すみれと
会場内は男女問わずラブライブ出場校の生徒達で溢れ、ステージに上がる人の多くは既に衣装に着替えており、その姿で舞台裏を歩く者が大半であった。そんな折、音羽は舞台裏にある男子トイレの鏡を見ながら普段あまり付け慣れないスタイリング剤で固められた髪を懸命に整えていた。
この地区予選の為に音羽にも専用衣装が用意されており、
しかし、地区予選の会場にはサポーター専用の更衣室が用意されておらず、ラブライブに出場する男性のスクールアイドル用の更衣室はあったのだが、ステージに上がらない音羽が態々他校のグループ用の更衣室を借りてまで着替えを行うのは烏滸がましいと感じたが故に、彼はトイレで身支度をしていたのである。そもそもスクールアイドルグループにサポーターが存在する学校は極めて稀な例らしく、会場ですれ違ったグループのメンバーから音羽が何者かと問われた際に、かのん達が彼のことを話すと皆驚きを露わにしていたことから、音羽の存在の唯一性を改めて認識するに至った。故に音羽は、本来ステージに上がらない自分にまで衣装を作ってくれた可可に頭が上がらない面持ちで居り、鏡に映る自分の姿を見て、少し照れ臭そうに笑みを溢した。
トイレから出て、自分達の楽屋に戻ろうと歩く音羽だが、すれ違う他校の生徒達からの視線を感じて彼は萎縮しながら通路の端に寄る。やはりステージに立たない自分が衣装を着るのは分不相応であったのかと思い、感じる視線から解放される為に小走りで楽屋へと向かった。そうして『私立結ヶ丘高等学校スクールアイドル部 Liella! 様』と記載された紙が貼られている楽屋の前に立ち、音羽は入口のドアを3回ノックする。もしかしたらかのん達が衣装に着替えている最中かもしれないという配慮の意味でのノックをした音羽は、ドア越しに居る5人に声を掛ける。
「皆ー! 入って大丈夫ー?」
「大丈夫だよー! 入って入ってー!」
音羽が声を掛けると、かのんの明るい声で返答が為され、それに従い音羽は静かに楽屋のドアを開ける。するとそこには、煌びやかな衣装に身を包んだ5人が居り、あまりの美しさに思わず音羽は息を呑んだ。かのん達も中に入ってきた音羽の姿を見て、かのんや
「皆……衣装、すっごく似合ってるよっ! 綺麗……」
「ふふっ。ありがとう! おとちゃんも似合ってる! すごくかっこいいよ!」
「音羽くん……! 素敵ですっ……!」
「ありがとう……くぅちゃんが作ってくれた衣装のお陰だよ」
「ヤハリ音羽はスーツやタキシードが似合いマス! ククのミタテ通りデス!」
「そ、そうかなぁ……?」
「うんっ! おとくんスタイル良いからさ、私も絶対似合うって思ってた! ほら、すみれちゃんも! 何か言ってあげなよ!」
千砂都は隣に居るすみれに声を掛け、音羽は彼女の姿を近くで目にする。皆が着ているものよりも装飾が増やされ、頭部には可可が作ったティアラが付けられており、且つすみれのトレードマークとも言えるストレートの金髪が今回は巻き髪となっており、さながら御伽の国の姫を思わせる姿となっている。センターポジションに相応しい煌めきを纏ったすみれに、音羽は率直に感想を述べる。
「すみれちゃん、すっごく綺麗だよ!」
「フッ。当然ったら当然よ。あんたは衣装に着せられてる感ハンパないけど」
「あはは……それは僕も思ってた。似合ってないよね……」
「そんなこと一言も言ってないでしょ。……あんたにしては、カッコいいわよ」
「……!」
すみれは素直に音羽の姿を褒め、予想外の返答に音羽は目を丸くする。いつもはあまり彼を褒めず、たとえ良かったとしても『悪くない』等と言うすみれが、今日は皮肉や誤魔化しも無く音羽を『カッコいい』と評した。
「ありがとう。すみれちゃん!」
「こんなあんた、今日くらいしか見れないだろうからね。特別に褒めてあげるわ」
「うぅ……きびしい……」
「ふふっ。あんたを甘やかす気なんて無いわよ。ホラ、もっとシャキッとしなさいよ。背筋伸ばして! せっかくの衣装が台無しになっちゃうでしょ!」
「は、はいっ!」
すみれと音羽のやり取りにかのん達は安堵しながら笑う。2人は1週間前に無事に仲直りが出来たようで、すみれの音羽に対する厳しめの態度は相変わらずであるが、以前よりも互いを信頼しているということが分かる会話が増え、仲の良い姉弟のような関係性から一変し、どこか対等な関係性なように一同は感じていた。笑みを浮かべながら話す2人は、さながら御伽の国の姫とそれに仕える執事のようにも見えた。
「さて、そろそろ私達の出番かな!」
「ええ……いよいよ結ヶ丘のスクールアイドルが、ラブライブのステージに立つのですね……」
千砂都が時刻を確認し、もうすぐ自分達の出番が来ることを皆に伝える。恋はテーブルに置いてあった星結びを手に取り、ぎゅっと胸の前で強く握り締める。音羽から貰った大切なお守りは、皆地区予選当日にも忘れずに持って来ていた。
「楽しみだね! かのんちゃん!」
「うんっ。私達『Liella!』が、たくさんのスクールアイドルと繋がって……歌を響かせるんだ!」
「勝ちマス。ゼッタイに……クク達が勝ちマスよっ!」
皆の気合い充分な様子を見られた音羽は微笑みつつ、彼もポケットに入っている星結びを取り出し、掌に落とす。星型のチャームが楽屋の白い明かりに照らされ、淡く光る。この地区予選で、『Liella!』はステージに立って歌を響かせる。ここに至るまでに問題がいくつかありはしたものの、それら全てを乗り越え、6人で会場に来る事が出来た。それが、音羽にとって何より嬉しかった。センターであるすみれの為の新曲で、皆がパフォーマンスをする。それを想像し、彼は高鳴る心臓の鼓動を感じつつすみれを見る。すると、すみれは緊張しているのか、右の二の腕を掴んで落ち着かせようとしていた。その様子を受け、音羽がすみれに声を掛ける。
「すみれちゃん、緊張してるの?」
「……ええ。正直、ね。ホント、私ったらダメね。センターやるって大見得切っといて、皆より私の方がよっぽど緊張してるじゃない」
「ふふっ。大丈夫だよすみれちゃん。いっぱい練習してきたでしょ?」
「音羽……」
音羽はすみれの緊張を緩和させる為に笑顔ですみれに話し掛ける。彼女は決して、『ダメ』な人間などではない。学園祭ライブの時とは規模も、観客の数も、何もかもが違う。緊張するのは当たり前のことだ。その緊張を少しでも抑えられるように、彼は明るい笑顔ですみれの瞳を見つめる。
「大丈夫。すみれちゃんなら絶対、大丈夫だから! まずは、楽しもう? なんたって今日は、すみれちゃんが
「……っ!」
音羽の言葉を受け、すみれは瞳を潤ませて一瞬下を向く。けれどすぐに前を向き、自分を励ましてくれた音羽に笑みを向けた。
「……
「えっ? あ……ごめん……」
「褒め言葉よ。……ありがとね。音羽。おかげで……火、着いたわ」
「すみれちゃん……!」
楽屋内に『Liella!』一同はステージ裏で待機してほしいという旨のアナウンスが響き、すみれはすれ違う音羽の肩に優しく手を置き、かのん達も楽屋から出ようと動き始める。
「特等席で見てなさい。あんたも、観客も。皆釘付けにしてみせるから」
勝ち気な表情ですみれはそう音羽に言い放ち、いつものすみれに戻ったのを感じ取った彼は優しく笑い、かのん達5人に手を振った。
「皆、いってらっしゃい!」
「おとちゃん行ってきます! またあとでね!」
「音羽! 行ってきマス! クク達のコト、シッカリ見ててクダサイ!」
「行ってくるね、おとくん。私達で、最高のステージにしてみせるよ!」
「それでは、行って参ります。音羽くん。私達を、見守っていてください」
各々も笑顔で音羽に手を振って楽屋を出て、会場のステージ裏へと向かっていった。本番前に皆を見送ることができた音羽は、皆が向かっていった通路の反対……会場の客席側に繋がる方へ歩を進めるのだった。
音羽がラブライブ運営の係員に従い、連れられたのは一般客が座る席よりも上に位置している、主に審査員や係員が座る用の席だった。音羽は一般の席に座ろうとしたところで係員に声を掛けられ、ラブライブ出場校の生徒だと確認された彼は関係者として一般客とは違う席に案内され、『ここでライブを見るように』と係員が丁寧に音羽に話をした。音羽が腰を下ろした席から少し離れた場所には他校の女子生徒も座っており、その席の横に松葉杖が置かれていたことから、元よりここは出場前から既に怪我をしていた者や、或いは当日に何らかの負傷をした生徒がこの席に案内されるのだろうと音羽はなんとなくそう推察した。音羽が座った席はステージのバックモニターがよく見える位置で、先程すみれが言っていた『特等席』はこのことだったのかと腑に落ちる。すみれが予め係員に音羽の話を通していたのか、それともいつのまに会場を視察していたのか。どちらにせよ、ステージでパフォーマンスをする5人を見るには打ってつけの席であった。
定刻を迎え、会場内の照明が一気に落ちる。辺りが真っ暗となったことで先程まで会場内に溢れていた騒めきが収まり、広い会場を静寂が支配する。そして、その静寂を破ったのは、1人の少女の声だった。
「────ギャラクシー!!」
暗闇を裂くかの如き少女の声。明朗なる鬨に呼応するように世界は自らの在り方を変容させ、降り注ぐスポットライトが5人の少女を照らし上げる。華麗なれど過美に墜ちず、美麗という言葉を具現した菫色のドレスを纏った少女らは歌い、踊る。その歌声はこの場に集結した人々に届けるに留まらず、世界そのものに語りかけるかのようであり、一糸乱れぬ五体の躍動は内包する熱量を万象に刻み付けるかのようであった。その在り様はいっそ、5柱の女神という形容が適切であろうか。
そしてそのセンターにて燦然たる光輝を放つ1柱こそが、
故にこそその揺るがぬ熱量を前にして、絶対の存在である筈の世界はその容を塗り替えられる程にまですみれに平服し、女神達を礼賛する。歌声が内包するのはこれまでの自身との決別。そして、頑強なる決意による変革。であれば、全霊を以て謳うはこれからの彼女が示し続ける
熱は冷めず、夢は醒めず、覚悟は枯れず、最後まで。やがて歌声の残響は虚空に解け、躍動の残滓が総身を満たす。世界は元の容へと立ち戻り、彼女らが宿す熱の具現たる夢現が閉じていく。されど観客の酩酊は止まず、会場は女神達が与える祝福の中に揺蕩う。そんな余韻の只中で、すみれは微笑む。或いはそれは、今までの諦念と因循に終焉を告げるかのような。そんな、不敵な笑みであった。
彼女達のあまりのパフォーマンスに音羽は開いた口が塞がらず、彼は暫し5人に……すみれに視線が釘付けとなっていた。圧巻の一言だった。日頃の練習の成果が充分に発揮され、音羽が作り上げた『ノンフィクション!!』と最高にマッチする振り付けを短期間で完成させた実力、一切の乱れが見受けられなかった皆の歌声、ダンス。その全てが高水準で、パフォーマンスが終わっても観客からの拍手や声援が絶えずステージ上の5人に捧げられていた。かのん達の歌を聴いて、音羽の瞳には色が見えた。彼の瞳に映った極彩色……それはまさしく、今彼女達が身に纏っているドレス型の衣装のような菫色と、それに付随して、音羽が前に感じ取った各メンバーの色が見えた。以前までぼんやりとしか見えていなかった色彩が、今日このステージではっきりと目にすることが出来たのだった。
ステージ上で抱き合っている5人。そんな折、メンバーの1人が観客席に向き直り、天高く腕を上げた。彼女特有のハンドサインが向けられたその方角は、関係者席に位置している音羽だった。すみれが、音羽に対して『ギャラクシー』のサインを向けて、万感の笑顔を見せていた。バックモニターに彼女の笑顔が大きく映り、それに気付いた音羽も彼女と同様に満面の笑みを浮かべる。距離は離れていても、2人の気持ちは確かに通じ合っていた。その瞳に、心に。深く繋がる想いがある。その想いは、絶えず2人の体を、心を熱くするものであった。
出番を終え、楽屋に戻った『Liella!』一同。かのん達は楽屋内で着替えを行っており、音羽も同じ理由で今は男子トイレに居ると先程彼からグループチャットにメッセージが送られてきていた。今回のパフォーマンスの話をしつつ、皆は身に付けていた装飾を外し、衣装を脱ぐ。すみれも皆に合わせてどこか物悲しい様子で、衣装の留め具を外す。パサリ、と衣装が床に落ちる音が響いた。すみれの隣に居るかのんが制服のワイシャツのボタンを留めながら、すみれにとある話題を持ちかけた。
「それにしても……すみれちゃん、おとちゃんと仲直りできて良かったよ。一時はどうなるかと思って、ずっと不安だったから」
「そうだねぇ。おとくんとまた普通に話せるようになってくれて良かった。安心したよ」
「……余計な心配掛けたわね。ごめん」
「ううん! すみれちゃんの本当の気持ち、おとちゃんに伝えたんだよね?」
「ええ。一応ね」
かのんにそう問われ、すみれは一言そのように答えた。音羽と関わりたい、仲良くなりたいと。確かにそれは本心だ。けれどかのんの言う本当の気持ちとは、もっと先の話だ。かのんはきっと、その気持ちが何なのかをなんとなく把握しているのであろう。彼女の反応を受けて、かのんはすみれに気を遣ったのか、それ以上追求はせずににこりと笑う。
「そっか! 良かったね、すみれちゃん! これからもおとちゃんのこと、よろしくね?」
「ふふっ。あんたは音羽の親か何か?」
「い、いやっ! 私はそんなつもりで言ったんじゃ……」
「いいから。さっさと下履きなさいよ」
「もう……」
慌てて両手を胸の前で振るかのんにすみれは冷静に言葉を返し、彼女は不貞腐れたように制服を手に取って足に通した。その横で可可もワイシャツに袖を通しながら、すみれに対して言葉を発する。
「デモ、すみれがアンナニ意地をハルとは思っていマセンでシタ。アノ時、ドウシテ音羽とアソコまで話したがらなかったのデスか?」
「たしかに。言われてみれば、おとくんと頑なに話したがらなかったのには訳があったよね? でも、私はそれとは違う別の理由があるんじゃないかなーって思ったんだよね。ちょっとだけ、気になってたんだ」
「音羽くんを避けていたようにも思えたので……不安でした。今は音羽くんと和解出来たようで、私も心から安心しています。本当に、良かったです」
一同からあの時、音羽と仲直りしてほしいと言われた際の出来事がかのん達の中で思い出され、すみれは無言で皆の言葉を聞いていた。あの時の彼女はただ、音羽と話したくない理由を設けて逃げているように見えると可可に核心を突かれたのだが、それは半分正解だった。音羽に対しての罪悪感や様々な感情が重なり、自身が不安定になっていた自覚はある。音羽が自分を友達だと思っていないというのも本気でそう思っていた。故に……すみれは畏怖していた。もし万が一、自分が音羽に拒絶されたら。仮にそうなった時は、自分から酷い言葉を浴びせたのだから当然の報いだと分かってはいたが、すみれの根底には恐怖があった。大切な人……言い方を変えれば想いを寄せ掛けていた相手に拒絶されるというのは他の何よりも辛い。そうなる事を恐れ、あの時のすみれは本能的に音羽と話すのを拒絶していたのかもしれないと、今では思う。
だが、それを皆に打ち明けてしまうのは釈然としない。この想いは、今は秘めておくべきものだと。周りに悟られないようにしなければと。彼女はそう心に決めた。
「……別に、大した理由なんて無いわよ。私は、勝手に傷付く自分に嫌気が差しただけ。ホントに、それだけよ」
「そうだったんだね。ごめんね? 変に勘繰ったりして」
「まぁ、すみれがソウ言うならソウなんデショウ。トニカク、音羽と仲直りデキテ良かったデス。余計な心配、カケるなデスよ!」
「私もすみれさんの気持ちが分かります。もう、絆が解けてしまわない事を祈ります」
すみれの言葉に皆同意し、程なくして別の話題に切り替わる。話題が変わっても、皆がするのは音羽に関する話だった。すみれは初めて、仲間達に対して仕様の無い嘘を吐いた。芽生えた感情を悟られない為の嘘を。今は、秘密にしておいた方が幸せだと思ったから。この感情は誰に理解されなくとも、何を言われようとも。自身の中で決して揺るがないものとなった。それを周囲に話すには、今はまだ時期尚早。いつか、いつの日か。話す時が来るだろうとすみれは思い、彼女は左手首に音羽から貰った大切なお守りを身に付けた。
暫くして扉をノックする音が聞こえ、すみれは入口のドアを開ける。目の前には制服姿の音羽が居た。皆に、すみれに笑顔を向けて楽屋へと入っていった。まだ地区予選の結果は分からない。ラブライブ東京大会に進出しているかもしれないし、敗退しているかもしれない。だが、持てる力の全てを出し切った一同は、先のことは考えずに今この瞬間を噛み締めていた。皆で会場に歌を響かせることができた、その事実を。
「すみれちゃん。お疲れ様!」
「お疲れ。……音羽!」
たった一言の遣り取りだが、今の2人にはそれで充分だった。すみれが手を出し、彼にハイタッチを促すと、音羽は嬉しそうに笑う。いつも、彼は嬉しそうだ。見てるこっちまで思わず笑ってしまいそうになる、眩しい笑顔だ。その笑顔を隣で見ていたいというのは、我儘なのだろうか。ただこの笑顔が見られて嬉しいと、思うのは駄目なのだろうか。新しいドアを開いたすみれの瞳に映る音羽は、以前よりもずっと、輝いて見えた。
音羽と合わせた左手に付けられた星結びが、ふわりと、ゆらりと揺れていた。
新たなドアを開いた先に、燦然と輝く光がある。
これにて、星達のオーケストラ第6章 セクステット〜秘める光輝〜は完結となります! 次回からは第7章に入ります! 引き続きよろしくお願い致します!