「んーと……この辺かなぁ……?」
とある休日。
暫く歩いていると、音羽の前方から名を呼ぶ声が聞こえる。スマホから目を離すと、こちらに向かって走ってくる
「音羽〜〜!!」
「くぅちゃん! わざわざ迎えに来てくれたの!?」
「はぁっ……はぁっ……当然デス。セッカク音羽がお家に来てくれるんデスから……」
「ご、ごめんね……僕が方向音痴なせいで……」
息を切らしながらも可可は音羽と合流し、申し訳なさそうに肩を落とす彼に可可は『構いマセン』と明るく返し、今回の目的地へ行こうと促す。今日は可可の自宅で音羽と2人でラブライブ地区予選に使用する曲と衣装の打ち合わせと、衣装の作成に着手する予定である。スクールアイドル部で衣装作りを担当しているのは基本的に可可で、彼女が『そろそろ衣装作りをしたい』と皆に伝えた際に、音羽がそれを手伝いたいと申し出た。今回使う新曲と衣装の擦り合わせも可可と行いたいと伝えると、可可がそれを快諾。彼女は自宅でそれらをしようと提案し、今日に至る。
2人で並んで歩くこと数分。可可が住んでいるマンションに到着し、階段を用いて上の階へと上がる。可可は玄関のドアを開けて音羽が先に入るように声を掛け、音羽はそれに従って可可の家の中へと足を踏み入れた。
「お邪魔します……」
「ソウイエバ、音羽がククのお家に来るのはハジメテデシタね!」
「たしかに……初めて来たかも。ごめんね、家に上がらせてもらっちゃって」
「良いデスよ! ククがそうシタイと言ったんデスから! お家ならリラックスして打ち合わせできマスし、良いコト尽くしデス!」
「ふふっ。そうだね!」
可可は笑顔で音羽にそう言い、軽い足取りで自室へと案内する。音羽は初めて来る友人の家に心が弾む気持ちはあるのだが、異性の自宅というのもあり、不必要に家内に目線を向けないように緊張感を持った状態で中に入っていた。音羽は表面上では可可に明るく接することができているものの、先日可可に対して怒ってしまった事が未だに彼の心に罪悪感を残している。かのんのカフェに寄らずに真っ直ぐ家に帰った後もそのことばかりが彼の脳裏を過っており、翌日会った際には普段通り会話を交わしてくれたのだが、やはり音羽は大切な友人に怒りの感情を向けた事実に拭い切れない後悔の念が渦巻いていた。
「ココがククの部屋デス! おスキに座ってクダサイ!」
「はーい。お邪魔させてもらうね」
音羽はそっと可可の自室に入る。そこには普段可可が使用しているであろうソファやベッド、テーブルが置かれており、端の方にはいくつかダンボール箱が重なっている。恋の自宅とはまた違う異性の部屋に音羽は緊張の糸を一層張り詰め、部屋の絨毯に行儀良く正座で座った。
「クク、飲み物持ってキマスね! オレンジジュースで良いデスか?」
「えっ、うん。それでお願いしても良い……?」
「わかりマシタ! チョット待っててクダサイ!」
そう言って可可は台所の冷蔵庫を開け、新品の紙パックを開けてコップにジュースを注ぐ。その様子を目にしながら音羽は可可の手厚いもてなしに少々驚く。丁寧過ぎるといった具合に自分と接する彼女に、音羽は嬉しい気持ちと、それとは逆に申し訳なさが出てくる。以前、とある人物に言われた言葉が心に刺さったままの状態であるが故の心境なのだろう。
「お待たせシマシタ! ココに置いておきマスね!」
「あ、ありがとう。ごめんね……ジュースまで出してもらっちゃって」
「音羽はお客様なんデスカラ、これクライはさせてクダサイ! 早速デスが、打ち合わせを始めマショウ!」
「うん! 今日はよろしく! くぅちゃん!」
「はいデス! こちらこそヨロシクお願いシマス! 音羽!」
オレンジジュースを受け取った音羽は可可に感謝を述べた後、2人は早速今日の本題である打ち合わせに入り、それぞれの意見を出し合うのだった。
「……衣装なんだけど、イメージとしてはこういうお姫様みたいな感じが良いなって思うんだけど、くぅちゃんはどう思う?」
「ククもソレが良いと思ってマシタ! デハ衣装はこういうデザインにしてみマショウ!」
「衣装のデザインは、センターが着るものは皆と違う形にした方が目立つかな?」
「そうデスね。統一感をモタセつつ、センターはヨリ煌びやかに見せラレル形ニ……」
「ティアラとかも形変えられそうだよね。装飾や宝石を増やしたりとか」
「おおっ! 音羽、ソノアイデア頂戴しマス!」
音羽が家に来てから数十分。2人はテーブルに雑誌とノートを広げて互いにメモを取りながら真剣に打ち合わせをしていた。打ち合わせから別の話題に逸れる事は決して無く、本来の目的に集中して地区予選についての今後の方向性を固めていった。
「こういうドレスみたいな衣装、すみれちゃんなら絶対似合うと思うんだよね。動画映えも期待できるかも!」
「まぁ、ソレは一理ありマスね。アノ人がセンターと決まった以上、ククもハンパな作業はしマセン。徹底的にヤルつもりデス!」
「くぅちゃん、すみれちゃんのこと……信じてくれたの?」
「……コノ前、夜遅くマデ1人で自主練してイルトコロを見て、アノ人ナリに真剣にセンターに向き合ってるコトが分かったノデ。ソレに……音羽が信じるモノなら、ククも信じたいんデス!」
「……そっか。良かったぁ……!」
音羽は可可の言葉に安堵した様子で微笑む。初めは断固として反対していた可可が、すみれの為に衣装を作ろうとするくらいに信用する意向を見せ、音羽が思うすみれの能力についても反論はせずに耳を傾けながら要点をメモしていた。衣装の方針が決まったところで可可は鉛筆でイメージ図を描き始め、音羽も曲を作る上で可可から出されたアイデアを纏める。話し合いやアイデア練りは2人が予想した以上にスムーズに進み、音羽と可可は時折言葉を交わしつつも、それぞれのノートに筆を走らせるのだった。
「音羽、ソロソロ休憩にしマショウ!」
「あっ、うん。そうだね。ちょっと休もうかな……」
キリの良いところまで作業が終わった音羽と可可は手を止め、テーブルに置かれているコップを手に取ってストローに口を付ける。2人でほぼ同時にほっ、と息をついた後、音羽が可可に話しかけた。
「……あの、くぅちゃん」
「なんデスか?」
「えっと……この前さ、くぅちゃんに怒ったこと、改めて謝りたくって。……本当に、ごめんね」
「えっ……?」
可可はさすがに音羽がそんなことを言い出すとは思わなかったからか、小さな声で驚きを露わにする。音羽は可可に頭を下げてもう一度『ごめん』と口にする。彼のその態度に可可は慌てて言葉を紡ぐ。
「お、音羽! 顔を上げてクダサイ! アレは元々ククが悪いんデス! 音羽が気にスルことナンテ何も……」
「でもっ……」
「……モシカシテ、ずっと気にしてたデスか? あの時のコト」
「うん。ずっとくぅちゃんに謝りたくて。でも練習中とかに言う機会が見つけられなくて……言い出すのが今日になっちゃった。……ごめん」
「デスから、モウ良いんデス! 謝らないでクダサイ! 大丈夫デス! ククは大丈夫デスから……」
「うん……ありがと」
可可はやや強めの語気で音羽の謝罪を諫め、彼は悲しげな表情で下を向いた。可可は彼の様子を見て、日頃から感じていた違和感を明確に認識する。音羽は、時には自分自身に非が無いことにも責任を感じ、すぐに謝罪の言葉を口にする。今日だって、彼から『ありがとう』よりも、『ごめんね』と聞いた回数の方が明らかに多かった。謂わばそれは、可可や他の皆に対して気を遣っていることに他ならない。音羽のその優しさや気遣いができる面をよく知っていて、可可はそんな彼の人間性を好いているのだが、時と場合によっては度が過ぎるところが心に引っかかり、可可の胸を痛める要因となっていた。必要以上に気を遣われるのは、決して彼女の本意ではないからだ。
「……なんだか、音羽は『ごめんね』ばかりデスね」
「えっ?」
「今日だって、ククに何度も『ごめん』って謝ってマス。音羽は何も悪いコトなんてしてナイのに。どうしてデスか? どうして……ソンナニ謝るんデスか?」
「どうして……なのかな……」
可可は音羽の今日の様子を指摘し、泣きそうな顔で音羽に問う。可可の直球な質問にどう答えようか思考を巡らせるが、頭に浮かぶ言葉は決まって過去の記憶のものだった。
『東に付き合わされる葉月さんが可哀想だわ』
音羽にとって狩谷が言っていたこの言葉がずっと、彼の心にずっと深く刺さったままであった。恋と一緒に居ることを否定されたあの日から、自分と関わる人間が可哀想だと口にされたその時から。音羽は自分の為に時間を使ってもらうことに申し訳なさを感じるようになった。自分に時間を使わせて迷惑ではないか、本当は嫌々自分に時間を費やしているのではないか。昔ほどではないにせよ、音羽は今もそんな感情が渦巻くことがある。その人が大切であればある程、『嫌われたくない』という気持ちが先行する。だからこそ音羽は大切な人から嫌われない為に気を遣う。すぐに謝るのも、他者への申し訳なさへの表れなのだろう。
「……迷惑じゃないかって思っちゃうんだ。僕の為に時間を使ってもらうの」
「音羽……?」
可可に隠し事は通用しないと思ったからか、音羽は正直に自身の気持ちを言葉にする。言葉にした途端、彼の胸に無数の棘が刺さったような痛みが走り始める。
「くぅちゃんや、他の皆に……迷惑だって、嫌がられたりするのが……怖い。皆、大切な友達だから……」
大切だからこそ、音羽は失うことをひどく恐れるようになった。嫌われることも、迷惑がられることも。どちらも音羽にとってとてつもない忌避感を覚えさせる感情であった。音羽の話を聞いた可可もまた、自身の思うことを彼に正直に話すことを決めた。
「……ククは音羽のこと、
「はお……ぽん?」
中国語で発された単語を音羽は復唱しようとするも発音が分からず、意味も理解できていない様子で首を傾げる。すると、可可は口角を上げながら話を続ける。
「『とっても仲良し』って意味の、友達デス。ナノニ、ククが音羽のコト迷惑だって思うと思いマスか?」
「くぅちゃん……」
「音羽がククを『大切な友達』って思うナラ、ククに迷惑かけてクダサイ! 気を遣うコトなんてナイデス! ワガママでもナンデモ聞きマスから!」
可可にとっての『友達』とは、いくらでも迷惑をかけて、かけられる関係性である。たとえそれが仮に迷惑だと当人が言ったのだとしても、可可はそれを迷惑とは思わない。友人の頼みや願いを、迷惑だと思うことは微塵も無い。音羽とは真逆とも言える友人の価値観を持っている可可から見れば、音羽の友人への接し方は無欲のようにも思えるのだ。常に相手を想い、気遣いを欠かさない音羽だが、そこに自分を含めていない節がある為に、可可ははっきりと音羽に大切な友達なのだと伝えた。大切だからこそ、もっと自分を頼り、迷惑をかけるくらいになってほしいのだと。
「で、でもっ……」
「音羽は優しすぎマス。優しいカラ、たまに遠慮シテルって感じるんデス。ククだけじゃありマセン。かのん達にも、遠慮はいらナイデスよ? 皆サンも……ククとキモチは一緒なんデスから!」
「皆も……?」
「ハイ。皆サンも、音羽にモット頼ってほしいって思ってマス。かのんも、千砂都も、レンレンも。……ついでにグソクムシも。音羽を絶対に迷惑だナンテ思いマセン。嫌ったりもしマセン。ダカラ……大丈夫デスよ。ソンナニ気を遣わなくて……良いんデスよ?」
「っ……」
純粋な可可の励ましに音羽は強く目を瞑る。テーブルの上で固く結ばれた音羽の両手が、小刻みに震えていた。音羽の中にある恐れがまだ消えておらず、彼の頭に何度もあの言葉が響く。『可哀想』だと。大切であるが故の恐怖に支配されそうになったその時、可可が音羽の手に優しく手を添えた。その温もりに気が付いた音羽は目を開けて可可を見つめる。彼女は親愛と信頼に満ちた、何もかもそっと包み込むかのような優しい眼差しを音羽に向けていた。
「怖がらないでクダサイ。ククは何があっても、音羽の好朋友デスよ?」
「くぅちゃん……ちょっと、優しすぎるよ……」
「ソノ言葉、そっくりソノママお返ししマス!」
可可のにこっとした笑みに釣られ、音羽の唇が下弦を描く。その表情を見た可可はより一層嬉しそうにはにかんだ。小刻みに震えていた音羽の手が動きを止め、徐々に結んでいた手の力が抜けていった。可可に励まされた音羽は、ひとつ彼女に願いを伝えようと口を動かした。
「くぅちゃん。お願いしても良い?」
「ハイ。もちろんデス」
「……皆、仲良くしていてほしい。これからも皆で、色んな景色を見たい。皆と……一緒に居たい」
それが現状の音羽が抱く願いであった。スクールアイドル部の6人で色んな景色を見ること、皆と一緒に居ること。可可が初めて音羽と会った頃には、絶対に聞けなかったその願い。人との繋がりを作ろうとしなかった音羽が、繋がりを得て大切な人や居場所が生まれ、それを失うことの恐怖を感じ、願ったのは皆がこれからも仲良くしてほしいという、些細で且つ大きな願いだった。それを聞いた可可は以前までの音羽と現在の音羽。それら両方を思い出し、万感の想いが込み上げる。
「ワガママ、かな……」
「そんなワケありマスか。……当たり前デス。一緒に居るに決まってるじゃナイデスか! ワガママなんかじゃありマセン!!」
「……! そっか。良かったっ……」
可可達は日頃から日常会話でも音羽の話題を口にしている。彼のお陰でいつも助かっていること、彼の面白かったところ、そして……いつもどこか一線を引いて、遠慮しがちなところ。必要以上に気を遣って、踏み込もうとしないところ。かのんは音羽の過去を知り、狩谷が音羽にどのようなことを言っていたのかもわかっている。だからこそ彼女は音羽に積極的に関わろうと、心を解きほぐそうと話しかけ続けていた。『こんな思いするくらいなら、無闇に他人と関わる必要ない』とまで言っていた音羽を変える為に。徐々に変わり始めていった音羽の心は今日で再度変化が生じる。心に刺さった棘が抜けたかのように、音羽の胸には暖かさが宿っていた。
「くぅちゃん。ありがとう。いつも僕に……優しくしてくれて」
「音羽が優しいからデスよ。優しくスルのは……音羽だからデス!」
「ふふっ。なんか、照れちゃうなぁ……」
「ククも……なんだかチョット照れちゃいマシタ……」
「あははっ。一緒だねっ、くぅちゃん!」
「一緒デスね! コレカラもたくさん一緒デスよ! 音羽っ!」
「これからも、よろしくね。くぅちゃん!」
「ハイデス! さぁ! 最高のライブを作れるように、頑張りマショウ!!」
「うん! 一緒に、頑張ろう!」
互いに向き合い、素直な言葉を交わし合った音羽と可可。彼女の後押しにより音羽の心を解き、音羽の胸の裡に在った日頃の願いを打ち明けさせた。音羽、そして可可の2人の関係性がまたひとつ、進展の兆しを見せたのだった。
コップに入れられていた氷が溶け、ふたつのコップがカラン、と音を立てた。