突如かのんのスマホから鳴り出した着信音。その相手は同じスクールアイドル部の仲間である、
「もしもし?」
『もしもし、かのんちゃん? 音羽です!』
「ふふっ。知ってるよ。おとちゃん」
『だよね……あはは……』
緊張しているのか、若干上擦った声で名乗る音羽にかのんは軽く笑いながら返答する。2人は普段からよく通話をしており、大抵はかのんの方から音羽に電話を掛け、部活動の事や他愛の無い事でもなんでも楽しみながら話していた。1週間の内に2〜3回の頻度で通話を行うのが今では普通なのだが、音羽から電話を掛けられる事は殆ど無かった為、かのんは内心驚きつつも、音羽に電話を掛けてきた理由を聞いてみることにした。
「おとちゃんから掛けてくるなんて珍しいね。どうしたの?」
『かのんちゃんと、話したくなっちゃって。迷惑、だったかな……?』
「そんな訳ないじゃん! 私も、おとちゃんと話したかったから」
『ほんとっ?』
「ほんとほんと。おとちゃんが電話掛けてきてくれて、嬉しかったよ?」
『そっか……良かったぁ……』
音羽は急に電話を掛けた事に対して迷惑であったか恐る恐る問うが、かのんもまた彼と話したい気持ちはあり、気にしないように伝える。通話越しで音羽の顔が見られない状況ではあるが、声音だけで今彼がどのような表情をしているのか、かのんは容易に想像が出来た。2人が一緒に居る時間の長さと、過ごした時間の密度。それらが起因している彼等の心の距離の近さ。それが、音羽がどう思っているかは直接聞いていない為分からないが、かのんにとってはとても心地の良いものだった。
暫く、他愛の無い話が続いた。生産性の無い会話と言われれば反論のしようも無いくらいの、謂わば雑談と称する会話が繰り広げられた。話が落ち着いたところを見計らい、音羽はかのんに対してとある話題を持ち出す。
『ねぇ、かのんちゃん。小学校の件……大丈夫?』
「えっ?」
『僕達が小学校に行けなくなっちゃって、かのんちゃん1人で歌う事になったでしょ? それで、困ってることとか、悩んでることがあったら……力になりたいなって。そう、思って……』
「おとちゃん……」
音羽がかのんに電話を掛けた1番の目的は、もしかのんが悩んでいたらそれを聞き出し、少しでも彼女に寄り添う事だった。千砂都はかのんと音羽の仲が良く、互いに支え合おうとする気持ちが強いのを理解していて、故に音羽がかのんに対して過干渉してしまう可能性を危惧し、千砂都は念の為音羽に『かのんと直接会わないように』と伝えていた。彼女からそのように言われた音羽は、自分に何が出来るのかを考え続けた。かのんに会わずに、自分が彼女に何をしてあげられるのかを模索した。そして今日、音羽は思い付いたのだ。直接会わずとも相手と言葉を交わすことが出来る『通話』という手段。それを用いて、かのんを励ましたい。彼はそんな気持ちを抱いて、勇気を出して彼女に電話を掛けた。かのんは音羽がどのような気持ちで居たのか、率直に問う。
「もしかして……心配、してくれてたの?」
『当たり前だよっ! ……って、小学校行けないのに心配されても困るよね……ごめん……』
「もう、謝らなくて良いよ。おとちゃんは悪くないんだし。心配だから……電話掛けてくれたってこと?」
『うん……そう、だね……』
「……ホント、優しいね。おとちゃんは」
『ん……かのんちゃん……?』
口角を上げながら、かのんは通話越しの音羽にそう口にした。彼が自分を想ってくれている。その事実だけでも、嬉しかった。音羽の中にあるのは、ただ只管に真っ直ぐな善意。誰かの力になりたいという、ただ1つの願い。それが分かるから、かのんは音羽に全幅の信頼を寄せられる。信じたいと、心の底から思えるのだ。そんな彼だからこそ……自身の胸の裡を話そうと、口が動いた。
「……私、小学校の頃……突然、歌えなくなっちゃったの。合唱部の発表会の時でね、その会場が……この前、皆と一緒に行った講堂なんだ」
『……うん』
以前、音羽が千砂都から聞いた内容と同じ話を、かのんの口からも聞くことが出来、彼は優しい声音で頷きを返す。
「本当は……怖いんだ。また……歌えなかったらどうしようって。もし歌えなかったら……あの頃の自分と何も変わってないってことになる。……怖いよ。今だって、あの場所で歌うのがたまらなく怖い。不安が……消えてくれないの」
皆の前では決して見せてこなかった本音が、音羽が相手だととめどなく溢れてくる。音羽ならば、全て受け止めてくれると思えるからだろうか。気持ちが、止まらない。
「怖い……怖いよっ。私の歌を聴きたいって言ってくれた、小学校の皆の気持ちを……裏切りたくないよっ……私……私っ……!」
『大丈夫だよ。かのんちゃん』
恐怖でぎゅっと強く瞼を閉じたその時、音羽の優しい声が耳に響いた。
「おと、ちゃん……?」
『大丈夫。かのんちゃんは絶対、大丈夫だから。
「……!」
音羽は明るく、そして強くそう言った。歌が大好きなかのんなら、大丈夫なのだと。その言葉に、かのんの目が大きく開かれた。先程ありあが自分に言っていることが、音羽に言われて初めて分かった気がした。昔でも今でも、かのんにとって変わらないものとは何か。それは……『歌が大好き』だという気持ち。その気持ちだけは、どれだけ落ち込んでも、不貞腐れても、全てが嫌になっても、消えることは無かった。消すことのできなかった、大切な気持ちであった。
『練習でも、ライブでも、かのんちゃんの歌をいっぱい聴いてきたから……わかるんだ。かのんちゃんの歌には、『大好き』って気持ちがこもってる。だからこそ……人の心を動かす力が宿るんだって、僕は思う』
音羽は幾度となくかのんの歌を側で聴いてきた。その度にかのん特有の『色』を知覚し、その色を、歌声を知れば知る程音羽の中にあるかのんへの尊敬の念が日に日に大きなものになっていった。かのんの歌に在るのは、『楽しい』や『大好き』といった音楽に対する真っ直ぐな気持ち。それらが歌に乗せられているからこそ、彼女の歌で気持ちが揺さぶられる。心が動かされ、まるで聴いている自分までも『楽しい』と思えるかのような、かのんの歌の表現力。その根底にあるものは間違いなく、歌が大好きな気持ちだと音羽は考えており、未だ音楽に対して好きなのか嫌いなのか、はっきりとした思いを持っていない音羽にとって、かのんの歌は憧れであった。こんなにも歌が大好きな人に出会った事が無いと、彼が自信を持って言える程に、かのんの歌や音楽に対する情熱は強いものなのだ。
『きっとさ、音楽でもなんでも……『好き』に勝るものはないって僕は思ってる。その気持ちを持ってるかのんちゃんは……すっごく強いよ。だから、大丈夫。『大好き』だったら、大丈夫だよ!』
音羽の励ましが、自身の胸中にじんわりと暖かく広がっていくのを感じる。嘘でも、お世辞でも、上辺でもない彼の真っ直ぐな言葉に、いつでもかのんや皆の心を動かされる。他者の機微に敏感に気付き、常に適切な言葉や行動を考える音羽の姿勢には日頃から驚かされていると同時に、それが皆にとっての救いであった。いつ如何なる時でも、彼は自分達の味方だと思わせてくれるのだから。
「大好き、だったら……」
『うん。あ、でも……歌が大好きって、僕が勝手にそう思ってるだけで、かのんちゃんにとっては違うかもしれないよね……? ごめんっ……僕……つい勢いで……』
「ふふっ。何でそこ心配になっちゃうの?」
『だ、だって……』
「おとちゃんなら、私のことけっこうわかってると思ってたんだけどなぁ……違うんだねぇ……」
『い、いやっ! かのんちゃんのことわかってるつもりでいたいけど、でもっ、あの……うぅ……』
「冗談冗談! おとちゃんがよく知ってる通りだよ!」
『じゃあ……!』
分かりやすく焦りを声に乗せておどおどしている音羽に対して、かのんは少し揶揄うように笑ってみせる。かのんと音羽は一緒に居る時間が多く、休日でも数え切れない程に会って仲を深めている間柄の為、互いによく理解し合えている関係性だとかのんは思っていた。本当は知っている筈なのに、心配が勝って不安気になっている音羽を可愛らしいと思えてしまう。そんな自分に驚いたと同時に、気付かされることがあった。音羽の言動や行動、それらに嫌悪感を抱いたことは1度も無かったこと。音羽が自ら短所だと思っている点を、かのんはそれを短所だとは思わずに受け入れられていること。心優しくて、笑顔が素敵で、感情表現が豊かで、いつも誰かのことを考えて、その度に悩んで迷って、それでも答えを見つけ、前を向いて行動し続ける。今だって、自分を気に掛けてくれていた。そんな東音羽という存在が、自分にとってどのような人物であるのか。目を閉じながら、紅色に染まる頬に手を当てる。熱を帯び始める耳朶の感覚も、今日は不思議と心地良いと思える。頬に当てた手を降ろし、かのんは一言、スマホを通して自身に寄り添ってくれた彼に……たった一言、先の言葉の続きを告げる。
「……大好き!」
『……! かのんちゃん……!』
かのんのその一言を聞き、自分の思っていたことが間違いではなかったことが分かった音羽は声を弾ませる。その言葉に、もう1つの意味が込められているのに彼が気付いている様子は見られず、かのんは内心安堵しつつ、自身の思いを彼に話す。
「おとちゃん。ありがとう。おかげで、大事なことに気付けたよ」
『ほんとっ? ふふっ、良かった!』
「私……頑張るから。今の私ができることをやってみる。だから……信じてほしい!」
『もちろん! ずっと、信じてるよ。かのんちゃんなら絶対、大丈夫。歌えるって! 信じてるから!』
「……うん。おとちゃんがそう言ってくれるなら……頑張れる!」
『かのんちゃんの歌、講堂いっぱいに響かせようねっ!』
「ふふっ。そうだね! ありがとう! ……じゃあ私、そろそろ歌の練習するから……また今度、いっぱい話そう?」
『あっ……そうだよね! 練習の邪魔してごめんね。それじゃあ……』
「ううん。ありがとね! じゃあ……おやすみ! おとちゃん! また明日ね!」
『うんっ! バイバイ、かのんちゃん! また明日!』
音羽と言葉を交わした後、かのんは通話終了のボタンを静かに押す。たった数分の電話であったが、その数分間で自身にとっての『歌』とは何かを思い出し、そして……大切な気持ちにも気付くことが出来た。音羽や、皆に誇れる自分で居られるように、立ち止まる訳にはいかない。ここを乗り越えなければ、その先の夢に手を掠める事すらもままならない。自分を信じると言ってくれた大切な人の為に、自分の為に、『Liella!』の為に。かのんは自身の中に在る恐怖と向き合う決心をし、テーブルに置かれていた楽譜を手に取る。音羽に言われた言葉を、胸に刻み込みながら。
「……大好きだったら、大丈夫。きっと……大丈夫!」
そう自分の心に言い聞かせ、かのんは引き続き、夜空の下に在る一室で歌を奏でる。
彼女の歌声と共に、星が眠る名前の無い夜が、徐々に更けていくのだった。