第70話 受ける祝福、その裏で。
ラブライブ地区予選が終了して数週間が経ち、葉を失った木々に容赦無く冷風が当てられる季節に差し掛かった今日。4時間目の授業を終えたかのん達6人はスクールアイドル部の部室に集合し、机上に置かれたパソコンの画面を見つめていた。
今日はラブライブ地区予選通過グループ発表の日であり、皆はこの日が来るのを待ち続けていたと同時に、この日を迎える事の恐怖に苛まれていた。地区予選のステージに立ち、持てる力の全てを発揮したすみれ達5人なのだが、同じく地区予選に出場していたグループのパフォーマンスのレベルの高さを思い知ったが故に、本当に自分達が地区予選を通過しているのかが気掛かりであり、直近の皆の不安の種となっていた。
「あぁ……神様……」
「どうなのったらどうなのっ……?」
「12時になったよ!」
「ついに発表……!」
「ううっ……どうか……どうかっ……!」
「大丈夫! 皆頑張ったデスし!」
「じゃあいくよ……地区予選通過は8校。エントリーNo.1……『Sunny Passion』!」
かのんが画面をスクロールし、地区予選を通過したグループを確認して名前を読み上げる。真っ先に地区予選通過グループとして挙げられたのは前回のラブライブに優勝を果たした『Sunny Passion』。元より優勝候補と謳われていたが為に、彼女達が地区予選を突破しているのは皆が予想した通りであった。
「デスよね!」
「当然だよ……」
「そして……エントリーNo.21 、『ネオミュータントガールズ』! エントリーNo.62、『浅草スカイラブリー』! エントリーNo.70 、『神楽坂DASH組』! エントリーNo.……」
「「「来いっ……!」」」
「お願いっ……!」
地区予選を通過したグループの名がいくつか出てくるが、自分達『Liella!』の名が一向に出てこない。皆が必死に熱の籠った声で予選通過を祈る中、かのんが操作している筈のパソコンの画面スクロールが止まり、彼女が小さく声を上げる。
「あれ……パソコン、固まっちゃった……」
「はぁっ!? もったいぶらないでったらぶらないでぇ〜っ!」
「ナゼデスかぁっ! ウゴケウゴケ〜ッ!!」
この肝心な時にパソコンがフリーズしたようで、かのんがいくらマウスやキーボードを操作しても画面が動かなくなってしまった。それを受けてすみれと可可が互いに肩を掴んで揺らし合いながら不満を露わにする。突然起きたパソコンのフリーズに、恋は冷静に何故そうなったのかを分析する。
「皆が同時に接続しているからでしょうか……?」
「多分そうだね……回線が重くなっちゃってるのかも」
音羽は恋の見解に同意し、彼女と顔を見合わせる。パソコンやスマートフォンでサイトを閲覧している際に、そのサイト1つにアクセスが集中し過ぎるとその分サーバーに負荷が掛かる為、動作が遅くなったり終いにはフリーズ等の現象が起こる。日常的にインターネットを使用していればそう珍しくはない事柄なのだが、ラブライブ地区予選の結果を閲覧しているこの状況でフリーズが起こった事に一同はもどかしさと歯痒さを感じていた様子だった。暫くしてもパソコンの画面が動きそうに無い為、すかさず千砂都が自分のスマホを取り出す。
「スマホで見てみよっか。こっちの方が回線軽いかもしれないし」
「そうだね。スマホならもしかしたら……」
かのんが千砂都に同意し、千砂都がラブライブの公式サイトを開こうと指を動かしている最中、かのんのスマホが2度振動する。
「ん……? 『Sunny Passion』さん?」
スマホの振動の正体は『Sunny Passion』のメンバーである2名からのメッセージだった。夏に行った合同ライブの際に連絡先を交換して以来、かのんは彼女達と定期的にメッセージでの交流があった。そんな2人から送られてきたメッセージでの文章には、このように書かれてあった。それをかのん達6人が一斉に確認する。
『おめでとう』
『一緒に良いステージにしましょう!!』
突如かのんのスマホに舞い込んだのは、『Sunny Passion』からの祝福の一報。その2件のメッセージの内容に、かのんは困惑した様子でスマホの画面を凝視する。
「えっ……『おめでとう』……?」
「と、いうことはつまり……?」
『Sunny Passion』から送られてきた祝福と、『一緒に』という言葉。このタイミングでそのようなメッセージが送られる理由……思考した結果、恋がすぐにメッセージの意味を悟り、真っ先にパソコンの画面に目線を戻す。かのんが不意にマウスを動かすと、先程までピクリとも動かなくなっていたマウスカーソルが僅かに移動し、再度画面スクロールが始まった。
「あっ、動いた……っ!?」
かのんがパソコンが動作を始めたことに気付いた瞬間、映し出されている画面に息を呑む。ちょうどスクロールが終わった所に、何と自分達のグループの名前が記載されていたのだ。結ヶ丘高等学校スクールアイドル部、『Liella!』。その名を、6人が見間違う筈が無い。無事に、ラブライブ地区予選を通過していた。皆一拍遅れて、その事実を認識するに至った。
「「「やったぁ〜っ!!」」」
6人揃って歓喜の声を上げ、それぞれが心から喜びを露わにする。地区予選といえども、その過程は相応に苦難を強いられ、全員が一致団結しなければ絶対に予選通過出来なかっただろうと一同はそう思っていて、特に音羽とすみれは重圧が大きかった中でこの日を迎えたが、無事に予選通過グループに自分達が入っていた事に安堵した様子であった。
「良かったぁっ……予選通過だっ……!」
「やりマシタね……!」
「ま、上々の結果ね!」
「次は東京大会……気を引き締めなくちゃね」
かのん達はこの結果に喜ぶものの、次に行われるのはラブライブ東京大会。全国大会に行くには東京大会を勝ち抜かなければならない。勿論千砂都も予選を突破した事には嬉しさと喜びを感じているが、あまりうかうかしていられない現状を言葉に表す。
「ですが今は……地区予選を通過出来た事を喜ぶべきです。音羽くんも、そう思いますよね?」
「そ、そうだね……」
「音羽くん?」
恋は隣に居る音羽に声を掛けるが、彼は何故だかぎこちなく頷いた。その様子を見て、恋は不安気に音羽を見つめる。
「どうか、したのですか?」
「あ、ううん! 皆、ごめんっ。僕、トイレ行ってこようかな……ちょっとお腹がいたくて……あはは……」
「えっ? あんた、さっきも行ってなかった?」
「ま、また行きたくなっちゃって!」
「おとちゃん、大丈夫?」
「大丈夫っ! い、行ってきまーす!」
「あっ……えぇ……?」
先程も同じ理由でトイレに行くと言って席を外し、今もまた腹痛を訴えて音羽は部室を出て行った。急いで走っていった彼を見てすみれは疑問符を浮かべたような声を漏らし、皆不思議そうに首を傾げる。
「おとちゃん……どうしたんだろう?」
「おとくんがお腹痛いって、珍しいね。緊張してたのかな?」
「音羽、ずっとソワソワしてマシタし……きっと、スゴクオナカが痛カッタんデスよ!」
「なっさけないわねぇ……」
皆の見解を聞いて、すみれは呆れた口調で溜息混じりにそう言った。地区予選本番では然程緊張した姿は見られなかった筈なのに、ここに来て緊張が理由で2度も腹痛で席を外すとはこれ如何に。すみれはそんな音羽を見て呆れはするものの、彼のそういうところも好ましく感じるようになっていた。変に飾らず、常に自然体で居る彼の性格は間違いなく魅力に分類されるものであり、『情けない』とは言いつつも、その声音には幾分か優しさが乗せられていた。
「仕方ありませんよ。音羽くんは特に、地区予選の結果がずっと気掛かりなようでしたから……」
「……ふーん。あの子があんな風になるってことは、相当みたいね」
「ええ……コンクールの本番前でも、そこまで緊張する事は無かったので……」
恋の言葉を聞いて、すみれはふと音羽の様子に違和感を感じる。ついさっきトイレに行った筈なのに、ここまで短いスパンで再度トイレに行くなんて事はあるのだろうかと。且つ恋が今口にした、音羽はあんなにも緊張を見せるようなタイプでは無いという発言。それに先程の音羽の表情。普段見せる笑みでは感じないような違和感があった。すみれはある可能性を考え、それを確かめる為に静かに歩き出す。
「そんな珍しいことも、あるもんなのね」
「すみれちゃん、どこ行くの?」
「私もトイレ。さっきから、ずっと我慢してたから」
「フッ。アナタも緊張シテタんじゃナイデスか。音羽のコト言えナイデス!」
「ま、そうかもね。じゃ、行ってくるわ」
音羽と同じく自分もトイレに行くと言ったすみれに揶揄うような口調で可可が茶化すが、彼女はそれに噛み付く事無く受け流し、部室を後にする。2名が部室から居なくなった状況に、一同は『こんなこともあるか』と特に違和感は感じておらず、恋も些か音羽が心配な様子ではあったが、彼にもあんな風に緊張する事があるというまだ知らない一面を知られたことに嬉しさを覚えつつ、静かに音羽が部室に戻って来るのを待とうと心に決める。緊張が原因で腹痛を引き起こすのは決して珍しい事柄では無い故に、皆は2人についてそこまで言及はせずに、パソコンに映し出されているラブライブ公式サイトの方へまた視線を向けるのだった。
「……やっぱりね」
『トイレに行く』と皆に軽い嘘を吐いて部室を出たすみれ。恐らく音羽が向かったであろう男子トイレの方へ自分も足を運ぼうとすると、目当ての人物は少し歩いた先に居た。予想に違わぬ彼の様子に、彼女は小さくそう呟いた。
スクールアイドル部の部室へ向かう為の階段の下段、あまり生徒の行き来が無く、部室や屋上から殆ど声が聞こえないその位置に座った状態で、音羽は静かに涙を流していた。
彼の僅かに啜り泣く声を聞きながら、すみれは自分の想像が正しかったと思わず心の中で自賛する。もしかしたら音羽がそうしているかもしれないと思うと、とても放っておく訳にはいかないし、今回彼の側に居るべきなのは自分なのだという責任も感じている。故に、泣いている音羽に話し掛ける事への躊躇いは無に等しかった。
「なーに泣いてんのよ」
「っ!? す、すみれちゃん……」
柔らかな口調ですみれは彼に声を掛ける。後ろから声を掛けられた音羽は涙で頬を濡らした状態で振り向き、慌てて制服の袖で目元を擦る。それを見たすみれは素早く階段を下って音羽の隣に腰掛け、制服からハンカチを取り出した。
「はい。拭きなさいったら拭きなさいよ」
「すみれちゃん……どうしてここに……」
「ちょっと、心配だったし。もしかしたら、あんたがこうしてるかもしれないって思ったら……つい、ね」
「ごめん……」
「別に謝ることじゃないでしょ」
「う、うん……」
すみれに言葉を返しながら、音羽はハンカチを受け取って涙を拭く。すみれが下に降りてくるのは彼にとって想定外で、あまり見られたくないものを彼女に見られてしまったと心の中で思い、音羽は無言で視線を落とした。
「……ハンカチ、ありがと……」
「ん。……それで、何で泣いてたの?」
「無事に予選通過できて……嬉しくて。でも……もしも僕のせいで予選落ちちゃったらって思うと……怖くて……気持ちが、ごちゃごちゃになって……」
「音羽……」
途切れ途切れに音羽は涙を流していた理由をすみれに話す。予選を通過して嬉しい気持ちと、仮にもし地区予選落ちという結果であった時の重圧と恐怖に彼の心は満ちていて、感情の整理が上手く出来ずに泣いてしまったようだった。自分のせいで、『Liella!』がラブライブに敗退する可能性がある事を想像すると、怖くて仕方が無かった。もし自分が、地区予選の曲を変えようと提案したせいで負けていたら。そんな不安が音羽を苦しめていた。彼の責任感の強さは既に知っていたすみれだが、自分が思っているよりもずっと、音羽は『Liella!』のことを第一に考えて、恐怖と戦っていたのだ。全力を出し切ったとはいえど、ラブライブがそう簡単に勝ち抜いていける大会ではないと事前に聞いていたからこそ、消えぬ恐怖が心に在るままであった。
「ほんとは……今でも怖いんだ。僕が……皆の足を引っ張ってたら……僕は……」
「大丈夫よ。あんたが私達の足を引っ張る? そんなこと、ある訳ないじゃない」
「すみれちゃん……」
「予選は突破できたんだし、今はそれで良いって……私は思ってる。『ラブライブ』って大きな場で、私達の歌やダンスが評価された。そこにまず目を向けるべきよ。あんたはね、余計なこと考えすぎなのよ」
すみれは率直に、今思っていることを音羽に伝える。今はただ、予選を勝ち抜けた事実に目を向けるべきだと彼女はそう考えている。『ラブライブはアマチュアの大会』という先入観は今のすみれには無く、ステージに立って初めてラブライブの凄さを思い知った。観客の多さ、そして出場しているスクールアイドルのレベルの高さ。可可の発言は、決して眉唾では無かった。一筋縄ではいかない大会だということを強く認識出来た今、自分達が出した結果はちっぽけではないと、そう思えた。胸を張って良い事柄なのだと、すみれは音羽にそのように諭す。
「今私達が考えるべきなのは……どうすれば次の東京大会を突破できるか、でしょ? やる前から負けた時のこと考えてどうすんのよ。無駄ったら無駄よ、そんなの」
「そう、だよね……ごめんね。情けないなぁ、僕……」
「でも……あんたのそういうところ、嫌いじゃないわよ」
「えっ……?」
「嬉しい時は『嬉しい』とか、怖い時は『怖い』とか、そうやって素直に感情を出せるの……良いことだって思うけど? 少なくとも、私は尊敬してる」
「っ……」
左手を頬に当てながら、すみれは音羽の顔を見つめてそう言った。彼はとにかく感情の機微が分かりやすい。喜びや悲しみが、表情で一目で分かる。今日だって、彼が見せた違和感をすみれは見逃さなかった。音羽の素直で分かりやすい面にも、自分は惹かれているんだろうと気付く。感情表現は、人が人らしく生きる為に必要なものであり、それをしっかり持ち得る音羽だからこそ、周囲からの人望も厚いのだろう。
「てっきり……『そんな簡単に泣くな』とか、言われるかと思ったのに……」
「私をなんだと思ってんのよ……言わないわよそんなこと。むしろ、泣きたい時にちゃんと泣ける人の方が……信じたいって思うから」
「そう、なの……?」
「そんなあんただから……私はあんたと、『マブダチになりたい』って思ったのよ?」
「……!」
友達を超えた関係、マブダチ。すみれが音羽とそんな関係になりたいと思ったのは、彼が自分を隠さずに接してくれるからだった。眩しい。だからこそ追い付きたい。音羽の隣に立てるような人で在りたいと思わせてくれたからこそ、友達を超える……自分にとって唯一無二の関係でありたいと願ったのだ。
「情けなくって良い。カッコ悪くても良い。あんたは、あんたのままでいなさい。それで、自分に何ができるか……ひたすら考えるの。その方がずっと、あんたらしいわよ? 余計なこと考えてるよりずっとマシだわ」
「……そうだね。僕に出来ることをしなくちゃ」
「あと……涙はね、1番嬉しい時まで取っておくものよ。だから泣くのはまだ先。私達が、ラブライブで優勝してからにしましょ?」
そう言ってすみれは勝ち気に微笑んでみせた。音羽の人柄を熟知しているからこそ、彼が次に何をすべきかを彼女は示せる。言い方は少し厳しいかもしれないが、それが音羽に出来る最大限の励ましであった。自分らしく、皆をサポートさせられるように。マブダチだからこそ、音羽が泣いている姿は極力見たくない。故にすみれは己の持論を説いて、涙は簡単に見せないように促す。泣いても良い、けれどそれは大事な時に。そんな彼女のモットーを聞いて、音羽はようやくすみれに笑みを見せた。
「ありがとね。すみれちゃん。だいぶ、楽になったよ」
「気にしないで。マブダチなんだし、これくらいするわよ」
「ふふっ。まさか、ここに来るとは思わなかったけど」
「あんた、わかりやすすぎなのよ。私がわかんないとでも思った訳?」
「いや、そんなことないけど……」
部室に続く階段を登り始めながら、2人はいつものように仲良く会話を繰り広げる。すみれにとっても音羽にとっても、両者の距離感は言葉では表しにくい心地良さがあった。元の鞘に納まって以来、2人の信頼関係は更に深く結ばれていた。
「やっぱり音羽は、私がついてなきゃダメみたいね?」
「そうだね。すみれちゃんが居てくれると、ほっとするから……」
「なっ……なんでも素直に言えば良いってもんでもないのよ! もうっ……!」
「んんっ……! いひゃい……いひゃいよぉっ……」
「ほら! さっさと戻るわよ!」
「は、はぁい……いたた……」
すみれに抓られた左頬を手で抑えながら、音羽は自分よりも早く階段を上がっていくすみれを追いかけて行った。泣いている時に、ハンカチを差し出してくれる。自分を叱咤し、励ましてくれる。自分を、独りではないと強く思わせてくれる。そんなマブダチである平安名すみれという存在が、改めて音羽の瞳に眩しく映る。自分を認めてくれたすみれや、自分を受け入れてくれた皆の為に。音羽は次に開催されるラブライブ東京大会に向けて、より一層皆の力になれるように尽力することを決めたのだった。