星達のオーケストラ   作: 龍也/星河琉

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第56話 あんたは、何もわかってない。

 ラブライブ地区予選開始まで残り1ヶ月を切ったある日。すみれが部室の中へ入って1番に目に付いたのは、窓から差す光で煌びやかに輝くドレスだった。

 

「なに、それは」

 

「ミテわからナイのデスか? ラブライブ地区予選でツカう衣装デスよ」

 

「衣装……?」

 

 可可(クゥクゥ)からそう言われ、すみれはもう一度そのドレスに視線を移す。紫色を基調としており、様々な装飾で彩られたその衣装。ドレスが着せられている胴体のみのマネキンの首には真珠で出来たネックレスも付けられており、さながらおとぎ話に出てくるお姫様が着用するようなデザインとなっている。可可が音羽(おとは)の意見も取り入れて作った、彼女にとって『自信作』と呼べる一品に仕上がっていた。

 

「どういうつもり?」

 

 すみれがセンターを務める事に猛反対していた可可が、自分に衣装を差し出しているこの状況にすみれは些か不審感を持って可可に問う。

 

「衣装作りは、ククの仕事デスので。イイからとっとと着るデス」

 

「これ、私の……?」

 

「ハイ。オーラのナイアナタでもセンターで戦えるヨウ、他のヒトとは少し形を変えてやりマシタ。音羽のアイデアデスよ。感謝スルデス」

 

「音羽の……?」

 

 この衣装が他のメンバーが着るものとは違う形をしているのが音羽のアイデアだということを知ったすみれは、自分の横に位置している音羽を見つめる。彼女と目が合った音羽は頷きながら笑みを浮かべた。

 

「皆が着るものとデザインが違う方が、すみれちゃんをもっと際立たせられるかなって思って。くぅちゃんがそれを形にしてくれたんだ! これが、すみれちゃん専用の衣装だよ!」

 

 地区予選でセンターに立つすみれを思ってのアイデアを出した音羽。自分のことを気遣っていてくれている事実にすみれは嬉しいような、けれど後ろめたいような、複雑な気持ちが湧き出てくる。彼女は日々練習をしていくうちに、地区予選までの日が近付いていく度に、『自分がこんなにも期待されて良いものなのか』という意識が芽生え始めた。努力は惜しんでいない筈なのに、漠然とした不安がすみれを襲う。そんな彼女を目の前に、皆で話を進める。

 

「じゃあそれ着て、1度歌ってみようよ!」

 

「ちょうど学校の皆の意見も聞いてみようと思ってたところだから、それを動画に撮って見てもらおう?」

 

「えっ……? いやっ……でも……」

 

 かのんと千砂都(ちさと)の提案に、すみれはまたしても自信が無さげな反応を見せる。表情もどこか不安気で、すみれは今にも消え入りそうな声で言葉を発した。それを見た音羽は彼女を安心させる為に、明るい言葉を投げ掛ける。

 

「大丈夫だよ! まだ本番って訳じゃないし、リラックスしていこ?」

 

「そうです。言ってしまえば、生徒の皆さんに動画を見てもらうだけなので、そんなに気負う必要は無いと思います。自然体で行きましょう、すみれさん」

 

「……うん」

 

 音羽と(れん)の2人から励まされたすみれは、両者の顔を見ずに小さく頷いた。その頷きは、いつものすみれとは思えない程に弱々しかった。センターで歌うという事が現実味を帯びてきたからなのか、すみれの態度は『センター』というポジションを忌避しているかのように感じられる。この数分間のすみれの様子を目にした一同は顔を見合わせるも、敢えて何も言及せずに着替えに移るであろう彼女を気遣いながら部室を出る。皆は屋上へ向かい、すみれが衣装に袖を通すのを待つことにした。

 

 一同が屋上で待つ事十数分。衣装に着替え終わったすみれが静かに屋上へ姿を表し、紫色のドレスに身を包んだ彼女の華やかな美貌に皆は感嘆を言葉にする。

 

「似合ってるよすみれちゃん!」

 

「本当に綺麗です……!」

 

「さすが可可ちゃん! 衣装作りのセンス二重まるだよ!」

 

「ククは、別ニ……」

 

 各々率直な感想をすみれに伝える。普段からあまり言われ慣れない言葉に、彼女は頬を朱色に染める。すみれはふと彼の姿を探すと、皆より少し離れた場所に立っており、すみれのドレス姿を見た音羽は彼女に優しい笑みを見せ、口元に右手を当てて口を動かす。『すっごく似合ってるよ』。声に出されてはいないが、彼の唇の動きでそう言っているのだと理解したすみれは一層頬を赤くする。簡単で、月並みな言葉ひとつで浮かれてしまいそうになる自分自身にも、彼女は少し恥じらいを覚えた。

 

「どう? 自信、出てきた?」

 

「……」

 

 かのんの問いかけに、すみれは目を逸らしながら無言を貫く。その仕草にかのんや他のメンバーも若干の違和感を覚えたが、即座にスマホを構え、カメラアプリをビデオモードに切り替える。

 

「それでは、行きますよ!」

 

「「「ミュージック、スタート!!」」」

 

 深呼吸をして心の準備を整えたすみれは一歩足を前に踏み出し、皆の前で歌って踊る覚悟を決める。練習だろうと本番だろうと、自分が歌わなければ何も始まらない。曲が流れ始めると同時に一瞬で気持ちを切り替え、目の前の歌とダンスに集中したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が沈みかけ、風が冷たく温度を変える時刻。すみれの動画撮影とダンスの練習を終えた一同は部室へ戻り、席に着いて雑談に花を咲かせていた。今日撮影した動画のことや地区予選のことを話し、皆でラブライブ開幕が日に日に近付いていっているのを自覚する。色々な話が展開されている中、皆より一足早く制服に着替えていたすみれは退屈そうにスマホを弄りながら話を聞いていた。彼女は話題に入ることはせずにSNSを用いてエゴサーチに勤しんでいる。そんな折、恋が何かに気付いたように音羽に話し掛けた。

 

「音羽くん、手が乾燥していませんか?」

 

「えっ? あ、ほんとだ。でも大したことないから大丈夫だよ」

 

 音羽がノートにペンを走らせている際に、ノートに添えられた左手を見た恋がそれに気付いてすぐさま指摘した。今の季節は気温や湿度等の影響で手や足の乾燥が目立ち始める時期であり、何も乾燥対策をしていなければそれが目立つのは無理も無いことである。

 

「ハンドクリームは持っていますか?」

 

「あー……持ってないんだよね。音楽辞めて以来買ってなくって……」

 

「今はまたピアノ弾くようになったんだから、ちゃんと乾燥対策しなきゃダメでしょ。ピアノやってるクセに、手のケアひとつすらできない訳?」

 

「あはは……ごめん……」

 

 スマホを弄っていた手を止め、すみれが話に入ってくる。彼女の言葉を聞いた音羽は申し訳なさそうに苦笑を溢す。その表情を見たすみれの胸にチクリと痛みが走る。……違う。自分は音羽に謝らせたかった訳ではない。そういう突き放すような言い方ではなく、もっと優しい言い方がある筈なのに。最近、何故か彼女は音羽の前では素直になれず、本意とは違う言動をとることが多くなった。音羽はそういった言動を聞いて何も言う訳ではなく、普段通りに接してくれる。毎日色んな表情を見せてくれる。無論、それはすみれだけでなく、全員に見せているものだ。それが、自分でも分からないくらい……釈然としなかった。

 

 冷たい言動をとってしまった事を挽回すべく、すみれは制服のポケットに手を入れ、自分が使っているハンドクリームを取り出し、音羽に再度話し掛ける為に口を動かした。

 

「……しょうがないわねぇ。じゃあこれ……」

 

「もしよろしければ、私のハンドクリームを貸しましょうか?」

 

「え、良いの? 恋ちゃん」

 

「もちろんです。ちょうど、音羽くんがお好きな柑橘系の香りがする物を持っていますので!」

 

「ほんと!? それ、使ってみたい!」

 

 すみれがハンドクリームを差し出すよりも先に、恋が自分の持っているハンドクリームを貸そうかと提案し、恋はリュックから小さなチューブを取り出してキャップを開け、音羽の手の甲に一円玉程度の大きさにクリームを絞る。音羽は勿論、恋もすみれがハンドクリームを差し出そうとしていたことは露知らず、音羽は声を弾ませて恋と会話をする。

 

「……」

 

 すみれは静かに腕を下ろし、ハンドクリームをポケットの中へと仕舞う。すみれが渡そうとしていたものは薔薇等の様々な花の香りを織り交ぜたもので、すみれ好みの香りがするクリームだった。だがその香りはきっと、音羽が好む香りではない。渡せばそれを『良い匂い』だと評するのだろうが、恋が手渡した柑橘系の物よりは確実に反応が薄くなっていただろう。そう悟ったすみれは、自嘲気味にフッ、と笑う。手指にハンドクリームを塗り、手の甲に鼻先を近付けて香りを確認する仕草、そしてその香りに喜びの笑みを見せる音羽。恋にだけしか見せない、長年の付き合いが起因しているであろう音羽の笑顔。それを目にしたすみれは、俯きながら顔を顰める。自分は、それ程音羽にとっての特別な存在にはなれない。嫌でもそう認識させられるこの状況から、一刻も早く抜け出したいという気持ちが湧き出てくる。

 

「恋ちゃん、ありがとう! あ、すみれちゃん。さっき……僕に何か言おうとしてなかった?」

 

 彼に気付かれていないと思っていた筈が、すみれの声も音羽の耳に届いていた。すみれが自ら言葉を遮った為に恋の言葉に多く耳を傾けていたが、ハンドクリームを手に塗り終わった後に音羽がすみれに言葉を掛ける。だが、すみれは素直に喜ぶことができなかった。自分が何かを言いかけていたことに気付いてくれたことが、今の彼女には微塵も『嬉しい』と思えなかった。それどころか、自分の気遣いを結果的に反故にする形となった音羽に対して、決して向けてはいけない感情を抱いてしまう一歩手前の所まで、すみれの心は切望と欲望に支配されそうになっていた。

 

「……別に。なんでもないわよ」

 

「すみれちゃん?」

 

「帰る。練習はもう終わってるんだし、良いでしょ。……お疲れ」

 

「え、ちょっとすみれちゃ……」

 

 すみれはリュックを背負い、皆に一言そう告げた後に足早に入口へ向かい、乱暴にドアを閉めて部室から出て行った。その様子に、一同は困惑した様相を呈した。

 

「すみれちゃん……どうしたんだろう?」

 

「なんか、ご機嫌ナナメだったね」

 

 かのんと千砂都は不機嫌そうに部室を出ていったすみれを見て心配そうに呟いた。

 

「動画を撮られるのが、嫌だったのでしょうか……?」

 

「イマは生徒ダケにしか見せナイとイウのにイヤがってイルようじゃ、サキが思いヤラレマスね」

 

「くぅちゃんっ……」

 

「……デスが、『大丈夫』だって、信じてマス。いつも音羽がソウ言うミタイに、ククも……信じたいデス」

 

「……!」

 

 日頃の音羽の態度に感化されたのか、軽くすみれを皮肉りはしたものの、センターを務めてもらう意向は変えずにすみれを信じてみることを可可は音羽に伝える。皆、すみれにセンターに立ってもらいたいと思っているのだが、練習中や部室での態度を見ている限りだと、不安はどうにも拭えそうにはない状況であった。

 

「すみれちゃん……」

 

 音羽は小さく、大切な人の名を呼ぶ。大切な友達、そして自身の仲間である彼女の名を。明日にはまた、彼女といつも通りに言葉を交わせることを信じて。少しでもすみれに寄り添うことができるように、音羽は現状よりももっと努力することを誓った。

 

 

 

 

 1階に降り、生徒玄関に着いたすみれは上靴から外靴に履き替え、校舎を後にする。歩く度に、すみれの脳内は色んなことでごちゃ混ぜになる。センターのこと、ラブライブ地区予選のこと。……音羽のこと。先程、彼に対して思ってはいけない、思うと現状の関係性が瓦解してしまう、そんなことを頭の片隅にでも入れた自分自身にひどく嫌気が差す。その感情が生まれるということは、謂わば『友達』という関係では満足できなくなった何よりの証明であるからだ。

 

「もう……限界ね」

 

 悟るように、諦めるように。彼女は静かにそう言葉に表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……変えた方が良い?」

 

 翌日の昼休み。かのんは結ヶ丘敷地内のベンチに千砂都と共に腰掛けており、千砂都が口にした言葉をかのんは思わず復唱する。

 

「うん。歌の内容はすごく評判良くてね、皆『大好き!』とか、『これなら予選突破できるよ!』とか言ってくれるんだけど……」

 

「センターは、違う人が良いって言うの?」

 

「……うん。『かのんちゃんや恋ちゃんの方が良いんじゃないか』って」

 

「それは今までがそうだったから、なんとなくそう思うだけなんじゃないの?」

 

 かのんは信じられないといった面持ちで千砂都にそう返す。何故生徒達がそんなことを言うのか、センターを違う人に変えた方が良いという意見が出されるのか。すみれの能力を分かっているかのんからすれば、到底納得のできない意見であった。

 

「私もそう言ったんだけど……これ、見て」

 

 千砂都はかのんにスマホの画面を見せ、出された意見を彼女にも共有する。

 

「『友達に聞いても、皆同じ意見』、『気負いすぎててちょっと……予選突破を考えるなら、変えるのも手かな』……そんなっ。何で……」

 

「かのんちゃん……どうすれば良いと思う?」

 

 センターを変えるという意見は、口で言うだけならば簡単だ。しかし、このタイミングで変えるとなると曲やダンスの構成やフォーメーションを変えなくてはならず、尚且つそれを認めてしまえば、すみれの今までの努力を否定することにも繋がってしまう。自分達の意志を通すか、それとも結ヶ丘の生徒達の意見を尊重するか。かのんがどちらとも決めかねているところに、ベンチの真後ろから声が聞こえた。

 

「そんなの、決まってるでしょう」

 

「……!? すみれちゃん……」

 

「この学校のスクールアイドルなんだから、皆の意見に従うのが当然でしょ?」

 

 そう言いながらすみれはベンチの後ろから横に歩いて移動し、秋の草木が茂っている敷地の景色を見渡す。その口調には、些か投げやりな気持ちが垣間見えていた。

 

「で、でも……」

 

「そもそも、ショウビジネスの世界を歩いてきた私が、『ラブライブ』なんていう素人の大会の予選くらいで……センターやるのはおかしいって思ってたの。……私の出番は、決勝に取っておくわ」

 

「あ……すみれちゃん、待って……!」

 

 千砂都に何か言わせる隙も与えずにすみれは自分が地区予選でセンターを任されたことに関して思うところを口にする。最近まで見せていなかった、ラブライブやスクールアイドルを下に見ているような言葉を混ぜつつ、自分はセンターを降りることをかのんと千砂都に告げる。言いたいことを言った後、2人の自分を憐れんでいるような表情を目にしたすみれは、やるせない気持ちでこの場を去ろうと走る。すると、すみれの目の前にはいつになく険しい顔をした可可が道を塞いでいた。

 

「……何よ」

 

「ナニ逃げヨウとしてるデスか!?」

 

「え……?」

 

「ククは反対デス! イチド決めた以上、アナタがセンターをヤルべきデス!」

 

「はぁ?」

 

 可可の言葉にすみれは怪訝な表情で聞き返す。『センターを変えた方が良い』という生徒達からの意見を尊重すると思っていた可可が、その意見を反対した事実にすみれは困惑した様子で可可を見つめる。

 

「聞こえナカッタのデスか? 衣装も作ったのデスよ!? 誰がナント言おうと関係ありマセン! センターをヤルべきデス! アナタを信じる音羽のキモチまで、ムダにスルつもりデスか!?」

 

「可可ちゃん……!」

 

 かのんは必死にすみれを叱咤する可可の様子に安堵する。すみれに対してあれ程邪険な態度を見せていた彼女が、センターをやるべきだと強く訴えている。可可なりにすみれを信じているのだと、かのんと千砂都は改めて理解する。だが、それでもすみれの表情は曇ったままで、眉間に皺を寄せて下を向いていた。

 

「……無理よ」

 

「えッ……?」

 

「そんなこと言ったってわかってるの! どうせ最後はいつも……私じゃなくなるんだからっ!!」

 

「「すみれちゃんっ!」」

 

 すみれは感情を露わにして可可に向かってそう言い放ち、逃げるようにこの場を走り去っていった。かのんと千砂都が追いかけようとするが、既にすみれの後ろ姿は見えなくなっていた。初めて耳にした彼女の『無理』だという言葉に、一同は驚きを隠せない様子でいた。すみれを励ますことが出来なかったかのんは、辛そうに目を細めながら俯くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

「私は……」

 

 今は誰にも構われたくない。何も言われたくない。そんな気持ちですみれは逃げ場所を探していた。最終的に行き着いたのは、いつもの練習場所である屋上だった。早足で階段を登り、屋上の扉を開けると、そこには彼女が予想し得なかった人物が居た。

 

「んっ? すみれちゃん! やっほー!」

 

「……音羽」

 

 正直、こんな気持ちの状態で音羽と顔を合わせたくはなかったと思うすみれだが、音羽はお構いなしに嬉しそうな顔でこちらに手を振ってくる。こうなってしまった以上『仕方ない』と割り切り、屋上の中へ足を踏み入れた。

 

「あんたはここで何してんの」

 

「屋上の空気を吸いたくて。気晴らしみたいな感じかな」

 

「あっ、そ」

 

「隣、座る?」

 

「……座るわ」

 

「ふふっ。ようこそ!」

 

「『ようこそ』じゃないわよ。まったく……」

 

 すみれは嫌々ながらも音羽が座っているベンチの隣に腰掛け、人1人が増えた重量でベンチが僅かに軋む。すみれが座った後、音羽は早速すみれに話しかけた。

 

「すみれちゃん、最近……大丈夫? 無理とかしてない?」

 

「……何よいきなり」

 

「ちょっと、心配だったから。地区予選も大事だけど、まずはすみれちゃんや皆の体調の方が大事だからね」

 

「別に、あんたに心配される筋合いないわよ。体調管理くらい自分でできるわ」

 

「あはは……そうだよね。大丈夫なら良かった!」

 

 心配が要らないと判断した音羽はすみれに対してにこっと笑いかけ、安心したように屋上に広がる空を眺める。今日は快晴とは言えない天気だが、それでも音羽は楽しそうに空を見る。彼の能天気な態度や言葉、優しい笑みが今のすみれにとっては全て胸の痛みとして処理が為される。そもそも今、音羽と話したくはなかったのに。1人になりたかった筈なのに、何故自身にとって悩みの種でもある彼が隣に居るのか。こんな気持ちの状態で音羽と会話をすると迷惑だと感じたすみれは、要件だけ告げて屋上を出ようと決意した。

 

「ねぇ、音羽」

 

「なに、すみれちゃん?」

 

「私、地区予選のセンター降りることにしたから」

 

「……え?」

 

 音羽はすみれの発言に、耳を疑うように聞き返した。

 

「聞こえなかったの? だから、センター降りるって言ってんのよ」

 

「聞こえてるよ。……どうして? どうして、そうなったの?」

 

「私には無理だって思った。ただそれだけの話。それに、生徒の皆からセンター変えた方が良いって意見も出てるし。私が降りるのが普通でしょ」

 

「えっ、そうなの……!?」

 

「何で知らないのよ……」

 

 事実を伝えている最中、音羽が地区予選のセンターを変えた方が良いという意見や噂話が流れているのを知らないことに思わずすみれは突っ込む。彼の反応からして、今彼女の口から聞かされるまでそれらのことを何も知らなかったのだと気付き、すみれは余計に頭が痛くなる。けれど、音羽はすみれの言葉を聞いても、首を縦には振らなかった。

 

「……やだ」

 

「え?」

 

「僕は、すみれちゃんにセンターやってほしい。すみれちゃんなら絶対できるもん!」

 

「はぁ……? 何でそうなるのよ?」

 

「だって、すみれちゃんは()()()じゃん! なんでもそつなくこなせて、歌も振り付けもすぐに覚えられて! それだけのことができるのに……『何で』はこっちのセリフだよ!」

 

「……は?」

 

 音羽の言葉にすみれは低い声で反応を返す。自分が『すごい』、『そつなくこなせる』と彼はそう言った。だがそれらは、音羽にだって出来ることだ。言ってしまえば……すみれとは比較にならない程に高水準で。

 

「すみれちゃんは……すごい人なんだよ。僕にとっては憧れで、眩しい存在なんだよ。センターに立つのが怖いのはわかるよ。でも、すみれちゃんなら大丈夫だって信じてるから!」

 

『さっきから何を言っているんだ』。すみれの胸中を一言で表すと、この言葉に尽きるだろう。すごい人? 憧れ? 眩しい? 自分以上に優れた人間がそれを言うのか。『わかる』? 一体自分の何をどうわかっているというのか。そう心の中で思っているうちに、彼女の耳には音羽の言葉が全て自分への皮肉の意味で言っているように聞こえていた。心の底から、熱いものが込み上げてくるのを感じ取った。

 

「音羽。……あんたソレ、本気で言ってるの?」

 

「本気も何も、僕はずっとそう思って……っ!?」

 

 音羽の返答を聞いたその瞬間、すみれが音羽の制服のネクタイを掴んで強く引っ張る。あまりにも急な彼女のその行動に、音羽は目を白黒させた。

 

「す、すみれちゃん……?」

 

「そういうのが1番ムカつくのよ……『持ってる側』のクセに、何も『持ってない』みたいな顔して……」

 

「な、なに……?」

 

「……あんた、数回聴いた曲を楽譜ナシで弾けるんだったわね。ソレ、誰でもできることだと思ってる訳?」

 

 すみれは音羽が持つその技能を直接聞いてみる。以前恋が言っていたように、それは簡単にできるものではない。相当な時間と練習を要する筈なのに、音羽はそれをいとも簡単にやってみせる。美麗に『怪物』とまで言わしめた音羽の技能。それを、彼本人は特別な事だとは微塵も思っておらず、要領を得れば誰でも容易く出来るものだという認識であった。

 

「あ、あれは……コツさえ掴めば誰だってでき……」

 

「できるワケないでしょそんなことッ!!」

 

 すみれの怒声が、屋上全体に大きく響き渡った。音羽の、自分自身の力量をまったく把握していない事実。にも関わらず何も知らないまま、すみれを励まそうとするその行動。音羽のやることなす事全てに、すみれの中に猛烈な怒りが湧き上がっていた。

 

「すみれ、ちゃん?」

 

「あんたが……あんたなんかが……わかったようなクチ利いてんじゃないわよ。あんたに……私の何がわかるの? 自分のことすら、これっぽっちもわかってないクセに!!」

 

「へ……? すみれちゃん、何言ってっ……」

 

 何が何なのか分からずに音羽は泣きそうな顔ですみれに問いかける。もう……潮時だ。傷付けるのだとしても良い。あれも、これも、それも全部。無かったことにすれば良いのだから。

 

「良いわ。教えてあげる。あんた、()()()()()()のよ? 他人とは違うものが見えてる『共感覚』、それに加えて『絶対音感』まで持ってる。なのに、私はすごい? 私の気持ちがわかる? ふざけないでっ! ナメんのもいい加減にしなさいよあんた!!」

 

「えっ……?」

 

 初めて告げられるその事実に、音羽は大きく目を見開いた。共感覚、絶対音感。音羽自身はテレビや本で知識を得たそれらの特殊技能。特に絶対音感は、音楽をやる者なら喉から手が出る程に欲しい技能だという世間一般的な見解も目にしている。それが、自身に備わっているなんて、音羽には信じられなかった。

 

「……違う。嘘だよ。そんな……そんなすごい才能、僕には……」

 

「何も違わない。気付いてないの、あんただけだから。普通じゃないって言ってんでしょ。……あんたを見てると、こっちが惨めになってくんのよ!!」

 

「……っ。何で……なんでそんなこと言うのっ……? 僕ら、友達でしょ!?」

 

「……だから何?」

 

 動揺しているからか、音羽は普段絶対見せることがない縋るような言葉をすみれに対して投げかけるが、すみれは一言でそれを一蹴する。『友達』。やはり彼は、自分をそうとしか見ていない。何も特別だと思ってはいない。それが、嫌に苛立ちを加速させる。けれど、それならば話が早い。どうせ特別になれないのなら。相手を思って自分が苦しむくらいなら。自分に振り向かない相手に怒ったり、泣いたり。無意味な感情を晒け出すくらいなら。……そんな関係なんて、無くていい。すみれはひとつ、決心が付いた。

 

「……()()()()()()()()()、私に構わないでいてくれるの?」

 

「……っ!? 違っ……僕は……」

 

「この際だからハッキリ言っておくわ。私、あんたを『友達』だって思ったこと、1回もないから。何勘違いしてんのか知らないけど、思い上がるのも大概にしなさいよ」

 

「っ……違う……僕は……僕はっ……!」

 

 すみれは先程よりも強くネクタイを引っ張り、胸倉を掴む。音羽の今の心境など歯牙にも掛けず、溢れ出す感情を露わにして彼女は腹の底から叫ぶ。

 

「……選ばれた側の人が、私の何をわかってるの? 人とは違うモノを持ってるあんたにっ……! 私の何がわかるって言うのよぉッ!!」

 

「……っ」

 

 すみれの言葉の応酬に、音羽は肩と、手を震わせる。彼女は更に胸倉を掴む力を強め、ぐいっと彼の身体を引き寄せる。

 

「あんたは……何もわかってない。……あんたに、わかってほしくもないわ」

 

 ショックで放心状態となっている音羽にそう言い放ち、すみれは手を離して彼を解放する。今まで彼に対して思うことの鬱憤を爆発させ、言いたいことを吐き出した。なのにどうしてか、少しも心がすっきりとはしなかった。力無く項垂れている彼を見て、すみれの胸が、今までに類を見ない程に……強く痛んだ。

 

「ッ……!」

 

 歯を食い縛り、すみれは屋上から出る為に入口へと走る。入口付近で彼女は誰かとすれ違うが、すれ違った人物の顔を見ずにただ逃げるように走った。凄まじい勢いで走っていった彼女の姿に、屋上へと足を運んでいた者が気付く。

 

「今のは……すみれさん?」

 

 昼食を食べ終えた後、屋上へ向かった音羽と話をしようと、恋も屋上の入口付近まで来ていた。急いで走って行ったすみれを不思議に思いつつ、恋は屋上で音羽の姿を探す。数秒のうちに目当ての人物を見つけることができたのだが、その様子は、どこかおかしかった。

 

「音羽くん! ……音羽、くん?」

 

 屋上のベンチに力無く腰掛けていて、その表情は生気を感じさせない、虚ろな目をしていた。

 

「音羽くんっ!? どうしたのですか!? 音羽くん!」

 

「……恋ちゃん」

 

 幼馴染の姿に気付き、彼はなんとか焦点を合わせる。もしかすると、彼女は知っていたのかもしれない。彼自身のことを。誰よりも、ましてや彼よりも。音羽はぼやけた視界で恋を見つめながら、ひとつの質問を彼女に投げ掛けた。その声は、恋の耳に辛うじて伝わるくらいの声量だった。

 

「僕……()()()()()()()……?」

 

「……え? ……まさか。すみれ、さん……?」

 

 すみれから伝えられた、自分が『普通』ではない事実。告げられた、自分達は『友達』ではないという言葉。それらの事象は、音羽の心を虚無の淵に堕とす程に重く、苦しく、深く突き刺さった。恋がこの状況を理解するのに、そう時間はかからなかった。すみれが、音羽に話してしまったのだと。自分達だけが知っているのに留めておくと決めていた筈の、特殊な才覚のことを。今まで知れなかった、知ることのなかったその事実は、音羽の自己認知に多大な影響を及ぼしていく。

 

 屋上に広がっている空が徐々に、鈍く濁っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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