ラブライブ地区予選エントリー開始から翌日、スクールアイドル部の部室にて。
今日は音楽科の授業が普通科より早く終わり、生徒会の仕事も今は落ち着いている為に音羽と
2曲目が弾き終わったタイミングでちょうど恋が更衣室から戻り、ピアノの前で椅子に腰掛けている音羽に近付いた。
「音羽くん、何を弾いていたのですか?」
恋が着替えている際に音羽が奏でるピアノの音が聴こえていたようで、興味津々な様子で音羽にそう聞いた。
「かのんちゃん達が今まで作った曲。今までの曲から何かヒントを得られないかなーって思ってさ」
「ふふっ。熱心ですね」
「まあね。せっかく僕を頼ってくれてるんだし、ちゃんと責任を持ってやりたい。まずは曲の特性を掴みたいって思ってるんだけど……」
以前から変わらない音羽の責任感の強さを目にして安心した恋なのだが、音羽がどこか曖昧な反応を示したことに気付き、気になった彼女は音羽に再度話しかける。
「何か、気になることがあるのですか?」
「んー……なんていうか、今までの曲を一通り聴いてみたんだけど……『色』がはっきり見えてこないんだよね」
「色……?」
「うん。だから自分で弾いてみて色が見えないか試してみたんだけど、やっぱり見えなくて。あ、でもまったく見えない訳じゃないんだよ?
音羽は恋に実際に弾いてみて感じた感覚を素直に言葉で言い表す。昔から音羽は音を聴いた際に『色』で表現するのは知っており、幼い頃の恋はまったく気にしていなかった事柄なのだが、歳を重ねて音楽の知識を身に付けるうちに、それが異質であることに気付くことになった。音羽のその言葉だけに留まらず、恋の目線は今音羽が使用していたピアノに移る。そこで、とある事実を目の当たりにする。本来ピアノを演奏する際に必要不可欠な筈の楽譜が、そのピアノには置かれていなかった。
「音羽くん、その曲の楽譜はどこに……?」
「あっ、ごめん。頭の中で譜面を想像しながら弾いてたからまだ楽譜に起こせてなくて……」
「えっ……? では何度も曲を聴いて覚えたということですか?」
「ううん。そんなに何回も聴いてる訳じゃないよ? んーと……部に入りたての頃に聞いて、さっきも聴いたから……全部で
今までそれらの曲を聞いた回数を指折りで数え、恋に数字の『2』を表すハンドサインを見せる。それがいとも簡単に、まるで誰もが出来るものだと言わんばかりに音羽は平然とそう答えた。楽譜を必要とせずにあれ程の演奏を、且つ二度しか聴いていない楽曲がほぼ完璧に頭にインプットされている。その事実に恋の背中に戦慄が走る。音楽教室に居た時よりも技術が更に洗練され、最早あの時とは比較にすらなりはしない。
「うーん……僕の弾き方が悪いのかなぁ……かのんちゃん達が来るまでもうちょっと弾いてみよっと!」
「は、はい……」
そう言って先程までとはやり方を変え、曲を聴きながらピアノを弾こうとヘッドホンを手に取る音羽に、恋は普通に頷いた筈ではあるが、いつもとは違いぎこちない反応となってしまった。音羽が曲の特性を掴めずに悩んでいるという事よりも、恋は今目の前で見知った事実が、彼女の心に引っ掛かりを残したままであった。
「絶対音感?」
かのん達が部室に来て、屋上で練習を始めて数時間経った休憩時間。音羽は皆の為に差し入れを買いに行った為屋上を外しており、音羽本人がその場から居なくなった後に恋が先程自分が目にした音羽の様子を皆に話してみる。話す中で恋が口にしていた単語を、かのんは彼女に聞き返した。
「ええ。日常的に聞こえる音を音階として認識したり、数回聴いた音楽を楽譜なしで再現できたり等……所謂特殊技能に分類されるものです」
「それを、おとくんが持ってるってこと?」
「おそらくは……」
千砂都の言葉に恋は首を縦に振る。恋が自宅で所持している音楽に関する本の文面から知った、知識でしか得たことのない……日常的には見ることが絶対に無いと思っていたその技能。それを実際に恋自身の目で見ることとなり、尚且つ幼馴染がそのような技能を身に付けているという疑惑が生じ、恋には音羽に対して尊敬と畏怖の念が混在していた。
「私は実際に見たのです。音羽くんが……皆さんが歌った曲を、たった2回程しか聴いていないにも関わらず楽譜を用いずに弾いていた様子を」
「おとちゃんのそれって……すごいことなんだよね?」
「はい。たしかに、楽譜を暗記する事自体は可能です。しかし……それは『出来なくはない』という話で、全てを暗記するには相当の時間と練習を要します。曲を数回聴いただけでそれを実現するだなんて……本来なら到底起こり得ない事象なのです」
恋も音羽と同じくピアノを学んでいたからこそ、それが如何に難関で果てしなく時間がかかる事なのかを痛い程理解している。自身も曲を覚える為に失敗や挫折を経験し、覚えられない自分に対して嫌気が差すことだって数え切れないくらいにあったのだから。故に恋はまるで絵空事が現実になったかのような面持ちで、どれだけの事を実現しているのかを皆に話している。
「音楽に関しての技術は前々から凄いとは思ってたけど、まさかそこまでとはね。びっくりったらびっくりだわ」
「たしかに……おとくんの記憶力は私達以上にあるのはなんとなくわかってたけど、そんな事本当にあるんだね」
「音羽はヤハリ凄いんデス! トンデモナイ才能を持ってるんデスよ!」
「ですが、まだ確証がある訳ではありません。もしかしたら、違う可能性もあります。全ては私の推測の話でしかないので……」
「本当に絶対音感なのか、私達は聞かない方が良いよね? おとちゃんを傷付けることになるかもしれないし、それは避けたい」
いくら確証が無いにしても、かのんは直接音羽に真意を確かめるのを良しとしていなかった。聞いてしまえば、場合によっては音羽が傷付くことになりかねない。大切な仲間である音羽が傷付く可能性のある選択肢を取ることは断じてあってはならない。かのんはそう胸に誓っている。かのんは部の中で最も音羽の過去を詳細に知っている人物であり、『自分が他者と違うこと』を認識することがどれ程の痛みを味わうか。彼が音楽教室に居た頃の同期、狩谷によって味わわされたその苦痛。音羽の話を聞いて、それが彼にとって今も心に消えない傷として尾を引いている事も
「そうですね。無理に詮索するのは私も本意ではありません」
「でも……私達はよく知るべきだとも思う。おとくんのこと。私はもっと知りたいかな。今後の為にも、知ってて損はないかも」
「ちぃちゃん……」
2人の言葉を聞き、千砂都はかのんや恋とは違う意見を出した。千砂都や他のメンバーにとって音羽は最早スクールアイドル部になくてはならない存在。音羽が自分達のことを知るだけではなく、皆も彼について深く知る必要があると千砂都は考えている。
「じゃあ私達じゃなくて、音羽の近くに居る人にそれとなく聞いてみれば良いんじゃない?」
すみれは淡々とした様子で一同に提案する。音羽の話題が出されているこの状況で、何故か彼女の声音に些か不機嫌な感情が乗せられていることに可可が気付いたが、彼女は『気のせい』だと思い、指摘の言葉を呑み込んだ。友人のことを話しているのに、機嫌を損ねる理由などありはしないからだ。その話題の人物が音羽であるならば、尚更。
「音楽に関して詳しい人に聞くのが一番だけど、恋ちゃん以外で普段からおとくんと話してる人って誰が居るんだろう?」
「おとちゃんの身近な人で、音楽のことに詳しい人かぁ……んー、そんな人居たかなぁ……」
かのんは腕を組んで音羽の近くに居る人に誰が該当するか思考してみる。音羽の友好関係について皆詳しく知っている訳ではなく、最も身近に居る人と言うなら恋が当てはまるのだが、彼女から音羽にその話題を出すことが憚られる以上は別の誰かに頼む他ない。一同は数秒悩んだ後、すみれが該当する人物に気が付いた。
「……居るじゃない。音楽に詳しくて、普段から音羽が仲良くしてる人」
「えっ! すみれちゃん、誰!?」
「ホラ、
すみれは名前を出さずにその人物を表すも、かのんは勿論、他の人達もピンと来ていない。
「え、えぇっ……? 『アイツ』って誰なのすみれちゃん!」
「もしかして……あの方ですか?」
「恋ちゃん、誰かわかったの?」
「ええ。なんとなく……『彼』ではないかと」
「アイツ……正直苦手なのよね。何考えてんのかわかんないし。あの子、よく普通に話せるわよね……」
「失礼デスよ! 身の程弁えろデスこのグソクムシ!」
「おいっ!」
可可の自分への呼び方にすみれは真っ先に喰ってかかる。恋が発した『彼』という単語と、すみれが言葉にしたその人に対する印象。それらを合わせて考えてみると、かのんの脳内に1人の少年の顔が思い浮かぶ。
「……あっ!」
ベージュの髪を後ろで結んでいて女性的な口調で話し、音羽と仲が良いその少年。そして、すみれが初対面の段階で苦手意識を示した少々クセの強い音楽科の生徒。
その名は