来ていない様子であった。音羽は今朝の彼の自己紹介を思い出し、フルネームを瞬時に記憶から引っ張り出した。
「
『もちろん。知っているわ。だって私のヴァイオリン教室の大切な教え子だったもの。あの子も音羽と同じ高校に通うことにしたのねぇ……しかもウタ先生だなんて。相変わらず美麗は美麗でいてくれて安心したわ』
その名前を聞いた詠はフッと微笑み、柔らかな表情で返答した。彼女は十数年前にヴァイオリン奏者を辞め、自分がこれまで身に付けた技術を後世に残す為にヴァイオリン教室を開業。それからは教育者の道を選び、数多の奏者を輩出した。還暦を迎えたと同時に教室を閉めることになったが、教室を卒業した生徒達からは今でもメール等で交流がある程の優れた講師である。その生き様は詩穂にも影響を与え、詩穂も歌手を引退して教育する側の立場になったのは詠が要因の1つと言えるだろう。
『留学してることは知ってたけど、日本に帰って来てるなんて話は1度も聞いた覚えがないわね。私をびっくりさせたかったのかしら? あの子なら充分やりそうだけど』
「留学するくらいに音楽の意欲がある人が、わざわざ日本に帰国してまで結ヶ丘に来た理由って……」
『きっと、美麗は留学するよりも大切なこととか、やりたいことが見つかったんだと思うわ。結ヶ丘は音楽系の学校だし、それに新設校。新しい自分を始めるのにもってこいだもの』
そう言われて音羽はハッとする。『新しい自分』。もしかしたら美麗も、結ヶ丘で変わることを望んでいるかもしれない。留学を切り上げてまで入学を決意したのだから、並々ならぬ思いがあっての事なのではないかと彼は推察した。
『音羽。おばあちゃんのお願い……聞いてくれる?』
「ん、何? おばあちゃん」
改まった様子で詠は音羽に問い掛ける。先程までの柔らかな表情とは違い、真剣な眼差しを画面越しの音羽へ向けた。
『美麗と仲良くしてあげてほしい。態度には出さないでしょうけど、おそらく今でもあの子の悩みは完全に消えてないと思うの。詳しく私の口から言うことはできないけれど……美麗の家庭環境、少し複雑だから……』
年老いた影響で些か嗄れた声ではあるが、詠の美麗への想いがひしひしと伝わってくる。
『音羽が居てくれたら、美麗も嬉しいだろうから。あの子のこと、分かってあげてね?』
「……うん! 僕、西園寺さんと関わってみるよ! ありがとう、おばあちゃん!」
詠は自分の教え子を孫の音羽に託し、祖母の気持ちを受け取ることができた音羽は力強く詠にそう告げた。それを見た詠はいつもの優しげな表情に戻り、静かに何度も頷いた。
それから10分程。音羽は詠に近況報告も兼ねて最近あった出来事を話し、自分が助けになりたい人がいること、学校を楽しめるようになったことを伝えた。通話が終わった後に音羽は自室に戻り、ふとスマホの画面を開く。メッセージアプリを見てみると、『かのんちゃん』と表記された通知が届いていた。
『私たちにできることをしよ! がんばろーね!』
フクロウのマスコットのスタンプと共に、かのんから改めて生徒会長決選についてのメッセージが来ていた。それを見ながら音羽はクスリと笑い、返事を返す。文字を打ち終わった後、彼は今一度心に誓う。『自分にできることをしよう』と。自分がかのん達に救われたように、次は自分が。美麗の抱えている『何か』を少しでも軽くできるように。自分以外の他者の助けになれるようにと、窓から見える夜空を眺めながらそう誓ったのだった。