『いい加減、認めたらどうかな? 自分が如何に的外れで、愚かなことを言っているのかを』
声が、聞こえる。夢じゃないのに、聞きたくないあの声が。自分を執拗に邪魔してくる。
自宅の防音室でピアノを弾いている時に、唐突に声が響いた。最近、うんざりする程に聞いた声。それが、とうとう現実にまで干渉してくるようになった。
あれから、
「君の言うことは信じないよ。勝ち負けにこだわって……本当に大事なものを見失うのが、怖いんだ」
『まずそこが違うんだよ。君は、
「え……?」
馴れ合い。皆と共に過ごす事、サポートをする事。それらを『馴れ合い』と称され、音羽は思わず耳を疑った。
『順序が違うんだよ。勝たなきゃ何の意味も無い。まずは勝つことを優先しないと。馴れ合いならその後にいくらでもすれば良い』
「っ……違うっ! ……僕は……僕はっ……」
綺麗に奏でられていたピアノの音色が、徐々に乱れ始める。彼の脳内が、耳障りな声が侵食されていく。
『君が皆のことをどう思っているかなんて、心底どうでもいい。君の感情も、何もかもどうだっていい。でも、君は間違った選択しかしていない。極めて愚かで、滑稽な選択をね』
「どうでもいいなら……僕に構わないでよ……」
『君の愚かな行為、思考を止める為だ。むしろ、感謝してほしいくらいだよ』
「……うるさい」
ピタリ、とピアノを弾く手が止まる。『感謝』という言葉を聞き、音羽の心にじわじわと怒りが募っていく。自分を否定するばかりで、『Liella!』の皆との関わりを馴れ合いだと一蹴。それに加えて感謝をしてほしいなど、得体の知れない存在にそこまで好き勝手な物言いをされて黙っていられる程、今の音羽に精神的な余裕は無かった。
『うるさい? そうやって目を背け続けて、惨めだね、君は。役立たずで、腑抜けで……君があそこに居て、何の意味があるって言うのかな』
「うるさい……うるさいうるさいっ……! うるさいッ……!!」
悲痛な表情で、音羽は渦巻く感情のままに鍵盤に拳を強く叩き付ける。何度も何度も、頭に響く声を黙らせる為に鍵盤を殴打する。その度に手に鈍い痛みが走り、ピアノから吐き出される不協和音が室内に響き渡る。
数分の後に、音羽の脳内から気配が消え去るのを感じ、彼は鍵盤に叩き付けていた手を止める。最後に鍵盤を殴打した際の重く、低い音が腹にも響いているのを感じ取りながら、音羽は荒い呼吸でその場に俯く。負の感情に支配され、宝物とも呼べる自身のピアノに当たるように拳を何度もぶつけた事を、今になって悔いる。自分が、自分じゃなくなるかのような感覚を覚え、音羽は恐怖で身震いをする。そうして音羽はひとつ、自覚した。
自分は、どうかしてしまっているのだと。
翌日の放課後。2日間の休暇を終え、スクールアイドル部の部室へと足を運んだ音羽。皆は暖かく音羽の復帰を喜び、彼は2日間休みを貰った事の感謝と、謝罪を皆に伝える。5人は気にしないよう音羽に言って聞かせ、
可可は昨日からラブライブ東京大会で『Liella!』にステージを貸してくれそうな施設を探して周り、直談判しに行っていたようで、音羽は可可と共に施設探しに同行したいと頼むと、可可は彼を歓迎し、一緒に施設への声掛けをすることとなった。今日の流れが決まった一同は各々で行動を開始。音羽と可可は校舎から出て、スマホのマップを頼りに歩き始める。
「くぅちゃん、僕のお願い……聞いてくれてありがとう」
「イエイエ! ククも音羽と一緒にイケて、嬉しいデス! 今日コソは、会場を貸してクレル場所を見つけマショウ!」
「うん。頑張ろうね、くぅちゃん!」
可可は音羽が着いて来てくれた事が嬉しいようで、笑顔で彼に返答する。2人は励まし合いながら、今日こそ自分達に会場を貸してもらえる施設を見つける為に、気を引き締めて行動することを誓うのだった。
数時間後。東京にある、ライブ等を行えそうな施設に十数軒赴き、声を掛けてみたものの、自分達の要求に首を縦に振る者は1人として居なかった。どの施設でも断られるばかりで気が滅入りそうになりながらも音羽と可可は懸命に歩き続け、施設に向かっては頭を下げて頼み込みをした。それでも結果は変わらず、ただ断られるのみ。足に疲労が生じた2人は、近くの公園のベンチで小休止する事にした。
「はい、くぅちゃん」
「アリガトウ……ゴザイマス……はっ……はぁっ……」
音羽は自販機で買った温かいココアを可可に差し出し、歩き疲れて息を切らしながらも彼女はお礼を言いつつそれを受け取り、すぐに缶のプルタブに指を掛けた。音羽も左手に持っている冷たいオレンジジュースを開栓しながら、静かに可可の隣に腰掛けた。
「なかなか、見つからないね……」
「デスね……どこもお断りサレルばかりデ……」
缶の飲み物を一口飲みながら、2人は現状を確認し合う。もう日が暮れ始め、公園には殆ど人も居なかった。やれるだけの事はしたが、本来の目的は達成できなかったが為に、音羽は悔しさで右手を握り締める。そうしてなんとなく空を見上げて、ふと思った。可可は、ラブライブの勝敗についてどんな考えを持っているのか。今まで聞いてこなかった、ステージに上がる者の率直な意見。音羽は少し恐怖を覚えながらも、そのことに関して彼女に聞いてみることにした。
「ねぇ、くぅちゃん」
「ん、何デスか?」
「くぅちゃんは……『ラブライブ!』で、勝ちたい?」
「……? 音羽……?」
「あっ……ごっ、ごめん……! 変なこと聞いたね……勝ちたいに決まってるよね……あはは……」
音羽にそう問われ、可可は不思議そうに彼の顔を見つめる。可可の表情を見て、音羽は慌てて彼女に謝り、勝ちたいのは当然の事だろうと解釈し、誤魔化すように笑う。だが、彼の取り繕った態度が気に食わず、可可は頬を膨らませる。
「ダッタラ、どうシテ聞いたのデスか?」
「い、いやっ……その……ごめん……」
「ふふっ! 冗談デスよ! 『ラブライブ!』に勝ちたいか、デスか。ンーと……」
可可は怒っていないことを伝える為にすぐに笑ってみせ、先程の音羽の問いに対して真面目に考える。改めて考えてみても、可可にとって望むものは変わらなかった。自分が、ラブライブというステージに立つ上で大事にしてきたことは、大事な東京大会を目前にしても、決して変わりはしない。
「……
「そう、だよね」
「デモ……
「くぅちゃん……?」
可可の言葉を聞き、音羽はじっと彼女を見つめる。
「ククは、ミンナと楽しくライブがシタイんデス。それが、ククの夢なんデス。楽しくナカッタら、ヤル意味なんてありマセン。かのんや、モチロン音羽も。楽しくナイと……」
可可は正直に持論を語る。自分はまず、ラブライブというステージを楽しみたいのだと。日々の練習でも、ライブにしても、楽しくなければする意味が無いのだと。まずは自分や皆がスクールアイドル活動を楽しむ事。それが、上海から日本に渡って来た可可が持つ、今でも変わらない理想だった。彼女の言葉を聞いて安心したと同時に、音羽は先日、すみれが可可に言っていた言葉を思い出す。『絶対に勝たなくてはいけない』のだと。その言葉の詳細を、彼はまだ聞けていなかった。
「……この前すみれちゃんが言ってた、『勝たなきゃいけない』っていうのは……?」
「あ……」
いつかは、『Liella!』のメンバーに話さなくてはいけないこと。それは、『ラブライブで結果を残せなかったら上海に帰国する』という、可可がスクールアイドルとして活動する際に身内の者から課せられた条件。それを偶然知ってしまったすみれは、あの時屋上で涙ながらに可可に聞いた。絶対に、勝たなくてはいけないのだろうと。そのことを音羽から話題に出され、可可は彼に話すべきか、話さないべきか迷う。今は隣に音羽しか居ない状態。かのん達は練習の為に同行していない。事情を話すには、良い機会とも言える。
けれど、自分を見つめる音羽の表情を見て、可可は口を噤む。未だに取れていない目の隈、心配そうな表情。それを目にした可可は、やはり音羽に事情を話す気にはなれなかった。彼のことだ。話せばきっと、自分を心配してくれる。力になろうと、懸命に行動してくれる。だが、本来音羽が背負う必要の無いものまで、背負わせてしまうことになる。今よりもずっと、無理をするかもしれない。そうなるのは、絶対に嫌だ。あのことを言ってしまえば、それが音羽にとって心を縛る鎖になり得る。そうなる未来を、可可は望まなかった。
「……アレは、ただアノ人がプレッシャーを感ジテそう言ったダケデス。それ以外は、ナニもありマセンよ!」
「そ、そうなの……?」
「ハイっ! ゼンゼン、大丈夫デスよ! マズハ、楽しみマショウ! 夢の舞台ダッタ……『ラブライブ!』の東京大会に『Liella!』が出ラレルのデスから! ククは、ステージで楽しく歌いたいデス!!」
「……そっか」
『まずは楽しむ』。可可の口から出た言葉を、音羽は脳内に刻み込むように何度もリフレインする。可可の笑みを浮かべた顔を見て、音羽は安堵したように目を閉じて、正面を向いた。
「そうだね」
可可の持論を肯定するように、音羽は一言そう呟いた。音楽を楽しみたいという気持ちは、無意味なものなのか、ラブライブという場所において、何の価値も無いものであるのか。1人では答えが出せなかったが、可可の言葉で音羽は気付かされた。自分達は、間違っていない。ただ勝利を掴む事だけが、全てではないのだと。あの『声』に惑わされない為の、自分達にとっての揺るがない事実を彼は再認識出来たのだった。
「音羽……ナニか、アッタのデスか?」
「え?」
「最近、アマリ顔色が良くナイデスし……イマだって、音羽がこんなコト聞くの……初めてデシタ。クク、音羽のチカラになりたいデス! ナニか、あったんデスよね!?」
「くぅ、ちゃん……」
真剣な眼差しをした可可に距離を詰められ、音羽は思わず目を逸らす。彼女に言われた、何かあったのではないかという予想。それは正しい。何も無かったと言えば、嘘になる。しかし、言えない。可可が憧れ、尊敬しているスクールアイドルグループである『Sunny Passion』の
「たしかに、あったよ」
「デハ……!」
「でも、大丈夫。大したことじゃない。心配しないで」
「音羽……」
「くぅちゃんや皆が居てくれるから、僕は大丈夫! 僕は、僕がやるべきことをちゃんとやる」
音羽は、今出来る精一杯の笑顔を可可に見せる。
「僕は、僕の仕事をするから」
彼の声が震えたのを、可可は聞き逃さなかった。最近、音羽に何があったのかを彼女は何も知らない。不眠気味であるのはなんとなく知ってはいるのだが、それ以上のことは分からない。潤んだ琥珀色の瞳から伝わるのは、彼の強い誠意と、責任感。どんな思いで音羽がそう言ったのか、可可には計り知れない。けれど、その言葉が音羽にとって何よりの本心で、今自分に何よりも伝えたい言葉であるのだと彼女は悟った。故に可可はそれをしっかり受け止めて、音羽の思いを呑み込んで、笑った。
「……ハイっ! 頼りにしてマスよ! 音羽! ナニかアレバ、いつでもククに言ってクダサイ!」
「……ありがとう。くぅちゃん」
可可の言葉を受けて音羽はそっと笑い、白い息をふっ、と吐き出す。
「東京大会、頑張ろうね!」
「ゼッタイ、『Liella!』が勝ちマス! サニパ様にダッテ、負けマセン!」
「ふふっ。だね!」
お互いに、まだ言えないことは確かにある。それでも、想いや目的はただ1つ共通している。ラブライブで優勝すること。それは断じて揺るぎはしない。ラブライブに向けて努力する事を改めて誓った2人は、顔を見合わせて微笑む。成果は上げられなかった1日であったが、音羽にとって大切な何かを掴めたような、そんな、2人だけの夕暮れ時であった。
凍えるような空に、三日月が鈍く輝いた。