2学期が始まって数日。運動するのにちょうど良い具合に日光が射すグラウンドにて、音楽科のクラスでは体育の授業が行われていた。
いつもなら決められたカリキュラムで授業が行われるが、今日は体育教師が急な会議の為に不在となっており、自由行動という形がとられていた。各種ボールやラケット等が倉庫から貸し出され、各々の生徒は自分が好きなスポーツを複数人と共同で行なっている。
そんな中、グラウンドの日陰に設置されているベンチに佇む者が1人。一応動きやすいように学校指定のジャージを着ているが、座ったまま他の生徒が体を動かすのを眺めている。その者の名は
1人でベンチに座っていたところに、美麗と同様ジャージに身を包んだ生徒がやってきた。美麗は気配に気付き首を動かすと、教室で彼の隣に位置している、美麗とは対照的に華奢な体格の少年がそこに居た。
「
「隣、良いかな?」
「良いわよ。座って座って」
「ありがとう。じゃあ失礼するね」
音羽の頼みに美麗は快く承諾し、自身の隣に座ることを許可した。音羽は姿勢良く控え目に座り、美麗の方を見ながら話しかけた。
「西園寺さんは混ざらないの?」
「アタシ、体を動かすのはあまり得意じゃないの。アナタこそ良いの? 体動かさないで」
「体育の授業で自由行動になったのは初めてだし、ちょっぴり皆の輪に入りにくいなぁって。僕も運動はそんなに得意じゃないから、足引っ張っちゃわないか心配で」
「ナルホドね。そういうことなら無理に混ざらなくて良いんじゃない? 今日は体動かすも動かさないも自由なんだし」
「そうだね。僕らはしばらくさぼっちゃおうか」
「あら、意外とワルい子ね。もっと優等生かと思ってたのに。ま、アタシも共犯だけれど」
「一緒にさぼれば怖くない! みたいな?」
「フフッ。何よそれ」
美麗は顎に手を当てながら笑い、音羽も共に笑う。何の変哲も無い会話だが、音羽はこのように他の男子生徒と話すのは初めてであり、今まで話せずじまいだった美麗とゆっくり会話を交わせることが何より嬉しいようであった。しばらく会話が続いた後、音羽は美麗と接触した1番の目的を遂行する為、姿勢を正して対話に臨む。
「西園寺さん、聞いても良い?」
「ん、どうぞ?」
「君は、僕のおばあちゃんの教え子だったんだよね?」
音羽の質問に美麗は予想通り、といった表情で隣の彼の顔を見つめる。
「ウタ先生に聞いたのね。そうよ。アタシはアナタの祖母の教え子。そしてウタ先生は……アタシの師匠よ。今でもずっと尊敬しているわ」
「師匠……そんなに慕ってくれてるんだね、おばあちゃんのこと」
「そりゃ、アタシにヴァイオリンの基礎を教えてくれた人だもの。それ以外にも、大切なことをたっくさん教わった。感謝してもしきれないわよ」
美麗は誇らしげに音羽の祖母である詠の話を口にする。その発言から、彼は余程詠のことを尊敬しているんだと音羽は悟る。なればこそ、彼女の孫である彼はその経緯を知りたくなる。
「西園寺さんのこと、もっと聞かせてほしい。おばあちゃんのことも」
「アタシのこと? ……一応聞くけど、知ってどうするつもり?」
「どうするっていうか……その……君と仲良くなりたいなって思ったから、かな?」
自分でも抽象的だと感じる答えに音羽は苦笑いを溢す。音羽にとって、美麗のことを知りたいと思うのに1つの考えや目的はあれど、それを除けば大それた理由など有りはしない。友好関係を作るのに一般的且つ効率の良い方法は、その人を深掘りすることである。それに則って音羽は行動に移したのであった。『仲良くなりたい』という彼の言葉に、美麗は軽く吹き出した。
「初めて言われたわ。そんなこと。やっぱり面白いわね、音羽ちゃん。良いわ、教えてあげる」
「ほんと!? ありがとう!」
「アタシね、自分のこと話すの正直言ってキライなの。でもアナタになら知られても……いや、知ってもらった方が良いって思えるから」
そう言って美麗は、音羽に自分の過去を伝え始める。自身のこと、親のこと。そして彼を形作った師匠である
「……そうだったんだ」
「そんな泣きそうな顔しないでよ。アタシまで泣きそうになるじゃない」
「だけど……」
「ううん。良いの。母親のことは別に恨んじゃいないわ。かと言って、『女に産まれてこなくてごめんなさい』なんて言うつもりもサラサラ無いんだけどね」
音羽は彼からたくさんの話を聞いた。過去に何があったのか、美麗のほぼ全ての生い立ちを。詠から家庭環境が複雑だとは聞かされていたが、それらは音羽の想像を絶する程に重く、苦しいものだった。
美麗の母親は子供を授かった際、まだ産まれる前である筈なのにその子に『美麗』という、世間一般的には女性につけられる名を付けた。だが実際に産まれてきた赤子の性別は女性ではなく男性であり、母親からは失望に近い感情を向けられていたと美麗は語った。
それから母親に『女の子に産まれてきてくれたら』という言葉を来る日も来る日も、何度も皮肉のようにぶつけられるようになり、美麗は少しでも女性に近付く為……何より母親の関心を惹く為に女性的な言葉、立ち居振る舞い、髪の整え方や仕草を学んだ。現在の喋り口調もその名残だという。
それでも、母親の美麗に対する態度は変わらなかった。根本的な性別が男性である以上、時が経てば身長が高くなり、体毛は嫌という程増え、声も低いものとなってしまう。そういった避けようとも、逃れようのない事実を分かっていたからこそ、母親はどうしても男性として生を受けた美麗を受け入れることができなかった。故に彼女は美麗の子育てを放棄。父親は仕事の都合で各地を転々としていた為に、美麗とは別居していた状態であったので頼ることができず、美麗は7歳の頃に父方の親戚の家に引き取られることになった。そこから名字が『西園寺』に変わったという。
実の母親に『捨てられた』という事実は幼い美麗にとてつもない絶望と悲しみを植え付けた。自分がこの世に居る意味を見失いかけていた時、偶然テレビで目にしたヴァイオリンの演奏。それが彼に光明を見出す。ヴァイオリン奏者や楽器から奏でられる音色の美しさ。その全てに惹かれた美麗はヴァイオリンを習うことを決意。教室に通うこととなる。その際に美麗を受け持ったのが、音羽の祖母に当たる
『美麗という字は美しく、麗しいと書く。だからその名の通り、美しく麗しく在れるようになってほしい』。詠から伝えられたその言葉達に美麗は救われる。自分は自分で良いのだと。自分のまま認めてもらえる、自分を見てもらえる存在になりたいと思い、ヴァイオリンに力を入れ、留学する程に打ち込んだのである。
「アタシがアタシを好きになれたのはウタ先生のお陰。それと、どれだけ挫けても頑張ろうと思えたのは、アナタが居たからなのよ?」
「え? 僕が?」
今まで1度も会ったことがないのに、美麗は音羽を昔から知っていたという口ぶりで話す。2学期初日から、何故初対面の筈の自分の名前を知っていたのか、音羽はずっと気掛かりであった。それの意を込めて『どうして』と後押しして聞くと、美麗は微笑を浮かべながら口を開く。
「ウタ先生からアナタのことを何度も聞かされてたもの。『大切な孫』だって。両親とどれだけ比べられても、頑張ることを辞めなかった強い子なんだって。会えなくても、離れてても。音羽ちゃんが頑張ってたって事実が、アタシを奮い立たせてたのよ」
「僕が……君を……」
美麗の言葉に音羽の目頭が熱くなる。詠は詩穂や湊人から音羽のことを逐一聞いていた為、音楽教室に通っていた時のある程度の近況を把握していた。故に詠は美麗に話していたのだろう。美麗と同年代で共に音楽に励む、自身の孫である音羽の事を。あの日から『全て無駄だった』と思い込んでいた音羽の音楽活動。それは決して無駄ではなかった。離れた所で、他者を勇気付けていたのだから。
「結ヶ丘でアナタに会えて純粋に嬉しかった。でも、ホントは怖かったのよ? 男なのに髪をこんなに伸ばしてるし、喋り方も普通の男の子とは違う。声は低いのに女口調だから、気味悪がられるんじゃないかって考えると……」
美麗は正直に音羽に不安を吐露した。美麗にとっては待ち望んだ出会いなのだが、自身の容姿や口調を見て音羽がどう思うのかは未知である為、拭いきれない恐怖が美麗の心に残り続けていた。
「喋り方を戻せば良い話だけど、クセかしらね。そう簡単に戻す気にはなれなくて。『母親に見てほしい』って気持ちが抜け切れてないのも原因かもしれない。……
自嘲するように美麗は音羽にそう問いかける。自分を語るのが嫌いだと言っていた美麗が勇気を出して全てを伝えた。そこで改めて音羽は気を引き締める。自分が、美麗の為にできることをするのだと。
「……笑わないよ。絶対。笑ったりなんかしない」
「音羽ちゃん……?」
真剣な目付きで美麗を見据え、自身の真っ直ぐな気持ちを言葉にした。
「それで笑ったりしたら、おばあちゃんの想いを台無しにすることになる。たとえ西園寺さんがどんな人でも、僕は受け入れるよ」
音羽が考える『自分にできること』。それは、目の前に居る人の理解者になることだった。かのん達が自分を理解してくれたように、次は自分が誰かの心を救う為に。
「それに、見た目とか声に関して僕がどうこう言える立場だと思う? 声が『女みたいで気持ち悪い』って言う人が居るかもしれないんだし」
「ウフフッ。何それ? 新手の自虐かしら?」
「かもね。でも、仮にそう言う人がいても平気。……僕らしさを受け入れてくれる人達が居るから。僕もその人達みたいに、君の理解者になりたいんだ」
美麗は安堵した様子で瞳を閉じた後、再度音羽の方へ向き直り、嬉しさを隠し切れない表情で言葉を返す。
「正真正銘、ウタ先生のお孫さんね。思った通りの人だった。ありがとうね、心がだいぶ楽になったわ」
「それなら良かった。男の子らしさとか女の子らしさとか、考えても仕方ないんじゃないかな? だって男の子でも、このピンクのジャージなんだしさ!」
音羽はにこっと笑いながら自分が着ている結ヶ丘のジャージを指差した。結ヶ丘指定のジャージは男女共にピンクと黒を基調としたものとなっている。同一のデザインにすることで、男女間の隔たりを無くすのに一躍買っているのかもしれない。
「それもそうね。男がピンクの服着てたって良いもんねぇ?」
「そうそう。だから……」
「
音羽が何か言いかけたところにクラスメイトの女子生徒が2人の元へ走ってきた。
「今からソフトボールやるんだけど、2人も一緒にどうかな?」
「あら、お誘いしてくれるの? じゃあ、やってみようかしらね。音羽ちゃんもやるわよね?」
「うん、西園寺さんも行くなら僕も!」
2人共今日は体を動かす予定は無かったが、誘われたとなれば話は別だ。体を動かすのは得意ではないものの、もしも自分達が必要であると言うのなら、単なる人数合わせとしてでも参加しようという考えは音羽も美麗も共通であった。
「ありがとう! 皆に2人が参加すること、伝えてくるね!」
そう言って女子生徒はソフトボールをやるであろう人達の所へ走っていった。その行動の速さに2人は思わず顔を見合わせた。
「さて、僕達も着いて行こうか」
「そーのーまーえにっ! 音羽ちゃん! アタシのことは『美麗』で良いわ。名字で呼ばれるとなんだかムズムズするの」
「あっ……ごめん! じゃあ……美麗さん!」
「結局さん付けするのね。ま、名前で呼んでくれるなら万々歳! ダッシュよ音羽ちゃんっ!」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ〜! 美麗さ〜んっ!」
抜け駆けで走り去る美麗を音羽は急いで追い掛ける。グラウンドを無邪気に走るその2人の間には、確かな友情が生まれていたのだった。