「どういう風の吹き回しですか?」
「
「いえっ……そういう訳では……」
音羽は恋の顔を見ながら、入学当初に恋に言い放った言葉に対して言及しつつ、些か不安気な声を出すと、恋は音羽から目線を逸らしながら慌てて彼の言葉にお茶を濁した。恋にとって、幼馴染と会話をすることが嫌である筈がない。だが、あまりにも唐突に話しかけられた困惑から、未だ状況が飲み込めていないようだった。
音羽は理事長の言葉を思い出しながら、伝えるべきことを頭の中で整理する。『助けになってほしい』。理事長が音羽を最後の頼みとした意味。今の音羽にならば分かる。何故なら自分は恋と幼馴染だから。自身にとっても、恋にとっても。ただ1人の幼馴染で親友だった。であれば音羽はやるべきことを成す。恋の助けに、力になる為に。先ずは最初に伝えるべき事を伝えようと小さく息を吸った。
「僕、スクールアイドル同好会に入ったんだ」
静かに事実を語る音羽の隣で、恋は特に驚きはせず、何も言わずに音羽の言葉を耳に入れる。
「皆の役に立つ為に、僕に出来ることを頑張ってるんだ。それで……」
「知っています」
恋はその続きを遮り、音羽の動向を把握していたことを素直に表に出した。
「音羽くんがスクールアイドルと関わりを持ち、彼女達の手助けをしていることは……既に理事長から聞かされていました」
「そっか、そうだよね」
「……音羽くんが素顔になったのも、
恋は入学初日に音羽と相対した時とは違う、マスクと眼鏡を外した容姿に言及した。今の音羽は、以前のどこか陰を纏った雰囲気が抜け落ち、優しさと明るさを兼ね備えた柔和な気を纏っている。恋は音羽と関わっていた頃のように戻ったのを喜ぶべきだと思ってはいるものの、素直にそう思えないのには1つの理由があった。
「そうだよ。かのんちゃん達が、僕を変えてくれた。だから僕は同好会に居る。皆のスクールアイドル活動をより良くしたい。皆の為になりたいからそこに居るんだ」
「そう、ですか……」
音羽もまた素直に自信を持ってそう答える。自分を変えたのは紛れもなく、恋が良く思っていない存在……スクールアイドルのかのん達であると。恋が素直に音羽の変化を喜べない理由。それは、自分が変えられなかった幼馴染を変えたのは、出会って間もない人間である筈のかのん達だという事実があるからだ。納得する恋の表情には明らかな憂いが滲み出ていた。
「音羽くん」
「なに? 葉月さん」
行儀良く膝の上に置かれていた両手を強く握り締めながら、恋は幼馴染の名を呼んだ。音羽もそれに応えて恋の方を向くと、彼女は真剣な眼差しを彼に向けた。
「あの時言った言葉の意味を教えていただけますか? 『もう一緒にはいられない』と、私にそう言いましたよね?」
音羽はその問いに思わず唾液を呑み込む。確かに音羽ははっきり恋にそう言った。それには当時音羽以外誰も知り得ない事情があったものの、勿論言われた本人の恋は音羽の気持ちなど分かりはしない。在るのはただひたすらの『何故?』という疑念。この数年で確かめたいことばかりが山程増え、その度に恋の心には、とある歪みのような違和感が生まれ落ちた。
「ずっと心に引っかかっていたんです。音羽くんが何故そう言ったのか。考えているうちに、音羽くんは『私が嫌いで言った訳ではないのではないか』という結論に至りました」
導き出した恋の考えは概ね正しかった。音羽は勿論、恋に対して嫌悪の感情は皆無。あるのは尊敬と、自分では追い付けないと感じた程の能力の高い評価。そして彼女に高みへ向かっていってほしいという切なる願い。
「嫌いであれば、あんな風に言わなくとも別の言い方があった筈です。何か……理由があってのことだったんですよね? 教えてください、音羽くん。あの日の答えを知りたいんです!」
恋は幾分か音羽と距離を詰め、あの日の答えを彼に求めた。あの時音羽が何を思い、何を抱え、何の為に。自分にあのような言葉を言ったのか単刀直入に、尚且つ言うまで離さないと言わんばかりに音羽の瞳を見つめ続けた。
「……葉月さんと僕は一緒にいるべきじゃないって感じたから、かな」
「……?」
苦虫を噛み潰したような表情で一言、音羽はそう口にした。嘗ての同期、
「君は、僕に無いものをたくさん持ってた。色んなことができて、どれもしっかり結果を残してて。けど僕には人と比べてそれなりに出来る事といったら音楽しかなかったから」
それなり。恋はその一言に小さく首を横に振りながら目を閉じた。それに構わず音羽は話を続けた。
「僕が葉月さんと一緒に居たら、君が高みへ行けないと思った。だからそうした。けど……それが間違ってたってことに気付くのに、随分時間がかかっちゃった。謝って許される事じゃないって分かってる。でも謝らせてほしい。……本当にごめん」
音羽はベンチから立ち、恋に深く頭を下げた。いくら理由があろうと、どれだけの想いがあろうと。自分がした事は恋の気持ちや態度を無視した完全なる独りよがり。恋を傷付けていたのかもしれないという考えすら持てなかった。そんな自分を悔いながら、ぎゅっと目を瞑って恋の反応を待った。
「では……私を思っての事だった、ということですか?」
「言い訳かもしれないけど……全ては君の為を思ってやった事なんだ」
顔を上げて、自分でも歯が浮きそうになる程の真っ直ぐな善意、想いを恋に数年の時を経て伝えた。それに恋は肩の力が抜け、握っていた拳が解かれた。
「思い違いでは、無かったようですね」
音羽が伝えた事柄にさほど驚く訳ではなく、あたかも自分が思っていた通りだったという面持ちで一言そう呟いた。恋の心に長年居座っていた音羽への疑惑が霧散した筈であるのに、一向に恋の表情は晴れないままであった。その顔を見た音羽は今一度自分が望む事を次々に言語化する。
「僕は同好会の皆の為になりたいって、そう言った。でも葉月さんの為になりたいって気持ちもある! 僕の手が届く人達には、君も含まれてるんだよ!」
「音羽……くん……」
「音楽科と普通科の人達とちゃんと話し合おう? それで一緒に学園祭を出来るようにするんだ! その為ならなんだってする! 君が背負ってるものを、僕にも背負わせてほしい!」
「っ……」
音羽の言い分に恋は辛そうに視線を落とす。彼は決めたのだ。幼馴染の彼女だけでなく、結ヶ丘で起こっている現状の問題にも向き合うと。
「変わりませんね。音羽くん。皆の為、私の為、生徒達の為、学校の為……全て自分以外の誰かやものの為じゃないですか……」
「ううん。違うよ」
恋が昔から感じていた音羽の利他心を指摘すると、彼は優し気な口調でそれを否定した。
「……自分の為だよ。今までの僕が嫌だから。償いたいから。それと……
全部が全部、他者の為に動く訳ではない。理由に他者が入っているのは今までと変わらない。だが、今の音羽には明確に自らの事情や願望が入り混じっている。勝手だと言われるかもしれない。偽善だと思われるかもしれない。それでも音羽は、幼馴染と向き合う為に。普通科と音楽科が分かり合えるように。諦める訳にはいかないのだ。
「確かに、ワガママです。ですが……音羽くんの気持ちはよく分かりました」
「これが僕の気持ちだよ。また……手を取り合おう!」
座っている恋に音羽はそっと手を差し出す。恋は小さく笑みを浮かべながらその手をとろうとするが、突如何かを察した様子で声を漏らし、伸ばしかけた手がすぐに降ろされた。
「……葉月さん?」
「……出来ません。音羽くんが
「なっ……!?」
恋は毅然とした態度で音羽の手を拒む。あの方とは、スクールアイドルであるかのん達のことを言っているのだと音羽は瞬時に理解した。恋もベンチからスッと立ち上がり、彼に背中を向けながら言葉を続ける。
「音羽くんは、何も分かっていません。半端な覚悟で介入しようとしないでください。……正直、困ります」
「葉月さんっ……」
「……あなたと話すことはもうありません」
背中を向けたまま音羽にそう告げ、足早にその場を立ち去ろうとする恋。このままでは恋が行ってしまう。そう確信した音羽は急いで彼女の左手に手を伸ばした。
「待ってっ!!」
音羽が恋の左手を掴むと、恋はたちまち足を止める。恋の手は冷たく、見ると肩を小刻みに震わせていた。
「離してください」
「離さない! まだ……話は終わってないっ!」
音羽は強く恋の手を握る。彼女が行ってしまわないよう、必死にその場に恋を留める。恋が音羽を止めた中学生の時とは逆に、今度は音羽が恋を止める。あの時と立場が主客転倒しているこの状況。ここに来てようやく、音羽はあの時恋が味わったであろう緊迫感や胸が締め付けられているかのような感覚を全身で体感した。
「僕は……君の助けに、力になりたいんだ。半端な気持ちで言ってない。僕にだって、譲れないものの1つや2つ、あるんだよ」
今の彼は、昔とは違う。自分にとって揺るがない信念が、譲れない物がある。それを聞いた恋はゆっくり音羽の方へ振り向いた。
「いけません。音羽くん」
「僕じゃ……駄目、なの?」
「そうではありません。私の手助けをするということは、共に結ヶ丘を背負うということになるんです。音羽くんに、そんな重荷を背負わせる訳にはいきません」
「僕だって、葉月さん1人に重荷を背負わせたくない! どんな事にでも僕はっ……!」
「まだ分からないのですかっ!?」
「……!?」
恋が初めて、音羽に対して声を荒げた。その声音には確かな怒気と拒絶の意が乗せられていた。初めて聞いた幼馴染の怒声に、音羽は言葉を詰まらせる。
「私は……音羽くんに傷付いてほしくないのです……結ヶ丘を背負うのは、私1人で充分です」
目に涙を溜めながら、恋は隠し通そうと思っていた気持ちを音羽に伝える。恋は音羽の人間性を熟知していると言っても過言ではない。あれだけ一緒に居たのだからたとえ嫌だとしても理解する。彼の人間性と、今彼がやろうとしている事を照らし合わせ、それが恋の想像通りなら……きっと音羽は懸命に学校の為に尽力するだろう。例え自分が傷付いてでも。
大切な幼馴染が、たった1人の親友の音羽が傷付くことを想像すると、恋にとっては自分が傷付くよりも遥かに辛かった。どうか彼にはずっと、責任や重荷から解放されてほしいと願っていたのに。両親のネームバリューやレッテルと真正面から戦い、精神を擦り減らしながら音楽に打ち込んでいた姿を隣で見ていたからこそ、音羽にはこれ以上苦しみを味わわせたくない。恋が現状で感じている痛みを、音羽にも感じさせる訳には断じていかないのだ。
「葉月……さん……」
「話せて、嬉しかったです。音羽くん」
張り付いたような笑みを見せながら、自分に話しかけてくれたことへの感想を述べる。その一言を聞いて、音羽が手に込めた力が一気に緩む。
「さようなら」
音羽の手をするりと離し、彼に別れを告げるや否や、恋は一気に駆け出した。恋の姿がどんどん自分から遠ざかっていく。音羽は自分から離れていく恋の姿を直視できず、俯いたまま歯を食い縛る。説得すると、言ったのに。助けになると、誓った筈なのに。面と向かって話しても、それは1つたりとも叶わなかった。
「肝心なこと、言えなかったな……」
自身の本音を伝えそびれたことに気付くも、その伝えるべき相手は、もうこの場には居ない。
握った恋の手の冷たさが、音羽の掌にこびりつくかのようにずっと。恋の決心を物語っているかのようにずっと、決して治まらず伝播していった。冷たい自身の右手を見つめながら、音羽はあの日土砂降りの雨の中で感じたものと同等か、それ以上の無力感に打ちひしがれていた。
他の何に変えても、あなただけは。
星達のオーケストラを読んでくださった全ての読者様に心より感謝申し上げます。来年も誠心誠意努力して参りますので変わらぬご愛顧をよろしくお願い致します。