かのんが
「いやぁ、美麗さんが部に来てくれるなんて嬉しいなぁ……」
「ウフフッ。元々
美麗は準備運動をしている5人の方を見ながら音羽にそう伝える。美麗は元々スクールアイドルとは無関係で、自身がこの場でまったくの部外者であることを自覚している。けれど音羽は彼に対してそのような扱いをする気は毛頭なく、彼の心は自分達の活動に興味を抱いてくれた喜びに満ちていた。
「邪魔なんかじゃないよ。皆の練習、ヴァイオリンの参考になると良いね」
「ええ。存分に見学させてもらうわね」
美麗は音羽に笑いかけ、音羽も美麗が居るこの状況が嬉しくて笑みを零す。彼の無垢な笑みが、美麗の胸に少し棘が刺さったような痛みを生じさせる。準備運動の最中、普段のように笑い合う彼等を目にしたすみれの表情は、どこか憂いを帯びた様相を呈していたのだった。
「皆! 僕、差し入れ買ってくる! 美麗さんの分も買ってくるから、ちょっと待っててね!」
「あっ、ありがとう〜おとちゃん!」
「あら、アタシの分まで? 折角だし、お言葉に甘えようかしら。そんなに高価な物じゃなくて良いわよー?」
「うん、わかった! 行ってきます!」
新曲の為に使う予定のダンスの動きを確認すること数時間。キリの良いタイミングで休憩を取ることになり、音羽がいつものように皆の為の差し入れを購入しに屋上から出て、ドアを優しく閉める。階段を降りる音が徐々に遠ざかっていったタイミングで、美麗が口を開いた。
「……ごめんね音羽ちゃん。さっきのコトは、半分ホントで半分ウソ。部の見学がメインじゃあ、ないのよね……」
美麗は申し訳なさそうな口調で本当のことを呟く。自分が音羽に対して嘘を吐くような真似をしている事実に心を痛めるが、直ぐに気を取り直して彼は皆の方へ歩み寄った。
「お疲れサマ。改めて見ても、凄いわねぇアナタ達。結成されて間もないグループとは思えないわ」
「ありがとうございます。
美麗の言葉に
「それで、美麗君。おとちゃんについてなんだけど……」
かのんが恐る恐る美麗に音羽の持つ技能について言及する。音羽のことに関して聞きたいと美麗に頼んだのはかのんであり、美麗の言い分が気になっていたのは皆の中では彼女が1番であった。大切な仲間の音羽のことを知りたいと思うのは至極当然のことであり、自分達ではなく彼の側に居る友人を頼ったのがそれの表れだ。極力音羽を傷付けない為に有益な手段をとった結果、今この場所に美麗がスクールアイドル部へとやって来た。自分が知っていること、そして新たに分かったことを一同に伝える為に。
「元々、音羽ちゃんがアタシと違う感性を持ってるのは薄々気付いてた。でも確証が無い以上は何も言えないから、休みの日に音羽ちゃんと遊びに行ったの。その中で、色々と検証じみた事もさせてもらったわ」
「へぇ〜。たとえば?」
「東京の街を練り歩いて都会の喧騒を聴いたり、
「言い方……」
妙に『2人きり』という単語を強調して出来事を語る美麗にすみれは即座に突っ込む。顔を顰めるすみれを見て美麗は口角を上げて更に追い打ちをかける。
「アタシと音羽ちゃんとの2人だけ……誰にも邪魔が入らない空間で、色々楽しいコトしちゃったわ。フフッ。また一緒に行けたら良いわねぇ」
「だから言い方!!」
とうとう我慢出来ずにすみれが声を張り上げて美麗に再度突っ込んだ。美麗が屋上に来た時からすみれの表情は幾分か強張っており、彼女は美麗に対して相当苦手意識を持っているのだと一同はそう認識した。
「アナタ、サッキから何故ソンナニ怒ってるデスか?」
「……別に怒ってないわよ」
「あらあら
「……」
露骨に不機嫌そうな表情を見せながら黙るすみれを、美麗は悪戯っ子のようにけらけらと笑いながら見つめる。たとえ相手から苦手意識を持たれようと距離を詰めようとする彼の図太い精神性に皆苦笑したのも束の間、美麗が本題に入ろうとかのん達の方へ向き直る。
「まっ、冗談はその辺に置いといてと。音羽ちゃんについて分かったことだけど、結論から言うと……アナタ達の見立て通りじゃないかしら」
「そ、それじゃ……おとちゃんは……」
「……
恋の見立て通り、音羽は世間的に特殊技能だと謳われている絶対音感を持っていることが美麗の口から伝えられた。皆概ね予想出来ていたことであり、目の前で音羽の演奏を見ている上に美麗が音楽に関しての知識が豊富であるのを知っている恋は、美麗の言葉が信憑性に溢れているものだと思えた。
「音羽ちゃんが曲を歌ってる時、軽いイタズラを装ってキーを高くしたり低くしたりしてみたのよ。するとあらびっくり。少しも音を外さずに歌い切ったのよ。そんな芸当が出来るなんて、絶対音感以外有り得ないわよ。さすがのアタシも驚かされたわ」
「す……スゴイデス……!」
「音羽くんの歌の技術も、未だ健在のようですね」
音羽は音楽教室で歌を習っていた経験がある為にピアノの他に歌唱力も相応に身に付いており、美麗はそれに驚かされただけでなく、先程言っていた『検証』を兼ねてカラオケの音源の高低操作を行った。普通の人間ならば、急に音が高くなったり低くなったりするとそれに上手く適応することが出来ず、徐々に音程のズレが生じる。しかし音羽は急に音を変えられたとしても問題なく歌い続けることが出来、尚且つ一度も音程を外さずに曲を歌い終えたのだ。その事象が、美麗にとって音羽が自分とは違う特殊技能を身に付けていると理解するに至った。彼のいつもの軽薄な態度が、一転して真剣な声音に変わる。
「それだけじゃない。音羽ちゃんはアタシ達とは違う『眼』も持ってる。これも特殊能力のうちに入るんだけど、葉月ちゃんなら知ってるんじゃないかしら」
美麗は自身の左眼を指差しながら、音羽が絶対音感の他にも自分達と違う感性を持っていることを告げる。そして、静かにその能力の名を言葉に表す。
「……
「……! 音羽くんが……」
「しなすたじあ?」
その名前にピンと来ていない様子でかのんは首を傾げて美麗に問う。だが恋の驚きようからして、それが凄いものだということは千砂都やすみれも大体察しがついていたようだった。
「日本語で言うと、『共感覚』ってやつね。普通アタシ達は音は『音』とか、1つの物としてそれを認識するんだけど、音羽ちゃんの場合は……音を色として表すことができるの。『色聴』というものらしいわ」
共感覚。ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚も自動的に生じる現象のことをそのように言う。共感覚の保有者は文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂い、色や形を感じ取ったりする。知覚の方法は人によって異なってくるが、音羽の場合は聴いた音を『色』として感知する色聴の能力を持っている。
美麗が休日に音羽と遊んだ際に街の喧騒がどう聴こえているか確認したところ、音羽は『色』でそれを表現しなかった。逆に街で流れている音楽やカラオケの音源では『色』を用いて表現したことから、メロディとして形になっているものを聴いた際等に色を知覚するのだと美麗は悟った。
美麗や恋も以前音羽がそういった発言をしているのを耳にしており、美麗がそれに初めて気付いたのは学園祭準備の際に上の階から漏れてくる歌の感想を彼が述べた時。あの日、音羽は確かに聴いたものを色で表していた。音に他の感覚を覚えるなど、美麗が今まで会ってきた人物の中でも非常に珍しい部類であった。
「おとくん、時々面白い言い方するなぁって思ってたけど、それは共感覚によるものだったんだね。それなら納得がいく。普通は音を聞いて『赤』とか『青』とか言わないもんね」
「そうね。これで分かった。音羽ちゃんは、絶対音感と共感覚の2つ持ち。こんな表現あんまり使いたくないけど……あのコは間違いなく『怪物』よ。アタシ達とは、まるで次元が違う」
美麗は珍しく畏怖の感情をその声音に乗せ、ひとつ身震いをする。美麗のその態度に一同もあてられて思わず息を呑む。
「そんな人……本当に実在するのね」
「そうねぇ。アタシも都市伝説レベルの話だと思ってたわよ。共感覚なんてただでさえ実例が少なくて解明されてないことが多いのに、絶対音感も持ってるだなんて。『逸材』どころの騒ぎじゃないわ」
「おとちゃんは……『すごい人』なんだよ。すごい人に……なれてたんだよ!」
かのんは嘗て音羽が言っていた言葉を思い出す。『何者にもなれなかった』、『両親のようにすごい人になれなかった』。彼はそう言いながらも、誰もが凄いと言うような才覚、技能。それらを持ち合わせていたのだ。
「やっぱりこれも親譲りなのかしらね。ご両親の影響が強いのかも。なんたってあの方達は『音楽界の巨匠』と『白い歌姫』。そこまで言われるのには、ちゃんとした理由があってのことだから」
「音羽くんの……ご両親……」
「昔はね、音楽は『才能や遺伝が9割を占める』って言われてたの。どこかの国で出た検証結果が日本でも提唱された馬鹿げた理論。でもそれを間違いだって証明するものの信憑性が薄かった。何せ、前例が無かったから」
美麗は辺りをゆらゆら歩きながら音楽に関する嘗ての理論を説明し始める。彼が『馬鹿げた理論』だと言うように、美麗もそういった一種の決め付けじみた理論にどこかおかしさを感じていた。美麗以外の先人達も同じことを思ったのだろうが、その理論が間違いなのだと言える人間は誰一人として居なかった。その伝え通り、今まで音楽で大成を果たした人物は皆、才能に恵まれた者や血統によるものであったからだ。
「だけど、その理論を根底から覆す人間が現れた。それが……音羽ちゃんのお父様とお母様。
「えっ……? あんなにすごい人達なのに……?」
かのんは思わずそのような声を漏らしてしまう。彼等が……音羽の両親が才能に恵まれなかった人だったと、彼女にとってにわかには信じられない事柄だったから。
「特にパパさんの方は、東家の中で唯一と言っていいくらい音楽に関する才能が無かった。でも彼は才能の無さを、全て己の努力と経験で補った。血筋、才能。そういった言葉に囚われずに世界に名を知らしめた稀有な存在。それが東湊人。尊敬されて然るべき人なのよ」
音楽界では名を知らない方が珍しいという程の知名度を得ている現代日本を代表する音楽家、東湊人。そして湊人と同様に才能が無かった中で只管に努力を積み重ねて大成した歌手、叶詩穂。彼等によって、長年伝えられてきた『才能や遺伝が9割』という音楽界の固定概念を覆し、『才能』とは遺伝ではなく、努力や学習の結果身に付くものだと証明し、音楽業界での馬鹿げた言い伝えを間違いなのだと自身の生き様で証明した人物こそが、音羽の両親でもある彼等だった。2人のストイックさは、息子の音羽に確実に受け継がれている。
「パパさんがあまりにもイレギュラーな例だけど……才能は本来、磨かれて光るもの。逆に言えば、石ころはいくら磨いても石ころのまま。悲しいけど、それが事実っちゃあ事実なのよね」
「西園寺。随分達観してるのね、あんた」
「そりゃね。アタシはウタ先生に『才能がある』って言われたから必死に努力した。そしたら、ちゃんと技術が身に付いた。才能が開花せずに辞めてった人達をたくさん見てきてるから、嫌でも思い知らされるわよ」
「では、音羽くんの才能というのは……」
「言わずもがな、努力の結果でしょうね。元々持ってた原石を極限まで磨き上げたからこそ今の音羽ちゃんが居る。少なくとも、絶対音感は積み上げてきた努力によるものだとアタシは思うわ」
「音羽くんの努力は……決して無駄ではなかったのですね……」
恋は音羽の最も近くで彼の努力を見続けてきた。毎日、来る日も来る日も。恋が危機感を覚える程に練習を繰り返していた。両親の価値を下げない為に、血の滲むような努力を重ね続けた。今でも鮮明に蘇る音羽の努力の過程、そしてその努力が確実に実っていた事に恋は涙ぐみながら喜びを言葉に表した。
「けど、それだけすごいものを持ってるのに音羽の自己評価の低さは目に余るわ。どうしてかしら」
「平安名ちゃんの言う通り。アタシも同じことを思った。それだけのモノを持ってるのに、音羽ちゃんは一度音楽を辞めてる。しかも見た感じ……あのコは特殊技能を持ってるって自覚が無いみたいなの。まぁ、指摘されなきゃ気付けるはずないから当然なんだけどね」
美麗は腕を組みながら音羽の自己評価の低さに対して言及する。知れば誰もが望む筈の技能。それらを持っている自覚も無ければ、自身を肯定する意識が他者と比べて低い面も指摘した。音羽の自己肯定感を根こそぎ削り取り、彼の人間性を変えた原因。それは……この場でかのんが唯一知っている。音羽に陰で心無い言葉を発していた人間。音羽がその人物に言われた言葉を思い出し、かのんは強く奥歯を噛んだ。
「ん?
「えっ? あーごめん! なんでもない! あははは……」
美麗に問われてかのんは平静を取り戻し、なんでもないように笑って誤魔化した。
「音羽ちゃんと遊んでる時にね、正直伝えようか迷ったの。『アナタは凄い才能を持ってる』って。『普通じゃ出来ない事が出来る』って。でも伝えたらきっと……音羽ちゃんは傷付く。だってそれは、『普通じゃない』ことを分からせることになるもの」
「美麗君……」
その才能を、技能を音羽に伝えてしまうことは簡単だ。だがそれを伝えるということはつまり、自身を普通ではないと認識させることになる。共感覚は先天的なケースが多いが、言ってしまえばそれは染色体の異常とも解釈出来る。自分が普段見えているものが他者とはまるで違うことを知らされれば、誰であろうと驚きを隠せないだろうし、場合によっては取り乱す可能性だってある。
「アナタ達にお願いしたい。音羽ちゃんとは『普通』に接してあげて。自分が周りと違うってことを知るのは……誰であっても辛い事だからね」
美麗は自身の過去を思い出しながら目を細める。見せるその笑みの裏にはどれ程の苦痛が伴っていたか。彼はその身体で、心で味わってきた。自分と同じ苦しみを、友である音羽に感じてほしくないからこその言葉であった。
「大丈夫。音羽ちゃんは普通の子よ。笑って泣いて、落ち込んで。ちゃんと喜ぶしちゃんと悲しめる。アタシ達と変わらない、ステキなコなんだから」
「そうだね。美麗君、ありがとう。おとちゃんとは変わらずに接する。もう二度と、悲しませたりしないから」
「音羽は音羽デス! クク達にとって大事な仲間に変わりありマセン!」
「西園寺君がそう言うなら、おとくんには伝えない。私も、おとくんが傷付くのは嫌だから」
「音羽くんが知らなくとも、私達が分かっているのならそれで良いと思います。音羽くんを傷付けることになるのなら……無理に伝える必要はありません」
かのん達は美麗の意見に賛同し、音羽には今自分達が知った事柄を伝えないと誓った。他と違う面があっても、音羽も皆と変わらず人であることに違いは無い。ならば皆に出来ることは、音羽が安心して今まで通り笑って過ごせる居場所を用意すること。その居場所が、音羽にとってかけがえの無いものになっているのを皆知っているからだ。
「……良いお友達を持ったわねぇ。音羽ちゃん」
かのん達の言葉を聞き、美麗は安堵しながら微笑みを浮かべた。音羽がいつも自分に楽しそうにスクールアイドル部のことを話す理由を彼は理解することができた。彼女達が音羽にとって大切な人達で、大切な居場所なのだと、心から感じることができたのだった。
美麗が一頻り話し終えたところで、音羽が両手に袋を持った状態で屋上へ帰ってきた。
「ただいま! おいしそうなの買ってきたよー!」
袋を胸の前で掲げて、音羽はにっこりと笑う。一同は音羽の笑顔を見て、先程まで張り詰めていた屋上の空気が一気に解ける。皆一斉に音羽の元へ駆け寄り、美麗もそれに倣って差し入れの品に興味を示す。皆がいつも通りの空気感を出して楽しいムードを作ろうと励む中、屋上でただ1人のみ、その場から動かずに立ち尽くしている者が居た。
「あっ、すみれちゃーん! 一緒に食べようー!」
音羽に呼ばれて、ようやく彼女は振り返る。
「……ありがと。今、行くわ」
すみれの声と表情がいつもと違うものであることを音羽は認識しながらも、その違和感を言葉にできる程の勇気を、今の彼は持ち合わせていなかった。