星達のオーケストラ   作: 龍也/星河琉

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読んでいただきありがとうございます。いつもよりかなり長いお話となっております。よろしくお願い致します。


第37話 そして、もう一度。

「ここで話そうか」

 

「……はい」

 

 音羽(おとは)(れん)は普段授業を受けているクラスの教室へと足を運び、音羽はそこで話そうと提案した。校舎内の飾り付けは殆ど終わっており、他の生徒達は外の飾り付けに専念している為教室には誰も居なかった。教室付近にも人が居る気配は感じられない。この異様な静けさが、2人に緊張を走らせる。

 

 音羽は教室に向かう最中、ゆっくりと歩いている筈なのに心臓の鼓動が速度を増し続けていた。自分は彼女に何を言われるのだろうか。どこで話をするか聞いた時に『2人きりで話ができる場所が良い』と言った幼馴染の真意は何なのか。平静を保とうとしてはいるが、音羽の所作には普段あまり見られないぎこちなさが見受けられた。

 

 教室の中へ入り、2人は静かに椅子に座る。音羽が座ったその席は、偶然にも嘗て中学1年生だった頃に彼が座っていた位置と同じであった。黒板から最も遠い最後列の席。音羽が恋に別れを告げた日も、彼はその席に座していた。音羽にとってクラスの教室は思い出の場所であると同時に、痛みと苦しみを象徴する場所でもあった。

 

 数分間、何も無い時間が続いた。互いに無言で見つめ合い、すぐに目を逸らす。しばらくすると再度目が合う。その繰り返し。話したいことは両者共に持ち合わせている筈なのに、どちらも話を切り出そうとしない。数分しか経っていないのに、音羽の脳内では何時間も時が過ぎているような感覚に陥っている。この空気に耐えかね、思い切って音羽は恋に話しかけようと息を吸った。

 

「「……あのっ!」」

 

 音羽が声を出した同じタイミングで恋もまた彼に話を切り出す為に若干上擦った声を上げた。互いに重なる声に2人はたじろぎながらも、音羽が先に言葉を紡いだ。

 

「は、葉月さん先にどうぞ……」

 

「い、いえっ! 音羽くんがお先にどうぞ!」

 

「話がしたいって言ったのは葉月(はづき)さんじゃん! 僕も話したいと思ってたけどそれは後で良いから……」

 

「たしかに……では私から先に言わせていただきますね……」

 

 どちらが先に話すか両者共に譲り合いが始まり、互いに気を遣い合う2人。だが最初に話があると言ったのは恋なので、音羽は先に話すよう彼女にお願いすると恋は案外素直に折れ、自分が先に伝えたいことを伝えると決める。一呼吸ついた後に恋は音羽の顔を先程までの動揺を微塵も見せずに直視しながら、自身が彼に言うべき事項を脳内で簡潔に纏め上げた。

 

「私は、澁谷(しぶや)さん……いえ、()()()()()達と共にスクールアイドル活動を始める事にしました」

 

 今まで頑なに苗字でしか呼んでこなかった彼女を名前で呼び、恋は自身の新たな決意を声に出して表明した。母親の学校アイドル活動は後悔の記憶ではなく、最高の思い出であったことをかのんに伝えられ、恋は自身の考えを改める。(はな)達のお陰で繋がれた想いが、軌跡がこの結ヶ丘で証明されている。恋は亡き母の夢も想いも受け継ぎ、スクールアイドルとして活動する為の一歩を踏み出したのだ。

 

「この選択が正しいのかどうか、現時点では分かりません。ですが……お母様の想いを無下にしたくないのです。私には、結ヶ丘を守るという使命(ゆめ)もあります。母が大好きだった音楽で、スクールアイドルの活動で。私がそれを実現させます」

 

 その瞳には、確かな意志が宿っていた。結ヶ丘高校の創設者、葉月花の娘として。結ヶ丘高校の生徒会長として。自らがそれらの役割を担うと彼女は音羽に伝えた。それを聞いた音羽は口角を上げながら目を細める。

 

「そっか。その選択はきっと正しいよ。もしそれが正しくなくても……正しくする為に頑張れば良い。僕はその手助けをするよ。これからも……変わらずに」

 

「あなたなら……そう言うと思っていました。たとえ『駄目』だと言っても、手助けをし続けるのでしょうね……」

 

「ふふっ。よくわかってるじゃん」

 

「私と音羽くんが、どれだけ一緒に居たと思っているのですか」

 

「そうだね。それだけ居たら……わかっちゃうか」

 

「分かりますよ。たとえ嫌だとしても」

 

「うっ……その言い方ちょっと傷付く」

 

「冗談ですよ。真に受けないでください」

 

「良かったぁ……」

 

 言葉を交わすうちに2人の間にあった緊張は嘘のように解け、普通に会話が出来るようになっていた。嘗ては毎日、他愛ない話や真剣な話まで様々な話題で会話をしていた。胸の裡に広がりゆく懐かしい感覚、蘇る昔日の記憶。暖かく、楽しかった過ぎ去りし日々。その日常がどれ程輝いていたか。少しばかり大人に近付いてからそれをひどく実感する。

 

 あの頃は、あの時は。戻りたい、振り返りたい。そのような欲が音羽の思考を支配しようとする。だが音羽はそれに屈しない。どれだけ願い望んでも過去は戻らない。決して戻れない。だからこそ今を生きる。変える為に行動をする。過去ではなく、今をどうするかが最も大切な事なのだと友人である美麗(みれい)も教えてくれた。言わなければ。ここで、この場所で自身の本音を。音羽は鎖のように心に絡む迷いを全て払拭して椅子から立ち上がった。

 

「音羽くん?」

 

「僕からも……言いたいことがあるんだ。良い、かな?」

 

「ええ。なんでしょうか?」

 

 恋は音羽の言葉を聞く準備を整え、じっと彼の顔を見つめる。幼い頃から変わらない端正で可愛らしい顔立ち。その彼が今にも手が届きそうな近い距離で自分の目の前に立っている。緊張で心臓の鼓動が速まり、胸が熱くなっていく。彼女は自身の中にある心の異常を直に感じ取りつつ、音羽の声を聞くことに全ての神経を集中させた。

 

「やっぱり僕は……君の力にも、学校の力にもなりたい。僕にできることをしたい。この前までは、学校のことそんなに知らないのにわかった気になってた。そんな僕がいきなりあんなこと言っても説得力ないよね。ごめん。僕が間違ってたんだ」

 

 音羽は自分の不甲斐なさを素直に謝罪した。幼馴染の力になりたいという安直な理由で、結ヶ丘のことを分かったつもりで物を語った。そんな状態で一体何を助け、何を守れるというのか。実に愚かで無責任極まりない失言であった。音羽はそれを省みてつくづく自分が情けないと自戒する。昔の彼なら、情けない自分に嫌気が差しはするが、そこから何をどうすべきかを考えたり、変える為に行動に移したりする勇気は無かったであろう。『昔』の、彼であるなら。

 

「でもお父さんから話を聞いて、神宮音楽学校の記録を見て、この地に根付いたたくさんの人達の想いを知れた。大切な記憶、思い出。この場所で結ばれたものを……失わせたくない。何より……君1人にそれを背負わせたくない。僕達にも、背負わせてほしいんだ」

 

 恋は何も言わずに音羽の言葉を聞く。声や口調は何ら普段と変わらない、恋が知っている音羽だ。けれどあの時のような漠然とした言動ではなく、自分が為したい事柄が明確に表層化している。

 

「……どうして。どうしてあなたは……そんなにも他者の為になろうとするのですか。お人好しにも程がありますよ……」

 

「どうして、か。大それた理由はないよ。僕の手がちっぽけなことも、全ての人の為になれないのも理解してる。けどね……大切な人の為なら、力になりたいって思う。せめて、僕の近くに居る……居た人の力にね」

 

「……!」

 

 大切な人。音羽の口から出た一言に恋は声にならない声を上げる。まさか彼が自分にそんなことを言うとは思わなかったから。彼から説明はされたが、自分を嫌って離れたものだと思っていたから。

 

「葉月さんはずっと近くに居てくれた。いつだって僕の側に居て励ましてくれた。一緒に音楽を頑張ってくれた。君に……救われてたんだよ」

 

「……っ!」

 

「君と一緒にいちゃいけないって思って、勝手に諦めて。向き合うことすらしなくて。一方的に距離を置いた。そうすれば葉月さんの為になるって思った。自分で選んでした事なのに……後悔だけが募っていった。それで、わかった」

 

 恋に対しての本音がどんどん湧いて出てくる。距離を置いたことが彼にとってはどのような面持ちであったのか。幼馴染の為だと言いながら内心で思っていた……思い出した自身の本当の心。一拍置いた後、音羽は正直に声に出した。

 

「君が居ないと……僕、全然ダメだったんだ。隣に居ないだけで、話せないだけで何もかも上手くいかなくて……簡単なことさえも我慢して、言えなかった……」

 

「音羽くんっ……」

 

 恋は今にも泣きそうに顔を歪める。音羽が自分のことをそんなにも大きな存在として認識していた事実を知り、それに驚きを隠せないでいた。音羽の目には涙が浮かんでおり、落ち着かせる為に何度も呼吸を繰り返す。そうして、先の言葉の続きを紡ぐ。

 

「……寂しかった。ずっと、ずっと。全部、君からもらってたんだよ。大切なものも、言葉も全部。……自分から距離を置いたくせに言うのは烏滸がましいってわかってる! だけど僕はっ……君と友達でいたい。もう一度、笑い合いたいっ!」

 

 頬を紅潮させながら音羽は熱を持って恋に気持ちを伝えた。紛れもなく、これは我儘だ。初めて幼馴染に口にした、最初で最後の我儘。もう、自分の本音に蓋をしたりはしない。自分が本気で、心から望む事を恋に打ち明けた。

 

「君は……離れてても僕を信じてくれてた。君に冷たくあたった僕を……今でも名前で呼んでくれた。その信用に足る人であれるように、僕は前に進む。君とまた友達で居る為に……花さんやお父さん達が繋いだ想いの為に!」

 

「……言った筈ですよ。音羽くんに結ヶ丘を背負わせたくないと。音羽くんに……傷付いてほしくないと」

 

 音羽の言葉にまたしても揺らぎそうになる心を律し、以前音羽に告げた内容を復唱した。恋は音羽を傷付ける可能性がある事柄に巻き込ませたくない気持ちは変わらない。生徒会長の立場にある恋が安易にそれを認める訳にはいかない。涙を堪えながら恋は音羽を見据える。見据えた彼のその表情は、恋が今まで目にしたものとは比較にならない程の真剣なものであった。

 

「それでも。それでも僕は向き合うよ。君とも、結ヶ丘とも。僕はもう、逃げたくない。決めたんだ。それにさ、僕も前に言ったはずだよ。『僕の手が届く範囲には、君も含まれてる』って。君と、皆と一緒なら……怖くないよ」

 

 幼馴染から止められようと、音羽の決心は揺らがなかった。それでもと。繋がれた想いの為に自らが出来る事をする。スクールアイドルの手助けを。そして恋の力になれることを精一杯行うと。彼の言葉には、以前とはまるで違う説得力に溢れていた。自身の覚悟を伝えた上で音羽は恋にそっと手を差し出す。

 

「心配してくれてありがとう。今まで信じてくれてありがとう。僕を信じたいと思えたら……手を握ってくれないかな。葉月さん。いや──()()()()

 

「ッ……!」

 

『恋ちゃん』。昔幾度となく呼んだ彼女の名を、躊躇いと葛藤を追い払って勇気を出してこの場で呼ぶ。一方的に距離を取った自分からの脱却。そしてまた恋と関係を修復する為に、優しい声で彼女に問いかける。彼の言葉にとうとう耐え切れず、感情のままに恋は音羽の華奢な身体に飛び込んだ。

 

「音羽くんっ!」

 

「わっ!? えっちょっと……恋ちゃんっ!?」

 

「う……うううっ……ああっ……ああああっ……」

 

 急に幼馴染に抱きつかれた音羽は一瞬何が起こったのか理解が追い付かずに目を白黒させる。そんな音羽をお構いなしに恋は子供のように泣きじゃくった。彼に対して溢れ出す気持ちを抑え切ることが出来ず、感情のままに涙を流す。彼が身に付けているジャージから香る懐かしい匂い、自分を呼ぶ音羽の声に感情が昂ってますます嗚咽が大きくなる。

 

「音羽……く……音羽く……んっ!」

 

「れ、恋ちゃん……っ」

 

「私も……ずっと……ずっと……寂しかった。音羽くんが居ないと……私はっ……!」

 

 恋も、ずっと抱え込んでいた本音を彼に吐露する。寂しかったと。何度も彼を想っては叶わぬ現状に涙を流し、音羽のことを考えれば考える程に愛おしさと寂しさで胸が苦しくなった。母親が亡くなり、天涯孤独の身となった時でも音羽との思い出を振り返り、それを心の支えとしてきた。誰にも言えずに仕舞っていた気持ちを、彼の前で言語化し始める。

 

「本当に私の為を思うのなら……ずっと私の側にいてほしかった……手が届く距離で……笑っていてほしかったっ……! どうして……何も言わずに離れていったのですかっ! くっ、うっ……うぅあああっ……」

 

 恋は泣きながら音羽の行動に糾弾する。彼を抱き締める力の強さが、音羽への万感の想いが表されていた。音羽は抱き締められながら身体で痛みと苦しさを直に感じる。彼女の言葉に音羽は顔をくしゃりと歪め、瞳に涙が滲む。

 

「ごめん。ごめんね恋ちゃん……ずっと辛い思いさせて……傷付けて……ごめんっ……」

 

「辛いのは……お互い様でしょう……」

 

「……つらかったよぉっ……離れたくなんて……なかった……だって……君は僕のたったひとりのっ……」

 

「あなただって……私のたった1人の……親友です。昔も……今も。この気持ちは……揺るぎません。揺らぐ事など……あるものですかっ……!」

 

 恋の腕の力が一層強まる。離さないと言わんばかりに強く強く、彼を力いっぱいに抱き締めた。恋にとっては今でも音羽は大切な人で、唯一の親友。その想いは、絶対に揺らがない。誰にも消させることの出来ない、真っ直ぐで無垢な想い。音羽は彼女の涙ながらの言葉を聞き、躊躇いがちに恋の背中に手を回した。

 

「やっぱり……恋ちゃんには敵わないなぁっ……」

 

 肩を震わせて音羽は声を漏らさないように静かに涙を流す。彼の涙声を聞いた恋は、音羽とは対照的に人目も憚らずに咽び泣いた。とめどなく溢れる感情の奔流に身を任せ、2人はただ涙した。互いに自分達の本音を曝け出した今、擦れ違いを続けていた彼等の形容し難い関係性に終止符が打たれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「はい。取り乱してしまい、すみませんでした……」

 

「ううん。大丈夫だよ」

 

「やはり……音羽くんの前では自制が効かなくなってしまいます……普段は生徒の模範となるよう自分を律しているのに。不思議です」

 

「僕と居る時くらいは肩の力抜いても良いんじゃないかな……?」

 

 暫くして2人は泣き止んで椅子に座り、音羽は恋が落ち着いて話せるようになるまで何も言わずに待っていた。ただ無言で側に居てくれたその間は、恋にとって何故だか心地良く思えた。何故音羽の前でだけ感情が抑えられなくなるのか。理由は自分で明白に分かっているのだが、それを音羽に言うには少々恥じらいが勝る。彼は冷静に喋れるようになった恋に声を掛けた。

 

「恋ちゃん、さっきの答え……聞かせてほしい」

 

「……音羽くんの覚悟、伝わりました。その覚悟を無下にできるほど野暮ではありません。私は音羽くんを……信じます」

 

「……! ありがとう! 恋ちゃんっ!」

 

 恋に自身の思いが伝わり、『信じる』と恋にそう言われた音羽は笑顔で彼女に礼を言った。久方ぶりに見る幼馴染の満面の笑みに恋は悟られないように心を躍らせつつ、彼にある提案を持ち掛けた。

 

「その代わり……ひとつだけ、私と約束してくださいますか?」

 

「約束?」

 

「はい。約束です」

 

 約束という単語を聞き、音羽は昔の出来事を思い出す。自分達が誓いを交した時、口約束で終わらせない為にしていた事を。彼は恋の前に右手の小指を差し出す。

 

「じゃあ……はい!」

 

「ふふっ。懐かしいですね」

 

 笑みを浮かべながら恋も小指を出し、それを音羽の指にきゅっと結んだ。

 

「約束です。これからは、私とずっと一緒に……側にいてほしい。私をもう……置いて行かないでください」

 

 恋が心の底から望んだ、音羽と共に居ること。本当は願えないと思っていたその欲求。幼い頃に交わし、一度は破られたその約束。であればもう一度それを結び直したい。恋の心は既に彼を許している。嫌悪感など微塵も無い。ただ、音羽と一緒に居たかっただけなのだ。時が経とうとも決して失われなかった望みであった。

 

「うん。僕は、恋ちゃんの側に居る。君を独りにはさせない。これからは……一緒だよ。約束する」

 

「これからも……私の『親友』で居てくれますか?」

 

 約束するにあたり、恋は音羽に確認する。元々恋は音羽を親友だと認識していた。音羽達が恋の家に行った際にも彼を『嘗ての親友』と称していた。先程音羽と抱擁を交わした時から既に答えは出ている。後は音羽の認識でその答えが決まる。恋の問いに音羽は目を潤ませながら頷いた。

 

「うんっ……うん! 僕と恋ちゃんは……親友だよ! これまでも……これからも!」

 

 小指を結び合わせて、2人は再度誓った。幼馴染として、親友として共に居ることを。離れ離れにならない為の約束を。2人だけの教室で、2人だけの時間で。彼等の心は繋がり、結ばれた。今2人にとってこの狭い空間は、溢れんばかりの希望で満ち足りた世界だった。

 

 

 

 

 

 




「ごめんね」「ありがとう」そう言い合える毎日を。手が届くこの距離を……どうかこれからも、ずっと。



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